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松坂慶子

2008-04-30 | Talent

タレント 

松坂慶子【Talent】1952 ~ 松坂慶子 道頓堀川

 

松坂 慶子

(まつざか けいこ、1952720日 - )
は、日本の女優・歌手。
身長162cm、血液型A型。
東京都大田区出身。
本名は高内 慶子(たかうち けいこ)。
活動期間  1967年 -
配偶者   高内 春彦
(wikipedia)

 


 


小学2年の1960年(昭和35年)、「くるみ児童合唱団」に入団。中野区立第三中学では演劇部に所属。落語家の二代目快楽亭ブラックは中学時代の同級生であり、ともに演劇部に所属していた。中学3年の1967年(昭和42年)、「劇団ひまわり」に入団。同年、幼児向けコメディ『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』(NET)でテレビ初出演。

日本大学第二高校に進み[2]高校2年の1969年(昭和44年)、大映からスカウトされる。同年、『ある女子高校医の記録 続・妊娠』で女高生の一人としてスクリーンデビュー。1971年(昭和46年)、映画『夜の診察室』で、主演予定だった渥美マリの降板により代役で映画初主演。

1972年(昭和47年)、松竹へ移籍。1975年(昭和50年)、時代劇『江戸を斬る』に出演。1978年(昭和53年)の映画『事件』では清純派からの脱皮を果たす。翌1979年(昭和54年)の映画『配達されない三通の手紙』でも体当たりの演技を見せ、トップ女優に躍り出た。同年放映のテレビドラマ『水中花』に主演し、主題歌「愛の水中花」を歌うとともに、妖艶なバニーガール姿を披露する。

道頓堀川【映画など】 道頓堀川 【松坂慶子

 

1980年代も『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、『蒲田行進曲』、『人生劇場』、『火宅の人』 などの映画や、テレビドラマでは『春の波涛』などの作品に立て続けに主演・出演した。この頃の松坂は深作欣二が監督する映画・テレビドラマに多く出演している。

 作品名 : 火宅の人(1986年) 出演時年齢 : 34

 

1990年(平成2年)、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)と結婚、米国ニューヨークに移住し、二女をもうけた。現在は東京在住。

2000年(平成12年)、東京電話のCMでは大根を持った主婦をコミカルに演じ、新境地を拓いた。2002年(平成14年)、なかにし礼原作・監修による写真集『さくら伝説 -松坂慶子写真集』を発表[3]。2005年(平成17年)8月、大塚食品が発売した「ボンカレークラシック」のパッケージキャラクターを、松山容子から引き継いだ[4]。同年秋にはドラマ『熟年離婚』に主演。渡哲也演じる夫に離婚を切り出し、新たな人生を歩み出す主婦役を演じた。さらに同年12月放映のバラエティ番組『ウリナリ芸能人社交ダンス部』では、ダイナミックな動きとキレのあるダンスを披露し、初出場ながら優勝。年齢を感じさせない美貌・体力の持ち主である。

2008年の映画『火垂るの墓』では親戚の子達を虐める叔母役を演じているが、「本来は優しい人物だと思っていたのに、最後まで悪い人物という描かれ方に違和感があり、一度はオファーを断った」ものの出演した作品である。本作の舞台挨拶では畠山彩奈から「松坂さんに怒られるシーンを撮影中、本気で泣いてしまった」と告白されるなど徹底した虐め役は、松坂にとっても新たな境地を開く作品となった。

2013年(平成25年)2月、日本テレビ開局60年特別番組 TV60 日テレ×NHK『60番勝負』・ドラマ対決で、NHKが制作した『松坂慶子 女優最後の日』の冒頭、松坂が登場したシーンにおいて3万8313「イィ」(番組内で視聴者からの反応を測る数値)を記録し、2日間にわたって放送された当番組内の最高値であった[5]。

 

 

 

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