気仙沼駅前
3月16日から17日にかけて、「かとうぎ桜子事務所」が実施する「気仙沼復興支援ツアー」があった。
訪問目的は「震災復興の状況を視察、今後の支援につなげる」とあり、17名が参加、そして「和力」も同行させてもらった。
練馬区議(市民ふくしフォーラム主宰)かとうぎ桜子は、2011年3月11日の「東日本大震災」直後、すぐさま震災募金を呼びかけ、3月中に8万円余を「ゆめ寄金」へ委託した。
8月26日、27日には、ボランティアを募り9人で車を駆って、気仙沼へ出かけ民間病院の水に浸かった備品の水洗い、椅子のさび落としなどをやる。
…「そもそも気仙沼との出会いは、当時、毎週のように被災地ボランティアに行っていた練馬区大泉在住のTさんに声をかけいただいたのがきっかけでした」(桜子)。
この際の宿泊は、商店街復興に奔走するTさんのお世話で、津波避難場所だった自治会館に泊めていただく。
11月5日、6日には11人の人たちと、気仙沼・女川へ行き「草刈り」ボランティアを実施した。
このときの感想を「同じ地域の人と、継続的な交流を続けたいなと思います。私たちにできることは、たまに出かけてお話をしたり、そしてその地にあるものを味わう、購入するなどのことかなぁと改めて感じて帰ってきました。完成した復興商店街をみて、お祝いもしたいし……」と、かとうぎ桜子はブログに記している。
12月に「復興商店街」がオープンした報を受け、集めた復興支援金5万円余を「復興商店街」へ送る。
明けて2012年2月には10万円余、以後1か月に一回の割で「復興商店街」に集めた支援金を送りつづけている。
「復興商店街」では、その資金を主に広報活動で活用しているという。
8月には、運転手つきマイクロバスで20人が気仙沼を訪問した。
2013年1月、加藤木雅義・桜子親子が気仙沼を訪問。
3月に「復興商店街仮設ステージ」でイベントをやると聞いて、雅義・桜子が「和力」の出番をつくってくれた。
まさに「完成した復興商店街をみて、お祝いもしたいし…」(前出の桜子ブログ)が、今回3月16日に結実したのだ。
復興商店街
わたしはツアー参加者として、16日、早朝の仕事をおえて上野発8時2分の新幹線に乗りこんだ。
加藤木朗、内藤哲郎、加藤木磊也の和力メンバーは、午後1時出演に間に合うよう、前夜仙台で泊まった。
ツアー参加者は6号車、わたしは後日に乗車券を買ったから15号車でだいぶん離れている。
発車直後にツアー統括の桜子から「植竹しげ子さんと合流できました」とのメールがはいった。
植竹しげ子さんは、「東日本大震災」2年目の3月11日、練馬区・ゆめりあホールで「復興支援『チカラ公演』」をプロデュースした舞踊家である。
会場ロビーの募金箱に4万円余の寄金が集まり、植竹さんが集めていた寄金や、わたしの友人が「公演に行けないけど…」と振り込んでくれたのを併せると、23万円余の寄金が集まったのだ。
昨年9月、和力が気仙沼でチャリティコンサートをやり、その折に懇談した「気仙沼岩井崎明戸虎舞保存会」にお渡しすることが実行委員会で了承され、「チカラ公演」終了の時、目録が植竹さんから朗に手渡された。
「気仙沼復興商店街仮設ステージ」で和力の演目が終わったら、虎舞保存会にステージ上で渡せるとの了解がとれ、わたしは、ツァー出発の前々日、植竹さんに「気仙沼ツァーに参加しませんか」とお誘いした。
「スケジュールは入っているが、行けるよう調整してみる」との返事をもらったが、その確認をしないまま出発当日をむかえてしまったのだ。
上野駅に着いて、植竹さんの携帯電話に何回掛けても通じない。これは、都合がつかなくなったのかなと思っていたから、「植竹さんと合流できた」との報に一安心した。
虎舞保存会への贈呈は、自身で17万円余の寄金を集め、復興支援公演を成功させた植竹さんが最適だと思っていたのだ。
東北新幹線一関駅で下車、大船渡線に乗り換えて気仙沼駅に向かう列車は、1車両であった。
ゴトゴトと山あいをぬって進んでいく。山裾には所々に雪が残り、田や畑は冬枯れのまま野良に人影はない。
気仙沼駅に着いたのは12時7分、すぐさま「復興商店街」へ向かった。
ステージ上には太鼓が並べられ、和力出演の準備は整っていた。ステージのバックは小高い山で、大きな幕に「絆」の文字が浮き立っている。
後で聞くとステージを組んだこの広場は、押し寄せた津波がこの山に阻まれ、瓦礫(がれき)がたくさん残されたという。
和力の開演前、昨年9月に「気仙沼和力チャリティコンサート」を実現してくださった実行委員長Sさんが駈けつけてくださった。
右の女性がSさん
舞台は「コマの芸」、「鶏舞」、「秩父屋台はやし」、「だんじり囃子」、「獅子舞」、獅子が厄払いのため客席をまわる。高校生の娘さんたちがはしゃぎながら頭を噛んでもらい賑やかな風景となった。
全演目がおわり、壇上に虎舞保存会の方々が登り、植竹しげ子さんが保存会長さんに善意の詰まった封筒を渡す。
翌日は、タクシーを借りきって被災地をめぐった。
わたしがいちばん印象に残ったのは、家の土台だけが広くのこるあちこちに、手向けられている花束であった。
※かとうぎ桜子のブログは、http://www.sakurako-nerima.com/