自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

13.口蹄疫と原発、そして戦争の類似点

2015-04-08 21:25:42 | 牛豚と鬼

三谷 口蹄疫は専門家の閉鎖集団だけで対応していた点が大きな問題だと指摘されましたが、これは原発への対応にも見られますね。口蹄疫は殺処分が被害を大きくしているのに殺処分を前提にしか考えていませんし、原発も「安全に絶対はない」のに安全を前提にしか考えて来なかった。いずれも戦争と同じように、「安全(抑止力)」と「代替案なき現実的選択」を口実に準備され、支配権を握る一部の閉鎖集団とその「ウチの者(日本のムラ社会)」によって「不都合な真実」は「見ざる、言わざる、聞かざる」を美徳として隠蔽され、過ちを認めようとしない点においても類似点があります。

 また、口蹄疫や鳥インフルエンザに有効なワクチンが開発されているにもかかわらず、ワクチン接種を否定して発生農場を全殺処分することや、感染力のある家畜を識別する方法が開発されているにもかかわらず、全国の家畜を守るためという口実で健康な家畜を含めて全殺処分が優先されるのでは健全な畜産経営は成立しません。これは人の手では修復不可能な原発事故の惨事にもかかわらず原発を維持しようとする電力会社の経営が健全でないことと同じです。ウチの者は義理人情でつなぎ、ヨソ者を敵視する論理なき「日本のムラ社会」が、お国のためという名目のもとに軍・政治・経済等の支配層の都合により、他国も自国も徹底的な破壊と殺戮をもたらした戦争を忘れてはいけません。
 口蹄疫ウイルスは徹底的な殺処分によっては根絶できません。人や家畜の命や健康を大切にするよりも理不尽な経済や政治の国際関係を想定かつ重視して、国の支配者が真実を隠蔽して国民を巻き込むのは戦争の一種であり、日本の口蹄疫対策や原発問題は国際関係においてどういう立ち位置にあるのか考えておくことも必要でしょう。

1) 不都合な真実の隠蔽と日本のムラ社会

三谷 NHK(2012年4月29日)の「世界から見た福島原発事故」書き起こし版)で、ドイツやスイスの福島原発事故への対応が放映されていました。
 ドイツは福島の原発事故から倫理に反する恥ずべき行為として脱原発に国の方針を転換し、スイスはチェルノブイリ原発事故以来、安全性を追求するために世界の最先端のシステムを導入することを法律で義務付け実践してきましたが、それでもなお今回の福島原発事故を経験して2034年までに段階的に原発を廃止することを決定しています。また、元スイス原子力会議・副議長の「地震国の日本では地震や津波は想定されていたはずです。それなのに予測できた自然災害に耐えられなかったことに驚きました。憤りすらおぼえます。」という発言は、「日本のムラ社会」の常識が世界にとっていかに非常識なものであるかを示しています。

 一方、EUの口蹄疫対策は、英国の大量殺処分を契機に、「生かすためのワクチン接種」を前提にした防疫指針に見直されました。日本の家畜伝染病予防法には、口蹄疫等の特定伝染病の防疫指針は「最新の科学的知見と国際的動向」に拠り見直すと規定されていますが、これは無視され続けています。このような口蹄疫対策の問題は日本の社会では注目を集めることがありませんが、世界はどう見ているのでしょうか?

山内 宮崎でワクチン接種家畜を殺処分する対策が明らかになった際、何人もの国際的口蹄疫対策専門家が参加しているNPO法人の欧州家畜協会は、農水省に対して生かすためのワクチンの原則にのっとってワクチン接種家畜についてNSP抗体検査を行うべきといった内容の緊急声明を送りました。しかし、この声明は国民に知らされることはなく、おそらく握りつぶされたものと思います。国際的に活躍している専門家の意見は聞かなかったわけです。
 私はニューヨークタイムズなどを読んでいますが、福島第一原発が危機的状況になった時、事態の深刻さを科学的な側面から詳しく解説していました。一方で日本のマスコミは、戦争中の大本営発表を思い出させるように、国民を安心させる内容を報道していました。海外のマスコミ報道との間には大きな隔たりがありました。

三谷 2010年宮崎口蹄疫発生当時からOIEの日本の首席獣医官(CVO: Chief Veterinary Officer)であり、欧州家畜協会から届けられた「生かすための緊急ワクチンを!」の緊急声明を無視した川島農林水産省動物衛生課長は、2012年5月に行われた第80回OIE総会において理事に選任されました。理事会はOIE総会が開催されていない期間に総会に代わって業務を遂行する機関ですが、川島理事OIEで「生かすための緊急ワクチン」を拒否し続けるのでしょうか。

 OIEは最新の科学的知見により家畜の命と健康を守る世界動物保健機関だと思っていましたが、農林省の消費安全局の課長が日本を代表してOIEの理事となる。しかもこの動物衛生課長は鳥インフルエンザや口蹄疫のワクチン接種を否定し、全殺処分を防疫対策の基本としている。これでは飼料の輸入から畜産物の販売までの畜産システムが税金で維持されるとしても、生産部門が独立して成立するはずはありません。
 日本の家畜伝染病対策は非科学的であり、鳥インフルエンザ対策を見直さないと日本の鶏や卵がなくなると、医師の立場から日本鶏卵生産者協会とともに日本の防疫対策の見直しを主張されている国会議員もいらっしゃいます。

議員が語る党政策「鳥インフルエンザ対策(森田高)」
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 家畜伝染病対策は純粋な科学の問題であり、経済や政治が絡む問題ではありません。しかし、鳥インフルエンザや口蹄疫の被害が大きかったことから研究費の増加や大学のスタッフの増員がなされましたが、最新の科学的知見は無視されたままです。閉鎖的な専門家集団は日本の家畜を守ることよりも、自分たちの利益を守ることに熱心なのでしょうか。学者・研究者・行政官として科学的知見を大切にする使命よりも、その立場を利用して税金を食い物にするシロアリ集団となっているように見受けられます。このような閉鎖集団が推進する日本の非科学的な鳥インフルエンザ対策や口蹄疫対策を認めると、日本から鶏だけでなく牛や豚、ヤギやヒツジもいなくなってしまうでしょう。

 なお、口蹄疫とマスコミ報道との関係で指摘しておきたいことがあります。民主党政権成立後、食料・農業・農村政策審議会委員は一新されていますが、新しい委員で開催された第11回家畜衛生部会(平成23年5月25日)の配布資料議事録によれば、NHK解説委員は継続して委員に任命され、この委員を含む5名が家畜衛生部会の委員も兼任しています。

 審議会の委員は「幅広い知見を生かして活発な議論」をするのが使命だと思いますが、NHK解説委員は英国を含む口蹄疫対策の国際的動向等の発言は一切していません。何のための委員でしょうか?家畜衛生部会は報道関係者を退室させて非公開で開催されていますが、NHK解説委員は委員として出席し、他の報道関係者は退出させることを報道関係者は不自然と感じないのでしょうか?口蹄疫対策と同様に原発事故についても、NHKを含むマスコミは戦争中の大本営発表と同じように、当初は国からの一方的な「安全報道」を繰り返し、真実を隠蔽することに結果的に協力したのではないでしょうか。

山内 報道のあり方も問題ですが、口蹄疫対策についてもリスク評価はリスク管理を受け持つ農水省と密接な関係を持った専門家が中心となった専門委員会で行われ、しかもその議論はすべて非公開のままです。内輪の集団での密室の議論で対策が決められているのです。原発では原発推進の立場の経済産業省の下に原子力安全・保安院があり、内閣府原子力安全委員会は原発推進の専門家が中心という、いわゆる原子力村になっており、この点も良く似ていると思います。

三谷 原子力村のような「日本のムラ社会」の問題を克服し「真実が勝つ」ためには、日本には長く厳しい個人の確立の歴史が必要なのでしょう。その一歩としての「みやざき・市民オンブズマン」のような市民の活動は先に紹介しましたが、さらに国の審議会等の委員を公募にする英国の公職任命コミッショナ制度の導入も検討する必要があるでしょう。また、社会的論争のある科学技術について専門家による合意形成会議としてアメリカで発足し、デンマークで専門的な知識を持たない一般市民が会議の主導権を握るようになったコンセンサス会議を口蹄疫問題でも開催できたらと思います。

2)人や動物の命と健康を軽視するグローバル化社会

三谷 口蹄疫と原発の問題は「日本のムラ社会」の問題だけでなく、本来は動物の命と健康を守るOIE(国際獣疫事務局、最近は世界動物保健機関と呼称する)や人の命と健康を守るWHO(世界保健機関)が、それぞれWTO(国際貿易機関)や IAEA(国際原子力機関)と協定を結ぶことで、その影響下に置かれていることも大きな問題です。

 NHK(ETV特集:2012年9月23日)で放映されたチェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告「第2回ウクライナは訴える」は、これまで国際機関が放射線の影響を認めてこなかった心臓疾患や自己免疫疾患など、さまざまな病気が多発しているという「ウクライナ政府調査報告書」を紹介しています。また、このような低線量被曝の実態をIAEAが否定している様子は、ドキュメンタリー映画「真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染を巡って」で知ることもできます。

 人の健康を守るWHO の放射能汚染に関する仕事を原子力の平和利用を推進するIAEAが担うこと自体が、原子力のリスク管理を行うIAEAがリスク評価を行うWHO の仕事を奪っていることを示しています。これは日本の原子力の平和利用を推進する経産省に原子力安全・保安院がおかれていた問題と類似しています。
 元WHOの専門委員でWHO(世界保健機関)の独立性を確保するために、インディペンデントWHOという活動をしているフェルネスク医学博士はOurPlanetTVのインタビューでWHOの設立の目的について次のように説明しています。
 「WHO(世界保健機関)は1946年に設立されました。憲章は素晴らしく、戦後の希望の産物です。WHOは世界中の人々の健康を担っています。憲章には人々の意識を育てることも謳われました。一般の人々に情報を与え、病気から自身を守れるようにするためです。」

 OIE(世界動物保健機関)は1924年に28カ国の署名を得て発足した世界の動物衛生の向上を目的とした国際機関です。設立の目的はWHOと同じであったと思われますが、人の健康ではなく家畜の健康を守るための国際連携を目的としたためか、農家・生産者の意識を育てることよりも、国や獣医師の意識を高めるという視点が強かったのかも知れません。しかし、本来は人々の意識を育てることにおいてはOIEもWHOも同じはずです。

 また、フェルネスク博士は続いてWHOとIAEAの関係について次のように説明しています。
 「しかし、その(WHOの)素晴らしい憲章は守られませんでした。WHOは、1956年、原子力産業の発展を受けて、優秀な遺伝子学者を世界中から集めました。そして原子力が健康にどのような影響を及ぼすか調べました。医学者たちの結論は、遺伝子とは体内で最も貴重なもので子供が生まれるときに受け継がれるもの。原子力産業が広がれば人々が被爆する機会が増え遺伝子に変異が起きるリスクも増える。人々に有害であり、子孫にも有害な結果をもたらすであろう(と言うものでした)。このメッセージに原子力ロビーは怒りました。ちょうどこのころ(1957年)に作られたのがIAEA(国際原子力機関)です。IAEAは、原子力の推進とプロパガンダのための組織です。IAEAの憲章によると第一の目標は「原子力が、人々の健康や繁栄、世界平和に貢献し、促進拡大すること」です。「原子力は拡大すべき、人々を幸せにする」と言っています。WHO の専門家たちとの見解は逆でしたから、対立が起こりました。IAEAは、国連機関の中で特別な力を持っています。IAEAは1959年、WHOと協定を結びWHOが原子力について発言する場合、IAEAの同意が必要になりました。数年後、WHOは原子力産業による放射線被害について全く関与できなくなってしまいました。」

 あらゆる問題において、それを見る立場(視点)や見方により見解や利害が対立する場合や組織があることは承知していましたが、人の命と健康に関する国連機関においても例外ではないことは残念なことです。口蹄疫についても農水省消費安全局の動物衛生課という一つの課にリスク管理とリスク評価の実質的な権限が持たされ、それがOIEという世界動物保健機関にまでそのままつながっています。あらゆる問題にいて情報を共有し、リスク管理とリスク評価の責任と権限を分離させ、科学的事実に基づいて論理的な解を得る努力をすることは国内だけでなく国際組織においても重要であることを認識する必要がありますね。
 事実認識は時と場所により異なるとしても、「命を守ることは何よりも優先されなければならない」ことを倫理的な真実と定義すれば、時空は変わるが光速は一定と同じように、時と場所が変わっても真実は不変です。「特攻」、「テロ」、「戦争」、そして「核兵器」や原発も、人の命を尊重しないので絶対悪であることは真実です。口蹄疫や鳥インフルエンザでワクチンを使わないで感染農場の全殺処分をすることも同様に絶対悪ですが、時と場がこれら絶対悪を必要悪としているにすぎません。私たちは時と場の変化が真実を見えなくすることに警戒していなければなりません。

 原発の稼働で出てくる「高レベル放射性廃棄物」は一般に深地層への「地層処分」がなされますが、ヨーロッパ各国では地層処分施設の管理期間を10万年としています。それは人(ホモサピエンス)がアフリカから出てきてからの年代に相当する途方もない期間です。発電のためにそのような負担を後世に残すことが許されるのでしょうか。
 3万年ほど前には自然の厳しさの中に肉体的に優れたネアンデルタール人がいましたが、想像力において優れた人(ホモサピエンス)が厳しい最終氷期の気候と環境の激変を生き延びました。想像力は新しい道具や考え方を生みますが妄想も生みます。人は加齢に伴いこれまでやってきたことに整合性を保たせるために、事実を論理的につなぐのではなく、認識の一貫性のために事実を従わせ、真実を太陽光線の如く直視できない状態(認知的整合性)になる傾向があるそうです。ことに仕事をするためには組織が必要ですが、組織のために仕事があると考えるようになるとその傾向は顕著になるようです。したがって、「真実が勝つ」ためには組織よりも個人が尊重され、個人が能力を発揮できる場をつくり、意見の対立にあっては「命と健康をどちらが大切にしているのか」という判断基準を優先させることが大切でしょう。そのことがまた、口蹄疫や原発、そして戦争の問題だけでなく、世界に平和と幸福をもたらす社会にもつながるのではないでしょうか。

初稿 2012.11.18 2015.4.7 更新


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