「復興支援ツアー」…気仙沼へ

2013年03月22日 | Weblog

気仙沼駅前

 3月16日から17日にかけて、「かとうぎ桜子事務所」が実施する「気仙沼復興支援ツアー」があった。
訪問目的は「震災復興の状況を視察、今後の支援につなげる」とあり、17名が参加、そして「和力」も同行させてもらった。
 
 練馬区議(市民ふくしフォーラム主宰)かとうぎ桜子は、2011年3月11日の「東日本大震災」直後、すぐさま震災募金を呼びかけ、3月中に8万円余を「ゆめ寄金」へ委託した。
 8月26日、27日には、ボランティアを募り9人で車を駆って、気仙沼へ出かけ民間病院の水に浸かった備品の水洗い、椅子のさび落としなどをやる。
…「そもそも気仙沼との出会いは、当時、毎週のように被災地ボランティアに行っていた練馬区大泉在住のTさんに声をかけいただいたのがきっかけでした」(桜子)。
この際の宿泊は、商店街復興に奔走するTさんのお世話で、津波避難場所だった自治会館に泊めていただく。
 11月5日、6日には11人の人たちと、気仙沼・女川へ行き「草刈り」ボランティアを実施した。
このときの感想を「同じ地域の人と、継続的な交流を続けたいなと思います。私たちにできることは、たまに出かけてお話をしたり、そしてその地にあるものを味わう、購入するなどのことかなぁと改めて感じて帰ってきました。完成した復興商店街をみて、お祝いもしたいし……」と、かとうぎ桜子はブログに記している。
 12月に「復興商店街」がオープンした報を受け、集めた復興支援金5万円余を「復興商店街」へ送る。
 明けて2012年2月には10万円余、以後1か月に一回の割で「復興商店街」に集めた支援金を送りつづけている。
「復興商店街」では、その資金を主に広報活動で活用しているという。
 8月には、運転手つきマイクロバスで20人が気仙沼を訪問した。

 2013年1月、加藤木雅義・桜子親子が気仙沼を訪問。
3月に「復興商店街仮設ステージ」でイベントをやると聞いて、雅義・桜子が「和力」の出番をつくってくれた。
まさに「完成した復興商店街をみて、お祝いもしたいし…」(前出の桜子ブログ)が、今回3月16日に結実したのだ。


 復興商店街

 わたしはツアー参加者として、16日、早朝の仕事をおえて上野発8時2分の新幹線に乗りこんだ。
加藤木朗、内藤哲郎、加藤木磊也の和力メンバーは、午後1時出演に間に合うよう、前夜仙台で泊まった。
ツアー参加者は6号車、わたしは後日に乗車券を買ったから15号車でだいぶん離れている。
発車直後にツアー統括の桜子から「植竹しげ子さんと合流できました」とのメールがはいった。
植竹しげ子さんは、「東日本大震災」2年目の3月11日、練馬区・ゆめりあホールで「復興支援『チカラ公演』」をプロデュースした舞踊家である。
会場ロビーの募金箱に4万円余の寄金が集まり、植竹さんが集めていた寄金や、わたしの友人が「公演に行けないけど…」と振り込んでくれたのを併せると、23万円余の寄金が集まったのだ。
昨年9月、和力が気仙沼でチャリティコンサートをやり、その折に懇談した「気仙沼岩井崎明戸虎舞保存会」にお渡しすることが実行委員会で了承され、「チカラ公演」終了の時、目録が植竹さんから朗に手渡された。

「気仙沼復興商店街仮設ステージ」で和力の演目が終わったら、虎舞保存会にステージ上で渡せるとの了解がとれ、わたしは、ツァー出発の前々日、植竹さんに「気仙沼ツァーに参加しませんか」とお誘いした。
「スケジュールは入っているが、行けるよう調整してみる」との返事をもらったが、その確認をしないまま出発当日をむかえてしまったのだ。
上野駅に着いて、植竹さんの携帯電話に何回掛けても通じない。これは、都合がつかなくなったのかなと思っていたから、「植竹さんと合流できた」との報に一安心した。
虎舞保存会への贈呈は、自身で17万円余の寄金を集め、復興支援公演を成功させた植竹さんが最適だと思っていたのだ。



 東北新幹線一関駅で下車、大船渡線に乗り換えて気仙沼駅に向かう列車は、1車両であった。
ゴトゴトと山あいをぬって進んでいく。山裾には所々に雪が残り、田や畑は冬枯れのまま野良に人影はない。
気仙沼駅に着いたのは12時7分、すぐさま「復興商店街」へ向かった。



 ステージ上には太鼓が並べられ、和力出演の準備は整っていた。ステージのバックは小高い山で、大きな幕に「絆」の文字が浮き立っている。
後で聞くとステージを組んだこの広場は、押し寄せた津波がこの山に阻まれ、瓦礫(がれき)がたくさん残されたという。
 和力の開演前、昨年9月に「気仙沼和力チャリティコンサート」を実現してくださった実行委員長Sさんが駈けつけてくださった。


  右の女性がSさん


 舞台は「コマの芸」、「鶏舞」、「秩父屋台はやし」、「だんじり囃子」、「獅子舞」、獅子が厄払いのため客席をまわる。高校生の娘さんたちがはしゃぎながら頭を噛んでもらい賑やかな風景となった。
全演目がおわり、壇上に虎舞保存会の方々が登り、植竹しげ子さんが保存会長さんに善意の詰まった封筒を渡す。



 翌日は、タクシーを借りきって被災地をめぐった。
わたしがいちばん印象に残ったのは、家の土台だけが広くのこるあちこちに、手向けられている花束であった。



※かとうぎ桜子のブログは、http://www.sakurako-nerima.com/

 
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2年目の3月11日

2013年03月13日 | Weblog


 世の中には、「巡り合わせ」というものがあるのだろうか。

 わたしは2年前の3月11日、練馬区大泉学園町にいた。
翌12日、「かとうぎ桜子の集い」に、加藤木朗が出演する。その準備を「かとうぎ桜子事務所」でやっていたのだ。
仕事の目途がついて帰り支度を始めた午後3時過ぎ、「ドン」と突き上げるような振動があった。
「あっ地震だ。ずいぶん大きいなぁ」と思う間もなく、前より大きな突き上げがあり、グラグラと長く揺れる。冷蔵庫の上にあったものが落下し、表通りを走っていた車がこの振動に驚いてみんな止まっている。
 地震情報をみようとテレビを点けると、乗用車が水に押し流されて次々と道路から転落していく。このときは車の中に人が居ようとは思わなかった。後から考えると津波から避難する人たちが乗っていた車だったのだ。
海沿いに架かる高速道をトラックが走る。波が泡立つ海面、この高速道も津波でズタズタに寸断された。高速道だから退くことも、Uターンすることもできず、進むしかなかった多くのドライバーが犠牲になったと思われる。
※(2011年3月11日に出会ったことは、わたしのブログ「時々刻々」3月17日付の「地震と津波と原発災害」に記載 http://blog.goo.ne.jp/wariki1/d/20110317)



「東日本大震災」2年目の2013年3月11日、わたしは西武池袋線に乗り「大泉学園駅」をめざしていた。風は強いが快晴である。
「本日は東日本大震災から2年目になります。震災発生時刻になりましたら、震災時の訓練も兼ねて、電車は徐行運転になります。少々の遅れが出るかも知れませんがご了承ください」との車内放送があった。思いなしか電車内の人々の空気がスッと引き締まったように思えた。

「かとうぎ桜子事務所」にはその後も出入りしているから、大泉学園駅へ2年ぶりに降り立つのではないが、2年前の震災時のことを思い起こす。
ましてや駅前の「ゆめりあホール」で、「東日本大震災復興支援公演」をやるのだ。
「チカラ公演」と題して、「内地のチカラ(ヤマトンチュー)」加藤木朗、内藤哲郎、加藤木磊也の和力チームと、「沖縄のチカラ(ウチナンチュー)」大工哲弘、植竹しげ子さんたち沖縄チームのコラボである。
 そして「チカラ」には、「復興するチカラ」も込められている。
公演プログラムには「気仙沼岩井崎明戸虎舞保存会」からの挨拶がある。「郷土の民俗芸能虎舞は災いをねじ伏せるものとして伝承されてきました。今回の大震災では全会員が被災し、家族、親戚等が死亡または行方不明になっている方もいます。加えて自治会館に保管していた太鼓、ハッピ、廻しなどが多数流失し、流れずにすんだ大きな太鼓を修理し、なんとか演奏を再開していますが、未だ道半ばといった状況です」(要旨)。
「気仙沼・岩井崎明戸虎舞保存会」の方々は、昨年9月「和力チャリティコンサート」気仙沼会場にお出でくださった。
その際、加藤木朗と少しの時間だったが懇談しご縁がつながったのだ。虎舞保存会の話を聞いた「チカラ公演」をプロデュースする植竹しげ子さんが、今まで集めてきた寄金も加え「復興支援公演」の収益金の寄金先は、伝統芸能を共に歩んでいる「虎舞保存会」へと実行委員会に提案して早々と決めたのだ。

 10名ほどの実行委員会が動き出し、公演日一か月前には「満員札止め」になった。「満員札止め」のご案内を発送したが、その後も電話やファクスで連日のように申し込みがあり、心苦しくお断りしなければならなかった。



 定刻に開演。

  第一部~やまとのチカラ~
こまの芸、鳥舞、魂音、だんじり囃子

  第二部~うちなーのチカラ~
琉球舞踊、島唄、舞踊「糸満姉小」など

  第三部~チャンブルーステージ~(和力組と沖縄組の混合舞台)

 わたしは、チャンブルーステージで、朗が舞う福島県の「じゃんがら念仏踊り」に、大工哲弘さんが三線をつま弾きながら島唄で合いの手を入れるステージに魅了された。
日本の南と北の伝統芸能がなんの違和感もなく渾然一体となるのだ。

 演目がおわり植竹しげ子さんの挨拶の後、「復興支援公演」の収益金と、植竹しげ子さんが芸能活動の中で集めてきた多額の寄金の目録が加藤木朗に託された。
加藤木朗たちは、3月16日に開催される「気仙沼復興商店街仮設ステージ」にゲスト出演する。
この「気仙沼復興商店街」へは、震災直後から練馬区議のかとうぎ桜子が有志を募り、数回ボランティア支援に訪れ、支援募金も継続してやってきている。
今年に入って1月26日、27日の二日間、桜子と雅義(桜子・父、わたしの弟)は、「東京にいるわたしたちが、これから先もどのように関わっていけるだろうか」と気仙沼を訪れたのである。そして復興商店街のイベントが3月16日にあり、そこに「和力」を招いていただくことが実現したのだ。

「復興支援公演」の支援先が気仙沼の「虎舞保存会」、「市民ふくしフォーラム」を主宰するかとうぎ桜子の支援先が気仙沼の「復興商店街」である。
示し合わせたわけではないのに、同じ地域に関わり合うのは不思議な因縁である。
それで「世に巡り合わせというものがある」との感慨を得るのだ。



 終演後、見送りロビーで呼びかけたカンパ箱の中には、福沢諭吉さんが一枚、夏目漱石さんが30数枚、硬貨も含めて40,000円をこえる寄金が寄せられた。
植竹しげ子さんが芸能活動の中で集めてきた多額の寄金、そして「公演には行けないが、自分の気持ちを受け取って欲しい」とわたしの友人が振り込んでくれたものを含めて20数万円の寄金になる。

 3月16日、和力が気仙沼にお伺いする。できれば「気仙沼復興商店街仮設ステージ上」で、受け渡しが出来ればよいね…、と虎舞保存会長さんと話し合っている。
かとうぎ桜子が企画する「復興支援ツアー」15名も参加し、昨年9月に和力チャリティコンサートを実現してくれた「気仙沼熟女和力実行委員会」のみなさまにもお会いできる。

「巡り合わせ」の妙である。


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