久しぶりに床屋さんに行った。わたしは床屋さんの鏡とお風呂屋さんの鏡には、いつも閉口する。自分の姿や顔が大きなアップで写し出される。見たくもない自分の顔が目の前に浮かぶと、どこに視線をやってよいか分からなくなる。狼狽えてしまうのだ。恥ずかしくなる。まともには目を合わせられない。
毎朝、洗面所で顔を洗うことは習慣として68年間、くりかえしてやってきたが、鏡に写る自分の顔をつくづくと見ることはない。そそくさと髪の毛を横に撫で付けてチラッと全体を眺めて、鏡を後にする。
若い頃には、髪が伸びるとお風呂屋さんに行ったついでに、落ちている安全カミソリを拾って、前髪をすいたり、手探りで襟足を剃ったりしていた。それで床屋さんに行くことが倹約された。
眉毛も太く濃いものだから、すこし優しげにそり落としたりしたこともある。
孫の磊也(中3)にこの春逢ったら、眉毛が細く剃られたうえに外側が半分、そり落とされてしまっている。よほど床屋さんの手元が狂ってのことであろう。
振り返ってみると磊也の父、朗が中学生の頃にも眉毛が細くなって、半分になってしまっていたことがあった。
ふかく訊ねなかったけれど、中学生頃の活発な男性の皮膚は滑りやすく「理髪師泣かせ」の代物であったのであろう。親子そろってその時期、眉毛を剃られてしまっている。
わたしは、この年になり髪が伸びると耳元の白髪が気にかかるようになった。なんとなくそそげ立つ白髪を目の縁で捉えてしまうのだ。
それが嫌で二月に1回は床屋さんにいくようにしている。
磊也たちはどの位の間隔で床屋にいっているのか分からないけれども、滑って眉をそってしまうようなところではなく、頭だけを刈ってくれる床屋を紹介できたらよいなぁと思っている。
毎朝、洗面所で顔を洗うことは習慣として68年間、くりかえしてやってきたが、鏡に写る自分の顔をつくづくと見ることはない。そそくさと髪の毛を横に撫で付けてチラッと全体を眺めて、鏡を後にする。
若い頃には、髪が伸びるとお風呂屋さんに行ったついでに、落ちている安全カミソリを拾って、前髪をすいたり、手探りで襟足を剃ったりしていた。それで床屋さんに行くことが倹約された。
眉毛も太く濃いものだから、すこし優しげにそり落としたりしたこともある。
孫の磊也(中3)にこの春逢ったら、眉毛が細く剃られたうえに外側が半分、そり落とされてしまっている。よほど床屋さんの手元が狂ってのことであろう。
振り返ってみると磊也の父、朗が中学生の頃にも眉毛が細くなって、半分になってしまっていたことがあった。
ふかく訊ねなかったけれど、中学生頃の活発な男性の皮膚は滑りやすく「理髪師泣かせ」の代物であったのであろう。親子そろってその時期、眉毛を剃られてしまっている。
わたしは、この年になり髪が伸びると耳元の白髪が気にかかるようになった。なんとなくそそげ立つ白髪を目の縁で捉えてしまうのだ。
それが嫌で二月に1回は床屋さんにいくようにしている。
磊也たちはどの位の間隔で床屋にいっているのか分からないけれども、滑って眉をそってしまうようなところではなく、頭だけを刈ってくれる床屋を紹介できたらよいなぁと思っている。