そよかぜ日記

山への思いや毎日のちょっとした出来事を書き記します

家庭の裏側

2007年08月31日 | Weblog
思いがけず久しぶりの友との再会。
「時間ある?」と問いかけてきた。

そこでゆっくりコーヒータイム。

向こうは私の現状を聞きたかったらしい。
元気よ。そちらの皆さまは? と何気なく振ったら
「う~ん 家の人は居ないの」と言う。

あ~ 単身赴任なの?
「ううん。別れたの」

ずっと前から知っているこのご夫婦は、とっても仲が良く、
PTA活動なども積極的にご夫婦で参加していて、
とても幸せな家庭に見えていた。

聞いてみるとずっと以前から上手くいってなかったという。
そんな風にはちっとも見えなかった。

隣の芝生は青い。と良く言うけど、本当にそうだったのだ。
あ~ 現実には決して隣人ではないけど。

子どものためにと仲の良い夫婦を演じていたのだと言う。
強いなあ。

まだまだ苦しいことも多いと思うけど、前を向いて歩いて欲しい。
人生は短い。これからは貴女のために生きてね。

暖かい

2007年08月30日 | Weblog
昨日、奨学金が足りないことを訴えたら、
さっそくお二人の方から寄付のお申し出があった。

なんとありがたいことか。

窮状についてもう少し詳しく言わせてもらえば、
現在11名の学生を援助中なのだが、
1人5万円不足しているとして、
11名分の差額55万円を準備しなければならないのだ。

それは、私たち普通の庶民が簡単に用意できる金額ではない。

たくさんの方に賛同してもらい奨学金を集めているが、
それは全部、100%、学生の奨学金として送金している。

会の運営費、
つまり会報制作費・送料・卒業祝い・海外通信費・現地の仲介者の活動費などは、
すべてバザーや志ある人の寄付金でまかなっている。
もちろんスタッフは無報酬だ。

今回の非常事態で、運営費を食いつぶしても足りない。
本当に困った事態なのだ。
バザーではどんなにがんばっても10万円ぐらいが限度。

昨日の日記を見て、さっそくお二人の方からのお申し出があり、本当に嬉しかった。
こんな場所で言うべきことではないと思うのだけれど、
やっぱり訴えないではいられない。
もし志のあられる方がいらっしゃいましたら、下記へよろしくお願いします。

郵便振込口座番号 01840-6-10750
一粒の麦の会 代表 林田健治

奨学金が足りない

2007年08月29日 | Weblog
フィリッピンの学生を援助する活動を続けて20年あまり。
毎年百何十万かの奨学金を送り続けている。

卒業者は60名を越え、現在も援助は続いている。
しかし、この円安、ドル高の状態は奨学金を送るのに重大な問題を起こしている。

例えば、2006年度にある学生に送った奨学金は、
40,000ペソ 1ペソ2.15円 86,000円。

今年 20007年度は
40,000ペソ 1ペソ2.83円 141,500円

その差額は55,500円。

今年はなんとかストックしていたお金で、奨学金を送金することができた。
しかし、問題は来年だ。

就学している学生が居る以上、送金を滞らせるわけにはいかな。
昨晩、スタッフが集まり相談したが、いいアイデアは浮かばない。

とにかく地道に援助してくれる会員を募ること。
小額でもいいから募金を集めること。
バザーをがんばること。

そして最悪の場合、奨学金の減額。
これだけは避けたい。

スラムに暮らす学生達にとって、それは退学を宣告するようなものなのだ。

この重大な問題をなんとか解決していきたいと思う。
地道な努力をしよう。

この日記をご覧くださっている方で、
寄付などの協力をくださる方がいらっしゃったらよろしくお願いします。
http://www1.cncm.ne.jp/~mituyuki/ 
これは私のホームページアドレスで、「山が呼んでる」といいます。

そこからメールをいただければありがたいです。
よろしくお願いいたします。

ザックが悲しい

2007年08月28日 | Weblog
山友エートソノさんにお別れを言ってきた。
エートソノさんとは不思議なご縁がある。

鶴の北帰行を見るために通った岩屋山で知り合った。
毎日同じように空を眺めて、鶴が来るのを待った。

いろいろなことを話すうちに、
教え子の祖父ということがわかってお互いビックリした。

花の写真をとるのが好きなエートソノさんは、
岩屋山の花のCDを作るとき、岩屋山の歌を挿入してよいかと訊ねてきた。

もちろん喜んで使ってもらった。
出来上がったCDを親切にも職場まで持ってきてくださった。
新しいCDを作る度に何度も。

お布団に寝かされたエートソノさんの枕元には、
ザックやストック、そして大切にされていたカメラがあった。

寝る前にそれらの物を用意してあったそうだ。
「きっと朝一番に岩屋山に登るつもりだったんでしょう」
と、ご家族の方は語られた。

山友のブログを見ると、
「ミヤマウズラにピントが合ってなかったので、写しなおしたい」
と、書いてある。

きっと、そうするつもりでいたのだろう。

生真面目な性格そのままに、キチンと置かれた山の道具。
今にも起き出して、ザックを背負いそうな気がした。

帰りに岩屋山がくっきりと見えた。
そこにエートソノさんが居ないのがまだ納得できない。

ううん、きっといる。
あのミヤマウズラの前に三脚を立てて、
何度も何度もシャッターを切っているだろう。

私は忘れない。
花々への道を歩くとき、穏やかに、嬉しそうに話して歩いていたその姿を。
私たちの顔を見ると嬉しそうで、一緒に花探検に出かけたことを。

一緒に見た花たちに会いに行く時はきっと、
エートソノさんと一緒に歩いていると感じるだろう。

また一緒に歩きましょう。
また花を探しに行きましょう。

約束したたくさんの花たちの捜索は、エートソノさんと一緒です。



虹はきっと

2007年08月27日 | Weblog
山の帰りの車の中で携帯が鳴った。
携帯に表示された相手の名前は男性の山友だ。

「はい!」と電話に出たが、向こうは以外にも女性だった。
「突然に失礼します。○○の娘ですが・・・」

山友の訃報を知らせる電話だった。

にわかには信じられない。
つい最近も一緒に山を歩いたのに・・・

パソコンを開き、山友のブログを見る。
それは一昨日にアップしたものだ。

納得できない。

でも、山友たちに知らせるために、
HPのトップに訃報を知らせる書き込みを入れた。

トップページには平成新山にかかる虹の写真をアップしてある。
その虹が山友の死と重なる。

久しぶりにこんなにきれいな虹をみて感動していた私は、
その虹が山友への捧げ物に思えて仕方ない。

見てるかなあ。

夜明け前は涼しいか

2007年08月26日 | Weblog
酷暑が続いているこの頃。
山に登るのも勇気が必要。

それで早朝登山だが、涼しいかと言えば否。
そりゃあ日が降り注ぐ日中に比べたら、幾分涼しいかもしれないけど。

最初から汗はボトボト、衣類はベッチョリ。
けっして涼しいとは言えない状態。

毎日の熱気は蓄積されている模様。

こう暑ければ、何時登っても同じかな。
ゆっくり、水分を補給しながら登るしかないなあ。

近場に低山しかない悲しさよ。
あ~ アルプスの涼しさが恋しい。

野草園の花 パート8 シデシャジン

夏祭りの反省会

2007年08月25日 | Weblog
昨年に比べると楽してしまった夏祭りの反省会。
どっぷりと浸ってがんばった人は、それなりの達成感があるようだ。

来年もがんばるぞ~ と気合も入っている。
またまたお祭り好きの人が出現しそう。

おっと!今日はこんなことしてられない。
明日は超早起きだぁ

この前の二の舞にならないように、さっさと寝よう

野草園の花 パート7 ハナシノブ


渡りガニ

2007年08月24日 | Weblog
実家に行くといきなり「今日はいい所に来たねえ」
訳がわからないまま上がると、なんとそこには、
手のひらを二つ合わせたぐらいの大きさの渡りガニがあった。

兄嫁がお中元をしてなかったといって、買ってくれたそうだ。

もちろん夕食はカニ

幼い頃はカニ取りは子どもの遊びだった。
兄は毎夜毎夜海に出かけては取って来ていた。

もっとも、海に出かけると言っても家の前が海だったんだけど。

そのころ兄がとってきた一番大きなカニは、足を伸ばせば1mぐらいあったと父は言った。
父の取ってきたカニはお盆ぐらいの甲羅だったとも。

私はそんなに大きなカニの記憶はないんだけど、
それでも毎夜毎夜大きなお鍋一杯に湯がいたカニを食べていた思いではある。

幼かった私はおいしいというよりも、眠かった。
どうしてこんな夜中にカニなんか食べないといけないのか?と思っていた。

家の家族は「カニは獲ってすぐ湯がいて食べるのが一番」という信念を持っていて、
がんこに守っていたのだ~

その時はちっとも珍しいことではなかったので、そう嬉しくもなかった。
でも、今日久しぶりに食べたら、おいしかったんだなあ。

カニを食べる時は、みな真剣になり、寡黙になる。
そうしなければ、カニの身は食べられない。

山育ちの母の食べ方はお見事
これは出汁も出ないでしょう。

たくさん食べて満足満足。

野草園の花パート6
ヤツシロソウ

感動は新鮮なうちに

2007年08月23日 | Weblog
いろいろな山に登り、いろいろな体験をするたびに、様々な感動をもらう。
私の場合その感動がさめないうちに書き綴った文章は、
荒削りで、誤字脱字もたくさんあるけど、その時の思いが良く伝わるような気がする。

しばらくして書こうと思うと、どんな風な感情の動きだったのか鮮明に思い出せない。
そればかりか、時間的な流れも曖昧になってくる。
たとえばそれは登った前だったのか後だったのか???

それでなるべく早く文章にしようと心がけている。

だが実際には、疲れていたり、用事があったり、優先するべきことが他にあり、
集中してできないことも多い。

後回しにすると、練りながら時間をかけて書いたわりには、
納得できない文章で、我ながらいやになる。

書くと言うことは楽しいのだが、また時には苦しみの元となることもある。
きっとHPやブログを持っている人は、
同じような思いにかられるときがあるのではないだろうか。

何のために、誰のためにアップしようとしているのだろう?

実はその答えも知っている。
きっとあなたも。

野草園の花 パート5 キセワタ



夜の山の思い出

2007年08月22日 | Weblog
夜の山を歩いたことは数度。
息子がボーイスカウトに入っている時に、山中でキャンプすることがあり、
陣中見舞いに毎度出かけていたからだ。

車を降りると静けさが身に染みた。
ガサッとでも音がしようものなら、敏感に体が反応した。

懐中電灯を持って、幾度となく登った道を歩くのだが、
夜の道は違う道のように感じた。

木陰に焚火の炎がチラチラと見え、会話する人の声が聞こえるとホッとしたものだ。

闇の中で焚火を囲んで話すと、不思議な連帯感が生まれた。
まるでそこだけが安全地帯であるかのような気がするのだ。

振り仰ぐと星々が落ちてくるのではないかと思えるほど、
びっしりと空を埋め尽くしていた。

ホロホロと焚火が崩れ、炎が収まり熾きになる。
誰も口を開かず、じっと火を見つめる。

そうすると誰ともなく、おやすみなさい の挨拶を残してテントに入っていく。
その声を聞いて、帰路に着く。

真闇になった道はますます不気味だ。
吸い込まれそうな闇は見ないように、足元の光だけを見つめて急ぐ。

つい最近のような、そしてずっと以前のような思い出。

野草園の花 パート4
バアソブ 
ジイソブと比べるとちょっと小ぶりで色が濃いような。