やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

ウオーキング後の喉越す生ビール 福山久江

2019年07月31日 | 俳句
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福山久江
ウオーキング後の喉越す生ビール
日々日課としているウオーキング。今日も目標の万歩達成である。そこでぐいーっと中生のビールを喉に流し込む。生きていてよかったと思う一瞬である。健康で酒が美味くて語らう友達が少々これ以上の事があるだろうか。晴耕雨読とよく言うが膝関節症の小生はリハビリの為雨の散策も欠かさない。ご近所様には徘徊が始まったのかとご心配の向きもあろようではある。:俳誌『百鳥』(2018年10月号)所載。
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青葉蔭金の涙を眼にたたへ 野見山朱鳥

2019年07月29日 | 俳句
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野見山朱鳥
青葉蔭金の涙を眼にたたへ
緑陰の風が心地良い季候である。読書佳し夢想また佳しと人は大樹に憩う。と泣いている人が居る。木漏れ日を浴び涙が金色にぴかりと光った。ううむ泣く場所として又佳しとせむか。人の居場所は時々に応じ変遷する。泣く場所も春のふらここから今は大樹の陰へと移ろうた。明日はいずこで泣くべしや。<泣くまいと睨めっこする水芭蕉 やの字>:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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鮎の背に一抹の朱のありしごと 原石鼎

2019年07月29日 | 俳句
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原 石鼎
鮎の背に一抹の朱のありしごと

鮎の背に有るか無いかの儚い朱を見てとった。それでなくとも一年魚と言う短い命である。人間からみれば旬だけの命である。季節柄清流に身を浸けるだけでも涼味満点だがこれを釣る面白さは人を魅了して飽きさせない。釣り人だけで無くとも有料の簗場で獲れ立ての鮎が食べられる。塩焼きで頬張る天然鮎の美味さは格別である。因みに人工餌で養殖された鮎は少々味が落ちるからご注意を。:山本健吉「定本・現代俳句」(2000年4月10日)所載。
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閑かさや岩にしみ入る蟬の声 松尾芭蕉

2019年07月28日 | 俳句
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松尾芭蕉
閑かさや岩にしみ入る蟬の声
あまりの閑(しず)かさに蟬の声が岩に沁み入る様だ。蟬がうるさく鳴く声が返って閑かさを深く感じさせている。屋外の日射下にあっての暑さはまるで涼しく感じさせる程の静かさだったろうか。こうした感覚からしてこの蝉はニイニイ蝉だと考察するがどんなものか。凡愚な自分は静かだから涼しいとはとても変換出来ないし心頭滅却しても火は火でやっぱり熱いのである。:大岡信(おおおかまこと)「百人百句」講談社(2002年6月28日)所載。
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雨音を野の音として夏座敷 広瀬直人 

2019年07月27日 | 俳句
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広瀬直人
雨音を野の音として夏座敷
激しい雨音が耳を打つ。障子の外の山野の雨音である。これもまた涼しさを楽しむ夏座敷の趣きである。思えば長い人生行路の果てに辿り着いた終の棲家である。極寒の冬も灼熱の夏も掻い潜って来た。この世の隅々まで旅をして来たと思っている。これから先はびくとも動くまい。動の挙げ句の静に安住の居場所を見つけた。この雨音はやがて虫時雨となり木枯らしとなり東風吹く音となるだろう。もう都会へは戻れない。:俳誌「角川・俳句」(2018年7月号)所載。
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近道のつもりが遠し青田風 渡辺美智子

2019年07月26日 | 俳句
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渡辺美智子
近道のつもりが遠し青田風
見通しのよい青田の道。風が肌に当たって心地良い。視界に遮るものがなくこの一本道が近く思える。ところが歩いて見ると舗装のされていない土の道の歩き難い事。時間距離からすればずっと遠くなってしまった。それでも爽やかな風に包まれて気持ちが良い。この田んぼもやがて黄金色に変わり夜には螢も舞うだろう。様々な案山子が楽しめるのももう間近である。:読売新聞「読売俳壇」(2018年9月3日)所載。
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白南風やマストにかはるがわる鳥 土肥あき子

2019年07月25日 | 俳句
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土肥あき子
白南風やマストにかはるがわる鳥
ようよう梅雨が明けて南風も肌に心地良い。こんな風の中マストに鳥が止まっている。一羽経ってはまた違う鳥が止まる。よほど居心地の良い場所なのだろう。近代装備を装着した大型観光船が数多寄港する港で帆船を見かけるとほっとする。人間の知恵と自然の風で航海するなんて夢がある。私が観光で乗船した日本丸の船乗りさんはみなイケメンで逞しかった。マストでの手旗信号の実演をアイドルを見るような目で観客が眺めていた。次に航海に出ると半年は帰らないと言う。鳥も帆船も小生には夢の存在である。:角川俳句付録「俳句手帳」(2014年5月号付録)所載。
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ウクレレに和音三つの端居かな 田中幸雪

2019年07月24日 | 俳句
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田中幸雪
ウクレレに和音三つの端居かな
小生の不器用を自画自賛する訳では無いが天下御免の不器用である。ピアノが弾ける等はとんでもないがハーモニカも下手な所を見ると相当な音痴と言う事らしい。ある日馬鹿でも引ける「高木ブーのウクレレ口座」通信教育を申し込んだ。まあ和音三つで引けると言うのは一般人向けの事で小生には全く歯が立たなかった。両親はとても器用な職人だったので遺伝や血筋の為ではなさそうだ。和音三つを操つり端居しているこの御仁を真に羨望するばかりである。♪カエルノウタガ♪キコエテクルヨ♪ああ蛙になりたい。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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数式のあらかた消えて昼寝覚 松山悠介

2019年07月23日 | 俳句
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松山悠介
数式のあらかた消えて昼寝覚
どういう訳か夢の中で数式を解いている。世間が苦労している難題もすらすらと解ける。苦手中の苦手のはずがそこは夢の中。すらすらと解ける。ここでは重力の束縛も無いから魂が身体から抜け出して空中遊泳もしてしまう。心の重しだった宿題の方程式などもいとも簡単に解けてしまうのであった。しめたとばかり書き止めんと目覚めてみればあら不思議解答はあらかた消えているではないか。夢を撮影するビデオを発明したらノーベル賞が取れると思う。夢と言うものは真に不思議なものである。ああ昼寝覚。:俳誌「はるもにあ」(2017年9月号)所載。
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夏つばめ日曜の窓開け放つ 吉田八重子

2019年07月22日 | 俳句
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吉田八重子
夏つばめ日曜の窓開け放つ

日曜日は休日で休養日。部屋に風をいれようと窓をさっと開け放つ。飛び込んで来た風が肌に心地良い。と窓の外を燕が飛行している。風が一挙に爽やかとなる。部屋に閉籠もって鬱屈していた気分が一新される。平日の仕事の疲れがとれた気もする。この夏燕は子を為してこれから遠い所へ旅立ちの準備中なのだろう。久しぶりにどこか遠くへ出かけたい気がしてきた。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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梔子の白のけがれを嘆くかな シナモン

2019年07月21日 | 俳句
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シナモン
梔子の白のけがれを嘆くかな
季節をゆくものに旬と衰えがある。垣に咲いた純白の梔子(くちなし)であったが今は衰えの影が見えている。我が身の老いを日々に悟っている昨今、何時しか旬の時代を振り返る。青春もあったし戦争もあった。夫の仕事盛りにも付き添った。地球の各地も踏破した。そしてこうしてここに落ち着いている。誰かが呟いた、何時だって青春さ。♪くちなしの白い花♪おまえのやうな~これまた失礼をば致しました。:ネット喫茶店「つぶやく堂」2019年7月1日所載。
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日本列島東海岸土用波 鈴木真砂女

2019年07月20日 | 俳句
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鈴木真砂女
日本列島東海岸土用波
本日は夏の土用入り。穏やかな波も気のせいか何時もより荒々しい。日本列島の東海岸一斉に押し寄せている。真砂女は房総の出身だから波は終生記憶深くに刻まれていたろう。<あるときは船より高き卯波かな 真砂女>。おなし千葉でも内陸部の柏市に居る小生は年に一度は九十九里の波を見に行く。浜昼顔の傍らにはウミガメの産卵場所があったりする。早朝の浜からの日の出も神々しい。どどんどどんと高まる波音の中にまた佇んでみたい。:鈴木真砂女「句集・紫木蓮」(1999年7月2日)所載。
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山の童の木菟とらへたる鬨あげぬ 飯田蛇笏

2019年07月19日 | 俳句
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飯田蛇笏
山の童の木菟とらへたる鬨あげぬ
山の童(こ)が木菟(づく)とらへて勝ち鬨(どき)をあげた。まず都会の児童の及ばぬ所である。だいたいにおいて青葉木菟とか木菟類は夜行性であるから昼間は森深く木の洞などに潜んでいる。一方児童は夜間はぐっすり夢の世界である。そのため昼間うっかり見つかってしまった青葉木菟は身動きに於いて絶対的に不利である。小生の近所で昼間鴉と死闘を繰り返す木菟を見た事がある。夜間は鴉をいじめているので昼間は鴉の反撃である。それにしてもうっかりは命の危険にさらされるという教訓である。どこか芯の所で狩猟本能が疼いてきたぞ。:山本健吉「定本・現代俳句」(2000年4月10日)所載。
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教室にわつと歓声椎若葉 谷野予志

2019年07月18日 | 俳句
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谷野予志
教室にわつと歓声椎若葉
何かが起きて教室がわっとどよめいた。折しも窓の外では若葉が風に戦いでいる。この椎を初め木々の精気は万緑の体を成してゆく。人もまた冬の気を吹っ切って夏の気に転じてゆく。海へ山へと旅が楽しい。今出来ることは今やって置こう。明日と言う不確かな日を当てには出来ない。命短し恋せよ旅せよ。わっと湧いたる青春時代はとうに過ぎてしまったが。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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向日葵の太し大地に罅深し 角谷昌子

2019年07月17日 | 俳句
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角谷昌子
向日葵の太し大地に罅深し
向日葵が見事に立ち上がった。豊かに降り注ぐ太陽光線を受けて大地には罅(ひび)が深々と入っている。気が漲る曰く大気元気本気殺気蒸気。これが病めば病気になって弱気になる。話を戻せば太陽の陽気が今盛っている。これに対峙出来るのは若者の特権である。老いたれば女性に限らず男性も日傘に身を守る。向日葵の様に逞しくありたい。<するまいぞ一つ命の出し惜しみ夢中健脚今日も元気で やの字>。:俳誌「角川・俳句」(2019年7月号)所載。
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