やんまの気まぐれ・一句拝借!

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通夜客にただひたすらに新茶出す:鈴木節子

2020年05月31日 | 俳句
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通夜客にただひたすらに新茶出す:鈴木節子
新茶が出回っている。今日のお通夜のお茶も新茶が供せられた。こんな佳い季節であっても人は死ぬ。この死と言う絶対摂理を知りながら日常はただひたすらに流されて行く。ひたすらに出された新茶をひたすらに飲んでいる。故人の生前の生き方の爽やかさを思う。すがすがしい茶の香りにこの人の成仏を確信した。せめて自分のこれからを悔い無き生き方にしておきたい。<連れ合いの居る幸せよ新茶汲む:やの字>。:俳誌『百鳥』(2019年8月号)所載。
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日本に醤油ありけり冷奴:仲寒蟬

2020年05月30日 | 俳句
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日本に醤油ありけり冷奴:仲寒蟬
夏は冷奴だ。食傷気味の胃袋もこれなら受け付ける。また醤油の味がそのまま舌に伝わってくる。正に万太郎曰く「命の果ての薄明かり」である。醤油も日本の各地に自慢の銘柄があるのだろう。我が近辺では野田のキッコウーマン醤油である。工場見学もOKで薄口濃い口甘口辛口とまるで日本酒並の種類があるそうだ。昼を過ぎれば晩酌が頭にちらついてくる。今夜も豆腐に醤油で決まり。<独酌のちびりちびりと冷奴:やの字>。:角川『合本・俳句歳時記』(2019年3月28日)所載。
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風薫るテイクアウトに幟旗:れんげ

2020年05月29日 | 俳句
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風薫るテイクアウトに幟旗:れんげ
幟旗が薫風に揺れている。張紙にテイクアウト出来ますと書いてある。普段なら店内で食するのだがついついテイクアウトと言う事に為る。公園は新緑新樹で緑が眩しい。この緑に身も心も清められた気がする。コロナの自粛要請も解かれ自由な生活が戻って来た。テイクアウトだけだったお店も外回りにテーブル席が設えられた。いざや我が日常を取り戻さん。<外に出でよ我が心身に風薫る:やの字>。:ネット喫茶店『つぶやく堂』(2020年5月25日)所載。
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母眠る父の遺愛の籐寝椅子:清水隆

2020年05月28日 | 俳句
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母眠る父の遺愛の籐寝椅子:清水隆​
縁側の空気が涼しい。軽い寝息は母のものだ。寝ている籐椅子は父が好んで座していた。思えば父にも母にも随分可愛がられて育てられた。父の恩は山より高く母の愛は海より深かった。敗戦そして負の生活。喰うや喰わずの日常の中で自分が育てられた。今にしてやっと親の恩が分かり始めた。寝顔を見せている母は今父に抱かれているのだふとそんな気がしてきた。<どっこいと言って抜け出す籐寝椅子:やの字>。:俳誌『はるもにあ』(2019年9月号)所載。
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​風光る開けつ放しの金物屋:鎌田俊​

2020年05月27日 | 俳句
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風光る開けつ放しの金物屋:鎌田俊
開け放された金物屋の店先に爽やかな風が吹き渡っている。並べられた金物までぴかぴか光っている様だ。近頃では金物専門店も少なくなった。大型量販店で用が足りるのかそっちらの駐車場が賑わっている。商店街の小さな金物屋の店主も老いが目立って来た。自分一代が店の終い時と心得ている。馴染み客がぽつりぽつりと顔を出す。朝顔用のプランターが一つ売れた。<風光る一病息災恙無し:やの字>。:俳誌『角川・俳句』(2020年6月号)所載。
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​風光る通院といふ外出かな:小田島美紀子​

2020年05月26日 | 俳句
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風光る通院といふ外出かな:小田島美紀子
今日は定期検診の通院日。久々の外出(そとで)である。折しも日差しが強く風も光りきらめいている。我が一病も元気に通院出来る程のものである。外気に触れて歩けば病の気も吹き飛んでゆきそうだ。余談なれど我が通院時には門前で体温測定される。37度5分以上の者は入り口が別途裏口にある。この体勢もようやく解除されそうだ。それにしても薬局で貰う薬の数の何と多い事よ。<看護士の笑窪くつきり風光る:やの字>。:朝日新聞『朝日俳壇』(2020年5月24日)所載。
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小心のくせに大の字朝寝夫:久野茂樹​

2020年05月25日 | 俳句
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小心のくせに大の字朝寝夫:久野茂樹
気が小さい。昔から自分でそう思っている。小心にしては朝寝坊が何時もの癖であるのが不思議。今日も大の字で高らかに鼾をかいている。それに昨今のコロナ自粛で出勤時間を気にしないで良いとなれば心ゆくまで眠れると言うもの。そうは言ってもついつい目が覚めるのは身についた習慣なのだろう。目覚めながらも何時までも何時までも布団の中でごろごろとするばかり。<春眠の二度寝三度寝極楽寝:やの字>。:朝日新聞『朝日俳壇』(2020年5月24日)所載。
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ムスリムの娘の瞳新樹光:後藤治代

2020年05月24日 | 俳句
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ムスリムの娘の瞳新樹光:後藤治代
ムスリムと言う宗派の娘、瞳がぱっちりと見開いている。その中に新樹の木漏れ日が揺れている。人は一面にか弱い肉体と心を持っている。それを救うのが宗教であろう。それぞれの生まれによって宗教との縁が出来る。悩みを知らぬ少女にも親から伝わる祈りの形がある。純真な心が疑いも無くそれを受け入れている。<我が汚れ洗い流せよ新樹光:やの字>。:俳誌『百鳥』(2019年8月号)所載。
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鎌倉のてくてくマップ青葉風:竹田摠一郎​

2020年05月23日 | 俳句
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鎌倉のてくてくマップ青葉風:竹田摠一郎
青葉を通した風が気持ちよい。ぶらり訪れた観光地鎌倉。駅前の案内所で手に入れたてくてくマップを片手に歩き出す。まずは八幡宮へ参拝し横へ回って小町通りへとてくてく歩く。小腹が空けば甘味処もあちこちにある。疲れていなければ海岸まで足を伸ばすのも一興である。ただし食べ歩きにはご注意を、トンビが空から狙っている。何度もその急襲の被害を目撃している。そんなこんなで充実した時が流れてゆく。人生の一時夢の如し。<我が五感今健在ぞ青葉風:やの字>。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日)所載。
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引き抜いて意外に軽し小判草:関口加世子​

2020年05月22日 | 俳句
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引き抜いて意外に軽し小判草:関口加世子​
穂先が小判の形の小判草。穂先を重そうに垂らしている。道端の一本を引き抜いてみると何と軽いことか。我が住まいの周辺に野馬除土手という史跡がある。雑草雑木が自生している。その中に小判草が散らばっている。ワタクシにとっては小判より幸せになる一品である。近頃は散策だか徘徊だか分らなくなって来たが日々歩く事を止めない。膝痛には膝の筋肉を鍛えて備えようと言う事である。副産物として鳥の声や四季折々の野草や雨や風に触れられる五感の喜びがある。何時まで可能か一歩一歩と噛みしめるように味わっている。<小判草路傍に実る苫屋かな:やの字>。:雄山閣『新版・俳句歳時記』(2012年6月30日)所載。
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お花畑雲歳月を押し戻し:福田蓼汀

2020年05月21日 | 俳句
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お花畑雲歳月を押し戻し:福田蓼汀
山上の高地に高山植物が群生している。遠き山並みを流れる雲が目線に並ぶ。いつか来たこの道あの道。歳月の彼方の記憶が甦る。あの頃は向こうのキレットまで歩破したものだ。今はずっと歳を老いて叶わぬ夢となった。若き日は二度と来ない、今出来ることは今やっておこうと愚考する。雷鳥は普通に人を迎えた昔が懐かしい。<若き日のハクサンフロウ・チングルマ:やの字>。:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
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朝食や卯の花腐したのしみて:阿波野青畝

2020年05月20日 | 俳句
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朝食や卯の花腐したのしみて:阿波野青畝
朝だ。深呼吸をして今日も命を賜わった事に感謝する。庭を眺めれば垣根の卯の花が朝日を浴びている。一日一日の人生を自ら企画し自らの足で歩く。その出発点の朝食である。一汁一菜を美味しいと思える幸せを噛みしめる。垣の向こうで不如帰が鳴いている。晴れて佳し降って佳し。肉体は地を歩き魂は夢を巡りかくこうして我在りし。垣の外へいざ今日の一歩を。<籠りては卯の花腐し庭の雨:やの字>。:角川書店『合本・俳句歳時記』(1990年12月15日)所載。
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初夏の風群峰の屹立す:ひであき

2020年05月19日 | 俳句
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初夏の風群峰の屹立す:ひであき
初夏と言う響きが五感をくすぐる。心が表へ開かれて山へ海へと向かう。風が肌に心地良い。視線を巡らせれば遠く群峰が屹立している。男の心が揺すぶられ志が芽生える。使い古した登山靴の手入れが始まる。今年はどんな野鳥や山野草に巡り会えるだろう。あの山小屋の大将はは健在だろうか。今夜も眠れぬ夜となりそうだ。<初夏の大志は山へ靴磨く:やの字>。:ネット喫茶店『俳句喫茶店・つぶやく堂』(2020年5月14日)所載。
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聖五月晩年もまだ働けて:ながさく清江

2020年05月18日 | 俳句
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聖五月晩年もまだ働けて:ながさく清江
気候の良い季節である。カトリックで五月を聖母マリアの月といわれていることから「聖五月」と言はれている。時代は長寿社会を迎え高年齢の者も概して元気である。中にはまだ現役で働ける人々がいる。一病息災で仕事がある。自分の居場所がある事の幸せなことよ。<晩年といふ青春の夏帽子:やの字>。:俳誌『角川・俳句』(2020年5月号)所載。
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葭切や蕎麦打つ音の正しくて:鬼野海渡

2020年05月17日 | 俳句
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葭切や蕎麦打つ音の正しくて:鬼野海渡
水辺の葭原に葭切が鳴き騒いでいる。涼風に靡く旗に誘われて蕎麦屋にふらりと入る。打ち立てを供するらしくとんとんとまな板をたたき出した。このリズムと葭切の鳴声が不協和音なのに妙にマッチしている。そうこうしている内に出来上がった。お待ちかねの一品、つるりと入る喉の感触がたまらない。仕上げのそば湯も飲み干して外の風の中に出る。<もう一枚蕎麦の追加や夏座敷:やの字>。:俳誌『はるもにあ』(2019年9月号)所載。
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