我が郷は足日木の垂水のほとり

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巨大震災復興には、日本人すべての心をひとつにして

2011年03月26日 | 政治

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石破 茂 氏
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復興基本法案の策定に着手=自民 【時事】

 自民党は25日午前、東日本大震災の被災地復興に関する特命委員会(委員長・石破茂政調会長)の初会合を党本部で開き、復興の中長期的な指針を定める基本法案策定に着手した。石破氏は「未曽有の震災をどのように乗り越えるか。この法律で日本の在り方を示していきたい」と述べた。
 同党はまた、被災者や損害を受けた企業に対する税制の支援措置などを盛り込んだ緊急対策を月内にもまとめ、政府に実現を求めていく方針だ。(2011/03/25-12:01)

 

 大震災の復興は日本人のすべてが協力して進めなければならない。

 菅首相は久しぶりに表に出てきた。しかしこの人に多くは期待できない。後片付けや被災者住宅の建設は現場が心をひとつにして進めている。ところが政治がやらねばならない事がある。

 膨大な金額を用意できるのは、政府だけなのだ。

 

  菅直人首相は23日、東日本大震災の復興に向けた基本計画を策定するよう関係省庁に指示した。関係各庁が机に向かって鉛筆舐め舐めつくる計画なんぞは、ホントに机上の空論にすぎない。こう言うときにこそ、政党人は現場にゆかねばならない。何が緊急に必要なのかは、被災者や作業にあたっている自衛隊や地方自治体、それとかボランティアの人たちに直に聞かねばわからない。

 

遺体が運び出せないのです 

  「遺体が運び出せないのです。自衛隊の任務は、遺体を運ぶことではなく、生存者を発見救出して避難させること。遺体を発見すると旗を立てて警察に連絡します。しかし、警察は『立ち入り禁止』を理由に入らない。多くの遺体が冷たい雨のなか、雨ざらしになっている。そこで、家族が被爆の危険を冒して20キロ圏内に入り、警察に電話して初めて遺体を引き取りにきてもらったこともあった」http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110324/dms1103241643022-n1.htmの記事より抜粋

 

 美味しい食事には毎晩でも自分の足で出かけるのに、大震災の復興計画は官僚に丸投げする。これが口先だけのサヨク菅直人の駄目なところだ。

 

 森雅子議員は、11日以降毎日のように現地に入っている。そこでは警察さえも、「立ち入り禁止区域」を理由に現場にゆかないのだという。県警でさえこの有様なのに、官僚風情にはまともな対策立案などできるわけがない。わが郷がこれまで見てきた意見から言うと、官僚が現地に飛ぶのは『接待を受けるときだけ』なのだ。

 


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 仙台に「復興院」設置を=みんな 【時事】

 みんなの党は25日、東日本大震災の被災者支援策を盛り込んだ「大復興アジェンダ」を発表した。与野党党首や地方自治体代表らをメンバーとする「東日本復興院」を仙台市に置き、担当閣僚を任命。復興院はある段階で解散し、将来の「東北州」に権限を移譲するとした。内外に復興をアピールするため、福島県内で国会を開くことも提案した。(2011/03/25-17:28)

 そもそも「アジェンダ」などというまがまがしいカタカナ語は、株式金融詐欺師の堀江など、『情報産業屋(実態は金融詐欺師)』が使う特殊用語だ。『東北州』などというのも日本分断工作の一環だ。この分割して奪い取る計画の第一番目の地域は、沖縄や奄美などの西南諸島である。渡辺喜美氏は消費者金融いわゆるマチ金の連合体から政治資金を受け取っている。パチンコの儲けは脱税がおおっぴらだったので、カネがドンドン溜まる。それでパチンコ依存症に遊興費を貸し付けて、がんじがらめにする。このようなマチ金のほとんどは在日韓国、在日朝鮮人がほとんどだ。何のことはない、前原前外相を責められたガラではない。

 この国難にあたって、野党や地方自治体だけあつめて、なにをやろうというのだ。

 今は党派対立をしているときではない。手すきの議員政治家は作業ジャンパーをドロと汗にまみれて、現地で生の声を聞くべきだ。

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 過去記事などの ご紹介 

オスマントルコの滅亡

 

 
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 裸のお姫様方の群像絵画。是、ロシアから見たクリミア半島と
見立ててください。田舎のすけべオヤジにしてみれば
『生つばゴックン』だったんですネ。フランスも、しかし英国はもっと狡猾でした。

『トルコ風呂』

 マルクスが44歳のころ、大英図書館でもくもくと 『資本論』 を書いていた。そして 80歳をこえたアングルは 『トルコ風呂』 に通い詰めて、おっと違った、上の絵を描いていた。この猥雑ともいえば 云えてしまう絵が出来上がったのが1862年のこと。

セルビアと云えば、学校教育では有名なお話。セルビア人の青年により、オーストリア= ハンガリー帝國の皇太子が殺害された。これがサラエボ事件。1914年6月のことでした。

それより約半世紀前の 1854年から1856年 に起きた戦争がクリミア戦争。アングルが『トルコ風呂』を描く前です。1855年のバリ万国博覧会では、すでに巨匠になっていた彼の大回顧展がひらかれている。

                 
                                  セヴァストーポリ防衛戦

  
英国やフランスはトルコを助けるとの名目でこの戦争に介入してきた。満州に進んだ日本帝國から支那を助けるとの名目で、太平洋戦争をしかけてきた米英と似たようなもの。けっかはもう一つの第一次大戦を経てオスマントルコは解体された。大日本帝国も、明治時代のロシアとの戦いでは米英から支援を受けたが、後の大東亜戦争を経て帝国の版図は分割された。政体は改変させられ、帝政はかろうじてシンボルとして温存された。トルコではメフメト6世が追放され、世俗政治つまり欧州謂うところの「共和制」となった。つまり経済は実質イギリスなどの金融の菌糸に侵されるようになった。

わが日本国に於いても新自由主義者言うところの 『地方分権』 とは、このような脈絡で捉えるべし。

 

 

  

 

クリミア戦争は、マグロの解体ショーならぬ、

トルコ帝國の分割戦争の端緒 だったのです


  

 

下図は日本分割統治計画の地図です。

      < 道州制の裏の意図は、分割統治【我が郷の過去記事】 >

      

 

 

 

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