水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

漢字の雰囲気

2009-08-31 20:24:22 | Weblog
のんべえ を、飲兵衛と書く人が多いが、私は呑ん平と書く。なんとなく、その方が感じが出ていると思うからで、正しい書き方がどうであるのかは知らぬ。 文字選びについては皆さんそれぞれに我流のものがあるはずで、ま、あまり細かいことを言わなければ、自分なりの漢字遣いは愉しくもある。 「おっしゃる」を私は「仰言る」と書くが、これは「仰る」が正しいようで、だから、このブログに「仰言る」と書いても、娘のパソコンで訂正されてしまうのだろうが、どうも、「仰る」では、ただ空を仰いでいるようで、間違いを承知で「仰言る」としたい。 「しょっちゅう」は、「初中終」が正しいらしいが、私は「終始中」と書く。××に終始するは、ある時間の行動すべてを表現するのだから、中は最後になってもいいような気がするのだ。  前にも少し書いたが、漢字にはそれぞれ雰囲気があるわけで、たとえばサントリー・午後の紅茶の缶は、「立ち飲みする」であるが、フォションの上葉を淹れた紅茶は「喫む」であろう。 昭和29年に吉田茂が退陣し、翌年、鳩山一郎を総裁とする自由民主党が誕生した。その自民党が、きのうで終わり、一郎の孫である由紀夫氏がまもなく総理大臣になる。自民党は小泉郵政選挙大勝以来、危機感が足りなかった。私は、「集中力」を「集注力」と書くが、その「注」が足りなかった。

8月30日

2009-08-30 23:17:03 | Weblog
つい先日読んだ週刊誌に、例の日蝕観測ツアーの記事があって、その中に、食事は(副食類はよいのだが)パック入りごはんでガッカリ・・・とあったが、これは飯そのものの味のことなのか、それともパック入りでは色気がないということなのか。我が家で炊くごはんは1日1カップと少々で、それがちょっと不足な場合に、買い置きのパックもので補ったりする。味に関しては私も家人の不満はないが、娘はそれとわかるらしく、レンジで温めて飯碗に盛っても食べようとしない。今朝は、その出来合い飯とサンマの塩焼き、冷奴、野菜の味噌汁に、小豆島で炊いたとラベルに貼ってある生姜の佃煮で、高級南高梅の梅干に、少し砂糖をのせて、純和風の食卓。 昼は、娘が北海道出張のときに買って来た味噌ラーメンで、台風前の涼風が入って来る食堂で熱いラーメンというのが旨い。家人の作った煮豚を娘が誉めるが、確かにその辺のチャーシューよりは大型であり、そもそも豚バラというのは味がいい。 食べる話ばかりになったが、今夜は政権交代の刻がテレビで観られるのだろうが、私は8時には床に入る。新型インフルエンザのことでは脅迫めいた報道が流れているが、私のような年齢になると、すべてはなるようにしかならないというのが結論だ。 それでも我が身は大事である。明日はペインクリニックの週決め治療日で、まずは、その時間だけでも風よ吹くな。

持ち物

2009-08-30 11:44:55 | Weblog
昨年、車で遊びに来た友人に腰の電気治療に付き合ってもらい、終わって財布を忘れたのに気づいた。老人ボケと言われても仕方ないが・・・、山口瞳先生が『週刊新潮』に連載していた「男性自身」の中に、「天皇の持ち物」という話があって、天皇陛下が外出されるときは(我々庶民と違って)、財布、名刺、定期券といったものは一切お持ちにならないだろうというようなことが書かれていて面白い。今なら、携帯電話やキャッシュカードなども、その「お持ちにならないメンバー」に加えられるだろう。  私は週に1回、腰の治療のために家人と外出するが、ポケットに入れるのは小型タオルだけで、あとは(車の中で飲むお茶まで)すべて家人頼りであり、それが習慣となって、前述の財布忘れにつながったのだと思う。この7月に、カレンダーの都合で次女にペインクリニックに同行してもらったときは、まず最初に財布をポケットに入れた。私も自分では使わないカードを2,3種類持っているが、もちろんソレを財布に入れておくことはない。携帯電話も所有していないし、名刺も定期券もない。すなわち、私の外出時の持ち物は、畏れ多くも天皇陛下のそれに近づいているのかも知れぬ。 そう家人に話したら、「天皇陛下は健康保険証をお持ちじゃないんじゃないの?」と笑われたが、ま、そうなんだろうなぁ。

コロッケ

2009-08-30 11:35:55 | Weblog
「どう、このコロッケ、おいしいでしょ?」と家人に訊かれ、「うん。旭屋のに似てるなぁ」と答えた。旭屋というのは葉山にある肉屋の名前で、そこで売っている「裕次郎コロッケ」が旨いのだ。正確にはわからぬが、生クリームを使っているような味だ。 コロッケはメンチカツと反対の作り方である方が旨い気がする。メンチの方は、粗挽肉が充分に入っていて、タマネギもあまり炒めないで、粗っぽいつくりで、トンカツソースが合うが、コロッケは挽肉を少なくし、タマネギも優しく炒め、牛乳(生クリーム)でつないで仕上げ、トンカツソースどころか、何もつけずに食べるのがおいしい。 コロッケは酒のつまみでも、食事のおかずでもなく、巧くは言えぬが、「今朝はコロッケとコーンスープとトマトサラダでいいじゃん」という形が似合うと思うのだ。前にも少し書いたが、私は中学3年の秋から高校1年を終えるまで(男所帯だったので)自分で弁当を作っていた。1番打者は海苔で、これを飯半分の中間と上部に置く。2番は佃煮、3晩はさつま揚げ、そして4番を打つのが鶏肉屋から買って来たコロッケであり、堂々の4番打者だった。しかし、あの頃、トンカツソースがあったのかどうか。その辺のところが、どうも思い出せない。話が前後するが、旭屋の味に似たコロッケあ、家人がスーパーで5個100円で買ったものだそうだ。そういう良心的な店があるのか、それとも私の味覚が落ちたのか。

覚醒剤

2009-08-29 00:35:06 | Weblog
「ヤク、うってみっか? いい気持ちになれっと」。隣家の高校生から声がかかって、私は慌てて手を左右に振った。 昭和24年、私は中学2年生だった。ヤク(クスリ)が町の不良、高校生、私たちの同級生にも広まっていた。ヤクの名は、ネオアゴチンと言い、薬局で販売されていた。 気持ちよくなるのだから、覚醒剤であるのだが、その当時、それを取り締まる法律がなかったのだと思う。  覚醒剤は特攻隊員の恐怖を取り除く(勇気づける)ために作られたものが、戦後、国内に広まったのが始まりで、有名なのがヒロポンだ。 次に私の記憶にあるのが、昭和27年ごろから、人の集まる場所(銭湯、駅前の看板、商店街など)にベタベタという感じで貼り出されたポスターで、文言は、「ヒロポンはやめましょう」だった。 学校帰りに仲間と麻雀を打って、誰かが、白(パイパン)をポンすると、「シロポンはやめましょう」と、必ず声がかかるほどの流行語だった。  不思議なのはポスターの構成で、「~やめましょう」の下には個人名(菅原通済、石黒敬七など)で、厚生省ではなかったことで、これも取締法の成立時期と関係があるのだろう。  私が隣家の兄ちゃんの「うってみっか?」を断ったのは、クスリの効果よりも、素人に注射針をうたれたくないからだった。 また、ネオアゴチンで不良ぶっていた連中にも、中毒患者はいなかった。 要するに、ヤクは常識外のものであって、ちょっと気づけば、誰しもがヤーだ、ヤーメタとなる性質のものなのだ。  話は変わるが、ヤク中毒の酒井法子のニュースって(この前も書いたが)、興味ありますか? ああいうものって、視聴率が取れるのだろうか。視聴者の民度って、その程度なのかなぁ?