「護佐丸・阿麻和利ツアー」
写真でご紹介その2。
中城城跡。
油絵を描いているおじさま方(サークル?)がいました。
イーゼルにキャンバス。
いいねぇ~。
外で油絵なんて…
高校以来やってないわ…
(水彩での写生はあるけど)
この日、日差しは痛いほどでしたが、
風は涼しく湿気も少なく、
日差しさえさえぎればとても気持ちが良かったです。
やっぱり、秋になりつつあるんですねぇ…。
↑は護佐丸が増築したであろうといわれている三の郭。
その奥にまで広がる平野と斜面。
偉大な中城グスク。
一の郭の正殿跡発掘現場。
中城グスクは護佐丸亡き後も、
戦後までずーーーーっと様々な形で使われ続けていたので、
ちゃんと発掘作業が行われるのは今回は初めてなんだそうです。
上里さんのガイドはこういった発掘作業の裏話や最新情報が聞けるので面白いです
(今まで聞いた中で1番の衝撃発掘裏話は首里城淑順門近くの○○○発見でした(笑))
基壇もあり、
立派な中城正殿が予想されます。
ちなみに前回訪れたときはこんなんでした(今年7月くらいだったかな?)
正門。
一の郭から南の郭、正門にかけて特に目だつ、
中城城壁の石の白い斑点、
なんだこりゃ?と思ってましたが…
なんと「カビの一種」だそうです
鍛冶場跡。
鍛冶場跡から続く崖の地形。
このどこかに護佐丸が自害したであろう
場所があるかもしれない、とのこと。
南の郭にある謎の穴(銃眼のような…)を
外側から見たの図。
鍛冶場跡のすぐ上。
さて。
護佐丸・阿麻和利について学ぶ今回のツアー。
謎に包まれた
「護佐丸・阿麻和利の乱」
謀反人・忠臣の顔を持つ護佐丸と、
逆賊・英雄の顔を持つ阿麻和利、
その謎については……
やっぱり謎が真実。
なようです。
両者とも偉大な人物であったことは間違いありませんが、
何を考え、何をなそうとし、背後で何があり、何が行われたのか、
これはもう各自妄想の世界で楽しんでいただく、
ということで(笑)
まあ、
だから面白いってことですね。
でも今回の資料の人物相関図では
「ヤマト禅僧」や「久米村」の関係も入ってて
この両者が護佐丸・阿麻和利の乱に関わっていても不思議ではない、
ってことで新たな怪しい人物が登場しました(笑)
まだまだ楽しめる、
古琉球の時代です。
じゃ、興味のある人はやっぱり小説「百十踏揚」をご一読いただく、ということで。
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