●方法俳句0118・対比02・高橋鏡太郎・2013-02-28
○「沖暗く渚かがやき春驟雨」(高橋鏡太郎01)
季語(春驟雨)
「方法俳句」の「対比」第2弾です。海の景の沖と渚の対比です。沖は暗くどんよりとくもっています。それに対して渚は明るく輝いています。どこかの白浜でしょうか。おりから激しく春の雨となりました。
○高橋鏡太郎(たかはしきょうたろう)(1913~1962)
代表句「抒情涸れしかと春水に翳うつす」02
季語(春水)
大阪市出身。俳句は「魏珀」に拠る。1944年「多麻」創刊編集。45年大町糺氏らの「風花」同人。46年「春燈」創刊と共に編集に携る。48年志摩芳太郎、→安住敦、→石川桂郎、→加倉井秋をらと「諷詠派」を結成編集に当る。リルケを愛し、詩人としても作品を発表。生涯の労作として「リルケ評伝」がある。を愛し、詩人としても作品を発表。生涯の労作として「リルケ評伝」がある。
●色彩俳句0118・黒010・林田紀音夫・2013-02-27
○「身辺の夜より黒く傘ひらく」(→林田紀音夫06)
季語(無季)
色彩の黒は10句目、林田紀音夫は6句目、紀音夫の作品は6句ともに無季俳句です。黒く開いた傘は身にまとわりついた夜の闇のほんの一部なのです。
●五体俳句0118・身体07・佐野まもる・2013-02-26
○「熟睡中身より倒るる遍路杖」(佐野まもる01)
季語(遍路・春)
これは夢なのでしょうか、現実なのでしょうか。遍路の疲れで、深い眠りに落ちているなかで、杖が身体から離れて倒れました。まだ遍路は続きます。その杖は離してはいきません。
○佐野まもる(さのまもる)(1901~1984)
代表句「蟹がすぐ運ぶ遍路のこぼれ飯」02
季語(遍路・春)
徳島市出身。徳島中学卒。官吏生活に入り日本専売公社高知支局長を勤めた。1931年、「馬酔木」独立とともに→水原秋櫻子に従い第1期同人となる。1956年「海郷」を主宰。遍路の句を多く作った。花鳥諷詠を否定し、俳句は現代詩だと主観を重視した。
●五感俳句0118・冷感010・榎本桃源・2013-02-25
○「梅の山冷ゆれば歩むいたずらに」(榎本桃源01)
季語(梅・春)
五感俳句の冷感、春の冷えです。3寒4温といいますが、寒かったり温かかったりで、温かい日が徐々に増えていきます。冷える梅見の山では、ただただひたすらに歩きます。
○榎本桃源(えのもととうげん)(1905~1976)
代表句「飴玉の缶美しき種を採る」02
季語(種・春)
稲城村坂浜出身。多摩地区の小学校中学校の教員・校長を歴任し、稲城市教育長、稲城俳句連盟会長等を勤める。
●次元俳句0118・月=如月(時間)01・小澤碧童・2013-02-24
○「きさらぎや子供がむいてうで玉子」(小澤碧童01)
季語(きさらぎ・春)
「如月」という旧暦二月の名称を使った句です。新暦では2月の下旬から3月の下旬にかけてがその時期にあたります。子どもがむいたゆで玉子。うまくむけずにところどころに殻を残していますが、春の陽光に鈍く輝いています。
○小澤碧童(おざわへきどう)(1881~1941)
代表句「行秋やさゞなみのたつ潦」02
季語(行秋・秋)
東京日本橋生まれ。祖父の養子となり、「家伝西徳めぐすり」の製造を業とした。18歳、→正岡子規門下の松下紫人に俳句を学び、20歳で→河東碧梧桐門となる。碧梧桐外遊中は新聞『日本』俳欄の代選もした。『海紅』『三昧』の作家であったが、→芥川龍之介と親交して定型俳句にもどった。てん刻と書道にも巧みであった。