孫との生活半年目

2011年09月29日 | Weblog


 昼ごはんはなににしようか、と思いあぐねながらスーパーへ向かった。
今日、磊也(らいや)は朝食を済ませるとすぐ車で出発した。
午後2時からお筝のお稽古がある。その予習・復習で出かけたのであろう。レッスン場は、わが家から車で5分も乗ればたどり着く。
わたしがボランティアスタッフとして在籍する「福祉・文化サロン・は~いビスカス」が借りている、マンションの1階部分の部屋だ。
「うたごえ喫茶」・「フリーマーケット」・「絵手紙教室」・「シネマの会」・「知的障碍者との会食会」など、多様に使われているが、空いている時間帯はレッスンに使えるありがたい空間なのである。

 磊也は、午前中たっぷり練習をして家に帰り、昼食を摂り着替えをしてお稽古へ出発することになる。

 出発前のあわただしい昼食をなににするか、わたしの考えがまとまらない。昨日は「煮込みうどん」、その前は「焼きそば」であった。夏のあいだに食べ切れなかった「ソーメン」や、やはり食べ残しの「パスタ」と、この所、麺類がつづく昼食になっている。
スーパーマーケットへ行けば考えがまとまるだろうと、午前11時過ぎに出かけた。スーパーに着いたら「リニューアールのため午後1時開店」と張り紙がしてあり、扉が閉まっている。



 さてこれは困った、手ぶらで家に帰っても、飯はあるがおかずの当てはない。スーパーの少し先に肉屋さんがあり、おばさんたちが店先に屯してなにやら待っている。なんだろうとのぞく。お惣菜が揚がるのを待っているのだ。
久しぶりに惣菜にしようか。メンチとアジフライを注文する。
フライヤーにラードが煮え立ち、惣菜がいったん沈む。浮き上がりパチパチと油をはぜる。懐かしい香りがお店の外まで漂う。

この匂いは遠い昔を思い出させる。
わたしが中学生の頃、週に何度か給食がない日があった。家に昼ごはんを食べに帰ると、近所の町工場で働くおふくろが、昼休みを利用して揚げ立てのコロッケを買ってきてくれる。経木につつまれた熱々のコロッケにソースをたっぷりかけて、どんぶり飯をたべたものだ。 
おふくろもあわただしく食べ、パート先へいそいで出かける。そのおふくろに「ありがとう、ごちそうさま」と、話しかけただろうか。
中学生のわたしは心でありがたいと思っていても、素直に感謝の気持ちを、言葉でも態度でも表せていなかったなぁと、今さら悔やむのだ。



「揚げたてなのですぐにお皿にうつしてくださいね」と、肉屋のおばさんが親切に言ってくれる。
急いで帰りキャベツを千切りにする。わたしは「千切りキャベツ」だと自負しているのだが、妻は「百切りキャベツだね」と言っている。

 磊也は、このキャベツを「シャキシャキ」と小気味いい音を立てて食べる。
食べることで思うのだが、やはり先祖伝来の血というものがある。うどんに入れたエビは頭から尻尾まで残さず食べる。
いつか中華料理店に行ったとき、他の人は頭と尻尾を残していたが、わたしも磊也も「カリカリ」と食べつくした。
サンマとくると、わたしは頭から骨ごと尻尾まで食べる。苦味のあるワタなども食べてしまうから残るものはない。
磊也はそれはそれはきれいに平らげるが、骨と頭は残しているので、わたしは「まだまだ修行が足りない」と、心の中で思っている。

 しかし「こんなことも出来るのか」と舌を巻くことがある。
家に来て2ヶ月経ったころ、ホームセンターで「バリカンを買ってきた」という。翌日、彼の頭を見ると見事に刈り上げている。自分で刈ったのだ。
わたしにはこういう芸当はできない。わたしには出来ないが、わたしの父親も自分の頭は自分で刈り上げていた。何事にも器用な人であった。
磊也の刈り上げたいが栗頭を見ながら、わたしは不器用であるが、磊也は父の器用さを受け継いだにちがいないと、鴨居の上にある父親の坊主頭の写真を見上げる。隔世遺伝というものであろうか。

 つい先だって、バイトを申し込んでいた先から「スーツを用意してきてくれ」と連絡がきた。午後5時ごろである。バイトそのものは、三週間ほど前から決まっていたのだが、担当者が言い忘れたのか電話での指示である。
あわてて磊也はスーツを買いに走り荷物を抱えて戻ってきた。
「裾上げを頼むと、5日ほど掛かるというので自分でやる」と、妻から糸と針を借りて部屋に閉じこもり数時間、アイロンもかけて見事に仕上げたのだ。

 加藤木朗も舞台で使う大道具、小道具、面なども自分でつくる。自分の頭も家族のも調髪する。
器用だったわたしの父親の遺伝子は、わたしは受け継げなかったが、朗そして磊也へと連綿として伝わっているのだなぁ…と、生活を一緒にしていて感じることがたくさんあるのだ。

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残暑

2011年09月18日 | Weblog
 

 ことしの残暑はなかなかきびしく、連日30度をこえ35度ちかくにもなる。偶にゴロゴロと雷さまがうなるから、「夕立がくるか」とひさしぶりの雨粒を待つが、いつの間にかお天道さまの支配する空になってしまう。
それでも、ゆるやかに季節はすすんでいて、先日はみごとな十五夜お月さんを見ることができた。妻が丹精こめて育てていた月下美人の花も一夜咲き誇った。


わが家の物干し台から

 19日が「敬老の日」ということで、昨夜は町会会館に70才以上の方に配る「祝い品」を受け取りに行った。わたしが役員として担当する世帯は70軒ある。今年お配りするのは25人の方々である。
25個の「祝い品」を昨年までは自転車で運んだが、荷台に積み上げ家に持ち帰るのに苦労したものだから、今年は車で行った。車で行って正解だった。家までいっぺんに運べたのだ。

 本日、18日は敬老の日前日になるが、明日は出かける予定があるから「祝い品」を持って一軒ごとにお伺いする。
前は班長さんにその組分を一括して渡していた。町会の役員会で「祝い品は個々に渡して、お元気かどうかを確認するように」とのお達しがでた。全国的に孤独死が大きな話題になっていた昨年から一軒づつお伺いするようになった。

 昨年配った「祝い品」も25個だった。今年も25個で数としては同じだ。しかしこの一年間で70才以上の人が5人亡くなって、新たに5人が70才になった。その他、70才にならず亡くなる人もある。また昨年、玄関先で「ありがとう」と受け取った人が、今年は寝たきりになったり、入院が長引いてお会いできない人もある。
70世帯しかない狭い社会の中でも、一年間の動きはあわただしい。



 わが家ではわたしたち二人は「祝い品」をもらう年頃になっている。「ばぁちゃん(家の母親)の時代には、市から祝い金が出ていたよね」と言いつつ、町会からの祝い品をありがたくもらう。
残暑は、陽がきらめき明るい季節なのだが、年を経るごとに年老い、病む人たちを見るにつけ、人事ではない寂しさを感じる季節でもあるのだ。

 セミの鳴き声が弱まり、夜更けと共に虫が鳴き交わしている。

 
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「日本のうたごえ祭典in千葉」・コンサートへのゲスト出演

2011年09月12日 | Weblog

今年初めて実をつけた

「暑い日々がつづいておりますが、みなさまにはお元気でお過ごしのことと存じます。
和力がいつもたいへんお世話になりありがとうございます。
和力は2月、セルビアなどバルカン4カ国へ、昨年につづく『アンコール公演』を実施してまいりました。
さて、11月に開催される『日本のうたごえ祭典in千葉』、11月18日(金)『コンサート』に和力がゲスト出演します。
公演会場となる市川文化会館大ホール(2,000席)でのチケットは、8月1日から発売されました。
全席指定席です。2階席もふくめてほとんどがA席(4,000円)となっております。
和力事務所は、とりあえず舞台から5・6・7列目の中央席を30席確保しました。
和力事務所として9月よりこの座席を公開し、希望される方にお分けいたします。和力事務所がもつ座席数が限定されております。ご検討の上、お早めにご購入のご返事をいただけると幸いです。
和力演目は「東風」、「こきりこ節」、「鶏舞」となります。
和力が関東地方で初公開するのは、日本最古の民謡(奈良朝)といわれる「こきりこ節」です。胡弓・三味線・篠笛の合奏によって奏されます。
オーケストラ演奏・合唱など多彩な演目の中にあって、和力の和楽器による調べと舞いは、日本の伝統文化のきらめきを、観客のみなさまにお届けできるのではないかと、期待している次第です。
よろしくお願いいたします。」

 以上のご案内を、和力松戸実行委員や、和力をよくごらん下さる市川市に近いと思われる24人の方々にお送りした。
チケットを30席買い上げた段階で、東葛合唱団はるかぜ・郷土部、わたしの身近な方からの購入希望があり、HPでも告知していたから9月以前に10席は塞がっていた。
本日、9月12日現在での残り座席は6席であり、実はホット胸をなで下ろしている。なにしろ1座席が4,000円の指定席だ。残ればまるまるわたしの負担になる。購入していただいた方で都合が悪くなる方も出ることだろうが、開催まで2ヶ月ほどあるからなんとか買い上げた座席を埋めるべく、妻も職場への働きかけを始めてくれた。


 松戸「福祉・文化サロン」で月2回開かれる「うたごえ喫茶」

 わたしがわらび座の営業で、全国を駆け巡っていた頃、各地でうたごえの方にたいへんお世話になった。
わらび座は、1950年代の後半「日本のうたごえ祭典(開催地・東京)」に招かれ、「郷土の歌と踊り」を披露した。
当時はまだ、郷土芸能は「古くさいもの」、「冗漫でたいくつ」、「わいざつ」という受けとめ方が一般的であった時代だ。
わらび座の舞台は、全国から集まったうたごえの人々に大きな驚きと感銘を呼び起こしたという。
うたを通して地域に根ざす人たちは、自分の地域にある文化を掘り起こし、あわせてわらび座の実行委員会などの立ち上げに力を尽くしてくださり、わたしもいたる所でお世話になったものだ。
 
 昨年の長崎での祭典は11,000人の参加であった。今回の千葉での祭典は、18日「コンサート」、19日「大音楽会」、20日「合唱発表」が千葉県各地で催される。コンサートは2,000名の会場、大音楽会は6,000名収容のポートアリーナーである。日本全国で400団体が加盟する「うたごえ協議会」、そして合唱発表会には1,000団体が参加する文化の大きなお祭りだ。

「千葉で日本のうたごえ祭典をやる話がでている。全国から集う文化の担い手のみなさんに、ぜひ和力を知ってもらいたい。祭典の企画に和力がはいるように、わたしは今から働きかけている」と、一昨年の暮に「東葛合唱団はるかぜ」の太田幸子さん(現団長)が話してくれていた。
わたしはありがたい事だが「はたして実現するだろうか」と、かすかに思っていたものだ。全国祭典であるから、ゲスト候補は多岐にのぼる。和力は旺盛に演奏活動をつづけているが、全国に名を知られているわけではない。



 太田幸子さんは実行委員会の企画部に入り、和力の魅力を語りに語って、ゲスト候補にのぼせてくれた。東葛合唱団はるかぜ団員みなさんの後押しも大いなる励ましになり、さまざまなドラマの末に決定にいたったのだ。
わたしは和力が、コンサートゲストに決定するまでの経緯をどきどきしながら見守っているしかない。和力事務所の「売り込み」だけで出演にこぎつけるわけはない。
信頼があり、活動に一目おかれる人たちが押し上げてくれたからこそ、ゲスト公演に推薦されたのだ。ありがたいことだと妻と語り合った。

 コンサートは6団体の共演であるからそれぞれ持ち時間は少ない。少ない時間であるけれど特徴ある演奏が多彩に舞台を彩るであろう。
 和力の和楽器による演奏は、日本最古の民謡といわれる「こきりこ節」が、胡弓、三味線、篠笛で合奏、木村俊介作曲による「東風」が太鼓、三味線、筝、篠笛によって囃される。日本の最も古くからの民謡と、現代に生まれた曲との比べをあじわう妙があろうかと思う。
津軽田子町(にんにく生産量日本一)の「鶏舞」では、緩急自在のお神楽舞がみなさまの目を奪うことになるだろう。芸能継承者として修行中の加藤木朗長男・磊也も舞うから親子舞としての楽しみもある。

「うたごえ新聞」9月19日号一面に、「生きる喜びたぐり寄せる芸能」との大見出し、「生活力と伝統力 人と交わる和の力」として、加藤木朗の取材記事が掲載された。
この中身は和力の歴史、伝統のとらえ方、日本文化の特徴など興味深い内容である。チケットを購入いただいた方々や、和力を取り組む人にお配りしようと、「うたごえ新聞」を本日追加注文した所である。

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松戸・江戸川の花火

2011年09月05日 | Weblog
 わたしは5年前から連合町会の役員を引き受けている。任期はとくに決まっていないが「2年間はやってもらいたい」とさいしょに言われた。

 3年目に入って、役員を代わってもらおうと、わたしが住む次の路地の班長に「来年度は役員をこちらの組から出してほしい」とお願いした。
「組のみんなと相談しておきます」との事だったので、しばらく経ってから「どうなったでしょうか」と訪ねていった。
「やってもよいという人がいないので、あみだクジで決めました」という。
わたしはびっくりした。役員になると近所の受け持ち世帯は70軒ほどで、9組に分かれている。
役員会は月に1回だからそんなに負担ではない。回覧板、掲示板に貼るポスターは、役員会で配られるからそれを翌日にでも9組ある班長に渡せば済むのだ。

「でも世話役は大変だから、誰もなりたがらないのです」。
やりたくもない役目をあみだクジで引き当てた人が気の毒になって「それならわたしが引きつづきやりましょう」と言ったら、班長もあみだクジを引き当てた人も「よろしくお願いします」と喜んでいた。

 わたしは町会役員会を通して、地域の人たちと顔なじみになれたのが財産だと思っている。担当地域内で、ゴミ置き場への不法投棄、街灯の球切れ、亡くなった方がいると町会として葬儀に参列するなど、不意の用事も多い。
また、防災訓練や江戸川クリーン作戦、盆踊り、運動会、江戸川花火での警戒、年末の夜回りなど、役員はその度に出張る。

 8月27日(土)は、江戸川河川敷を会場にして「松戸花火大会」があった。わたしは防犯部だから午後6時半に町会会館にいった。
7時からの打ち上げにあわせて町内を巡って歩くのだ。懐中電灯や警告灯を点検し4組にわかれて歩く。

 最近はさらに家が建て込んできたから、歩いていても花火は一向に見えない。
しかし穴場はいくつかあるのだ。そんな穴場には簡易テーブルを設えて、飲み物・食べ物を満載にして家族・親戚が宴会をしていたりする。

 わたしたちの巡回では、花火を定点の一ヶ所ではなく角度のかわった処から見上げられる楽しみがあるのだ。
これもおもしろい花火見物なのではないかと、わたしは思っている。
ただ残念だったのは、デジカメを持たずに出かけたことである。夜空を彩る大輪の花火を写せなかったのを悔やんでいる。
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