uparupapapa 日記

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でも完全年金生活に移行できるのはもう少し先。

お山の紅白タヌキ物語 第14話 アッツ島の死闘(1)

2024-02-11 07:02:26 | 日記

 雪江タヌキが最初に考えたのは、島の地形と気象の詳細を知る事。

 隅々まで見て回るにはどうするか?

 最初野ネズミに化けてみたが、どうも準ツンドラ気候の寒冷地であるこの島では不自然に思えて、野生動物として相応しくないようだ。

 次に考えたのが、この島に多く生息している野鳥たち。

 固有種が多いらしく、見た事の無い姿の鳥たちが自由に活動している。

「そうだ、鳥なら誰にも怪しまれず探索できそうだ。」

 雪江タヌキは早速ここでよく見かける鳥に化け、島の空を舞い上がった。

 

 だがこの島は一年を通して雨や霧が多く、雪江タヌキが入島してからもアメリカとの戦闘が始まるまで一度も晴れ渡った日が無い。

 こんなに霧の濃い状態では全体像が見通せないではないか。

 仕方ない、低空で丹念に見て回るしかないようだ。

 

 そこで分かった事。

 島の至る所に高山植物のような可憐な花が咲いている事。

 気温は冷涼で、温かい日でも10℃以下、寒い時は0℃前後である事。

 島の一番高い山で標高900mほど。

 

 日本側守備隊が保有する食料や弾薬は決して十分とは言えず、補給無しでは長期戦に耐えられない事。

 しかもアメリカ側の火力を考えると、日本側の装備する武器は貧弱過ぎる事など、悲観材料しか見えてこなかった。

 

「この条件で敵と戦うの?」

 誰に聞くでもない、驚きと嘆きの独り言が漏れてくる。

 それでも守備隊の面々の士気は決して低くはない。

 ただ、不安と悲壮感が時々垣間見られるが。

 

 50名のタヌキ部隊との作戦会議で以上の探索報告をし、アメリカ兵が上陸したらどう戦うか協議した。

 まず部隊の陣容だが、愛媛出身の五右衛門タヌキ(末裔)を筆頭にした赤い軍服の部隊と、香川県出身の丈吉郎タヌキ(末裔)を筆頭にした白い軍服の部隊が混成部隊を形成している。

 とりわけ赤い軍服の部隊だが、日露戦争当時は背中に丸の中に五の字をプリントしたマークを背負っていたが、今大戦では流石にあまりに恥ずかし過ぎると云う事で、部隊長の五右衛門のみの背中に印字される事となった。

 でも実際は、背中の五の字のマークなど無くとも赤と白の軍服のみで単純にそれぞれの部隊を識別できるし、そもそも透明の術で身を隠すなら、それすらも無意味であるし。丸に五のマークって必要なの?

 ただの五右衛門タヌキの自己満足に過ぎないんじゃね?

 誰もそこまで言及しないが。

 

 話が横道に逸れてしまったが、今後の展開を予測シミュレーションしてみる。

 

 まずアメリカ艦隊から艦砲射撃を雨霰あめあられのように振りまき散らし、地上の建造物は徹底的に破壊されるだろう。

 しかる後、アメリカ上陸部隊12500が攻め登ってくる。

 我が方の守備隊2650では劣勢過ぎる。地の利を生かしても兵力・火力の違いは埋めがたい。しかも補給無しでは尚更。

 と云う事は、きたる戦いに勝ちはない。

 

 

 我々タヌキ部隊はどこまで踏み込むべきか?

 樋口司令の厳命を守るなら守備隊の補助的役目しか負えられず、精々幻影による攪乱かくらんと援護射撃ぐらいしかできないだろう。

 そして戦闘の最終局面ではどうする?

 考えたくないが、最後の最後の局面は必ずやって来る。

 この戦闘に中途半端なケリの付け方は無い。

 

 誰も最終結論は出せないでいた。

 ただ言える事は、できる限り最後まで見届ける事。これは参戦した者の務めであり、自発的に参加したタヌキ部隊の総意である。

 どんなに巧みに幻術げんじゅつを使い敵に幻影げんえいを見せても、人間の守備隊だけでなくタヌキ部隊にも多数の死傷者が出るかもしれない。

 各々のタヌキは身を透明にしながら守備隊に寄り添うように突き進むが、きっと銃弾を喰らう者が出るだろう。

 負傷した者や命を落した者の姿は、敵に決して見せてはならぬ。

 そういう場合は、残された者が即座に死傷者タヌキの姿を米粒程の花の種などに化けさせ回収する。それしかないだろう。

 

 戦う前の方針は決したが、後にそれがどれ程過酷で悲惨な決定か思い知る事となる。

 

 

     死闘序盤

 

 

 雪江タヌキの見立て通り、アメリカ軍は艦砲射撃で徹底的に上陸前の事前攻撃を仕掛け、日本軍の弱体化を図る。

 しかし濃霧の中の艦砲射撃では目標を捕捉できない。

 結果、日本軍の損害は軽微であった。

 

 1943年5月12日、アメリカ軍はランドクラブ作戦(アッツ島上陸作戦)決行、まず 上陸部隊12500のうち10000名が霧に紛れて北海湾北端、旭湾に上陸、小部隊が数カ所に分散して上陸、海岸に橋頭堡を築く。

 翌13日、北海湾北端から上陸のアメリカ軍北部隊が芝台(アメリカ側名称Hill X)の日本軍陣地に霧に紛れ接近、攻略を目指す。

 一方日本側は船舶工兵第6連隊第2中隊(小林徳雄大尉)と北千島要塞歩兵隊(米川浩中佐)の1個中隊が芝台に陣地を構えている。

 ここは日本軍守備隊主力を配置している日本軍集結地が一望できる場所であるため、重要な要衝であり、ここでの攻防戦がその後の戦局を決するのだ。

 

 日本側はアメリカ軍を芝台前方の深い谷におびき寄せ一気に殲滅する作戦をとり、陣地に籠って身を潜めていた。

守備隊側指揮官 小林大尉は、アメリカ兵が警戒しながら谷まで到達したのを見計らい号令を発する。

「いまだ!撃て、撃て!」と。

 号令一下、日本側守備隊が一斉に攻撃を開始、一斉に軽機関銃を掃射する。

 アメリカ兵はバタバタと倒れ、更に迫撃砲を正確な照準で連続砲撃、機銃掃射から慌てて退避しようとするアメリカ兵をなぎ倒した。

 更に堪らず物陰に隠れようとするアメリカ兵に伏兵が九九式小銃で正確に狙撃、アメリカ軍はたちまち兵力が半減、前進を停止せざるを得なくなる。

 

 こうして初戦は日本軍優勢に見えたが、この戦闘により陣地の位置が露見、一転してアメリカ軍は野砲8門及び戦艦「ペンシルベニア」から艦砲射撃し、更に艦載機にて襲撃、執拗なくらいに日本軍陣地を銃爆撃した。

 結果、この反撃で日本軍側90名の死傷者を出し、やむなく芝台陣地を放棄し退却、すかさずアメリカ軍は日本軍が撤退した芝台を占領する。

 

 この時の戦いでタヌキ部隊は芝台の正確な位置を攪乱するため幻術を使うが、何故か効果が薄い。

その理由は後になって判明したが、初戦でアメリカ兵に多数の死傷者が出たことによる憎悪と復讐に燃えた感情の凄まじさにあった。

 タヌキ部隊の妖術・幻術は人を惑わす力を発するものであるが、この時のアメリカ兵は日本兵に対する憎しみの感情の高まりが想像を絶するほどであり、タヌキ部隊の術を跳ね返す程のパワーがあったから。

 

 タヌキ部隊が過去に参戦し経験した日露戦争の頃と単純に比較できないが、当時のロシア兵たちは自分の名さえ読み書きできないほどの無学であり、字が読めないと云う事は、いちいち上官の命令が高度な理解力を必要とするほど、噛んで含めるように説明しななければ正確に実行できない。

 そんな初歩的な指示待ちしかできない人材の集まりの軍隊環境であるならば、上官から奴隷同然に扱われるのも必然だった。人命が軽んじられ劣悪な環境で命を落す者さえいる中、当然高い士気など保持できるはずもなく、最低な状況であった。

 だから彼らの残虐行為は、虐げられた者のフラストレーション解消のためのケモノの本能による行為であると言え、どちらかと云うと敵に対する憎悪とは異質な精神状態にあったと云える。

 

 でも今度のアメリカ兵は違う。

 もちろんアメリカ兵にもまだ教育の行き渡らない兵士も多数存在したが、それなりの教育を受けた者も多い。彼らは独立した個人であり、独自の判断で志願した者ばかり。

 そんな彼らは日本の真珠湾奇襲攻撃を卑怯と断じ、愛国心と怒りに燃えていた。

 しかもあの当時、彼らの日本人差別が最高潮にあり、アメリカ国内でも最悪の対日本人感情にあった。

 そんな「生意気で憎っくきジャップめ!」と云う憎しみの感情がタヌキの術を圧倒し跳ね返したのだ。

 この戦闘事例はタヌキたちにとり、激しい憎しみの力は幻惑の力に打ち勝つという痛い教訓となる。

 もっと気合を入れて術に集中しなければ、また跳ね返される。

 彼らはこれ以降、必然的により強力な力を要求された。もう雪江タヌキはタヌキ部隊の後ろにノオホンと控えている訳にはいかない。

 壮絶且つ、総力戦の様相を呈する事となる。

 

 14日 アメリカ軍80名がスキーを装着、三角山(標高500m)の山頂に向けて登山を開始。

 この三角山を奪われると日本側守備隊のいる舌形台が一望になる。

 当然阻止するため急ぎ舌形台より一個小隊が重機関銃を携え、三角山の山頂に派遣された。

 日米両軍の山頂陣取り競争である。その結果日本側小隊が間一髪で先に到着、重機関銃で登山し続けるアメリカ兵を頭上から掃射する。

 準ツンドラ気候で樹木が育たず、身を隠す場所もない山肌では格好の標的であり、「ギャー!」と断末魔の悲鳴をあげ、撃たれた兵士たちが斜面を転げ落ちる。

 この結果アメリカ兵80名が全滅した。

 

 

 この戦闘とは別に、アメリカ軍 島嶼とうしょ南部攻略隊(第17歩兵連隊)が同時進行で行動を開始している。

 彼らは臥牛山に三方を囲まれた渓谷まで前進した。

 

 一方アッツ島旭湾は日本側守備隊 林中隊が配置されている。

 林は少ない戦力を山腹や山頂に潜伏、林中隊から丸見えのアメリカ軍を十分に引き付け、三方から十字砲火を浴びせた。

 この結果、こちらの戦線もアメリカ軍側に大打撃を与え、第17歩兵連隊長のエドワード・アール大佐が日本軍の機銃掃射により戦死する。

 

 この結果を受け翌15日、アメリカ軍は師団予備の第32歩兵連隊の残り2個大隊の投入を決定。

連隊長を失う程の大損害を被ったアメリカ軍南部隊は、第17歩兵連隊の1個大隊を先頭に、再び臥牛山目指し前進を開始する。

 アメリカ軍側は臥牛山を攻略後、荒井峠(Jarmin Pass)を踏破、そのまま一気に日本軍司令部のある北海湾東浦までたどり着く計画であったが、昨日同様、臥牛山手前では身を隠すもののないツンドラの平原を横切る必要がある。林は進撃するアメリカ軍の両側に部隊を配置、今度もまた十分に引き寄せ十字砲火を浴びせる。それを合図に、三方の山腹に潜む日本軍からも猛射撃が浴びせ、昨日同様、アメリカ軍に大損害を与え後退させる。

 最終的にこの戦闘でも、アメリカ軍の機関銃兵は上陸地点の旭湾まで退却を余儀なくされた。

 

 この時のアメリカ軍機関銃兵生き残りの証言。

 

 

 当時日本軍と銃撃戦になると、必ずと言っていいほど、擲弾筒てきだんつつの榴弾が頭上から落下してくる。その砲撃は忌々しくも極めて正確で、2発目の砲撃ではほぼ命中したんだ。一体あの正確さは何だ?

 そしてその時一瞬ではあるが、霧の中 幻のように無数の白い軍服を着て銃を構えた日本兵がゆらゆらと消えては現れ、背筋に凍るような気配が走った。

 あれは何者か?あれも日本兵なのか?

 しかしこの世のものとはとても思えない、異様な物体に見えたと。

 

 

 

 

 

 

     つづく

 


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2 コメント

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Unknown (usagi-nikki)
2024-02-12 22:12:33
こんばんは☆ミ
タヌキがいろんな動物やお地蔵さんなどに変身して活躍したりするなんて面白いですね^⁠_⁠^
そんなに何にでも緻密に?変身出来るなんてスゴイ能力だと思ったり!
どこから、このアイディアは浮かんだのですか?
タヌキが健気で可愛いです!
uparupapapa日記 (uparupapapa)
2024-02-13 03:58:03
usagi-nikki 様

コメントありがとうございます。

この物語の発想は、ある雑誌の記事でした。
私は怖い話とか奇談などそちら系の話が好きで、
youtube動画などでも見つけたらつい引き付けられてしまいます。
そんな私ですが偶然『日露戦争の怖い話』という本を勤め先の休憩室内のテーブルの上で見つけ(誰かが雑誌を置いている)、何気なく読んでいたら、白い軍服と赤い軍服を着た日本兵がロシア軍と戦う記事を見つけました。
当時、日本兵は黒い軍服のみで白と赤の軍服を着た兵士はいません。
でも捕虜になったロシア兵たちは口々に目撃証言をしました。
その中にはロシアの有名な将軍もいました。
そしてその目撃された白と赤の兵隊の正体はタヌキだったと云うのです。
現在四国には本当にタヌキを祭る神社が存在し、その当時の出来事が伝承として残っているそうです。(写真もありました。)
私は「これだ!」と思い、一気に着想が浮かびました。
丁度その時『ママチャリ総理』の連載も終了し、これからどうしよう?と思っていた矢先だったので、goodタイミングでした。
ただこのエピソードだけでは直ぐに終わってしまうので、日露戦争以外にも太平洋戦争当時の奇談も追加しようと思い、以前私がUPしていた『アッツ島・キスカ島戦記』の奇談もタヌキの仕業に見立て追加しました。

現在連載中のアッツ島の巻は今日で終了し、発表予定です。
多分朝方にはUPできるでしょう。
明後日から発表する予定の『キスカ島撤退』バージョンと『広島・長崎原爆』バージョンで物語を終了させるつもりでいます。

お地蔵様の着想は、単に昔からのイメージで、『日本昔ばなし』風に起承転結の『起』の舞台として設定してみたのです。

多分読者の皆様から見てこの物語は最初平和な童話風ファンタジーと思われたかな?と思います。
でも日露戦争編に突入して一気に様相が変わり戸惑いも覚えたことでしょう。
でもこの最初の舞台設定(昔話風)は物語の構成上、欠かせないものと考えています。
お地蔵さまとタヌキの交流から神通力を授かるという設定は、それぞれの戦いで必要不可欠な超能力なので。

ただこの物語をタヌキが戦争で味方した武勇伝のみに終わらせず、戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴えたくて、随所に私の主張を取り入れていくつもりです。

出来れば最後までお付き合いいただけたらと思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。

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