志の輔らくごinNIPPONへのゲスト出演

2017年01月31日 | Weblog


 和力がゲスト出演した「志の輔らくごin森ノ宮」(2016年10月)へ行った際、入口でパンフレットをもらった。
「志の輔らくごinNIPPON」の案内であった。
「毎年お正月に『志の輔らくごinPARCO1ケ月公演』を11年間続けてきたが、劇場が3年間のお化粧直しにはいる。このタイミングにお礼に出かけようと、12都市に伺うことにした」と、志の輔師匠が「ご挨拶のようなもの」で述べられ、1月4日を初日に1月31日までの日程が紹介されていた。
北は北海道から南は沖縄までの日本縦断となるスケジュールであった。
わたしがこの「志の輔らくごinNIPPON」に、和力がゲスト出演すると知ったのは、わたしが窓口となっていたN市での和力公演の「公演日程を変更できないだろうか」との朗からの連絡であった。
「全国12か所の内、6か所でゲスト出演の依頼を受けたが、N市の和力公演とは日程がかぶってしまうので日程の移動を相談して欲しい」。このときゲスト出演する6都市を聞いた。
N市の主催者さんと連絡をとったら、「わたしたちも和力が大好きで、志の輔師匠との共演を応援します」と日程を変えてくださった。
Wariki松戸事務所映像担当のわたしの弟・雅義にN市での録画日程の変更を伝えその理由も説明した。
そしてわたしたちは1月13日の松本会場へ行こう。志の輔師匠のチケットは、発売されると瞬時に売り切れてしまうので、必ず入手できるよう怠りなく準備しようと、誓いあって無事松本会場に行けた。
その模様を弟の雅義が記したので、このブログに紹介する。



 以下の文は雅義の記録である。

 HPで公表しませんでしたが、17年1月の「志の輔らくごin NIPPON」全国巡演に、和力は6カ所の会場へお招きいただきました。
これまで和力は、「横浜にぎわい座」、「京都春秋座」、「大阪森ノ宮」などの「志の輔独演会」にゲストとして招かれ出演させていただきましたが、そのたびにHPで告知してまいりました。

 ところが、今回の「志の輔らくごin NIPPON」においては、少々、事情が異なったのです。

 ご存知かもしれませんが、落語は演ずる前に演題をお客さまにお知らせすることはほぼありません。
舞台袖のまくりに出演者の名前が示され、お客さまは噺を聞き終わってからその日の演題を知ることが通例となっています。
特に独演会では、帰りのロビーに演目が貼り出されるのが常です。
いわば「サプライズ」の演出なのでしょう。噺の内容はもちろんゲストも後で知ることになります。

 1月の「志の輔らくごinNIPPONN」は、全国12カ所で開催されました。
ゲスト出演したのは以下の6ケ所となります。

富山 1月 4日(水)
札幌 1月 7日(土)
松本 1月13日(金)
青森 1月19日(木)
仙台 1月20日(金)
岡山 1月29日(日)

行けなくて残念とお思いになっているみなさまのために、独演会の様子を以下に再現しますのでご堪能いただければ幸いです。

~チケット取得に戦々恐々~

 わたしが選んだのは松本会場でした。
松本で家を建てた友人がいて、いつかその家を見にいきたいと思っていました。
松本は盆地で平地の中心に松本城がそびえ立ち、その周囲を丘陵地帯が囲んでいます。その丘陵地に友人は家を建てました。
設計士さんの説明ですと「松本城の見える家」というネームがつけられたそうです。家の窓から遠くお城が見える風景。なんと素晴らしいコンセプトなのでしょう。いつか見にいきたい、とわたしの心は募るのですが、家を見にいくだけで東京から列車に乗るには、わたしにとって松本はあまりに遠かったのです。
はからずもその思いを実現できる機会がやってきました。
「松本で志の輔師匠の独演会がある」と、わたしは兄から連絡をうけたのです。本当は伝えてはいけないことだったのでしょうが、近親者だけに教えてくれたのでしょう。そうだ、この独演会と絡めれば、「松本城の見える家」を見学できる。
1月13日(金)、松本市民芸術館。これが時と場所でした。家の主とも連絡が取れました。

 チケットの予約販売は、2ヶ月前の文化の日、午前10時に受付開始。1月の12会場が一斉にこの時間に発売されます。
松本会場は平日開催ですし、収容は1,000人です。東京や大阪の人口にくらべて、松本はちょっと小さな都市です。ですから横浜にぎわい座(400人)のように瞬時に売り切れということはまさか、ないだろうとわたしは志の輔師匠の人気を甘く見積もりすぎていたのかもしれません。
当日、休日出勤だったわたしは10時の時報とともに休憩にはいります。着替えに手間取って食堂でタブレットを開いた時は発売5分すぎの10時05分でした。「チケットぴあ」のサイトを開くと、「松本会場は売れ切れ」との表示。たった5分が過ぎただけですよ。わたしは信じられなくて他の11会場をつぎつぎに検索しました。札幌、岡山以外はすでに「売れ切れ」。まだ席が残っていた札幌、岡山も数分後に「売り切れ」になりました。
わたしは独演会チケットの別チャンネルを持つ友人に連絡をして、チケットをようやく確保することができたのです。

 独演会のあるのは「大寒」に近い日です。
白鷺城といわれる姫路城に対し、カラス城と称されるのは松本城です。季節は大寒。漆黒のお城に雪化粧がされたらどんなに美しいのだろうと、わくわくしながら独演会の日を待ちました。
さて当日の1月13日です。
雪を期待していましたが全国的な暖冬で、春のような日差しがつづいています。
ところが、わたしたちが東京を出た13日を境に日本列島が寒波に包まれました。高速バスで長野県に入るころ、行く手に雪が舞い落ちてきます。
午後3時にホテルに着いたわれわれはすぐさま松本城見学。雪はちらちらとしか降っていませんが底冷えのする寒さです。道々、コンビニよりお蕎麦屋さんの店舗が多く見受けられます。さすが信州です。



 〜和力の持ち味が生かされた15分〜

 われわれはお城から10分ほど離れた独演会場に移動しました。
開場時間の6時、客席はすぐに満員になります。
幕が開き、独演会がはじまる。
師匠が一席、噺を終え会場の笑い声を背にして高座を後にします。

 どこからともなくお囃子が聞こえて、客席後方の出入り口から朗が獅子頭をもって登場、小野さんと木村さんが後方を固めて笛と太鼓ではやします。おなじみの江戸囃子。その出方が場内のサプライズとして演出されるのです。
「無病息災」と言いながら獅子がお客さまの頭をかみながら、朗が舞台前に到着します。そこでお正月の口上をのべて舞台に上がり獅子舞がはじまりました。
獅子が猫のように毛繕いをしたり、ときどき耳をぴくぴくする仕草に客席がわきます。意表を突く登場であっという間の退場。その間、5分の演技でした。
衣装を替えた師匠が高座に登場して第2席目がはじまるので、和力の演技は着替えの時間稼ぎの役目があったのかもしれません。
師匠からは噺の枕で和力の紹介にちょっと時間を費やしていただきました。これはわたしの見た「横浜にぎわい座」にも「京都春秋座」でもなかったことです。

 そして新作落語の「ももりん」がはじまります。
横で落語好きの兄が大喜びをしています。

 〜音が鳴り、幕が上がる〜

 ももりんがおわると幕が降り、しばしの休憩にはいります。

 やがてベルが鳴り場内の照明が落とされて、第2幕です。津軽三味線の音色が「じゃじゃじゃーん」と鳴る。まだ幕は閉じられたままです。
幕があがって音の主の小野さんが姿を現します。こういうタイミングにプロによる構成の冴えを感じさせます。小野さんが演奏する津軽じょんから節の独奏が、木村さんとの合奏曲「忍者」へと移る。拍手を受けておわると、「東天紅~(とうてんこ~)」と声を発して派手な衣装を身にまとった朗が舞台中央に登場します。
青森県の田子町に伝わる「鶏舞(とりまい)」が舞われ、「酉年の鶏舞です」と最後に朗が口上を述べて退場。鶏舞の華やかな舞と衣装がお客さまのお正月気分を浮き立たせたにちがいありません。

 そして、最後に師匠が大ネタの噺をして独演会はおわりました。




 終演後のロビーでは大混雑の中、演目紹介の告知がされる。いつもは紙に書かれているだけなのですが、今回は1ヶ月の巡演とあってキチンと板書されていたのが目を惹きました。ゲストの和力も同じ板に出て常連あつかいになっているように見えたのは嬉しい出来事でした。
3時間の独演会の中で和力の出演は15分でした。和力ファンとしてはちょっと物足りない思いもありましたが、独演会に彩りを添える役割は果たせたのではないかと、ロビーで胸をなでおろした兄とわたしでした。そして和力の持ち味が充分に生かされた演出だったことに感謝しました。



 さて、翌朝に予定された「松本城の見える家」のご報告です。
とても良かったですよ。わたしの期待に応えるだけの家でした。翌朝から雪が降りました。家の窓から眼下に広がる松本市内。とおく雪に包まれたカラス城がわたしの目の前に現れたのでした。
(写真を指でクリックすると大きくなります)
(了)


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