昼ごはんはなににしようか、と思いあぐねながらスーパーへ向かった。
今日、磊也(らいや)は朝食を済ませるとすぐ車で出発した。
午後2時からお筝のお稽古がある。その予習・復習で出かけたのであろう。レッスン場は、わが家から車で5分も乗ればたどり着く。
わたしがボランティアスタッフとして在籍する「福祉・文化サロン・は~いビスカス」が借りている、マンションの1階部分の部屋だ。
「うたごえ喫茶」・「フリーマーケット」・「絵手紙教室」・「シネマの会」・「知的障碍者との会食会」など、多様に使われているが、空いている時間帯はレッスンに使えるありがたい空間なのである。
磊也は、午前中たっぷり練習をして家に帰り、昼食を摂り着替えをしてお稽古へ出発することになる。
出発前のあわただしい昼食をなににするか、わたしの考えがまとまらない。昨日は「煮込みうどん」、その前は「焼きそば」であった。夏のあいだに食べ切れなかった「ソーメン」や、やはり食べ残しの「パスタ」と、この所、麺類がつづく昼食になっている。
スーパーマーケットへ行けば考えがまとまるだろうと、午前11時過ぎに出かけた。スーパーに着いたら「リニューアールのため午後1時開店」と張り紙がしてあり、扉が閉まっている。
さてこれは困った、手ぶらで家に帰っても、飯はあるがおかずの当てはない。スーパーの少し先に肉屋さんがあり、おばさんたちが店先に屯してなにやら待っている。なんだろうとのぞく。お惣菜が揚がるのを待っているのだ。
久しぶりに惣菜にしようか。メンチとアジフライを注文する。
フライヤーにラードが煮え立ち、惣菜がいったん沈む。浮き上がりパチパチと油をはぜる。懐かしい香りがお店の外まで漂う。
この匂いは遠い昔を思い出させる。
わたしが中学生の頃、週に何度か給食がない日があった。家に昼ごはんを食べに帰ると、近所の町工場で働くおふくろが、昼休みを利用して揚げ立てのコロッケを買ってきてくれる。経木につつまれた熱々のコロッケにソースをたっぷりかけて、どんぶり飯をたべたものだ。
おふくろもあわただしく食べ、パート先へいそいで出かける。そのおふくろに「ありがとう、ごちそうさま」と、話しかけただろうか。
中学生のわたしは心でありがたいと思っていても、素直に感謝の気持ちを、言葉でも態度でも表せていなかったなぁと、今さら悔やむのだ。
「揚げたてなのですぐにお皿にうつしてくださいね」と、肉屋のおばさんが親切に言ってくれる。
急いで帰りキャベツを千切りにする。わたしは「千切りキャベツ」だと自負しているのだが、妻は「百切りキャベツだね」と言っている。
磊也は、このキャベツを「シャキシャキ」と小気味いい音を立てて食べる。
食べることで思うのだが、やはり先祖伝来の血というものがある。うどんに入れたエビは頭から尻尾まで残さず食べる。
いつか中華料理店に行ったとき、他の人は頭と尻尾を残していたが、わたしも磊也も「カリカリ」と食べつくした。
サンマとくると、わたしは頭から骨ごと尻尾まで食べる。苦味のあるワタなども食べてしまうから残るものはない。
磊也はそれはそれはきれいに平らげるが、骨と頭は残しているので、わたしは「まだまだ修行が足りない」と、心の中で思っている。
しかし「こんなことも出来るのか」と舌を巻くことがある。
家に来て2ヶ月経ったころ、ホームセンターで「バリカンを買ってきた」という。翌日、彼の頭を見ると見事に刈り上げている。自分で刈ったのだ。
わたしにはこういう芸当はできない。わたしには出来ないが、わたしの父親も自分の頭は自分で刈り上げていた。何事にも器用な人であった。
磊也の刈り上げたいが栗頭を見ながら、わたしは不器用であるが、磊也は父の器用さを受け継いだにちがいないと、鴨居の上にある父親の坊主頭の写真を見上げる。隔世遺伝というものであろうか。
つい先だって、バイトを申し込んでいた先から「スーツを用意してきてくれ」と連絡がきた。午後5時ごろである。バイトそのものは、三週間ほど前から決まっていたのだが、担当者が言い忘れたのか電話での指示である。
あわてて磊也はスーツを買いに走り荷物を抱えて戻ってきた。
「裾上げを頼むと、5日ほど掛かるというので自分でやる」と、妻から糸と針を借りて部屋に閉じこもり数時間、アイロンもかけて見事に仕上げたのだ。
加藤木朗も舞台で使う大道具、小道具、面なども自分でつくる。自分の頭も家族のも調髪する。
器用だったわたしの父親の遺伝子は、わたしは受け継げなかったが、朗そして磊也へと連綿として伝わっているのだなぁ…と、生活を一緒にしていて感じることがたくさんあるのだ。