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すれ違い続ける人々。円地文子訳源氏物語「夕霧」より。

2024年03月16日 | ◇読んだ本の感想。
※3年くらい前に「円地文子訳源氏物語」を読んで物を思ったので書き始めた文章だったが、
さわりだけで5000字くらいになったのでまとめられず、途中で止めたまま放っておいた。
だが力作なのが惜しくてメモ帳にずっと残していた。
断片ではあるのだが、上げて解放されてしまおうと思う。

     〇 〇 〇

中学時代に初めて源氏物語を読んだのは与謝野晶子訳だった。句読点の少ない文章、
時間が経過するなかで次々に登場する同名異人など、かなり読みにくかった覚えがある。
しかし今まで知らなかった雅な世界に魅了された。
京都が好きになったのも、和歌に興味を持ったのも源氏物語から。

読む前は、源氏―夕霧―薫の三代にわたる大河ドラマだと思っていた。
なので、夕霧のエピソードが少ないことに疑問を感じていた。
もう少し夕霧の出番を増やしてあげたら良かったのに。紫式部は夕霧がタイプではなかったのだろうか。
わたしは好きだけどな、源氏のようなプレイボーイより夕霧のような誠実な人が。

しかし先日、久々に源氏物語を読んで、多少その考えが変わったかもしれない。

     〇 〇 〇

「源氏物語」というくらいだから、主人公が光源氏であるのは当たり前。
しかしこの作品は魅力的な女性たちのカタログという側面も大きいし、
少ないとはいえ男性にも主要な脇役が何人かいて、源氏の息子である「夕霧」もその一人。

とはいえ、源氏の息子にしては夕霧はぱっとしない。
……いや、決してぱっとしないわけじゃないと思うんですよ。
容姿は絶世の美男とされている父親に生き写しだし、性格は誠実。
わたしはむしろ男性としては夕霧のような人が好きだ。源氏のようにあちこちの女を渡り歩く色好みよりも。

当時の理想形は源氏のように花から花へ渡り歩く美男だったのだろうか。
恋愛に優れた人がめでたしといわれた価値観。そうであるなら夕霧は姿かたち、真面目な性格、
能力も申し分なかったけれど欠点があった。とにかく恋愛が下手。

紫式部は「夕霧」の巻で、夕霧と、彼が思いを寄せた落葉の宮、彼らを取り巻く人々の
思惑のすれ違いを書いている。彼女の筆は全体的にシニカルだが、
この巻は特にそれが顕著に出ている気がする。

     〇 〇 〇

源氏物語はとどのつまり、「源氏」の物語だと思っている。
光源氏本人の、華やかだけれども業を背負った一生を描くこと。その源氏を扇の要に、
数多の女性たちのタイプを描くカタログ。この二つを縦糸と横糸にした織物のような物語。

とはいえ、光源氏以外にも気になる登場人物はいて、その筆頭が源氏の息子の夕霧。

彼は生れ落ちると同時に母を失い、父も数年後に都にいられなくなるようなことをしでかしていなくなり、
宮仕えを始めれば父の意向により官位は低く抑えられ、従妹で幼なじみの恋人とは無理やり
仲を裂かれてしまうという、ある意味で散々な幼年期~少年期を送った人。

……こう書いてみると境遇としては源氏より悲惨かもしれない。
源氏も幼い頃に母を亡くすという不幸を背負った点では同じだけれど、その後の山あり谷ありの人生は、
自ら求めた結果というか、自分で決めた行動が引き起こしたこと。

しかし夕霧の方は、母が物の怪に取り殺されたのは当然彼のせいではないし、
妻問い婚で母の実家で生育され何不自由はなかったとはいえ、彼の人生からある期間父が不在だったのは本当。
しかも父がいなくなったのは、天皇の妃の一人に手を出して、居づらくなったのがきっかけですからね……。

官位の件は、源氏が「低い官位から始めて、実力をつけて大局から物が見えるようにして欲しい」
という理由から、一番低い六位の官位につけた。
源氏の家柄ならその子弟は最初から四位の位を授けられるのが普通。
同じ年頃の従兄弟たちは四位に叙されたのに、夕霧の六位は、人も変だと噂したほど異例なことだった。

しかもそのタイミングで幼なじみの恋人と仲を裂かれることに。
恋人の乳母に「まあ、六位の袍なんてみっともない」と言われ、夕霧は深く傷ついた。
しかしその後、彼はこつこつ学問に励み、順調に出世していく。


――こう書くとそれなりにエピソードもあり、主要登場人物の一人として扱われているようだが、
わたしは作者の、夕霧に対する扱いにどうも情の薄さを感じる。
外見的には源氏とそっくりの美丈夫として書き表されているものの、
夕霧を「まめ人(実直な人)」といい、実直さを褒めるように見せながら、
その不器用さを揶揄しているように感じるのだ。

夕霧には、大きく3つのエピソードがある。

1.幼なじみ(=雲井の雁)との恋と別離。
2.嵐の翌日、源氏の妻である紫の上を垣間見たこと。
3.落葉の宮とのいきさつ。

1にも2にもそれなりに色々あるが、今回久々に「源氏物語」を読んで、
「夕霧」の巻――落葉の宮とのいきさつ――が改めてほとほと呆れる内容だったので、
それについて書いてみたい。


 落葉の宮は先々帝(朱雀院)の次女、女二宮。父院によって夕霧の親友・柏木に降嫁が決められた。
しかし柏木は、もともと女二宮の異腹の妹・女三宮を熱望しており、その代わりにと与えられた女二宮は
妻となった後も愛されない。柏木は「(妹に比べると)落葉のような人だ」という内容の歌を詠み、
彼女の呼び名は落葉になった。

そもそもは、朱雀院の決断が間違っていた。朱雀院はとりわけ女三宮を溺愛しており、
彼女の将来を心配し熟考に熟考を重ねたあげく女三宮を源氏に嫁がせることにする。
身分・財力とも押しも押されもせぬ源氏なら、女三宮の申し分ない庇護者になってくれるだろうという
思惑から決めた降嫁だが、ここに無理がある。

何しろ降嫁当時の源氏はすでに四十歳である。現代の年齢感なら成熟した良い年齢であろうが、
当時の四十歳はわざわざ「四十の賀」を祝うほどの区切りの年齢。
現代の六十歳とまでは言わないが、年齢感は1.3倍~1.4倍で考えていいと思う。
そこに十三、四歳の娘を降嫁させるのは、――源氏の兄である朱雀院は、自分が死んだ後、
源氏がどのくらい長生きをすると思っていたのか。

朱雀院が柏木の熱望通り女三宮を柏木に降嫁させていたら。
この先みんなが幸せだったのにと思わずにはいられない。朱雀院は柏木で何が不満だったのか。
柏木も源氏に次ぐ権門の家の長男で、出世は約束されている。年齢も二十三、四歳で、
年齢的にも源氏よりずっと女三宮にはふさわしい。

それはその時点では、源氏のもつ総合力と柏木の持つ力は比べ物にはならなかったけれども、
キャリアが違うのだから仕方がない。溺愛する娘の将来を託すのなら年齢も
重要なポイントだっただずなのだが、一体どうして朱雀院は源氏を選んだのか。
――めでたしめでたしではドラマにならないからですね。わかります。


さらに、柏木のやっていることもひどい。たしかに同じ皇女だからといって、熱愛する女三宮の代わりに
女二宮をいただいてもうれしいわけはなかったろうし、
むしろ大失恋の直後に別な女性を正妻として迎えなければならないのは苦痛だっただろう。

女二宮が降嫁してきたのは、柏木の父(=昔の頭中将)が息子が失恋でふさぎ込んでいるのを心配して、
朱雀院に対して別な皇女でもいいからと降嫁を請うたから。
おそらく父は柏木の心も知らず、内親王を嫁に出来ることに対して手柄顔をしただろう。
このお父さんは若い頃から源氏の親友ではあり、義理の兄弟という間柄でもあって、
昔から物語のアクセントとしていい味を出しているのだけれど、その反面、
人間的には心の襞の浅い人物として描かれている。

閉塞感に押しつぶされた柏木の行動はモラハラへと向かう。妻を落葉に例えた歌を詠んだのはその象徴で、
表面上は正妻として重んじているように扱っても、柏木と落葉の宮とは打ち解けられない。
柏木は女二宮がいてもまだ女三宮が好きなままだし、女二宮にしては心ここにあらずという夫に
愛情を抱けるはずがない。妻は心を閉ざす。


そしてその後、柏木にはいろいろあって――死んでしまった。
死んでしまった経緯は源氏物語の中でも後半のメインエピソードともいえるものなのだが、
落葉の宮のことを主題にしたいので、その部分は割愛する。

柏木と夕霧は従兄弟であり親友だった。実の兄弟のようだったといっていい。
夕霧は心の優しい人で、未亡人になった落葉の宮にもその母である御息所にも、
時候の挨拶と経済的な目配りを欠かさなかった。

 それからほぼ一年あまり。柏木の逝去以降、折に触れて落葉の宮の様子を見に来ていた夕霧は、
いつか彼女を恋い慕うようになっていた。想いをほのめかしてもさっぱり反応がないことを物足りなく思い、
夕霧のアピールはどんどんエスカレートしていく。だが落葉の宮は夕霧を(恋人としては)拒絶し、
いつまでも他人がましく、声も聴かせない。

――お世話になっているからといって好きにならなければいけないものでもない。
亡夫の友人を恋愛対象と考えることに抵抗があったかもしれない。
また(源氏物語よりも)少し前の価値観では、皇女は未婚のまま一生を過ごすべきだというものもあり、
柏木と結婚したこと自体に後ろめたさを感じていたのかもしれない。
その上、結婚した柏木には粗末に扱われた経験もある。それもトラウマになっただろう。

たしかに落葉の宮には「恋愛関係はもうこりごり」という条件は揃っている。

が、この状況を夕霧側から考えてみると――。
前から夫婦仲が良くないことは知っていたし、同情を感じていた→亡き友への友情からその妻のところへ
お見舞いに行った→仲の良くなかった夫だったけれど、その夫も亡くし、落葉の宮は悲しみに沈んでいる
→他に頼り甲斐もない心細そうな暮らしを放っておくことも出来ず、
何かと世話をするうちに恋心を抱くように→しかし落葉の宮は応えてくれない。

夕霧は夕霧で、これだけ尽くして来たのにという気持ちがあることは否めないだろう。
逆に落葉の宮にしてみれば、勝手に世話を始めて、勝手に好きになられて迷惑という
気持ちもないとは言えない。

読者としては、気持ちに応えるつもりもないのに夕霧に世話になりっぱなしの落葉の宮もどうかと思うし、
夕霧は誠実である反面、どうも粘着質な傾向があってなかなか諦めない。

ここからは延々と夕霧と落葉の宮のすれ違いが続く。――あまりにも続きすぎて、
読んでいるこっちはもやもやが降り積もっていく。

落葉の宮が夕霧を完全に拒絶出来ないことのそもそもには、経済的な問題がある。
実はこの落葉の宮は、あまり身分が高くない「更衣」という身分の妃から生まれた皇女で、
実家の経済力はそれほどない。しかもこの時点で父も男兄弟もいないらしい。

夕霧には雲居の雁という正妻がいる。この雲居の雁は例の幼馴染の恋人で、
すったもんだのあとようやく結婚できた。この頃は結婚してから十年ほど経った頃。
律義者の子沢山ということわざ通り、二人の間には八人(あるいは七人。本によって違う)の子どもがいる。
一夫多妻が習わしだった平安時代には珍しく、正妻以外にはたった一人しか妻がいない。
これは高位貴族の男としては珍しいことで、それで長年やってきたのに……ここに来て、
皇女という高い身分の女性に夫が執心しているのだ。

 雲居の雁は悲しみ怒り、怒りのままに実家へ帰ってしまう。
大きい子どもたちは夕霧との邸に残し、小さな子どもたちだけを引き連れて。

 夕霧は落葉の宮のところでは冷たくあしらわれ、家へ帰れば妻がいなくなっており、
踏んだり蹴ったりである。とりあえず雲居の雁を迎えに行くが、十年の結婚生活を経て、
あの頃の少女は押しも押されもせぬ肝っ玉母さんになっており、
父の後ろ盾もあり簡単に説得に応じようとはしない。夕霧はすごすごと自邸へ引き返すことになる。



※多分書きたいことを書き続けるとこの3倍くらいになったと思われる。



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