おじさんと三次元哲学で遊ぼ

もう誰も応援しない

おおかみうお

2017-06-28 08:29:47 | 日記
坂本さんも、いちいち表情を指摘されるのとされないのとで、全く違うっての、ちょっとはわかったでしょ?(笑)

藤井四段について、将棋のことはほとんどわからないし、将棋のルールも忘れたような状態であって、ただ、ある人間学雑誌に、米長さんが出てて人生を語ってましたね。

ああいうせまい盤のやり取りの中で、戦ってるだけで、人生を語れるようになるというのが、不思議といえば、不思議だけど、昔は数学者でも、人生を語るような人がいた。よく、数学的な思考力っていうけど、キーは集中力なんじゃないかと思うね。

思考って普通、惰性で連想で流れていっちゃうんだけど、それをあえて制していく世界というんかな。

麻雀の櫻井さんなんかも、結構、人生を語ってくれるというか、麻雀の人でもこういう人たちと対談できるんだねえっていう人と対談してたりしてる(笑)

いきなり失礼なこと言っちゃったけど、香取さんもそうだろうけど、ぶっちゃけ麻雀のイメージって、多分、そんなに良くないはずなんでね(笑)

だけど、全く負けないっていうのは、やっぱりなんかあるというか、麻雀でも普通の麻雀やってる人と、全く負けない人とじゃ、何かが違うんだろう。そういうので、普通、こんな人と対談できるわけないっていうような知識人やビジネスマンなんかと対談してる。

例えば、おじさんが、香取さんと自動的に対談できるような人間と思いこんでたら、香取さん本人だけでなく、それをみてる周りから袋叩きにあうだろう(笑)あのひと、香取くんと馴れ馴れしくしてて、なんか嫌な感じとかって。香取さんも、おじさんから馴れ馴れしくされたら、きっといやあな感じになると思うよ(笑)

織田裕二さんと、スマップのメンバーとの息のあってなさみたいに(笑)

こう言っちゃ悪いけど、織田さんとスマップのメンバーとの間の会話にも、なんかその種のずれというか、織田さんとしては自然に振る舞ってるんだろうけど、スマップの方が勝手にズケズケ来られて面食らってるような空気を感じてしまった(笑)

まあ、おじさんの気のせいだろうとはと思うけどね。織田さんも、いいわけはいくらでも言えると思う。

やっぱり、おじさんとスマップ、あるいはデップとでは格が違いすぎるというか、なんか違うなみたいなのは自分でもわかってますよ(笑)そういう振る舞い方の暗黙のルールみたいなのがあって、おじさんがスマップ意外の芸能人にも馴れ馴れしくしたら、周りからもひんしゅくを買うのは目に見えてる。

ただ、ソクラテスも言ってたけど、自分を知るっていうのは、一番難しいことなんでね。

そうやって、いろんな人達と接する中で、顔色うかがったりして、本人や周りの反応から、だいたいの自分の状況というか、個性って見えてくるでしょ?だから、人間関係が煩わしいからって、あんまり、そういうのを避けすぎてもいけないわけだけど、ただ、大勢の人がこう思ってるから、それが本当のじぶんなんだというのも、たぶん、違うんでね。そこから先は、有川さんの世界に入ってくるわけだから(笑)

このへんのニュアンスがわかってこないと、ただ八方美人や機械的な振る舞いをしていくだけで、本当の自信みたいなのは、湧いてこないんじゃないかな。そういうのは、櫻井さんに聞いてみれば、きっと教えてくれるだろう。


コメツキバッタ

2017-06-17 08:07:02 | 日記
ヨシノブも、やっと勝ったらしいね。おじさんから、呼び捨てにされる気持ち、どんなのか聞いてみたいね(笑)

聖子さんの歌に、「おまえは、オレのものと言って」ってのがあったけど、本田君も、聖子って呼んでやればいい…

冗談抜きに、目の前で、ヨシノブなんて言ってみたいねえ(笑)目えみれるかな…

まあ、宮本さんも言ってましたけど、スポーツ選手も語彙が多いに越したことはないというか、それだけのポジションにいるんですから、やっぱり、自分たちがどういうものを他の人間に与えてるのか、時に意味を考えてみるってのも、いいんじゃないのかな、なんて思ってしまいますね。

というのは、どんな職業でも、時代時代で、存在理由とか、意味とかが変わってくるわけで、スポーツ選手も、芸能人も、例外じゃないと思うわけです。

甲野さんの言葉だと、プロになったというだけで、逆にアマより不利な面とか、他人を悪い方へ洗脳してしまう部分みたいなものが、出てくるようですね。洗脳って言葉は悪いけど、教育と洗脳はコインの裏表みたいなもんですね。どうも、コインの表ばかり見て、裏を見ない部分が強くなってきたように思えてしまう。

プロスポーツというのは、どういう意味があるのか、そういうものが語られてこなかったというか、それは時代もあったんですね。

会田雄次さんの本なんか読むと、「長島の給料、もっとあげてやれや」、なんてヤジがスタンドから飛ぶような時代もあったらしい。当時の王、長島は、もちろん、スターなんだけど、スポーツ選手が表面の賛辞の裏でちょっと蔑まれてたというか優越感を持たれてたような雰囲気があったようなことを会田さんは語ってるわけです。

工藤さんも、たかが野球選手じゃないかと…

ただ、王長島っていうのは、、東洋的な意味の求道性というか、欧米には、そういう感覚とかあんまりないんで伝わりにくいんだけど、宗教的などこか抹香臭いものとダブるような、現代人が嫌うようなものを身にまとっていた部分も結構あったように思える。

王長島が、ただ黙って素振りしてるスローモーションのコマーシャルがあったけど、表情が格好いいんです(笑)

「黙」っていうマイナー雑誌に、長島さんが何度か出てたけど、安岡正篤さんが、もしいまも生きてたなら会ってみたかったなどと言っている。こういう類の人物に興味を持つような野球選手って、皆無に近いんじゃないかな。というのは、安岡さんというのは、求道の人だけど、完全に言葉の人ですからね。禅とか所作をやってる人はいたけど。

ただ、司馬遼太郎さんなどは、ちょっと座禅組んでるのを見せたりしてるだけで、ああいうのは禅とは違いますねって(笑)

まあ、佐高信さんなんかは、この安岡って名を嫌がるでしょうけど(笑)

逆にこういうと、急に安岡さんの本でも読んでみようかと思う人も出てこないとも限らないし、それで、読んでみて、いいなこれ、って感動する人も出てくるかもしれないけど、そういうのはダメなんだね(笑)感動するのと、感動した気になってるのとでは違う。

だけど、おじさんが思うにこういう感動した気になってる派の方がが多いようですね。まわりがいいと言ってるから、なんとなく自分もいいな、って思うような気になってくるというのかな(笑)

どうやって自分で判断できる感性なり、感覚なりをつくるかっていうんで、おじさんも、こう見えて相当努力してきたわけでね。

スェーデンボルグなんか、全体からくるものは悪魔から来てるとまで言ってるけど、自分で判断するには知識をつめこんで頭だけ発達させてもだめで、そのために、東洋にいい教養や方便があるんですね。

興味の対象というか、本田さんは、まあ、サッカーで功なり名遂げても、まだ、満足できないような生真面目さみたいなものが感じられるから、それ、それ、いいねえというか、まあ、ふつう、サッカーで、一線で活躍するだけで大変なことで、他のことに首をつっこむ余裕がないと言うのもわかりますけど。

だけど、自分の競技だけ一流ならその辺にいる人間と同じようなことしかしやべれないでも、いいのかなって、おじさんは、思ってしまう。

男子バレーで金メダルを取った松平監督だったか、「教養のないメダリストは罪だ」、とまで言い切ってました。まあ、松平さんのいう教養というのは、おじさんが、ここで持ってほしいと言ってる教養とは、また違うわけだけど、それだけ、社会に与える影響が大きいポジションだから、っていう戒めみたいな意味もあったんだろうね。

藍ちゃんも、ゴルフとか、ボクシングなら、一度やめたって、また復帰できるわけで、結婚したらしたで、またしばらくしたら、やりたくなるかもしれないしね。そん時は、また力も抜けて楽しめるかもしれないし…


サバ

2017-06-03 15:51:03 | 日記
オリエンタルラジオの中田さんが、先輩に謝らないということ。

だけど、茂木さんも、意外と面白いこと言わないですよ(笑)まあ、好みの問題もあるだろうけど、この分野は外国人が多いけど、脳科学っていう類の本を読むたびに科学の限界と狭量さみたいなものを感じてしまう。

いっちゃ悪いけど、脳の話というと、コリンウィルソンなんか、かなりざっぱくな、ほんとかよって科学だけど(笑)こっちの方が全然面白いというか。

茂木さんと甲野さんの対談も、正直、ほとんど甲野さんの部分しか読んでない(笑)

やっぱり学生の部活でも上下関係とか、しきたりがあるわけで、社会人になってもそういうのが色濃く続いてるような世界ってあるんでしょうね。

自分は宗教に縁がないと思ってる人でも、先輩に何されても口答えしちゃいけないとか、ある種の宗教の戒律みたいなもんがあって、原理主義的だったり、くだけたものになってたり、国とか時代で変わってくるわけですね。

それで、宗教があろうと、なかろうと、住みやすそうなどの国へ行こうと、生きてるっていうのは、人間にいろんなマイナスの感情を起こさせるシステムになってるというか、決まりや階級意識の違いで、あつれきが生まれて、必ずマイナス感情が生まれてくる。そのマイナス感情を避けようとするのが自然の情だけど、避けすぎても、人間って成長しなくなるんだろうなあ、なんて思っちゃう。

知識だけでなく、そういうあつれきからいろんな感覚を作っていかないと、悪口も狭量になったり、偏ったりするわけで。

ユダヤ教に限らず、どの神様も、人間のことを悪く言ったり、思ったりするんだろうけど、悪口のセンスをかぎりなく神様に近づけるようになっていくというのが、どの宗教でも共通と思うわけです。誰もそんなこと言ってませんけど(笑)

一神教っていうけど、やっぱり神様の悪口って、それなりに普遍性があるんだろうと。

キリスト教でも、神は人間を神の似姿に仕立てたというけど、そのままでは、似姿にすらなれない。

だけど、自分こそは神だとか、似姿だとかいう人って自我が強いような人が多くて、ケンカがはじまって、そういうのがまた、神様の悪口の対象になるんでしょう(笑)

威厳を示すために、あげ足とったり、自我の強い人ほど、つまらないことで自分をえらく見せようとして、あげ足ばっかりとりたがるもんですね。

それでも、先輩の言うことは神の言葉なんだからとか教わってれば、我慢しなきゃならない。もちろん、我慢も重要だけど、その分の我慢のはけ口が後輩へ向かったりすることになる(笑)悪口の理由なんていくらでもつけられるわけで。

でも、そういう中でヒトラーみたいな先輩に何されても黙って聞いてりゃいいのかとか、当然、疑問を感じるような人も出てきて、その見方に触発される人も出てきて新しい宗教なんかも生まれてくる。

面と向かって、アンタはバカだ、とか、お前の方がバカだ、とかいいあうのも、とことんやると清々しい気持ちになることもあるんです(笑)まあ、相手がちょっとでもスポーツマンシップを持ってればの話だけどね。

そういうあつれきの中で、センスのいい悪口を言いながら、相手を納得させていくというかなあ(笑)それには論理も重要だけど、気合の力が大きいんじゃないですかね。

論理っていうのは、誰もが自分が正しいと思ってる。だから相手をそれなりに納得させるには、気合と、ある程度の無私というか、激情してる相手に俺は殺されてもかまわないよ、みたいな、この2つの力が圧倒的に大きいと思うし、自分の経験でもこういうのがあれば、事態が悪くなった経験ってちょっと記憶にないですね。

相手が弱いと見ると、ことごとく、優越感を得る道具にしようとするような人とかもいますし。

田中の兄ちゃんだって、やっぱり投げてて気合がなくなったら相手に見抜かれて、その時点でかなり負けてくるんだろうし、バッティングセンターの150Kと、気合をこめた150kと、ニヤニヤしながら投げた150kじゃ、多分、バッターから見て感じが違うんだろう(笑)

そういうのも、科学では球の回転がどうこうだけで説明してくるんだろうけど、まあ、力を抜いた方がいい球を投げられるってのも事実だろうけど(笑)ただ、科学でなんでも追及していくと、せまい世界になってくるように思う。

藍ちゃんなんかも、パットで苦しんでいたらしいけど、ああいうのは道具より精神的な影響が大きいこともあるのかもしれないですね。パットが打てなくなるゴルファー特有の病気みたいなのがあると、聞いたことがある。ピッチャーでも、ボークを指摘されただけで、フォームが崩れてワンバウンドしか投げられなくなっちゃうこともあるらしい。

フィギアスケートなんか、競技しながら笑わなきゃいけない。あれは難しいと思うね(笑)

ボクシングで笑いながら戦うっていうのは、一番難しいんじゃないか(笑)相手は、いくら殴っても、ニヤニヤしてる方が不気味に映るかもしれないし、心理的に影響してくるかもね。だけど、見てる観客はどうなんだろう(笑)やっぱり、スポーツって表情が人に与えるものって大きいんだろうね。

長島さんは、そういうのも計算してたみたいだし(笑)