桜の花吹雪の下で

2008年04月12日 | Weblog
 春の嵐が一晩中吹き荒れて、桜の花はぜんぶ散ってしまった。桜だけではない、コブシの白く大きな花弁が道路に落ち、気がつけば沈丁花も雪柳の花もいつとはなしにしぼんでいる。
待ちに待った春が足早に通り過ぎていく。

 ここ数年、日頃の忙しさにかまけて、お花見に行く機会を逸していたが、4月はじめ暖かい陽気に誘われて「千鳥ヶ淵」へ行ってきた。
 4月5日(土)、「花見にでかけようか」と、妻を誘って出かけた。神田神保町から俎(まないた)橋を渡って九段坂下に至る。坂下の交差点で信号待ちをして坂上を見上げると大勢の人が坂を登っていく。
 青信号になるのももどかしく上りにかかる。桜・さくら・サクラが一面に広がる。お濠の向こうにも今を盛りと咲き誇る。

 田安門を潜って武道館を左に見て、北の丸公園へ入る手前で濠端の方に登る。眼下のボートが水に浮かぶ花びらを切り裂きながら、ゆったりと進む。
 慌ただしく家を出たから弁当の用意はしていない。コンビニで買った握り飯を頬張りながら風に舞う花びらを見る。水面から吹き上げる風が石垣にぶつかり、下から桜の花を吹き上げるものだから、花は舞い上がる。舞い落ちてくる花びらが小径に敷かれる。


 千鳥ヶ淵


 わたしはのどかな春の午後、お握りを食べカップの焼酎を飲みながら思い出す。

 定時制高校に転校して、職を探すのにここには何回も行き来した。いまはどの辺にあったか思い出せないが、北の丸公園に沿って行くと、煉瓦造りの建物の中に「学徒援護会」があった。高校生・大学生の仕事を紹介していた。
 ここで紹介されてずいぶんいろいろな仕事をやった。覚えているのはパチンコ屋でのアルバイトである。新橋駅前のパチンコ屋で一日タマを弾くのだ。宛がわれた台は大当たり台に設定されている。だからタマが溜まる仕掛けになっていて、他のお客を呼び込む「サクラ」なのであった。
 ところがわたしは不器用で、ただ義務的に弾いているだけだから、タマは当たり穴になかなか入らない。タマが無くなりそうになると、裏からタマを補充してくれていた。なにか馬鹿らしく二日ほどで辞めた。
 夏場に氷屋へ行ったこともある。大きなリャカーに氷を載せて自転車で引っ張っていく。電気冷蔵庫はない時代だったから氷で冷やす木製の冷蔵庫をもつお得意をまわった。大きなノコギリでシャカシャカと氷を切るのは痛快だった。

 当時は17才くらいであったから、およそ50年も前のことになる。

 ゆっくりした時間が過ぎる中で、そんな高校時代のことを思い出したりした。あの学生たちの熱気でムンムンしていた、煉瓦造りの建物はどこにあったのだろうか。そしてあの頃にも季節になれば咲いていただろうに、桜の記憶は一切ないのも奇妙なものだなと、ふと思うのだ。

コメント
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