わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

藤 圭子

2008-05-30 | Talent

 

 藤 圭子  (ふじ けいこ)

195175日 - 2013822
日本の演歌歌手。本名、阿部 純子(あべ じゅんこ)。 

岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。
1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡した。
夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な歌(『怨歌』)を、伸びやかかつ深々と歌い上げた。

前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は音楽家の宇多田ヒカル。元夫は演歌歌手の 前川 清

 

 


幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)[1]、三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)[1]の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[1]。17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。歌手デビューする。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。

 

新宿の女  藤 圭子 新宿の女  藤 圭子

 

以後、作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈をも凌ぐドスの効いた声は、当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム 「女のブルース」 は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてよりやさしい声となる。引退と復帰を繰り返すうちに人気を失っていく。

 

1度引退したが、RCAレコードからCBSソニーに移籍。1981年に第一弾となるシングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表した。

歌手を引退した後は、夫の宇多田照實が代表取締役を務める有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記され続けた。なお、ユースリー・ミュージックは娘で歌手の宇多田ヒカルが所属する事務所である。

2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。同マンションにある知人宅から飛び降り自殺したと見られている[2]。
( wikipedia )

 

 

 

 2018 07 28 あの頃の、唄が聞こえる【わが郷】 あの頃の、唄が聞こえる。

 

2013 08 23  夢は夜開くわが郷

 

 

 

普通に考えれば、自殺を装った殺人を想定する

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