水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

箱根駅伝

2006-12-30 20:26:37 | Weblog
正月は2日と3日の「大学対抗箱根駅伝」が楽しみだ。 1日にも「実業団対抗駅伝」があるのだが、それにはあまり興味が沸かないのはコースの違いだろうか。 実業団の方は群馬県の前橋・桐生あたりの、つまり私の全く知らない道路を走るが、箱根の場合は、全コースを車で通ったことがあるので、随所で思い出と重なるというプラスがある。逆を言えば、湘南や箱根で遊んだことのない群馬の人なら、大学駅伝はあまり力が入らないのかもしれぬ。 どちらにせよ駅伝の素晴らしさは、「責任感が走っている」ところにある。 たとえば、サッカーで1人が反則退場しても、残る10人で試合を続けられるし、それで勝つ場合もあるだろうが、駅伝は1人がダウン(タスキをつなげない)すれば、その時点でオワリである。 1人で42キロ余を走るマラソンも、あれこれの格闘技も大変だが、途中で走りをやめようと、タオルを投げ入れようと、それは自分だけの敗北だ。 そこへいくと駅伝は・・・。
繰り返すが、あのランナー達は「走る責任感男」なのだ。 箱根コースで好きなのが、往路の山登りだ。 箱根という地域が、いかに自然(風光と配置)に恵まれているかが分かる。復路は大磯・二宮間だ。高いビルなどのない、なんとも平和で静かな町並みであり、いかにも善意の人達が住む雰囲気が漂う。 そうそう、1日に観るべきものを書くのを忘れそうになった。 それは、朝7時半からの『30人31脚』。これほど笑える、そして、これほど自然に涙が出てしまうテレビ番組はない。

広報担当

2006-12-30 20:17:54 | Weblog
朝のテレビでニュースを観ていたら、昨日任命されたばかりの渡辺喜美行革担当大臣が出演していた。渡辺氏は知識も広く話も巧いし、ユーモアもある(安部内閣にはユーモアが不足している。特に塩崎官房長官が苦虫系なのがマイナスだ)。 だから、「渡辺入閣」は良かったと思った。 しかし、朝食を終えて新聞を読むと、「TM(タウンミーティング)は名称を変え、規模を小さくして出直すことが、有識者会議での協議を経て決まった」とある。 会議をまとめたのは世耕弘成広報担当(首相補佐官)である。  世耕氏はまだ40代(と見える)若さだ。 TMについて有識者に訊けば、「名称変更して縮小」という答えが出るのは読めただろうし、しかも、そのアイデアは、なんとも老人臭い妥協的性質のものだ。世耕氏は、なぜ「総理、TMは一度ヤーメタにしませんか?」と進言しなかったのか。 古びたリンゴを磨いて再び店頭に並べて安売りしても客は来まい。 「規模を小さくして、数人で首相を囲む会」などとあるが、それなら、数日前に商店街を歩いて煎餅を買って食べたような、探訪スタイルの方がマシであり、SPの数だって同じことだろう。 パフォーマンス(あるいはスタンドプレー)と言われてもいい、たとえば朝早く起きて、自衛隊の宿舎を訪ねて、隊員達と朝食を共にしたらどうか(もちろん、いきなりの訪問であることが条件だが)。  ウチの娘も、百貨店の広報担当であり、いかにもおもしろそうな仕事なので、時々話を聞いてみたりするが、なるほど(フレッシュな頭だな)と感じることもある。 繰り返す、若い安倍さん、更に若い世耕さん、(そのフレッシュな頭で)、なんで「タウンミーティングは(時が来るまで)やめます」と言わなかったのか。 それだけで、内閣支持率とやらは5ポイントは上がったはずだ。

だるま

2006-12-30 20:07:21 | Weblog
茨城の先輩の家で麻雀を打った。先輩には4,5歳の男の子がいて、大人達が「ポン、チー、ロン」と騒いでいるのをおもしろそうに眺めていたが、やがて父親の背後で「父ちゃん、ダルマある」と言い、それは男の子が父親の配牌の中に「ダルマ」に似た牌を発見したことだと、誰にもわかった。同時に、「ダルマ」とは、「1筒(イーピン)」であることも想像できた。そして私達はその日、「1筒」のことをずっと「ダルマ」と呼んだ。 その頃の私はバイト先の会社の人達との付き合いを除けば、ほとんど三軒茶屋の雀荘で、ヤクザ相手に麻雀を打っていた。 そこでも私は「1筒」を「ダルマ」と言い、たとえば、「トイメンのリーチは、ダルマ単騎くさいなぁ」というように使っていたが、そのうちに、その雀荘に来るメンバーの何割かが、「1筒」を「ダルマ」と言うようになった。 茨城の5歳の坊やの発明語を、東京のヤクザも用いるようになったのである。  これは私が22,3歳だった頃の話であるが、以後、勤め先の会社でも、住んでいた公団住宅でも、私と対戦したオジサン達にも、「1筒=ダルマ」は広まった。 「1筒」を「ダルマ」と見るのは子供の直感であり、正しい表現である。 その子は、今、50歳に近い年齢であり、社会の第一線で立派な仕事をしているだろう。 そしてもうヒトツ、今夜も日本中のどこかの雀荘で「1筒」を「ダルマ」と呼びながら打っている人達がいるのではないか、と考えると愉しくなる。

女性の名前(2)

2006-12-29 01:49:59 | Weblog
今年生まれた女の赤ちゃんに多かった名前のトップは、「陽菜(ひな、はるな)ちゃん」であって、この名前は昨年に続いての1番人気だそうだ 他人様の赤ちゃんが何と命名されようと私には関係ないが、わが子の名づけについての考え方は、多くの方々に訊いてみたい。 「陽菜ちゃん」が昨年も1位だったということは、そういうランク表を使って、自分の子供の名を択ぶということになるが、そんなものなのだろうか。  自分と同じ服を着ている人に出会うのを嫌うというが、そのことと、昨年首位の名を択ぶことは矛盾しないのか。 いや、それ以前に、ランク表に載っていない、「親だけが考えた名前」をつけようとはしないのか。 私は自分の2人の娘の名を、誰の意見も参考にしないで決めた。 家人にも相談しなかった。 子供の命名とは、そういうものではないだろうか。 ゴチャゴチャと話し合うとか、昨年のランキングなんてものとは全く別の次元のことだと私は思う。 子供の名前の価値は、やがて、その子が成人して、そのとき「自分の名が気に入っているかどうか」で決まると思うが、ウチの娘達は、そこそこ満足してくれているようだ(2人とも、ランク表には絶対に載らない名だ)。 「日本女性の最高の名は天地真理(てんちのしんり)」であり、これ以上の名は創りようもないが、私が今、「この黒ん坊人形みたいな子は、不思議に名前があってるなぁ」と感じるのが、『神田うの』さんで、不正確な記憶だが、『樅の木は残った』の中で、原田甲斐を慕う少女の名が『うの』ではなかったか。 古くて新しい、いい名前だ。

東大の存在

2006-12-27 23:22:24 | Weblog
東京6大学野球リーグの最も価値ある点は、東京大学が参加していることだと私は思う。 もちろん、伝統的ルール(2部制でなく入れ替え戦がない)のこともあるが、どうしても他の大学では、リーグそのものが成り立たない「東大の魅力」がそこにはあるのだ。 東大はリーグ戦で一度も優勝していない。 たしか、昭和23,4年ごろ、山崎諭 投手と山崎喜輝という好打者がいて、2位になったことがあると記憶するが、それ以外は、よくて5位の指定席にいる。 ソレガイイノダと、東大OBでない私が言うと怒られそうだが、東大OBの方々もそう思っておられるのではないだろうか。 『文武両道』と言う。勉学とスポーツの両立と言う。しかし、「さすが東大や、やっぱり野球に熱入れとったら受からんわ」と感じる人が多いのも悪くない。 少し話が外れるが、田舎に行くと、東京6大学という括りが爺さん・婆さんの頭にあって、「ウチの嫁は明治大学の出身でよぉ」「息子が出た立教の先輩によぉ~、ほら、長嶋さんがいるし、関口宏さんも、みのもんたさんも、そうだよ」といった話になる。 「東京6大学野球」は「巨人軍の栄光」とともに不滅であるだろうし、それを保証するのが伝統だ。 伝統とは、文字通り「リレー」である。 6大学リーグは、そのことに成功しているが、もうひとつ、大ヒットが出ないか。 いや、大ヒットどころか、世界中の大きな話題になるであろう事件が起きないか。 もちろんソレは、「東大の初優勝」である。 ガンバレ、東大野球部!