琉球王国のグスク及び関連遺産郡、
世界遺産登録10周年記念リレー講座!
4回目の今日は上里隆史さんによる
阿麻和利について!
…会場に向かう、その前に勝連グスクに寄りました。
天気も良かったので、もともと寄るつもりだったのです。
そしたら、まぁ!
地震によって一部崩壊した城壁が
すっかり元通り!!
(前回、草が刈られて赤茶けてた斜面も緑のじゅうたんに)
修復作業開始から約1ヶ月?
思ったよりも早い!!
(前回のレポートはこっち)
しかも、色を塗ったのか、
もともとの石を表面に使っているのか、
見た目も全然変わらないことに驚きました!
もう少し近くで見てみましょうか。
空へと続く階段を登って、
振り返る。
まるで何事もなかったかのようです。
すばらしい
肝高の阿麻和利グスク公演もばっちりですね!!
さて、では今日の勝連グスクの写真と共に、
今日のリレー講座について。
「琉球戦国列伝~阿麻和利の章・天下を獲れた男~」
講座は古琉球の時代についてのおさらいもありつつ、
(ハチマチや正装について新画像資料に目からウロコ)
「阿麻和利がスゴイ」と言われる根拠について
詳しく学ぶことができました。
有名な「おもろさうし」はもちろん、
勝連グスクの作りや、出土品などを、
周りのグスクや按司たちと比べると
やっぱり王都首里や、前王都浦添に匹敵するものがゴロゴロあって。
なるほど、なるほど
歴史家さんってこうやって歴史をよんでいくんだな~
って面白かったです。
特に目からウロコだったのが、
おもろさうしの性格について。
琉球の古謡集「おもろさうし」には
阿麻和利や勝連を讃える唄がたくさんあって、
よって阿麻和利英雄説が言われているわけですが、
おもろさうしの唱は、いわゆる神唱であって、
主観的に願望や予祝などを唱っている、と。
だから、実際に起きたできごとや状況を謡っている
というのとは少し違う、と。
な~るほど~!
昨日の記事「歴史上の人物の二面性、英雄像と反英雄像」で書いた『護佐丸伝』に、
おもろさうしだけでは阿麻和利像ははかれない
って阿麻和利英雄説に疑問を呈していたのはこういうことか!
で、おもろさうしもそうだけど、
瓦とか金工芸とか鉄とか、
勝連と首里との共通点というか、繋がりも見え隠れして
やっぱり「むむむっ?」って考えさせられました~。
百十踏揚との婚姻はどんな意味があったのか、
どんな影響を及ぼしたのか、興味深いところです…。
今日の講座は阿麻和利個人や勝連についてで、
「護佐丸・阿麻和利の乱」についてではなかったので
この乱の真相についてはやはり謎のままです。
それから、このブログでも上里さんから予告コメントいただいてましたが
三つ巴の新情報も聞けました!
でも、その結果、
ってなりました。
ますます謎が深まった感じ…。
古琉球時代の山田按司の木棺にあったってことは
瓦に見る三つ巴(水紋を意味するか?)とは
まったく違った性格ってことになる?
(それか、三つ巴そのものに魔よけとかそういう類の意味をおいていたとか?)
今帰仁の百按司墓の三つ巴と
同じ性格なのか、違うのか…。
(三つ巴は按司の称号紋だった!っていう仮説はいかが?…そしたらもっとたくさん出てくるはずか…)
とりあえず、
左三つ巴を尚家の家紋として確立させる前に
既にどこかしらで使われていたのは確かですね。
三つ巴の謎については
ぼちぼちいくしかないですね…。
講座後、色々聞こうと思ってたけど、
なんかまとまらなくてあまり質問できませんでした
2週間後の「護佐丸・阿麻和利ツアー」までに
しっかり「護佐丸伝」読んで勉強しておこうっと。
そうそう。
今日の講座には肝高の阿麻和利メンバーも多く参加してました!
あまわり浪漫の会BLOGで予告もあったんで
もしかして?って思ってたら、さすがです。
しっかり学んでしっかり舞台に生かしてくれるでしょう
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琉球史跡関連記事は同ブログ、『テンペストを読ム』『百十踏揚を読ム』『薩摩侵攻史跡巡り』カテゴリにも多数ございます。
おそるべし! 現代技術!(?)
いや、復旧作業に関わった技術者、職人の力量!(?)
すごいなー~~ びっくりですね!
これで、グスク公演の準備は整ったということかな。
予想より早いのと、完全復元に!
ちょっとテンション上がりました(笑)
地震があって一部崩れたとか、誰もわからないでしょうね。
とにかく、良かったです♪