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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

梅原龍三郎

2010-07-26 | 日本人作家

 ご案内

  梅原 龍三郎  (うめはら りゅうざぶろう)

188839日 - 1986 116
日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。左利き。
 
1914年(大正 3年)までは名を良三郎と名乗る。
画風は華やかな色と豪快なタッチが特徴とされ、自由奔放と評される。
第二次世界大戦前から昭和の末期まで長年にわたって
日本洋画界の重鎮として君臨した。

 


 


晩年に使用した吉田五十八設計の東京都市ヶ谷のアトリエが
山梨県北杜市の清春芸術村に移築され公開されている。

 


京都府京都市下京区に生まれる。生家は染物問屋であった。
 京都府立第二中学校(現在の京都府立鳥羽高等学校)を中退し、伊藤快彦の画塾・鍾美会で学んだ後、浅井忠が主催する聖護院洋画研究所(現在の関西美術院)に入る。同時期に 安井曾太郎 も学んでいた。


1908年(明治41年)に田中喜作(後に美術史家となる)と共にフランスに留学。
パリに滞在しアカデミー・ジュリアンに通った。

 

 

 1909年(明治42年)に ピエール・オーギュスト・ルノワール の指導を受ける機会を得た。知人の有島生馬を通じて、1910年(明治43年)にはルノワールについてや、パリの芸術について、雑誌 『白樺』 に寄稿している。


  梅原龍三郎が模写した、ルノアール

 

1913年(大正2年)に帰国し、東京神田で個展「梅原良三郎油絵展覧会」を白樺社の主催で開催。この際に白樺社同人の武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦との知遇を得た。


1914年(大正3年)二科会の設立に関わる。同年、洋画家・亀岡崇の妹艶子と結婚。15年長女紅良(嶋田紅良)、18年長男梅原成四が生まれた。

1920年(大正9年)に再び渡仏するが、前年に死去したルノワールの弔問のためでもあったという。

1922年(大正11年)に春陽会の設立に参加。その後、春陽会を去り、1925年(大正14年)に土田麦僊の招きで国画創作協会に合流し、国画創作協会洋画部(第2部と称した)を設置した。1928年(昭和3年)に国画創作協会が解散した際に、洋画部が独立し「国画会」となった。

 

1935年(昭和10年)に帝国美術院会員となる。37年これが拡充された帝国芸術院(現日本芸術院)会員となる。1944年(昭和19年)には帝室技芸員、東京美術学校(現:東京芸術大学)教授となる。


 『バラと蜜柑』  1944

 

 

 1952年(昭和27年)に東京芸術大学教授を辞任し、渡欧しヴェネツィア・ビエンナーレの国際審査員を務めた。同年文化勲章受章。1953年(昭和28年)に軽井沢にアトリエを設けた。1957年(昭和32年)に日本芸術院会員を辞任。様々な役職を辞した後は渡欧を繰り返し、自由な立場から制作に励んだ。少年時代より良きライバルであった安井曽太郎とともに洋画界の頂点を極め、「日本洋画壇の双璧」 と称された。ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術や琳派、南画といった日本の伝統的な美術を自由に取り入れ、絢爛たる色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開した。


 

「今年の春、梅原夫人が急逝された。先生は表立って誰にも報せず、荼毘に付された。先生は火葬場にも行かず、夫人のお骨が自宅に戻ってくると、遺骨の花に埋もれた様子を大きな画布に描き続けられた。己れの深い悲しみを抑えての画家としての鎮魂の営みであったのだろう。(中略) その後で、平素、梅原夫人に優しく親しくしていただいた少数の人たちを梅原先生が招んで下さって、夕食をご一緒した。その席で、先生は、私は不人情者だから、少しでも早くこの気持ちを諦めて、絵を描くことに没頭したい、と挨拶しながら泣いておられた。」

今泉篤男(「梅原龍三郎先生の近作」『梅原龍三郎展』朝日新聞社 1977)より
【小川美術館 - コラム -幕の間の出来事】

 

1986年 (昭和61年)、死去。享年 97

 

 


主な作品 [編集]
 「横臥裸婦」(1908年、、愛知県美術館蔵)
 「立裸婦」(1915年、佐倉市立美術館蔵)

  
 「雲中天壇」(1939年、京都国立近代美術館蔵)
 制作年:昭和14年
 技法・材質:油彩 キャンバス
寸法:79.2×64.4?
所蔵:京都国立近代美術館

 

 「紫禁城」(1940年、大原美術館蔵)
 「北京秋天」(1942年、東京国立近代美術館蔵)
 「霧島(栄ノ尾)」(1938年、西宮市大谷記念美術館蔵)
 「姉妹併座図」(1942年、堀美術館蔵)
 wikipedia

 

 

 

 

  「椅子による裸婦」 1977年 20F

 

 

 

 

 

 

 

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