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水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

チャンス

2008-06-30 23:28:14 | Weblog
「出れる・出れない」「着れる・着れない」「食べれる・食べれない」・・・「ら抜き言葉」は、ゴムの緩んだパンツの感じがすると、以前に書いたが、最近は、「ら抜き人間」がますます増えて、テレビに出てくる政治家、評論家、司会者、アナウンサー、とにかく喋ることを職業としている人達も「ら抜き」揃いである。「ここはチャンスだ!」と思う人はいないのだろうか。「食べれる、食べれない」t喚いている連中の横で、自分だけ「食べられる・食べられない」といった、たった「ら」の音を1つ加えるだけで、かっこよく見えるのだ。オシャレに見えるのだ。 私は茨城の中学で、学年250人中ただひとり標準語が話せた。普段はもちろん茨城弁で話すが、肝腎なところでは標準語を使う。たとえば教師がテストの採点を終えて、答案用紙を抱えて教室に入って来て、「今回はこのクラスがいちばんの出来だった」と言う。このとき何か一声かけるのが私の役目だったが、「そりゃあ、あたりめぇ(アタリマエ)だっぺ」では冴えない。ここは標準語の「当然、当然」か「もちろん、そうでしょう」でなければならぬ。そうやって私はうんと得をした(面白がることができた)。それをキザと思う者もいたかもしれぬが、悔しかったらマネしてみろ、である。ちょっとした言葉使いで得したり損したりすることは、日常にいくらでもある。

6月29日

2008-06-30 23:21:14 | Weblog
朝の『週刊ニュース番組』は、北朝鮮と食品偽装。前者に関しては、安倍晋三氏と山崎拓氏をよんで対決討論を試みれば面白いと思うが、無理な注文だろう。後者のことは、すべて内部告発でバレるようだ。若林農水大臣が目の前にランクの異なる4枚の牛肉を置かれて。その価値を見定められるかどうか試されていたが、全然ダメだった。それはそうだろう。昨年、吉兆の牛肉味噌漬が偽装だったときも、内部からの訴えによるものだった。逆を言えば、美食家やグルメと気取る連中の誰一人として、「これは但馬牛に非ず」と指摘することは出来なかったのだ。 6月29日は孫娘の誕生日。競馬の宝塚記念は、偶然に6・2・9に有力馬が入ったので3頭の(馬連)ボックス買いが中心。3連複の2・6・9,3連単の6・2・9(的中すれば500倍)もおさえる。結果は2・9が的中して配当は10.8倍。儲けのことより、1年の前半を気分よく締め括れたので酒が旨い。 次は夏の新潟競馬。新潟はテレビの画面からでも、空の美しさ(空気が澄んでいる)が他の競馬場と較べて抜群である。 東京株式市場は7日間の続落中に900円下げ、明日も期待できる材料がない。 8日後にはサミットが始まるが、何かぱっとした話が出ないものか。それにしても、首相をはじめ、閣僚達に、経済に関する発言が少ない。少なすぎる。

大丈夫か?

2008-06-28 23:23:41 | Weblog
長年、経理畑にいて年金のことなどに詳しい叔母は「昭和61年がポイントだった」と言う。その年、役所が「年金記録の確認」を呼びかけ、たとえば払い込み期間がわずかに足りない人には「追っかけ一括払い」などの救済策を用意したそうだ。叔母は自分の社の人間だけでなく、近所の人達などにもいろいろと教えたそうで、そのとき「これだけみんながわかっていないのだから、いつか大変なことになるのでは」と思ったそうだ。 テレビが地上デジタルになって、古い形のものでは観られなくなるそうだが、これは大丈夫だ。テレビはほとんどの家で生活の友になっているし、機械方面にヨワい我が家でも、すでに地デジ対応のもおんい買い換えている。  来年から株券が電子化され、所謂「タンス株」が無効になることも起こり得る。これは危ない。祖父母が遺してくれたもので、もう何十年も押入れの文箱の中に眠っている・・・なんてケースは少なくないだろう。 もっと危ないのが「陪審員(裁判員)制度」だ。「逆恨みされると怖い」といった理由もあろうが、とにかく、法の世界の中に法を知らぬ人も入るのだから、ヤヤコシくなるだろう。しかも、世の中には鳩山法相を「死神」と呼ぶ人も、「法の守り神」と讃える人もいるのである。このことになると、また『12人の怒れる男』の話になってしまうのでやめておくが、私はこの制度が巧く機能するとは思わない。

2008-06-28 23:12:14 | Weblog
平成3年に「宅建」の受験勉強をしていた或る日、ふと思いついて、娘に問題集を音読してもらった。文字で読むのと耳で聴くのとの比較の興味もあった。結果だけいうと、これが当たった。目を閉じて娘の読むのを聴くと、1肢1肢(宅建は全50問で、1問は4肢1択)が「ははぁ、これはヒッカケだな」「故意に表現を難しくしているな」というように明確に区別できるのである。そのとき和つぃは(大袈裟に言えば)、「これで壁が取れた!」と思った。   「子供用の自転車に乗って、ニッコリと笑っている私」の写真が残っている。小学校1年のときだ。それまで後部を支えていてくれた8歳上の叔母が、その日、黙って手を放し、それに気づかぬ私が見事に一人で乗れたのだ。叔母が喜んで、カメラの巧い叔父を呼びに行き、そのニッコリ写真を撮ったわけだ。  中学2年の孫娘が4月から受験塾に通い出した。「塾に通わなければ志望校には合格出来ない」という風潮を当然だと思っている。受験塾は営利企業であり、そのためには優秀な講師を集める(資本投下)という理屈だけでも、結果は見えている。そして孫娘は、今月の(学校の)テストで、今までよりはるかに高い点を取って喜んでいる。これまた眼前の壁が取れたのだ。  人生、ある日、あるとき、目の前の壁が取れることがある。別の言い方をすれば、視界が広がるということだ。そういう場面に、生涯に何度会えるだろうか。

牛肉と豚肉

2008-06-27 00:40:43 | Weblog
岐阜の食肉業者が別の牛肉を飛騨産と偽装して、県と国から査察を受けているが、あの社長の弁解をテレビで観た人は、みんなミートホープの社長に人間の質が似ていると思った筈だ。 ところで、この飛騨牛というのは、岐阜県内で14か月以上育ったことが条件なのだそうだ。素人考えでは、親の血、つまり両親が飛騨産であれば、北海道で育とうと千葉で育とうと飛騨モノになると思うのだが、違うようだ。いずれにせよ、牛肉のブランドなんか、私には何の興味もなく、スキヤキのときに家人に「きょうのお肉、おいしいでしょ?」と訊かれて頷き、「たまには贅沢しなくっちゃ」と言われて、また頷く程度だ。 私は牛肉よりも豚肉で育った。学生時代はもちろん、社会人になっても、カツ丼、カツライスが昼食の主役だった。新婚時代は豚スキが主で、ボーナスが出ると、渋谷の東横の地下にあった『和田金』で牛肉を買った。 そういう育ちのためか、今でもビーフカレーよりポークカレーがいいし、あの妙に気取ったビーフステーキを、あまり旨いとも思わない。いかにも物知り顔のオッサンが「ミディアム・レア」なんて田舎言葉を使うのを聞くと、豚モツの煮込みの店に、襟首をつかまえてでも連れて行きたくなる。3年前の正月に、牛肉と豚肉の、それぞれ高級料理店製の味噌漬があって、贅沢な食べ比べをしたが、私の舌には、はるかに豚の方が合った。娘が「パパ、牛肉の方が(値段は)3倍だよ」と笑った。