やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

たんぽぽの地を這ひて咲く風岬 森とし子

2019年02月28日 | 俳句
924
森とし子
たんぽぽの地を這ひて咲く風岬
岬の春は殊更に風が強い。蒲公英も対抗上地にへばり付く様に咲いている。千葉県に住む私は年に一度は外房の海を見に行く。東風吹く頃の犬吠埼に帽子を飛ばしてしまったりした。波から来る照り返しで海がきらきらと眩しい。強くなった紫外線をたっぷりと浴びて蒲公英も何となく嬉しそうである。:俳誌『百鳥』(2018年5月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

寝落ちたる子の頭の重し桜の芽 春田のりこ

2019年02月27日 | 俳句
923
春田のりこ
寝落ちたる子の頭の重し桜の芽

抱いた腕の中で寝た子。頭がぐっと重く感じる。いつも不思議に思っていることだ。私事だが先妻が先立って暫く育児に明け暮れた。背に負ぶっても子が寝るとぐっと重さを感じていた。思うに起きている子供の方も地軸に垂直に抱かれ様として調節しているのかも知れない。こんどチコちゃんに訊いてみよう。折しも桜の蕾も膨らみはじめた。この児の未来も明るくなりそうだ。:俳誌「はるもにあ」(2018年5月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

ふきのたう二百に足らぬ万歩計 喜多てる子

2019年02月26日 | 俳句
922
喜多てる子
ふきのたう二百に足らぬ万歩計

日々の日課の散歩に出た。ふと路傍の蕗の薹に目が行く。ああ春だなあと軽い感動を覚える。万歩計はまだ二百歩ばかりで家のすぐ近くである。春はそんな足元に来ていた。鳥は唄い花は色どり風は眩しい。病むような暗い心を脱ぎ捨てて新たまの春を謳歌せむ。もう少し生きて見よう。:俳誌「角川・俳句」(2019年2月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

石ひとつひとつに躍り春の川 田中利子

2019年02月26日 | 俳句
921
田中利子
石ひとつひとつに躍り春の川

水底まで見える清流の畔に立つ。川が踊っている!透いて見える石のひとつひとつが踊るが如くきらめいている。春の小川はさらさらゆくよ♪思わず口ずさむ童歌に我が心にも春がやってきた。思えば都市近郊に住みなれて清流渓流からは遠く離れ暮らしている。あの故郷の山や川が懐かしい。戻りたい。戻れない。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

そのうちといふ浮木見詰め諸子釣 門馬貴美子

2019年02月24日 | 俳句
920
門馬貴美子
そのうちといふ浮木見詰め諸子釣

魚釣シーズンの到来である。まずは手近な諸子釣りに出かける。冬の間手入れに余念のなかった和竿に工夫の仕掛けをセットする。特に浮木は自慢の手作りの一品である。人には教えぬ秘密のポイントにそっとこれも極秘の餌を付けて投入する。人事を尽くし天命を待つ。今か今かと浮木の動きに神経を集中する。夢中になれる時間を持っている幸せが胸に熱い。そのうちに釣れるだろう。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

風の向き日の向き言ひて巣箱掛 堀野信子

2019年02月24日 | 俳句
919
堀野信子
風の向き日の向き言ひて巣箱掛

鳥の巣箱を掛ける事になった。入口から風が吹き込まないように向きを考えて据えた。いやこれでは子育てに日が入らないと微調整する。昨年は目白が入った。四十雀も興味深々の様だ。経験値からして巣箱はガラスで隔てられていれば窓際であっても可である。ただ撮影には障子の開け閉めは厳禁。適切に障子の穴の大きさを調節する。と言う訳で籠に飼う事を止め庭の巣箱で野鳥を楽しむ日々を送っている。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

花粉症積もる話はまたにして 鎮田紅絲

2019年02月23日 | 俳句
918
鎮田紅絲
花粉症積もる話はまたにして

目が痒いし嚏がしきりと出る。花粉症だ。ここ十年来この季節にはこうなる。友人と野外での立ち話。積もる話に切も無い。ところが我が花粉症が勃発。話どころでなくなって来た。また今度ゆっくりと言う事にしてそうそうに引き上げる。その上老いの涙目も加わって涙もろい今日この頃。一病息災もこれでなかなか辛い。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

源流の目覚めうながす初音とも 中野陽路

2019年02月22日 | 俳句
917
中野陽路
源流の目覚めうながす初音とも

凍り付いた源流にも春の足音がする。研ぎ澄ましたような鶯の初音が耳に突き刺さる。それを引き金に渓流の水音が高らかに響き出す。山肌にたらの芽が顔を出せば各地の渓流釣りも二月中旬から三月にかけて一斉に解禁となる。釣り人が鶯の鳴く峪へ足を運ぶのも間もない。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

待春や雑木は影をかさね合ひ 高橋毅

2019年02月21日 | 俳句
916
高橋 毅
待春や雑木は影をかさね合ひ

春は名のみの風の寒さよ。暦の上では春だと言うに三寒四温を通過しての本当の春にはまだ間がある。雑木林の落とす影は折り重なって冷たい。春よ来い、早く来い♪と待春の気持ちが高まる。来し方を振り返れば忸怩たる思いばかり。明日こそは明日こそはと明日に期待する。そんな人生の春を後幾度迎えられるだろうか。今日の命を大切にと切実に思うこの頃ではある。:俳誌『百鳥』(2018年5月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

雉鳴くや日はしろがねのつめたさに 上村占魚

2019年02月20日 | 俳句
915
上村占魚
雉鳴くや日はしろがねのつめたさに
早春の河原で雉が鳴き出した。日は金属色の光を注ぎ外気はまだまだ寒い。雉の耳をつんざくような鳴き声が周囲に響き渡ると春の到来を確認することなる。これから繁殖の季節を迎え生命を絞り出す様な鋭い響きである。遠目には鴉と見まがえる大きさであるが双眼鏡を当てれば正しく雉でなのである。そんな夜にはケンケーンの声が耳に着き寝そびれる事となる。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>



老犬の眠りのなかへ石鹸玉 香田なを 

2019年02月18日 | 俳句
914
香田なを
老犬の眠りのなかへ石鹸玉

愛犬も年老いた。時々耳をぴくつかせてはいるが熟睡している様だ。そんな老犬の耳の中へシャボン玉がふはふはと流れ込んだ。耳の中でシャボン玉が弾けたのだろうか薄眼を開けた。それも一瞬でまた目を閉じる。因みに犬の平均的な寿命から逆算して10年で人間の56歳、15年で76歳、20年で96歳に換算すればよいか。勿論犬種や環境差は大いにあるだろう。犬に限らず我ら老人も年齢と共に眠り多き日々が増えてゆく。時候も春眠暁を覚えずの侯とはなった。:俳誌「はるもにあ」(2018年5月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

街の雨鶯餅がもう出たか 富安風生

2019年02月18日 | 俳句
913
富安風生
街の雨鶯餅がもう出たか

ここのところ降水日が少なく乾燥が続いた。久しぶりのお湿りに恵みの雨を感じる。ふと目を流す店先に「鶯餅」の張り紙があった。ほうもう鶯餅が出たんだなあと感心する。そう言えばこの雨も冷たいけれど何か明るい。春は確実にやって来たと得心する。またも旅心が疼き出した。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

誰も見ず誰も見て居る冬の川 行川行人

2019年02月17日 | 俳句
912
行川行人
誰も見ず誰も見て居る冬の川

実質今が一番寒さを感じる気候である。早春の川べりに吹く風の寒さよ。誰も川など見ていない。それでも目の端には川が映り込んでくる。否応なしの寒さが襲う。話は変わるが冬から早春にはバードウオッチは最適である。空気が澄んでいることもさりながら落葉樹は葉を落とし鳥の声も鋭く響き渡る。川に泳ぐ水鳥達の生態が見ていて楽しい。冬去らば春来る習わし。:俳誌「角川・俳句」(2019年2月号)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

あんぐりと鰐の大口春の風 浜風

2019年02月16日 | 俳句
911
浜風
あんぐりと鰐の大口春の風

動物園の鰐の前に立ったら何と大きな口をあんぐりと開けている。この春風を皆吸い込んでしまうのだろうか。春は行楽のシーズンである。子供心に還ってのんびり過ごせば少しは長生き出来るだろうか。苦労を苦労とも思わない年齢になった分、鰐のあんぐり気分になりたいものだ。現実は持病とか年金に悩んでちまちまと暮らす昨今である。気分一新、春風駘蕩の侯外へ出て紫外線をたつぷりと浴びようか。:つぶやく堂ネット喫茶店(2019年2月5日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>

春灯にひとつの奈落ありて座す 野沢節子

2019年02月15日 | 俳句
910
野沢節子
春灯にひとつの奈落ありて座す

春燈と秋燈。おなし燈に心の世界では180度の開きがある。まだまだ明るい光の春と終焉を前にした秋の光と。さてその未来や希望に満ちた春の燈に一つの奈落があると言う。愕然として腰が抜けたように座りこむ。明るい未来がある。青春切符を買って旅の準備も整えた。慕う彼とも順調な関係である。こんなに上手く行くはずは無いと思いつつもそんな人生を歩んできた。どこかに落とし穴があるはずだ。きっと奈落に落ちてゆくのが自分だとの覚悟も出来ている。それを救ってくれるのは茫々たる春灯の寂光だろうか。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
<いらっしゃいませー俳句喫茶店・つぶやく堂ーどうぞお入りください>