水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

日本酒

2006-01-31 09:03:43 | Weblog
今日は例外的に暖かいが、寒い夜には水割りの前に日本酒(月桂冠と樽酒菊正宗をブレンドしたもの)を100CCほど熱燗にして呑む。私が初めて呑んだ酒も、やはり暖房目的だった。中学3年から高校1年を終えるまでの我が家は70過ぎの祖父と、14歳年上の叔父との男世帯だった。祖父と叔父は冬になると小さなやかんで酒を沸かして晩酌していて、ある寒い日の夜、「おまえも呑んでみるか」となった。
それはもちろん中学生に酒を教えるのではなく、暖まる為であって、当時の暖房用具は練炭火鉢と木炭炬燵と湯タンポしかないから、今では想像できないほどの厚着をして寝ていた。「おまえも呑んでみるか」には、そういう背景がったが、それ以前に男世帯特有の、「ま、いいか」といった自由さもあった。酒の味は決して旨くはなかったが、身体がポカポカするのがわかった。本格的に酒を呑むようになってからは、ウィスキーが中心で、日本酒のことは(数年間にわたって通い続けた、ある酒場の樽酒を除いて)銘柄や格、辛口と甘口なんてこともよくわからない。それでもあの徳利と猪口のもつ雰囲気は好きだ。前述のように、一度に100CCしか呑まないので、ちょっと色気のある茶碗に注いで、レンジで温めているが、たまに旅行先や酒場で徳利&猪口に出会うと、「おだやかな情緒」のようなものを思う。私のよう呑み方をされる方は少ないと思うが、日本酒の熱燗のあとで、バーボンの水割りに替えたときの唇と喉の快さもなかなかのものですゾ。

ズボン

2006-01-29 23:50:56 | Weblog
替上衣、替ズボンのことを、今は、ジャケット、スラックスと言うのだそうだが、替ズボンではフラノ地のグレーのものが好きだった。学生時代に詰襟服の下に穿くと、ちょっとしたオシャレ気分だったし、社会人になってからはチェックの替上衣と合わせると、それだけで解放感があった。
ズボンの裾に折り返しがあるのが一般的だったころも替ズボンだけは(家人に改造してもらって)ストレートにしていた。あの折り返しは労働者が仕事をするときに汚れぬようにした名残だと父方の祖父に教わったことがあって、替ズボンは遊び着と考えたのである。私はモーニングは持っていないので、大事な席はチャコールグレーの略礼服で済ませてきた。その上衣に、それより少しだけ淡いトーンのフラノズボンを合わせたらどうかと考えたことがあって、誰かの結婚披露宴でカッコつけてやろうかと狙っていたのだが、鏡の前で試着しただけで諦めた。色の調合はピッタリであるのだが、私の脚がダメなのだ。石原裕次郎は身長182センチ、股下88センチであるが、私は180センチの77.5センチ(50歳以前)であって、身長差も含めて計算すると裕次郎は私より12センチほど高い位置で小便をしていたことになる。とにかく、あれこれアイデアしても「長身、短足、おまけに巨顔でデブ」の人間には、ほとんどが高望みなのである。
最近はどこへ行くのもチノパンになってしまった。これほどラクなズボンはない。労働着であるが、上半身をちょっと装っていれば鎌倉プリンスホテルのラウンジで酒も呑めるから、いい時代になったものだ。昨年の切腹オペで私の腹囲も5、6センチ減ったが、チノパンは買い換えても1本が5,6千円らしい。そうそう、洋服箪笥の中にはまだフラノのズボンが1本残っているはずだ。 腹囲105センチ前後(脚の長さは前述)の方がいらっしゃったら、差し上げます。一度穿いたかどうかの新品です。

ニュース

2006-01-29 01:01:19 | Weblog
きのうの朝6時過ぎ、いつものように床の中で脚の手入れ(寝転んだままで電動式もみ玉ローラーで、ふくらはぎ部分と足の裏を、それぞれ20分間、マッサージする)をしながらテレビのニュースを観ていると、「またも偽装、東横イン横浜」の文字が映し出され、「おいおい、大丈夫かよ」と呟きながら起き上がった。例の「ライブドア」に検察の手が入ったのが16日の夜で、翌日と翌々日は株式市場がパニックになった(日経平均で2日間で900円の下げ)。婦人服などには毎日のようにあるが、株のバーゲンセールは滅多になく、絶好の買い場と見て、少し仕込んだが、その中の1ツが「東急不動産」(買い値1.050円)だった。東急→東横 の連想と、不動産とホテル のことがあって、大丈夫かよとなったわけだ。最悪のケースは「東横インが連結子会社であること」だが、会社四季報で調べて、ソレがセーフと知ってほっとした。きのうは株価(日経平均)が569円上げた。「東急不動産」も1,135円をつけた。このように「ホリエ騒動」や「東急イン事件」のニュースも、老人にはちょっとしたいい刺激になるのである。
「ニュースというものは盆の上に置かれた豆と同じで、盆がちょっと傾けば、すべての豆が一斉に一方に向かって転げだす」とは、曽野綾子さんの名言である。
ホリエ、BSE、ヒューザー の次は、京大生のレイプ と ハーレム爺さん が来た。「盆の上の豆」は、時々刻々、コロコロ転がりながら、次の変化を待っている。
半月前ぐらいまでの主役は、新潟県津南町だった。雪降ろしの死者70人、自衛隊の出動要請・・・。津南町には今、(テレビ報道が全盛だった)あのときよりも、はるかに多くの雪が積もっているだろうし、日々の生活の御苦労もふえている筈だが、しかし、それを撮りに行くテレビ局はないようだ。

加藤愛子

2006-01-28 01:25:21 | Weblog
数日前、テレビを観ていて「加藤愛子」が画面に出てきて驚いた。これ、佐藤愛子さんの間違いではなく、四国4県の名前を位置の記憶法なのであって、右列が、加(か)→香川、藤(と)→徳島、左列が愛→愛媛、子(こ)→高知 となるわけで、考案者はタレントの青木さやか さんである。驚いたのは、この記憶法が55年前に私が考案したものと、ほぼ同じだったからである。私の場合は愛ではなく英(え)→愛媛 だったが・・・。暗記法には「いい国つくろう鎌倉幕府(1192年)」、「石国(いしくに)アメリカ、コロンブス(1492年)」等々、伝統的なものと自分で考える手作りモノとがあるが後者を編み出すのはオトナの頃おyり子どもの知恵の方がはるかに優れているので、青木さんの脳みそは少女並みにフレッシュなのだろう。しかし、そういった記憶(暗記)が役立つ場面はそれほど多くはない。たとえば、テストに限ってみると、私達の時代には「自由民権運動、廃刀令発布、電球の発明、西南戦争、徴兵令の発布」と連ねて、それを古い年代順に並べよ型の設問がよくあった。このとき4ツまではその順がわかるが、残る1ツが?だったとすると、その1ツを何番目に入れるかは全くのヤマカンになる。ヤマカンの当たる確率は2割で、すなわちこの問いの誤答率は8割だから、4ツまでは知っていた割には、分が悪いのである。要するに、ちょっとした暗記法などは教科書や参考書を熟読した優等生にはとても敵わないのだ。ま、そんなことはどうでもいい。久しぶりに懐かしい昔を思い出させてくれた青木さやか さん、どうもありがとう。

ホリエ容疑者

2006-01-28 01:16:21 | Weblog
ホリエ容疑者が逮捕され、東京拘置所に入ったときの第一声が、「株価を見られないの?インターネットも見られないの?」だったというニュースが流れ、それを受けて朝の報道番組では、みのもんた氏が「自分の置かれた立場がわかっていない」と言い、周りのコメンテーター達も頷いた。また、夕方のラジオ、ニッポン放送の「高島ひでたけの大吉ラジオ」でも、ホリエ発言にちなんで、「場違いな、とんでもない発言」を聴取者から募集していた。私の見方は、みのさんや高島さんと違う。少なくともホリエ容疑者は、自分の置かれた立場は充分にわかっていたと思う。彼が「インターネットも見られないの?」と言ったのは、「いまどき、そんな(遅れた)社会があるのかよ」という意味の単なる「強がり」であるはずだ。なぜなら彼は「ライブドア社」に強制捜索が入った16日から逮捕までの1週間は、自分がそうなった場合のことを弁護士などから詳細にきき、想定問答を繰り返し、当然に「塀の中の生活」についても充分に教わっていたに違いないからだ。あの拘置所入り第一声の強がりは、その酒場にレミーマルタンが置かれていないことを知っている男が、わざとレミを注文し、バーテンから答えを聞いて、「あ。残念だな~、レミぐらい置いとけよ」とカッコつける哀れなレベルと同じだと解釈するのが正解だろう。それにしても小泉純一郎という男は強運だ。もし、あの9.11選挙でホリエ容疑者が亀井静香氏を破って当選したらどうだったろうか。当然に自民党に招き入れ、ひょっとすると、何か目立つポスト(青年局長あたり)を与えていたかも知れず、そうなると今は国会が会期中だから、「不逮捕特権」がどうのこうのと大騒ぎになっていただろう。いや、それ以外のことも含めて、小泉さんほどの強運の首相は過去にいなのではないだろうか。