孫の受け入れ

2011年04月29日 | Weblog
 孫の磊也(らいや)がこの春、高校を卒業した。
「暇なときでいいので、使わせてもらう部屋の写真をパソコンに送って欲しい」と昨日メールが届いた。
5月の連休があけたら、磊也は信州をはなれわが家へ寄宿、芸の修行生活にはいる。
修行先の先生方は東京住まいが多いので、江戸川を越えれば東京となる位置にあるわが家は、地の便がよい。

 わが家は17年前にわたしの母が亡くなってから、妻との二人住まいである。
磊也の部屋は、2階にある六畳間の一つを予定している。この部屋は、わたしたちの衣裳部屋として使っているので、タンスや衣装ケースが部屋の大部分を占め、季節の着替えがぶら下がっている。
磊也の来る日がはっきりしてから片付けにかかり、物が散乱し障子とフスマを張り替えなくてはならないし、写真に撮る状況でないと、磊也に返信した。

 磊也を連れて朗がわが家を訪れる日を待って、タンスや家具の移動を頼もうと思っている。
部屋をすっきりさせて明け渡すのに、他の部屋の家具移動も大仕事になるので男手がどうしても要る。わたし一人の力では動かせない家具もある。朗と磊也がくれば百人力であり心待ちにしているのだ。

 磊也は運転免許をこの春にとり、信州で車を乗り回しているようだ。わが家の車に乗る機会はすぐにくるだろう。
わたしが入っている自動車保険は、35才以上の運転者に限り保険が適用されるものだという。
磊也は18才なので、年齢制限を取り払ったものに更新したのは昨日であった。驚いたことに保険料は、倍額に跳ね上がってしまった。事故など起こしっこないよ、と心のうちで叫んでもやはり念のために掛けなおした。

 磊也は、狂言、篠笛、筝、胡弓、津軽三味線、江戸囃子などのお稽古に通う。復習・予習をする場所は、はじめのうちわが家の改造を考えたが、費用がかかり過ぎる。どうしたものかとしばらく考えあぐねていた。
わたしは「は~いビスカス」という、知的障碍者の余暇を支援するボランティアグループのスタッフでもある。
メンバーは和力公演の実行者でもあり、磊也が中学生のころからの舞台を知っている。
「磊也君が来るの。うれしいわ。だったらこのスペースを練習に使ったらいいよ」と、マンション1階の稽古場は確保できた。

「若いころ習って、数回しか使っていない琴があるから、磊也君に使ってもらって欲しい」と、立派なものをいただいた。
「磊也君が来たらパーティをやって迎えよう」と楽しく計画も立ててくれている。
だから、わが家に迎える磊也は、わが家だけの磊也ではなく、すでに地域の人として認知されているのは、うれしいことである。
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JA尾張中央・小牧地区での公演

2011年04月12日 | Weblog
 JA(農協)小牧地区の女性部および年金友の会による公演が、「会員相互が団結して被災地支援」と題して4月6日に行われた。
「会員相互の親睦を図る目的で初めて企画し、小牧市民会館で約千人の参加により『第一回会員の集い』を開きました。東日本大震災を配慮して自粛も検討されましたが、自分たちが元気になり被災地に義援金を集めて支援しようと実施しました」とHPトピックスにある。

 トピックスの記事をつづける。
「加藤木朗さんを中心とした被災地に近い関東や東北地方在住の伝統芸能演舞グループ『和力』が、太鼓・津軽三味線・篠笛・筝の演奏、柳家さん若さんが落語を演じました。烏帽子姿の加藤木さんがコマを使った大道芸で会場を沸かせた後、メンバーが秋田・福島の太鼓をモチーフにしたお囃子、(大阪の)だんじり囃子などを披露しました。続いて江戸などに伝わる獅子舞が登場。津軽三味線と太鼓、筝、笛の合奏で公演が締めくくられると、会場は最高潮に達しました」。
「最後に加藤木さんは『昔から震災の後の祭りは神の怒りを鎮めると言われている。今日のみなさんの元気が被災地に届きますように』とあいさつしました。この日集まった募金、23万4595円と和力の出演料の一部5万円が、被災地への義援金として寄付されます」。

 3月11日の震災直後、加藤木朗から和力事務所に提案があった。
「多くの方が犠牲になり、また避難生活を送っている。これらの方々に少しでも力になれるような事ができないだろうか。復興途上の被災地に行くのは無理であろうが、それ以外の地域で復興支援の会を催し、交通費などの経費はいただくが、収入の大半を義援金として贈れる会を取り組めないか」。
 わたしはこの提案に心動かされた。
ただ大震災前に企画・決定されていた催しが、いくつか中止あるいは延期になり、わたしの住む地域では大小にかかわらず、ホールが閉鎖になっていた。
計画停電が実施されていたから、人が集う企画は、朗が提案した時期には見通しが立たない状況であった。

 小牧市民会館の集いには、宮城県白石市在住の小野越郎さんが、自家用車で仙台に出て、バスに乗って東京へ、新幹線で名古屋へ到着、17時間かかったそうだ。「果たして小牧まで行き着けるかどうか」、不安であったと言う。
 小野さんは宮城県内陸部に住んでおり、津波の被害には遭わなかったが、食器はほぼ全滅、家具の倒壊、道路の破損があり、沿岸部に住む友人の消息がまだ分からないと舞台の合間に話したそうだ。
 会場は深い静寂につつまれ、震災被害者への思いを胸に刻み込んでいるようだったと、参加した人が便りをくださった。

 今回の公演は、きっと災害被害者との心の繋がりを強めたものであっただろうと推察するところである。
 
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こんなにも自分のことを気遣ってくれた人はいない(帯名久仁子21)

2011年04月08日 | Weblog
全ての公演を終えたこの日は、ツアーマネージャー山貫理恵さんの誕生日。

梶野さんの発案と粋な計らいで、
バースデーケーキとメッセージカードを用意し、
皆でお祝いしました。

そういえば一年前は、セルビアで私の○回目の誕生日を祝ってもらったなあ・・。

海外で迎える誕生日は感慨深く・・ イイものです。

実は今回のツアーは、諸事情によりツアーマネージャーの決定が遅れました。


和力ツアーの全行程に山貫さんが同行することが本決まりになったのは、
確か出国の半月前だったと思います。


山貫さんは舞台の現場(照明)出身ということで、
舞台監督の役割も兼任してくれました。

英語が堪能で、とてもタフ!! 彼女の存在はとてつもなく大きかったのです。


さて翌朝、いよいよ日本への帰途へつきます。

運転手のアルビンさんともお別れです。

アルビンさんはセルビア人。
通じる言語はセルビア語のみです。

「うわ~どうするんだぁ~」
・・言葉の壁がドカンと立ちはだかりました。

彼と私達との主なコミュニケーション手段は、簡単なセルビア語の単語と筆談、ジェスチャーでした。
最初硬かったアルビンさん。

しかしツアーが進むにつれてその表情はだんだんと柔らかくなり、
笑顔がやさしくなっていくのを感じていました・・。


お別れの朝、空港に向かうバスの中で、通訳を通してアルビンさんが私達にメッセージをくれました。

「今まで経験したツアーの中で、こんなにも自分のことを気遣ってくれ、
優しく接してくれた人達はいない。

とても良い時間を共に過ごせて本当に幸せでした」。


この言葉に・・涙。


本当に本当に嬉しいメッセージでした。

アルビンさん! また私達の運転手をしてくださいね。
絶対に絶対に、再会出来ると信じています。









空港にて、大使館の皆様との記念写真です。

本当にお世話になりました!! コソボを出国し、チューリッヒでトランジットの後、一路、成田を目指します。





そして最後になりましたが、一番お世話になった方。

昨年のバルカンツアーに引き続き、
日本と現地諸国との交渉を全てやってくださった今野真理子さん。


海外との交渉は本当に大変です。

その上4カ国巡回ともなると、その膨大な仕事量は想像を絶します。
時差もあり、意識の違いもある中、精神的にも体力的にも・・


今野さんは限界と戦ってくださったと思います。

その煩雑な作業を、一つ一つ・・ご自身のお仕事がおありなのにその合間をぬって全てお1人でやってくださったのです。


今回は一緒に現地へ行くことが叶いませんでしたが、
次回があったら、今度は一緒にツアーを楽しみたい! 

絶対にご一緒したいです。

本当にありがとうございました!


さて、何度も何度も中断した、この「バルカン諸国ツアー記」ですが、
やっと日本に帰ってくることが出来ました。

ツアー催行から随分時間が経ってしまいましたが、当時を思い出しながら、楽しみながら書くことが出来ました。

いや~今夜からグッスリ寝れます(ウソ・・いつもグッスリ寝てます・・笑)。

ツアー記は今日で終了しますが、

今後も随時「和力」の報告をしていきたいと思います。




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伝わっている……(帯名久仁子20)

2011年04月07日 | Weblog
さて、朝のテレビ出演はコソボのNHKです。

この日は、私の出演は無かったので、テレビの前で皆の登場を楽しみに待ちます。

女性キャスターから「言葉の違いはありますが、お互いの距離が縮まり、

国どおしの理解が深まるといいですね!」というコメント。





お約束、獅子舞が女性キャスターの頭を噛みます。





さて、お昼過ぎに会場入りです。

レッドホールは幕などが整えられ、昨日の下見の時とは別物のように綺麗になっています。
本当にビックリ!




楽器&道具の搬入です。現地の助っ人!とても助かります!!




招待席&プログラム




大使館のアルバーさん(中央)&皆様。只今真剣な打ち合わせ中です。

ハッピを着て盛上げて下さってます。





ハッピのバックショットはこんな感じ。わ~祭りだ~!!(笑)。

舞台では「忍者」のサウンドチェック中。




開場と共に沢山のお客様が来場されました!!

席はすぐに満席となり、溢れんばかりです。

会場に入りきれずお断りした方もあったようで、こんなことは初めてだそうです。






幕開けの「こまの芸」。この紐の上を駒がス~ッと渡ります。

紐を引っ張っている小さい女の子が可愛いですね。

ちなみに右の男性は、共同通信社のカメラマンさん。取材にお越しいただきました。






皆さん真剣な表情でご覧になってます。





終演・・ そしてスタンディングオベーション!










アンコール、そしてカーテンコール。

「和力」バルカンツアーのラストステージ、最高の瞬間です。 


 
お客様とパチリ!



さて、終演後に嬉しいことがありました。楽屋で片付けをしていたら、

山貫さんから「帯名さん、ご面会です」の声。

「えっ・・どなた?コソボに知り合いいたっけ(笑)? 」と思いつつ出て行くと、

若いカップルが、気持ちを伝えたいと待っていてくれたのでした。

その言葉に・・・涙。

伝わっている・・という実感を持てた瞬間でした。

日本を出国して約2週間。大きなトラブルもなく、
ツアーメンバー全員が笑顔でこの日を迎えられたことを幸せに思います。

お世話になった全ての皆様に・・ 心から感謝感謝いたします。

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コソボフィルの首席指揮者である、柳沢寿男さん (帯名久仁子⑲)

2011年04月06日 | Weblog
さて、いよいよ最終国コソボに入国です。

国境に予定より1時間早く到着したので、ボーダー手前のレストランで昼食をとりながら時間をつぶします。

さて、アルバニア同様コソボにも日本大使館はありません。

これからの二日間はオーストリア大使館の皆様にお世話になります。

大使館の新居さん・アルバーさん・石井さんが、国境までお迎えに来てくださいました。

国境を問題なく通過したあとは警察車両の先導で、
首都プリシュティナに向かいます。

下の写真は、警察車両が周りの車をどかしているところ。
これがかなり強引なんです。

写真中央奥、突然道路の真ん中にパトカーを止めて、
警官二人で交通整理?

日本では考えられない強引さです。





「そこまでやらなくてもいいのになあ・・」。

なんだか恐縮しちゃいます。

「それよりその車、ちょっと洗車したほうがよくないです?」・・と突っ込みを入れたくなります。





プリシュティナに到着。

ぐっと寒いです。

なんと窓の外には雪がチラついているではありませんか。

いっぺんに冬に逆戻りです。
ホテルの部屋は暖房効きすぎ! 暑いです。

外との気温差がすごい・・軽く10度以上はありそう・・。

こういう時に一番風邪をひきやすいので注意が必要です。




オーストリア大使館の田中書記官と対面。

ロビーにて顔合わせと簡単な打ち合わせの後、
ホテルから歩いて10分くらいのホールへ全員で下見へ出かけます。

左側のジグザク屋根の建物が、コンサート会場「ユースセンター・レッドホール」です。





入り口に特大のポスター発見





レッドホールは客席数450くらいでしょうか・・。

多目的ホールといった感じですが、客席は階段状のコの字型になっていて囲まれる感じ。
舞台が近くて一体感があります。色はレッドですね・・。

変形のホールなので、色々と面白いことが出来そうです。

舞台セッティングをどういう風にするか、みんなで色々とアイデアを出し合います。

コソボフィルの首席指揮者である、柳沢寿男さんが、
現地スタッフとの打ち合わせのサポートをしてくださり、本当に心強く思いました。

コソボフィルはいつもこの会場を使ってコンサートをされているそうです。





舞台脇では新聞社の取材です。

通訳の女性はコソボ在住の日本人、小野寺さんです。

コソボ独立から2年。偶然にも公演の3日前が独立記念日でした。

独立後初めての日本からの公演団ということで、メディアの注目度は高いようです。

明朝もテレビが一本入っています。





下見を無事終えて、夕食はイタリア風フレンチレストランへ。

珍しいコソボワインをいただきました。

「コソボのワイン?」・・全くイメージ出来なかったのですが、なんとこれが、非常に美味しかった。
疲れ吹っ飛び~~。

昔は日本にも入ってきていたそうですが、現在は流通していないとのこと。

「ん~こうなったら・・・・今飲むしかない! 」 

メンバー一同美味しく頂き、明日への英気を養いました。

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4月1日

2011年04月05日 | Weblog


「白衣を身に付けると気持ちがしゃんとする」。8ヶ月ぶりに妻が復職した。職場の更衣室で着替えるよりはと、家に持ち帰っていた白衣を着込んで車に乗り込んだ。
久しぶりに通る職場への道は、コブシが咲き、桜やケヤキ並木を見上げると、枝はほのかに色づき青空に溶けこんでいる。
春の兆しが漂う4月1日、職場へ送っていく。
「今週の末には桜が満開になりそうだね」。「でも今年の桜祭りは中止だと貼り紙があるよ」。目を凝らすと所々に「震災のため中止」との貼り紙がある。

 松戸市にはいくつもの桜名所がある。「〇〇桜まつり」が入学式の終わる、土・日に各所で開かれ桜吹雪が舞う中、提灯が道路を照らし屋台から立ち上る香りが食欲を誘い、みんなで春の宴を楽しんでいた。
今年は東関東大災害、引きつづく原発事故のために、お祭りはどこでも自粛されたようだ。



近所の児童公園で
 

 8ヶ月ぶりに出勤する妻を職場に送り家に戻ると、弟の雅義からメールが入った。彼は3月29日、池袋駅の階段を降りているとき携帯電話が鳴り、それに気を取られ階段を一歩踏み外し「左ひざ亀裂骨折」に見舞われた。
病院で手当を受け松葉杖を借り家に帰ったが、松葉杖では買い物も料理も出来ないことが分かった。連れ合いを10年前に亡くし、一緒に住んでいた義母は半年前に他界した。
彼の娘、桜子さんは遠く離れた練馬区に住んでいて、4月の地方選で練馬区議二期目に挑戦する。とても怪我人の面倒を見ている余裕はない。
それで松戸のわが家へ世話になってもよいかとの連絡である。

 わたしは妻を送った車を駆って大田区に向かい雅義を収容した。
「お袋が漬け込んでいた糠みその面倒をみたい」と、糠みそ桶を大事に車に積み込んだ。わたしたちの母親が所帯を持ち、漬けはじめたというから、70年を越す糠みその種を雅義が受けついでいたのだ。

 数年前、雅義は大腸がんの予後、しばらくわが家に寄宿して過ごした。このときには、両足も両腕も使えたから、食事の準備はすべて雅義がやってくれた。
料理好きな雅義が作るものに舌鼓をうっていたが、今回は、その当てが出来ない。
 わが家の料理番はわたしである。長年、取り組んでいるのだが、米を炊くのは目分量でいけるのだが、料理はいくら作り慣れたものでもレシピを見なければつくれない。

 一人は復職し一人は新たな療養生活に入った。4月1日は、世間一般、新年度の始まりだが、わが家でも世間並みの新年度を迎えることになった。



池上本門寺で




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ベリシャ首相の頭を噛む獅子のシーンがクローズアップされ…(帯名久仁子⑱)

2011年04月03日 | Weblog
アルバニア公演当日です。

私と高橋参事官&通訳のフィノさんはTV出演のため早朝から動きます。

朝の情報番組への出演で、着物を着ての箏の生演奏アリです。
出演を無事、和やかに終え、参事官は大使お出迎えの為、空港に直行。

時間が無いので大使との打ち合わせ&食事は車の中だそう。本当に忙しくされています。


アルバニアはインフラ整備が万全ではなく、
この二日間のうちでも、さっきまで通じていた携帯電話が突然通じなくなったり、
ホテルのコンピューターが一斉にダウンしたりしたらしく、
連絡ひとつ取り合うのも一苦労。

皆さんとても大変そうでした。

さて、今回のアルバニア公演は、とんでもなく公式なものでした。

ベリシャ首相、そしてアルバニア政府の全閣僚、そしてVIP200名の臨席を賜わるという、喜ばしい非常事態となりました。

しかし・・その影響で会場は厳戒態勢です。

会場周辺・ロビー・バックステージにまで大勢のSPが配置され、警備に目を光らせています。
楽屋にてMC打ち合わせ。

状況が状況だけにフィノさんは相当緊張気味。






開演時間までまだだいぶ時間があるというのに、

「全VIPが揃ったからもう始めろ!」と、
劇場サイドが半狂乱で喚きたてているとの情報が入ります。

そんなあ・・急に勝手だなあ・・。

大使館の皆様はそんな無茶な要求にも冷静に対応して下さってます。

とにかく携帯電話が片時も手放せません。




そんな中でも加藤木さん&小野さん・・普段どおりリラックスしてますね。





袖で待つ加藤木さん。舞台では関係者挨拶が始まりました。

加藤木さんの側にいる人達は・・SPの皆さん(笑)。
警備をしながらも日本からの珍しい公演団に興味津々です。





21:00開演。まずは 「こまの芸」大成功!!







会場から2名のお客様を舞台に上げます。
こちらも大成功!(舞台上手奥より)





綾打ち(舞台下手奥より)







コンサートは大成功!

特にベリシャ首相の頭を噛む獅子のシーンがクローズアップされ、メディアに沢山取り上げられました。
加藤木さんは全閣僚の頭を噛んだそうです。

最後は満場のスタンディングオベーションを受け、公演は華々しく幕を閉じました。

公演には、「NHKウイーン支社」と「読売ローマ支社」からも記者が取材に来ていて、日本のお昼のNHKニュースでも流れました。

アルバニアの国旗と日本国旗(レセプション会場にて)。





「朝のテレビ見ました~!!」と現地の女の子に声をかけられ、一緒にパチリ。
「見てくれてる人いたのねえ」嬉しかったです。




翌朝ホテル前にて。






さあ、いよいよ最終国コソボへ向けてバスは進みます!








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この程度の時間の「幅」には慣れっこになっています。(帯名久仁子⑰)

2011年04月02日 | Weblog
太陽がサンサンと照ってたと思ったら、晴れてるのに大粒の雨! 狐の嫁入りです。
アルバニアは一日に何回も天気が変わるのだそうです。

外出の際の傘は必需品なのでしょうかね・・。

さて、二手に分かれたもう一方のチーム。

朝から会場入りしている木村&小野&山貫&テクニカルチームはどんな状況でしょう? 

ホテルでのインタビューを終えた加藤木さんと私が会場の様子を見に行ったところ・・。
「ん?」
・・なんだか皆の空気がちょっとマッタリ。

聞くと、現地スタッフとの打ち合わせ&音響照明の仮仕込みをする予定だった時間に、
なぜか他団体のリハーサルが入っていて・・。

現地スタッフに、
「リハ終了後の15分だけ打ち合わせが出来るよ」
って? 言われたそうです。


よって、殆どのセッティングが明日の公演当日に持ち越しとなりました。
とりあえず荷物&楽器などはカギ付きの楽屋に搬入することができ、一安心です。

実は、アルバニア公演に関しての会場事前情報は、
私達サイドに殆ど入ってきておらず、
とにかく現場対応する姿勢でしたので、
この程度の変更は充分想定内です・・・(困るけどね)。


海外での公演の場合、国を隔てた様々な状況の中での情報収集はとても難しいのです。

ティラナ国立オペラ劇場の舞台です。

前面は赤の絨毯です。椅子も赤です。
そういえば国旗も赤地だったな・・。








さて、一行は会場を出て再びホテルへ戻り、本日最後のTV取材です。

「えっと・・取材は確か16:30からの予定だったよね?」

ロビーで待てど暮らせど・・・・・
誰も来ましぇ~~ん(笑)。
電話してみたら、「今向かってる」って。
「蕎麦屋か~~~っ!!」
・・とお約束で突っ込んでみて、それから待つこと1時間45分。
来たよ! 来ましたよお! お越しいただきましたよ~~!


ありがと~~~~~~~~~~~~~う!

日本を発ってから、この程度の時間の「幅」には慣れっこになっています。

皆でお茶を飲みながらおしゃべりしていて、普通に待てる自分が怖い(笑)。
日本じゃ考えられないですね~。

今日は盛りだくさんで本当にすごい一日でした。

色々な出来事がいっぺんにドカ~~ンと大波で押し寄せて来ました。

ツアマネ山貫さんも「落ち着いて、落ち着いて」と自問自答しています。

全ては明日の公演の成功の為に! 

ツアーも後半に入り、ここからが正念場です。

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とんでもなく公式なものであったことを、後で知ることに(帯名久仁子⑯)

2011年04月01日 | Weblog
アルバニアの首都ティラナの早朝。

たしか朝6時代のホテルの窓からのショットです。

ここは市の中心部のメイン広場なのですが、現在工事中ということで、あまり景観はよくありませんね。
朝の通勤の人たちがアリの行列のように・・早足で歩いてます。





さて朝食後ロビーにて、お世話になるイタリア大使館の高橋参事官と石井書記官、通訳のフィノさんと対面です。

アルバニアには日本大使館が無くイタリア大使館兼轄ということで、なんとローマから大使館の皆さんがお越しになって、
今回の公演のコーディネイトをしてくださいました。


ティラナの六本木ヒルズ的建物(高橋参事官談)





昼食をはさみ、午後からは二手に別れ、高橋参事官と加藤木さんは再びホテルロビーにて二局目のTVインタビュー。

テレビ取材を受ける高橋参事官。
スチールカメラマンは私(笑)。




加藤木さんと通訳のフィノさん。
二人の相性はとてもGOOD!

加藤木さんの表情も柔らかです。フィノさんはなんと九州大学に留学していて、福岡にずっと住んでいたとの事。
福岡は私にとって近しい場所なので、一挙に親近感が沸きました。

今は帰国して、アルバニアの大学教授。

日本語とアルバニア語の通訳が出来る人は、アルバニア国内に彼1人しかいないのだそう! 本当に貴重な存在なのです。






さて、今回のアルバニア公演は「アルバニアにおける日本文化週間」の一環としての招聘でしたが、
実はこの公演、ただの招聘ではなく、とんでもなく公式なものであったことを!
・・私達は後でだんだんと知ることになるのです・・(苦笑)。


現地での国内メディアの注目度は非常に高く、沢山の事前取材・テレビ出演がセッティングされていて、必死に飛び回りました。

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