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がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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志喜屋グスク~グスクの本質とは~

2009年09月26日 | ・琉球史散策/グスク時代

≪グスク≫とは

グスク(グシク)は漢字をあてると「城」
しかし石積みの城塞というようないわゆる軍地拠点としての建物だけでなく、
様々な形態がのグスクがあり、
小高い亜丘にある拝所や森の茂みにある風葬地帯にもグスクと呼ばれているなど
その起源や本質については様々な説がある。

1)「聖域説」
琉球の信仰の聖地として、御嶽(うたき)があるが、グスクはもともと御嶽であったと考える説。

2)「集落説」
もともと集落として発生し、周辺を石垣で囲ったものとする説。
 
 
3)「城館説」
 
地域の有力者の居城として構築されたとする説。

 

  

というわけで、グスクというとこれまで当ブログでも紹介してきた
勝連城跡座喜味城跡今帰仁城跡などの城壁を持った

いわゆる“城”

だけ、というわけではないことがお分かりいただけたでしょうか。

ではいわゆる城壁をもった城、ではないグスク、
はどのようなものなのか。

古琉球時代、グスク発祥の鍵となると言われている
志喜屋グスクをご紹介します。

知念村指定遺跡/志喜屋グスク

志喜屋のの北方の岩山にあり、山石積みの古い時代のグスクで
中には共同墓地があり、今まで雑木の中に埋まっていたグスクで、
グスク発生の問題を解明する重要な文化財である。
昭和56年に県教育委員会によって測量調査が行われた。

(案内立て看板より)

とにかく、その一帯大きな岩と、鬱蒼とした木、木、木。

岩や大地を侵食するかのごとくどこまでも伸びて行く
ガジュマルの根、気根。

その様が、この場所が埋もれていたグスクであることを物語っています。

裏から草をかき分け森に踏み入れると、ぽっかりと広い空間が出現。

あたり一面を岩に囲まれて、頭上から根を下ろすガジュマルの群生。

なんとも神秘的で、不思議な空間。
(テンションがあがってたくさん写真撮ったんですが、ブレまくり…落ち着け自分…
なので上4枚の、ちょっとぶれちゃった写真は画像加工でごまかしてます(笑))

しかし、グスク発生説の1つにもあるように、
かつての共同墓地もあったという志喜屋グスク。

この志喜屋グスクに限らず、グスクが御嶽もつ霊所というのはもちろん勉強済み。
(だからすごい霊感ある人とか、○○○は無理とか怖いとか、ちょこちょこ聞きます…)

それは首里城も同じ

それが観光化されているか、ここ志喜屋グスクみたいに
人知れずひっそりとしているか、ただそれだけの違い。

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