やんまの気まぐれ・一句拝借!

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唄はねば夜なべさびしや菜種梅雨 森川暁水

2018年04月30日 | 俳句
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森川暁水
唄はねば夜なべさびしや菜種梅雨

黄色い菜の花に何日か雨が続いた。そして今日の労働は夜なべとなる。明るいはずの一日が何故かさびしい。知らずに唇が歌を唄っている。~母さんが夜なべをして手袋編んでくれた~。さりながら晴耕雨読、労働は外の方がはるかに気持ち良い。余談ですが<唄はねば淋しき雲雀空に消ゆ>この句どなたか詠み人をご存じでしょうか。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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山吹や暮れゆく水のとゞまらず 渡辺水巴

2018年04月29日 | 俳句
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渡辺水巴
山吹や暮れゆく水のとゞまらず

山吹が水辺に咲いた。今日もとぼとぼと心赴くままに歩き回る。辺りが暮れなずむが水の音だけはとゞまる事を知らない。明から暗へと風景が移ろう中に山吹色だけが最後まで明るい。行く川の流れは絶えずしてあれど我ここにぽつねんと取り残されたり。漆黒の闇が襲う。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。

夏めくや木々の葉群の光ること 同前悠久子

2018年04月28日 | 俳句
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同前悠久子
夏めくや木々の葉群の光ること
三寒四温の温の日が続くようになった。木々の葉も新緑に輝いている。風景が眩しいのは紫外線の多くなった陽射しのせいだろうか。街には半袖の人々が多くなった。特に女性のファッションが軽ろやかである。きらきらと風景が輝き、何もかも夏めいてきた。今宵はジャズでも聴きながら冷奴としよう。:俳誌「ににん」(2017年夏月号)所載。
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鉄線がどかんと咲いて雨あがる わたなべじゅんこ

2018年04月27日 | 俳句
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わたなべじゅんこ
鉄線がどかんと咲いて雨あがる

どうどうたる鉄線が咲いた。大輪のどかんとした存在感に思わず息を呑む。さっきまでの雨の水滴を孕んで輝いている。これから新緑の季節に入る。ゴールデンウウイークは何処へ出かけても花々がお出迎えしてくれるだろう。雨に洗れた透明な空気をいっぱい吸いに旅行に出てリフレッシュしてこようか。それとも人混みを避けて庭に水を撒きながら静かに過ごそうか。この珠玉の時間を如何に過ごさん。:講談社「百人百句」所載。

老骨と浮かぶ花弁や露天風呂 西森正治

2018年04月26日 | 俳句
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西森正治
老骨と浮かぶ花弁や露天風呂
日本に桜と温泉あり。日本に生まれ長く生きてみるとしみじみとそう思う。久々にこの老骨を湯に浮かべ野鳥の囀りを聞いている。どこから散って来たのか花弁が浮かんでいる。痛んだ身も心も癒されて行く。あと望むとすれば少々の酒と冷奴かなあ。:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年4月22日)所載。

陽炎へばわれに未来のあるごとし 安土多架志

2018年04月25日 | 俳句
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安土多架志
陽炎へばわれに未来のあるごとし
目の前の道が陽炎っている。この中に洋々たる未来があるごとく感じる。そこには具体像は無いがどんな形であろうが自分の未来が待っている。どことなく青春を感じるこんな詠嘆も青春時代ならのものであろう。老い先の短い小生などはどんな惨めな終末なのかに怯えるのみである。諸兄諸姉の為には例のサミエル・ウルマンの言葉を掲げておく。<青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ>:備忘録
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多羅の芽の十や二十や何峠 波郷

2018年04月24日 | 俳句
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石田波郷
多羅の芽の十や二十や何峠
若い頃渓流へよく釣りに行った。釣果もさることながら山菜の収穫も楽しみであった。中でも多羅の芽には目がなかった。帰路の峠道ではキョロキョロと見渡しては多羅の芽を探しながら走った。一つ見つけると近くにまた一つと見つかる。ただ茸もそうであるが似て非なるものがあって注意しなければならない。漆系の何とか等と間違えると七転八倒の苦しみを味わう事になる。さてこの多羅の芽、唐揚げ天ぷらの熱々に塩を振って食べると最高の御馳走となる。遠い遠い昔の話。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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声掛くれば消えなん風情初てふてふ 鈴木撫足

2018年04月23日 | 俳句
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鈴木撫足
声掛くれば消えなん風情初てふてふ
初蝶に遭遇。思はず声を掛けてしまった。消えてしまいそうな風情に後悔半分の喜びである。季節は季節ごとの花鳥風月を運びやって来る。その都度喜びの声を上げてしまうのも俳句なんぞを嗜んだ性であろう。月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なりとぞ。:俳誌「春燈」(2017年7月号)所載。
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春陰や遺言証書書き換ふる シナモン

2018年04月22日 | 俳句
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シナモン
春陰や遺言証書書き換ふる
桜前線列島にあり。天気は曇りがちである。そんな天が下で人間が悩んでいる。昨日まで固めていた遺言証書を書き換え様と思い立つ。自分が貧民である事を承知の上での悩みは夢遊びなのかも知れぬ。銭も無ければ書画骨董のたぐいやお宝も無い。子孫に美田を残さずの先人の知恵にあやかる事にしているからである。ま心配遊びも程々にしてただ一つ叶わぬ夢を言っておくとしたら何かなあ。散骨!そうだそうして貰おう。:つぶやく堂ネット喫茶店(2018年4月16日)所載。
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春疾風ポテトチップス飛ばさるる 日高裕司

2018年04月21日 | 俳句
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日高裕司
春疾風ポテトチップス飛ばさるる

季節の変わり目と言う事で春先には強い風が吹く。東風しかり今日の春疾風もしかりである。お陰様で健康の方は良好で食欲も旺盛である。ただし噛み砕く力の減少はいかんともし難い。次第に柔らかいものに嗜好が移って行く。ポテトチップスはお茶に良しビールにも良いとお気に入りである。今日は郊外でこれを食していたがこの強風にあれよあれよと飛ばされてしまった。鑑みるに我嗜好の行き着く先は<湯豆腐や命の果ての薄明かり>てな事になりそうな気がする。:俳誌『百鳥』(2017年6月号)所載。
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金欲しくなくなる帰路に豆の花 秋元不死男

2018年04月20日 | 俳句
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秋元不死男
金欲しくなくなる帰路に豆の花
ふとそんな気になる事がある。貧民は貧民なりに楽しく暮らしてゆこうと思っている。小さな庭に豆の花を咲かせる生活で幸せである。健康で酒が少々飲め淡交の友がいる、これ以上何を望むと言うのだ。どんなに財を成したところで胃袋の大きさはたかが知れている。、、、さはさりながら悟り切れないワタクシメは無性にお金が欲しくてたまらないのである。ああ金が欲し~い!:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

石の声水の声して山ざくら 久保田月鈴子

2018年04月19日 | 俳句
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久保田月鈴子
石の声水の声して山ざくら
石に声があるだろうか。水に声があるのだろうか。山道を歩いていてふと聞こえた声の主は誰なのか。辺りには山さくらが匂うが如く咲いている。その感嘆符付きの声はどう見ても石か水かはたまた桜の声としか聴きとれぬ。満ち満ちた気配はきっと何かを語っているのだろう。ぱっと咲きぱっと散る花の哀れの声でもあろうか。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。

げんげ田や山低ければ空広く 黒田はる江

2018年04月18日 | 俳句
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黒田はる江
げんげ田や山低ければ空広く
水の干された田んぼ一面にげんげが咲き誇っている。この辺り周囲の山並が低いので空が広々と広がっている。日本のふる里のどこにでもありそうな風景である。春の旅心に誘われてここまでやってきた。随分紆余曲折をして来た人生だったが結局心の郷愁に惹かれる昨今である。そこには兎追いしかの山小鮒釣りしかの川があり母が居る。:俳誌「はるもにあ」(2017年7月号)所載。

春深くケセランバサラン増殖す 真鍋呉夫

2018年04月17日 | 俳句
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真鍋呉夫
春深くケセランバサラン増殖す

春も深まった。街行く人々の足取りも軽やかである。異性の服装に自然と視線が向く季節でもある。特に若い女性の化粧が気になる。深層心理を覗けば叶わぬ情欲の念が渦巻いているのだろう。人間は獣毛を纏わぬ「裸虫」と言われるそうだ。作者によればケセランバサランとは白粉を食う虫との事。春深くこんな虫が増殖中なのである。:講談社「百人百句」所載。

何やらの封印を解き春たける 藤森荘吉

2018年04月16日 | 俳句
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藤森荘吉
何やらの封印を解き春たける

深まる春の中何やらの封印が解かれた。人は事情によって何かを封印する事がある。今その事情が解除されて封印が解かれた。春には傷みを回復する力が秘められているようだ。私の場合禁酒と言う封印は三日もたない。たまたま今年腸のポリープを切除した時は一ケ月の断酒となった。やれば出来ると自分を誉めたものだが直ぐに元に戻ってしまった。時は新緑へ向かってまっしぐらに流れる。:朝日新聞「朝日俳壇」(2018年4月8日)所載。