プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ シルヴィー・ジェルマン「マグヌス」

2024年03月02日 | ◇読んだ本の感想。
最近読んで気に入っている辻由美。
彼女の著作「読書教育 フランスの活気ある現場から」
を読んで食指が動き、今回読んでみた。

辻由美の翻訳、もしかしてまともに読んだのは初めてかな?
静けさと詩情が出ていてとてもいい訳だと感じた。
わたしはこの人、エッセイで出会って、エッセイでは比較的シンプルで素直な人である
感触だったので、この詩情の豊かさと哲学性は正直言って意外。



そしてこの「マグヌス」だが。

この詩情はとても好きだ。寂しくて美しい。蒼く静まる日陰の部屋。
いかにもフランスの色彩感感覚である気がする。色でいえば、映画「コーラス」を思い出す。
そういう部分はとても素敵な作品といえる。

――が、大前提の部分でひっかかり、そこに気を取られて最後まで物語世界に
没入出来なかった。
「ナチスとその時代のドイツ人を、他国人が描くこと」への違和感。違和感というより懸念。

作者はフランス人。主人公はナチスの上層部に在籍する医者の養子。まだ小さい。幼児。
その出自はハンブルグの空襲における戦災孤児らしく(本人は記憶喪失)、
もしかしたらアイスランドの血が入っていることも示唆される。

まあフランス人がナチスを書くなという話ではないのよ。
が、その場合、ナチスによってフランス人がどうなったか、どう思ったか、という話なら
すんなり納得できても、ナチスによって育てられた、ドイツで幼少期を過ごした主人公を
何の疑問もなくフランス人の価値観で書いていくのは納得できない。

ナチスがあらゆる意味においても悪であった、という見方が覆ることはないだろう。
歴史的に。世間の見方的に。まあ絶対的に、といってしまってもいいくらいに。

幼児の頃の主人公は母には愛情を、父には怖れと畏敬を抱いていた。
ある日ナチスドイツが崩壊し、父母は自分を連れて逃げた。偽名を名乗った。
そのうち父は別な場所へと逃亡し、母と主人公は取り残された。

収容所の医者で責任者だった父。その妻としてきらびやかな生活をしていた母。
そのうち母は病にかかり、死に向かう。
ナチスドイツに抵抗しイギリスへ亡命していた母の兄に主人公を託す。

イギリスで主人公は育つ。そこで聞かされた父、そしてその配偶者としての母の姿は
ナチスのメンバー、戦争犯罪者としての姿で。それがわたしには釈然としない。
ナチスという存在よりもはるか手前に父と母があるべきではないのか。
どうして父母よりも先にナチスの存在がクローズアップされてしまうのか。

たしかに父についてはそうなるのも仕方ないだろう。
父は可愛がってくれた記憶も少なく、怖い存在だったし、父と別れた時には主人公はまだ幼い。
しかし母とはもっと密であったはずだし、一緒に過ごした時間も長く、
親子としての情愛もあったと思うのに。それでも母ではなく、
ナチスとして断罪されてしまうわけ?母もナチスの権力の享受者であり、
戦争においても全面的に賛美していたにしても。


   (主人公が)育った歴史の醜悪さを洗い流し、

   父クレーメンスが狂気のおぞましさをもって奉仕したドイツ帝国の隠された顔

   (主人公に)事実を少しずつ教えていったのは伯父ロタールだったが、
   子供がこれほどまで何も知らない状況におかれていて、そして、原因を推測
   しえたときも、偽りの無知の中にぬくぬくと閉じこもっていたことが、伯父を驚かせた。
   おとぎ話の時代は終わった。望むと否とにかかわらず、アダム(注・主人公)は
   成長していった。現実と向き合うのを恐れて子ども時代の居心地のよい無知に逃げ込んで
   いることは、もうできない。
    外国の街で、亡命家族の中にあって、現実がついに彼の襟首をつかまえた。身内の
   者までが協力者だった自国の凶暴な行為に深く傷つけられた家族だったのだ。


こんな書き方を読んでいると、何よりもまず思想的な暴力にさらされている
幼児の憐れさを感じざるを得ない。
幼児に父母の罪を教え込んで、それを憎ませるように仕向けるのは、
周りの(この場合伯父の)虐待ではないか。

たとえ親が殺人犯だとしても、それと親子の情愛は別のはずだ。
もちろん子供が大人であればあるだけ、あるいは大人になればなるだけ、
その思いには複雑なものが色濃くなるだろうが、それとこれとは違う話だろう。
違う話だと言ってやるのが正当だろう。
親が大罪人だと教えられた場合、その子である自分に存在価値を感じられるわけないのだから。

「歴史の醜悪さ」「偽りの無知」「自国の凶暴な行為」――客観的な立場らしき仮面を被って
主人公を虐待する作者の悪意を感じる。

これがドイツ人の書いた物語ならそうは思わない。一言一句同じ物語であってさえも。
それはなぜかというと、同国人が書く物語であるならば、
「醜悪な」「偽りの無知」「凶暴な」という単純な言葉の中に、痛みと、悔恨と、言い訳と、
逡巡、悩み――さまざまな思いがこもると思うから。
フランス人がつづる同じ言葉は単なる断罪でしかない。



※※※※※※※※※



……という部分以外は、この作品は詩情豊かな、美しい作品だったと思う。

だが終盤の終わり方は「は?」と思ったな。ネタバレになるので詳述は避けるが、
あまりにもテンポが良すぎてリアリティがない。終盤まであんなに繊細に描き続けていた
物語が、最後急にアクションものになって終わるのはどうなの?


この作品はフランスの「高校生ゴンクール賞」の大賞に選ばれた小説ということもあって
興味を持った。
しかしこういう作品を、フランスの高校生は読むんですねえ……。
いや、読むというより、大賞に選ぶんですねえ。

作品のボリュームとしてはそれほどではないし、言い回しも複雑ではないが、
けっこう哲学的だよねえ。
さすが幼少期から「星の王子さま」を読む国だと思ったよ。
あれも子ども向けというより哲学的でしょう。

シルヴィー・ジェルマンの作品、他にも読みたい気がしたんだけど、他に邦訳が出てない
らしいのよね。1冊出ているのかな。英訳が1冊、図書館にあるようだ。
けっこう多作のようなんだけどね。これは辻由美が(出版社とともに)がんばるべきではないのか。


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