uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~連載版 第27話「ヨアンナの結婚」

2023-01-29 04:00:00 | 日記

 ユダヤ人のゲットー蜂起が収束を迎えてもなお、ヨアンナの様子は落ち着かない。

 

 あれだけの惨劇を目撃して平気な人の方がおかしいと思うが、ヨアンナはあまりにも前のめりに関わり過ぎた。

 精神的に深い傷を残した人は多い。

 ヨアンナもそのひとりだった。

 

 とてもじゃないが、見てられない。

 

 

 憔悴しょうすいするヨアンナを周囲の者たちが心配する。

 特にフィリプはどうしたらヨアンナを元気づけられるのか?

 愛するヨアンナ。

 できれば自分の愛で彼女を救えたらどんなに良いか?

 

 フィリプは意を決し、すべての勇気をかき集め、思いを告白しようと思った。

 ヨアンナの心の中にまだ井上敏郎がいる事は知っている。

 此処ここで告白しても、玉砕は免れないだろう。

 

 それは悲しい。できれば避けたい。

 今振られるより、いつまでも心の中に秘めていた方が、微かな希望に傷をつけないだろう。ぬるま湯でも良い。その方が楽だから。

 でも瀕死の心に喘ぐヨアンナを見てられない。

 もし此処ここで告白してあえない結果になろうとも、自分をさいなむ孤独と闘うヨアンナの心には届くだろう。

 必死で真心を訴えれば、きっと氷の気持ちも溶けてゆく。

 孤独から解放される。

 そう信じて告白しよう。

 もう自分の立場なんて、どうなっても良いではないか。

 自分は男だ。心で泣いて散るのも悪くない。

 

 そう、全ては愛するヨアンナのために。

 でも戦乱渦巻くこの時節、いつ何時なんどき何が起こるか分からない。

 今しか機会はない。

 この時を逃したら、二度とチャンスは来ないかもしれない。

 

 できるだけそばにいるよう努力し、彼女の信頼と安心を僅かでも勝ち得たかもしれない今、打ちひしがれ、先行き不透明で不安に駆られるヨアンナを愛する者として、庇護者に立候補し名乗り出よう!

 

 そしてある日とうとう告白の時は来た。

 本当はビスワ川(ワルシャワ市内を流れる川)のほとりなどに連れだって、ロマンティックな環境の中で誠意を示すべきだったのだが、ナチスの兵士がいたるところに存在する状況ではとてもではないがふさわしくない。

 仕方ないが彼女の居住するアパートで告白しよう。

 そしてエヴァ達が忙しく動き回る中、二人だけになるチャンスが来た。

 

 今だ!

「ヨアンナさん、少し良いですか?大切なお話があります。」

 まただ!声が上ずってしまった。

 (畜生!!)

 しかし心の声を押し殺し、平然を装い彼女の答えを待った。

 その改まった様子に何かを感じたのか、彼女は少し緊張したような強張った表情になる。

「はい、何でしょう?」

 彼の正面に向き直り、彼女は聞いた。

 緊張した面持ちでハンカチを握りしめながら口を開く。

「手短に言います。

 私と結婚していただけませんか?

 この戦乱の非常時に、貴女あなたの置かれた今の環境で唐突にこんなこと言われても困惑するのは分かっています。

 歳の離れたこんなオジサンに告白されるのは迷惑かもしれません。

 それでも貴女に私の気持ちを伝えたい。

 打ちひしがれた貴女の心を私の愛で満たしたい。

 孤独と不安と危険から守りたいのです。

 この地は危険と不条理に満ちています。

 貴女を理解し心から愛し続けたい私の気持ちを、どうか受け取ってください。

 全力で幸せにします!」

 長い沈黙が続いた。

 こわばる彼女の表情からは答えは見えてこない。

 この不安と緊張は永遠に続くのか?

 そう思った時、彼女の重苦しい口が開いた。

「おっしゃることは分かりました。

 私が寂しい孤児だから同情しておっしゃっているのではないのですね?

 それでは少し時間をください、考えさせていただきたく思います。」

「この場で断らないと云う事は、少しは脈があるのですか?」

「もちろんです!真剣に考えさせてください。

 でも突然だったし、今の私の状態を考えると、すぐには答えを出せません。」

「良かった!

 この場で即座に断られるかと思っていましたので。

 待ちます!いつまでも待ちます。

 ええ、待ちますとも!」

 

 その日からヨアンナの様子がまた違って見えた。

 以前の亡くした者を弔うのとは違った、もの思う表情にエヴァは首をかしげるのみでその事には触れられない。

 ただ黙って見守るのみであった。

 

 夫のミロスワフはヨアンナを気遣い、努めて陽気に振る舞う。

今日あった出来事をエヴァに話すふりをして、面白おかしくヨアンナに聞こえるように話した。

 

 時折「フッ、」

 と小さく笑うヨアンナを見て、夫婦で顔を見合わせ安心するのだった。

 

 ヨアンナは心の葛藤を隠そうとしても、エヴァたちにはお見通しのようだ。

   

 

 私の心には愛しい敏郎さんの住む場所がある。

 其処そこは永遠に私と彼の隠れ家。

 誰にも邪魔されたくない。

 

 確かにフィリプさんは実直で優しく、いつも自分を見てくれている。

 何をも置いて私の元に駆けつけてくれる。

 この気が狂いそうな残酷な世界にあって、フィリプさんの真心も唯一無二、かけがえの無い宝物なのかもしれない。

 疲れ果てた私の心を、あの人の温かさが癒やしてくれるかもしれない。

 私はあの方を愛することができるのか?

 敏郎さんを愛おしいと思うのと同じように愛せるのか?

 

 私の心には敏郎さんの部屋がある。

 同じくあの方の居場所も作ろう。

 身勝手なお願いだとは分かっている。

 それでも良いと言って下さるなら、このお話を謹んでお受けしよう。

 

 ヨアンナはそう決心した。

 

 数日後フィリップが再度訪れた時、待ち侘びていた返答を受けとった。

「こんな私ですが本当によろしいのですか?

 私には何もございません、身ひとつで嫁ぐ事になります。

 ・・・・それに・・・言いにくい事ですが、私の心には、ある方の忘れられない大切な思い出があります。

 それは捨て去る事はできません。

 自分勝手な願いですが、そんな私でも受け入れてくださいますか?」

 

 フィリプは真っ直ぐヨアンナの眼を見て

「もちろんです。貴女の心にはあの日本人の方が住み着いている事など、百も承知で告白しました。でも私には貴女が必要です。

また、貴女にも私が必要だと信じています。

 だから私の命に代えても一生あなたを守ります!愛し続けます!

ああ、神よ!心から感謝いたします!」

 天にも昇る気持ちとはこういうときの事を云うのだろう。

 

 土砂降りの雨の中、喜びのあまり傘も差さずずぶ濡れになりながら踊り出したくなる。

 そんなシーンを連想する程、フィリプは幸せの頂点にいた。

 

 

 エヴァ夫婦はいつもと違うヨアンナの様子にフィリプと何かあったな?

 とは思っていた。

 確信はなかったが多分そうだろう。

 しかし真相を打ち明けられると、意外なほど驚きのリアクションをした。

 

 ヨアンナが結婚?!

 

 そして誰よりも喜んでくれた。

 

 ほどなくヨアンナは慎ましやかな式を挙げた。

 

 エヴァとミロスワフ、それにエミルやアレックたち、ワルシャワに同行していた昔からの仲間が祝福してくれる。

 この世の中で誰よりも美しい花嫁。

 出席した誰もがそう思っただろう。

 咲き誇る花のような祝福を受けたその瞬間、世界で一番輝いていた。

 戦時中と云う事もあり、高らかな教会の鐘は鳴らせないが、心の鐘は「ゴーン、ゴーン」重厚な音色を響かせ渡った。

 

 フィリプとヨアンナは用意したワルシャワ市内の一角のアパートの新居に移り、暗い世相の中、精一杯の明るい新婚生活をおくる。

 

 しかしそんな幸せな日々は長くはなかった。

 

 ついにワルシャワ市民たちが立ち上がった。

 ユダヤ人のゲットー蜂起に続く、ワルシャワ市民蜂起の時が来た。

 

 

 

 

 

       つづく

 


シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~連載版 第26話「ワルシャワゲットー蜂起」

2023-01-25 10:45:06 | 日記

 

 ポーランドの首都ワルシャワは、同一の戦いに於いて異なる民族が2度にわたり蜂起した人類史上稀にみる都市である。

 一度目はユダヤ人、2度目はポーランド市民。

 

 そんな頃の物語。

 

 その頃のワルシャワはドイツ軍による支配の中、混沌と劇的な変革の渦中にあった。

 その一番の主人公はワルシャワ在住のユダヤ人の存在だった。

 ドイツ軍のポーランド侵攻直前当時、ワルシャワにはユダヤ人が37万5000人いた。

 実に市内人口の30%を占め、アメリカニューヨークに次ぐ多さだった。

 ワルシャワ占領直後から、ユダヤ人封じ込めの政策が検討されていたが、1940年3月以降、市内にチフスが蔓延し始めた。

 特にユダヤ人居住地区に。

 同年10月2日正式にユダヤ人評議会に命じ、ゲットー建設が始まり、11月には完成をみた。

 その広さは従来の居住地区の3分の2、ワルシャワ全面積の2.4%、最大人口は44万5000人に及んだ。

 それはナチスドイツによる全ゲットー最大規模を誇った。

 

 更に完成間もない11月16日、ゲットーは封鎖され、特別に通行許可証が発行された時以外の通過は許されなかった。

 ゲットー内の運営はドイツ当局の監督のもと、ユダヤ人評議会が行う。

 中にはユダヤ人ゲットー警察さえ存在した。

 その運営は自由主義的統治で、ブント、社会主義シオニスト党、青年運動などが活発に地下活動も行っていた。

 しかし同じユダヤ人社会でありながら、貧富の格差も顕著に出現し、飢餓に苦しむ貧困層に対しては、ユダヤ人相互援助協会(ZTOS)が組織され救済にあたった。

 

 ゲットー内では一般の市場原理に伴う生産活動も活発に行われたが、仕事を持たないものは、強制労働に駆り出された。

 

 1942年7月22日、ラインハルト作戦(ユダヤ人絶滅・殺りく実行計画)決行に伴い、ユダヤ人を東部に移送する旨《むね》通告された。

 

 ゲットー解体と強制収容所移送に伴うホロコースト《大量殺りく》の始まりである。

 

 

 移送は決して戻ることのない片道切符の旅。

 そのスピードは極めて迅速で、わずか10日足らずで6万人、8月半ばまでに全体の半数、第一次移送終了の時点で30万人が駆り出され、死出の旅へと向かわされた。

 

 それまで無抵抗の姿勢を貫いていたユダヤ人社会にも、ようやく抵抗への機運が高まり、秋頃から準備が始まった。

 共産党、シオニスト党、社会主義者で構成されたブントが10月20日に合弁、ユダヤ人戦闘組織(ZOB)結成、戦闘団など22の部隊が組織された。

 

 総指揮官はモルデハイ・アニエレヴィッツ(24)が任命された。

 彼らがまず標的にしたのはゲットー警察、その上部組織のユダヤ人評議会へのテロだった。

 

 つまり民族の共通の敵であるドイツ軍ではなく、最初にユダヤ人同士が仲間割れし、ドイツ軍に協力し仲間を売る評議会への敵視と憎悪からくる分裂であり、同じ民族同士、殺し合う事を意味した。

 

 反抗を実現させるためには、まずドイツ軍の犬である組織を潰す必要があったのだ。

 

 それと平行し、抵抗に必要な武器の調達が至上命題だった。

 武器購入資金を得た組織は、ゲットー部外のポーランド人に密かに協力を要請、武器入手を企図した。

 

 しかし頼みの綱のポーランド人達もドイツによる被支配階層であり、そう簡単に準備できるわけではなかった。

 しかも全てのポーランド人がユダヤ人に協力的というハズもなく、むしろ反感・差別意識の強い者が多くを占めていた。

 そんな背景もあり、多額の購入資金を託したにも関わらず、僅かな武器しか入手できない。

 

 指揮官モルデハイの目論見《もくろみ》では、少なくとも拳銃100丁、小銃数丁を見込んでいたが、実際に渡されたのは、たったの拳銃10丁のみであった。

 いくら抗議してもそれ以上は渡されず、思わず天を見上げる。

 

 一方ポーランド人側にしてみたら、近く自分達の蜂起もあるかもしれない以上、今負けると分かっているユダヤ人たちの蜂起に、貴重な武器をそう安易《やすやす》と渡す訳にはいかない。

 これがギリギリ協力できる限界だったのだ。

 

 ドイツ軍による殺害の脅威に晒され、隣人のポーランド人に見放され、孤独で絶望的な戦いを強いられる現実を改めて見せつけられた気がした。

 

 決起=鎮圧による死

 無抵抗=絶滅収容所行による死

 

 生きるという選択肢も可能性もゼロの明日に、涙すら出てこなかった。

 

 それでも決起を選ぶ理由は、民族と各々《おのおの》の人生の誇りと意地を守るために他ならない。

 

 あらゆる手立てとネットワーク、手段を駆使し、新たに数丁の機関銃、ポーランド人レジスタンス組織「国内軍」などから拳銃50丁、手りゅう弾50個、爆薬など最低限の支援を得る。

 

 国内軍は、まだ人の心を持っていた。

 

 先ほどと、ここでも登場したフィリプも所属する国内軍。

 説明が先と重複《ちょうふく》し、くどくなるが、ポーランド政府残存要人がロンドン亡命政府を組織し、その指揮下国内残存兵士及び有志たちにより祖国の独立と自由を標榜し、レジスタンス目的に組織された地下組織軍隊である。

 

 しかし圧倒的な軍事力を誇るドイツ軍に対し、あまりに貧弱な武装しかできない義勇軍にすぎなかった。

 

 イエジキ部隊も武器の協力はできなかったが、食料の供給ではできる限りの力を尽くす。

 しかし、ドイツ軍の目が光る中では、次第に供給路は細くなり、ついには絶えてしまった。



 話を戻す。

 

 1943年4月19日750人の戦闘員が決起、火炎瓶と少数の銃でドイツ武装親衛隊と警察の部隊に武力蜂起した。

 初日こそドイツ軍を撃退したが、翌日体制を立て直したドイツ側は徹底した焦土作戦を決行、5月16日に完全鎮圧、戦闘は終了した。

 

 最初から彼らに勝ち目などは無かった。

 それでも貧相な武器で立ち向かった彼らは、一体どういう気持ちで戦ったのだろう?

 

 戦いに参加したイザック(25)には父と母と妹がいた。

 

 父はゲットーに収容される前、ドイツ軍兵士に路上で身分証明書の提示を求めれれた。

 

 ドイツ兵はユダヤ人と見るや様々な嫌がらせをし、罵倒し、辱め、銃殺や殴り殺すのが当たり前の時代。

 

 目をつけられて無事で済む筈はなかった。

 

 父はその威圧的な怒号の命令にすっかり恐れ慄《おのの》いた。

 萎縮した手は震え、胸ポケットから紙の証明書を出そうとしてもままならない。

 

 しびれを切らしたドイツ軍兵士は二度大声で「身分書を出せ!!」と怒鳴りながら自動小銃を構え、躊躇《ちゅうちょ》せず父に至近距離から乱射した。

 その場で倒れる父。

  

 目の前の悲劇を目撃し、母は今まで見たことがない取り乱し様で、父の骸《むくろ》に駆け寄りすがりついた。

 

 大声で泣き叫ぶ母を、通りがかりの人々は関わらないよう足早に過ぎ去り、誰一人助けようとはしない。

 

 イザックと妹は後から駆け付け、そんな父と母に涙した。

 それから一月後、イザックは母と妹と共にゲットーに収容される。

 

 ゲットーの建物の各部屋に数家族が押し込められた。

 

 赤の他人がある日突然、同じ部屋で強制的に同居させられるのだ。

 

 しかしそんな同居生活もそう長くはなかった。

 

 母と妹は8月2日トレブリンカ絶滅収容所に移送のため、イザックと力づくで引き離された。

 彼が見た家族の最後の姿は、ユダヤ人ゲットー警察数人に取り囲まれたため、部屋のドアの向こうに出るところまで。

 母の二度目の泣き叫ぶ声と妹の兄の名を呼ぶ声だけが段々遠く聞こえるのみであった。

 

 怒りと悲しみに震えるイザック。

 天蓋孤独となり、もう守る者は誰もいない。

 

 自暴自棄になり勝ち目のない反抗に参加するのは、彼にとって当たり前の行動であった。

 

 ユダヤ人のゲットー蜂起とは、そんな悲しみと絶望を背負った名も無き人々が武器を持たない兵士となり、戦いに挑んだ悲しい歴史であることを決して忘れてはならない。




 蜂起という無謀な悲劇の戦いに敗れ、結果、残存ユダヤ人市民5万6000人が連行された。

 その後彼らは当然の如く射殺、若しくは収容所において特殊処理《毒ガス室送り》されることとなる。

 

 そしてすぐさまワルシャワゲットー跡地に強制収容所が建設され、新たな悲劇の象徴に生まれ変わった。

 

 ゲットーの瓦礫の撤去作業に強制収容所の囚人と、ポーランド人労働者が動員された。

 また蜂起による戦闘中、ゲットーの外に逃亡したユダヤ人狩りが行われ、ポーランド人市民による密告が横行、更にギャングが現出し、見つけ出してはユダヤ人からお金などの財産を奪い取っていた。

 

 そんな非道な行いが横行したワルシャワ市内。

 それでもユダヤ人にとってヨーロッパで一番住み易い街なのは、ユダヤ人の割合が一番多かったことでも分かる。

 迫害と殺戮が続くドイツ国内から、多くのユダヤが遥々《はるばる》ワルシャワめがけて移り済んできたくらいなのだから。

 

 でも仕方なかった時代だったとはいえ、市民による密告や略奪が続いたその間、その様を目撃した一般の善良なワルシャワ人市民たちはどう思っていたのだろう?

 

 たとえユダヤ人が嫌われていたとしても、その悲劇にはさぞ心を痛めていただろう。

 

 そして明日は我が身の運命を悟ったのだった。

 

 ゲットー近くに住まうヨアンナはその一部終始を目撃していた。

 彼女も青年会の一員として組織の中でユダヤ人救援を行っていたが、やがて組織としての行動は不可能になる。

 しかしヨアンナには納得できない。

 彼女は承服しなかった。

 時に逃亡してきたユダヤ人を匿《かくま》い、食料を与え、できる限りの援助に務めた。

 しかしその行為を知るに至り、支援していたイエジキ部隊のメンバー、福田会からの友であるエミルやアレック、ヤンなどからドイツ側への発覚を恐れ厳しく窘《たしな》められた。

 

 彼らも今ではイエジキ部隊の中核を構成する有力なメンバーだった。

 男気厚い彼らもまたエヴァ夫妻同様、ヨアンナを心配してワルシャワまでついてきたのだった。

 特にエミルは、ハンナの同意を得るのに人一倍苦労したが・・・。

 

 彼らとて決して平気で目の前の惨状を傍観していたわけではない。

 反抗の準備ができていなかったのだ。

 火の粉を自ら掃えない現状では、関わることは自殺行為に他ならない。

 涙を飲んで見過ごすしかなかった。

 

 エヴァはヨアンナを涙ながらに説得した。

 フィリプも同じだった。

 その背後にはエミルやアレックも控え、無言の圧力をかけた。

 

 

 彼女を心配する心に変わりはない。

 でも被支配層同士が団結行動できない悲哀。

 そんな悲しい状況が彼らの心を寒くした。

 

 しかし何故ヨアンナは身の危険を顧みず、ユダヤ人に救いの手を伸ばしたのか?

 

 そもそも何故ユダヤ人は絶滅を企図され、ホロコーストの犠牲にならなければならなかったのか?

 

 ヒトラーや一般のドイツ人に嫌われただけならまだしも、全ヨーロッパに蔓延した反ユダヤ主義はどんな理由があっての事なのか?

 何故殺されなければならないほど憎まれ殺戮《さつりく》を傍観されたのか?

 

 キリスト教の裏切り者『ユダ』がユダヤ人だったから?それが原因?

 だとしたら全くの笑止である。

 

 宗教の教義の中に、特定の人種を憎んでも良い、憎悪の対象は殺害しても良い、なんて教えだあったとしたら・・・・。

 人を救済すべき宗教が原因で、ホロコーストの犠牲になるなんて本末転倒だろう。

 逆に人殺しを是とする宗教なんぞ、絶対にあってはならない。

 (現実にはそんな宗教も数多《あまた》あるが)

 もし憎悪の動機がそれだとしたら、その教義を実践し差別を是認したのなら、信者自らが間違った宗教を信じ、実践してきた事になる。

 自分の信じる宗教が悪である事の証明になる。

 そんな小学生でもわかる簡単な理屈に気づけなかったとしたら、実に愚かだと断じられるのではないか?

 

 そんなくだらない理由が主たる原因であるはずはないと信じたい。

 

 では何故どこからも救援が無かったのか?

 世界で唯一、当時新世界と呼ばれたアメリカが受け入れたが、それもナチス台頭のユダヤ人弾圧初期の頃の話。

 大戦の動乱が進み難民が殺到すると、さすがのアメリカも次第に入国条件のハードルを上げ、受け入れ制限政策に舵をきり、積極的な救済に動くことはなかった。

 来るものは条件付きで拒まず。

 それがアメリカの態度だった。

 

 シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に登場するユダヤ人悪徳商人シャイロックや、『クリスマスキャロル』の守銭奴スクルージに代表される悪人のイメージがユダヤ人全体の印象なら、あまりに悲しすぎる。

 仮にそのような悪人が多数存在していたとしても、それが民族全体にあてはまる訳ではあるまい。

 同じ数だけ善人が存在し、大多数は普通に生活する庶民に過ぎなかったのではないのか?

 ユダヤ民族が団結して組織的な犯罪、殺人、弾圧・抑圧、搾取を長年繰り返してきたのなら納得もできるだろうが、そうではないだろう。

 ただユダヤ教に固執し、社会に積極的に溶け込む努力が足りなかっただけで、商才にたけた人物が他民族より多く、金持ちが多かったというだけで、そこまでの憎悪の対象になるのか?ならなければならなかったのか?

 

 人類の歴史はあまりに人命の価値が軽かった。

 第二次世界大戦終結後の条約・法律・社会制度・人権の仕組みが整えられた現在でも紛争や差別や対立や難民が絶えないが、それ以前はそれらが未整備の状態の中、おびただしい悲劇が起きた。

 

 その中にあっても、ユダヤ人ホロコーストは異彩を放つ突出した悲劇だった。

 

 ヨアンナは納得しない。

 

 しかし、ただ彼女がきれいごとの世界、平和なお花畑の住人だったわけではない。

 単なる軽佻浮薄なヒューマニズムから、気まぐれの衝動的な行動として手を差し伸べたのではない。

 

 彼女の生い立ちに思考の原点、行動の指針があった。

 

 故国を捨て、シベリアに逃避した難民の子として、途上両親を失い周囲の悲劇を多数目撃し、それ以上の善意の救済を経験し、現在まで生かされてきた。

 

 善意は人を救う。

 無関心や憎悪は人を死にも追いやる。

 自分はどちらの道を選択すべきか?

 

 その答えが総てだった。

 

毎日 其処此処《そこここ》で断末魔の叫びが聞こえる。 

 一度も会った事のない声の主の顔が一瞬闇に浮かぶ。

 そして消えゆく魂と一緒に、苦悶に歪んだ表情も消えてゆく。

 ナチスの殺戮の漆黒の闇の怖さが、人の正常な思考を破壊する。

 

 そんな恐怖に萎縮するより、勇気を持って『当たり前の人』でいよう。

 

 でも彼女は瀕死の逃亡ユダヤ人にパンを施す度、匿《かくま》うため一夜の隠れ場所を提供する度、自分の無力さを感じていた。

 できる事の限界を感じていた。

 この人たちを遥か遠くの国、日本に送ることができたら。

 きっとたくさんの人を救えたのに・・・。

 

 自分たちの民族も武力で占領され、支配されている苦しい状況に居ながら、ヨアンナはそんな事を考えていた。

 

 但し、その日本も個人単位ではユダヤ人を救ってきたが、国家が直接救う事はなかった。

 ナチスドイツとの軍事同盟があったから。






 ここにあるひとりの男の言葉が思い浮かばれる。

 

  ―マルティン・ニーメラー―

 

反ナチ運動家で、弾圧された経験から後に記された詩からの言葉である。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき

私は声を上げなかった

私は共産主義者ではなかったから

 

ナチスがユダヤ人を連行して行ったとき

私は声を上げなかった

私はユダヤ人ではなかったから

 

そしてナチスが私を攻撃したとき

私のために声を上げる者は

誰一人残っていなかった





     つづく

 


『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』連載版 第25話「立ち直れ!ヨアンナ 父の死の真相」

2023-01-21 04:00:00 | 日記

 

 ヨアンナにとって影となり日向となり、自分たち孤児院や青年会のメンバーの後ろ盾となり庇護してくれた大使館を喪失することで、心の中の最後の砦を失った敗残兵のような気持ちに陥っていた。

 またひとつ私の大切なものが消えてゆく・・・。

 

 見るも無残にやせ細り、生気のない彼女を見て、フィリップは大そう心を痛めた。

「おお、ヨアンナ!今のあなたの姿を見ていられません!

どうか私に貴女《あなた》を守らせてください!

私はあなたの事を深く思っています。

どうか、どうか、その闇から連れ出させてください!」

 後先《あとさき》考えず、思わず心の叫びが声に出てしまった。

 

 彼女はしかし、大きく頭《かむり》を振り、

「お心遣いありがとうございます。

 でも申し訳ないのですが、もう暫《しばら》く放っておいてください。

 私は今、無くしたものの弔《とむら》いをしています。

 幼い頃シベリアでの逃避行で両親を亡くし、友を失い、大切な日本の想い出の彼を私の身代わりの犠牲で失い、心の縁《よすが》だった日本の大使館のひとたちが去っていきました。

 もう少しだけ私の心をあの方たちに添わせてください。」

 フィリプはヨアンナの一滴《ひとしずく》の涙を見たような気がした。

 杉原千畝が敏郎の墓参りに来た日以外、来る日も来る日も窓辺に座り、外を眺めるでもなく涙に暮れるヨアンナ。

 

 そんなヨアンナにフィリプは、つかず離れずそっと見守る事にした。






 ヨアンナは毎日瞼《まぶた》に焼き付いた同じ光景を見ていた。

 

 思い出していたのではない。

 見ていた。

 

 敏郎の最後の時、彼の身体は自分の腕に支えられ空を見つめていた。

 彼の瞳は茶色だが、空の深い深い青が映る。

 

 その時敏郎とヨアンナには確かに天使の詩《うた》が聴こえていた。

 

 姿までは見えない。でも確かに聴こえていたのだ。

 

 ドイツ軍に摘発され、銃声や叫び声が鳴り響く中だったのに、あれだけの喧騒が一切聞こえない。

 

 代わりに鐘の音と天使の歌声が優しく耳を包む。

 

 そんな同じ情景が絶えずヨアンナに語りかけるように、繰り返し繰り返し見えた。

 

 ヨアンナは自分を責め続けていたが、あの詩《うた》の意味は何だろう?

 敏郎の魂が天使に誘《いざな》われ、青空に吸い込まれていくような不思議な感覚。

 私はそれを目撃していたのか?

 暫くして敏郎の瞳は永遠に閉ざされた。自分の腕の中で。

 

 ヨアンナは思った。

 彼の記憶は永遠に自分のもの。

 彼を連れ去った天使たちの行き先は、多分あの空の向こう、あのお方の座《おわ》すところ。

 

 私は彼の写真を一枚も持っていない。

 愛する人の写真は無い。・・・それは父も母も。

 でも私の瞼に焼き付き、記憶に残っている。

 私の大切な人は、そうやって永久に存在し続けるのだろう。

 そしてその中に敏郎も加わった。

 

 天使の詩《うた》と共に。




 フィリプが我慢強く通っていたある日。

 

 ヨアンナの視線が自室の窓の横にある壁の古い数枚の写真から離れず、ジッと見つめ続けている姿を目撃した。

 フィリプはヨアンナがその写真たちと会話しているように感じた。

 

 やがて彼女の表情にほのかに赤身を帯びた生気が戻ってきた。

 

 そして彼女はゆっくり向き直り、フィリプに言った。

「この写真は日本とお世話になった福田会《ふくでんかい》の人たちの写真です。

 幼い頃私が日本に滞在したころは、もう両親はこの世に居ませんでした。

 だから勿論《もちろん》この写真には写っていません。

 私は父の写真も母の写真も、持っていないのです。

 でもこの懐かしい写真たちを眺めていると、何故か父と母を思い出します。

 そしていつも私を励ましてくれます。

 優しく包み込み、悲しさや苦しさを和らげてくれます。

 だから今までずっと写真を見て、父と母を思い出していました。

 

 私の父と母が私に言うの。

 もう泣くのはおよしなさい。

 あなたに涙はふさわしくない。

 あなたがこの世に生を受け神から授かった使命は、周りの人々を明るい陽の光のように照らす事なのだから。

 だからいつまでもあなたが塞《ふさ》いでいたら、皆が不幸になってゆくの。

 だからそろそろ顔を上げ前を見て、自分の目の前に見える道を信じて歩みなさい。

 神様も、そしてまわりの皆もそうする事を待っているのだから。

 

 私は自分をそんな風に思った事はありません。

 でもそれが父と母の願いなら、その期待に応えたい。だからもう嘆きという闇と霧をかき分けて歩き出します。

 ご心配をおかけしました。」

 少しだけ笑顔を見せ約束してくれた。



 但し、敏郎の事は口に出さなかった。

 誰にも触れてもらいたくないから。



「貴女《あなた》にはご両親が見えていたのですね?

きっと優しく立派な方だったのでしょう。」

「ええ、そうです。

 父も母もシベリアでサヨナラしたけど、いつも私を見守り、応援してくれていると信じています。

 父はある日食料を調達するために母と私を置いて出たきり帰ってきませんでした。

 それから何年も経ってから、伝え聞きで父の最後の消息を知りました。

 

 父は身に着けていた大切な腕時計と交換して、やっと手に入れた食料を地元の暴漢に襲われ奪い取られてしまいまったそうです。

 そしてその時必死で抵抗し、命までも奪われたと。

 最後まで私と母の名を呼びながら息を引き取ったそうです。

 その様子を目撃した知人は、自分の保身から助ける事ができなかったと。

 巻き添えをくい自らも負傷し、数日間動けなかったそうです。

 私に父の消息を教えてくれたその方は、シベリアで一緒の人でした。

 児童救済委員会の人が私を助けに来てくれるまで、私の面倒をみてくれました。

 私に何度も何度も言おうとしたけど、事実を伝えることができず、その罪の意識から私を最後まで面倒みてくれたそうです。

 そういったことから自分たちが命がけで工面した僅かな食料を、私にも分け与えてくれたと打ち明けてくれました。

 申し訳なくて、私たちに顔向けできなくて、真相を打ち明けられずにいたと。

 遥々(はるばる)私の居るヴィイヘローヴォ孤児院まで来てくださって、涙を流しながら何度も何度も「済まない」と謝り続けて・・・・。

 

 あの時は皆辛かったです。

 父の死も知らず、いくら待っても父は帰らず、諦め先へ進みながらも、お金もなく食料と交換できる物も尽き、とうとう母は私の行く末を案じながら父の待つ天に召されていきました。

 自分は何も食べず、極寒の中、暖もとらず私を守り続けた最後でした。

 

 父の死を看取ったあの方が戻って来たとき、既に私の母は息を引き取った後だったそうです。

 母の最期を見て孤児になった私を、あの方と他の大人たちが守りながら、イルクーツクまで連れて行ってくれました。

 今私がこの世に生きていられているのも、たくさんの人たちが手を差し伸べてくれたおかげです。

 (だからその結果)父は死して私を見守り、加護の手助けをしてくれたのだと思っています。

 私は父に恥じないよう、母に恥じないよう、お世話をしてくださった皆さんの心に応えられるよう、生きてゆかねばなりません。」

 

 フィリプはそれを聞き涙を流す。

 

 ヨアンナはただの一度も敏郎の死に触れていない。

 彼女は心の奥底に秘めていようと決心しているようだ。

 そんな健気なヨアンナが愛おしい。

 フィリプは彼女をサポートし、生涯を捧げる決心をした。

 

 例え彼女の愛を得られず、永遠に結ばれなかったとしても。




        つづく

 


『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』連載版 第24話 「ポーランド侵攻と分割」 

2023-01-18 10:51:33 | 日記

 この回までは井上敏郎の死に至るまでのフィリプ目線での回想です。

 時はまだ1941年12月8日に至っていないことにご注意ください。

 

 

 

 1939年4月28日、ドイツはドイツ・ポーランド不可侵条約を破棄、不安と現実の危機が目の前に迫り、同年9月1日早朝、ドイツ機甲師団が雪崩を打って国境を越えてきた。

 

 第二次世界大戦の始まりである。

 

 続いて9月17日ソ連が東からポーランド領内に侵攻、国土が西と東のふたつに分割され、瞬く間に占領された。

 

 第一次大戦前と同様、再び理不尽な他国の支配に甘んじなければならない辛い毎日の幕開けだった。

 

 

 だが祖国を侵略されても、誇りと気概を忘れないポーランド人。

 決して屈しまいとの決意から、必要な日常行事を取りやめる事はない。

 

 極東青年会もそんな不撓不屈ふとうふくつのDNAを持つポーランドが誇る団体に成長していた。

 

 ある日(井上敏郎が杉原千畝と立ち話していたのをヨアンナが目撃したあの日)の日本大使館と青年会協同主催慈善パーティでのこと。

 

 いつものようにフィリプはヨアンナの姿を目で探しながら、会場の隅で参加者たちの人間観察をしていた。

 しばらく経って彼はヨアンナの姿を見つける。

 彼はすかさず挨拶に向かうが、彼女は正面に立つある男性と親し気に話しているのに気づく。

 しかもそれは東洋人!

 多分日本人であろう。

 フィリプは思わず立ち止まった。

 咄嗟に自分の想いを打ち砕く地雷を避けるような行動に走った。

 根拠はないが、「そうしろ!」と経験から来る勘が叫ぶのだ。

 「今、このタイミングで失恋などしたくない!」 

 彼の自己防衛本能が働いた。

 

 会話内容が聞こえない距離のため、いったい何を話しているのか分からない。

 しかし、フィリプはヨアンナが話す相手が直感により、恋仇こいがたきであると感じ取った。

 ふたりだけの空間には部外者の入り込めない、見えない壁と厚い扉の存在があるように思える。

 衝撃が背筋を貫く。

 努めて冷静を装うつもりでいたが、掌と額の汗は隠し通せない。

 少し距離をおいた所でたたずみながら、手汗を感じるしかなかった。

 会場の同じ空間のすぐ近くに居ながら、天と地ほどの乖離した世界に迷い込んだ気がする。

 

 どれほどの間傍観していただろう。

 実はあの時のヨアンナと敏郎の会話はすぐに終了しているが、フィリプには永遠と思えるくらい長く感じた。

 気がつけば会話を終え、自分の存在に気がついたヨアンナが私に歩み寄ってくる。

 いつもの私に向ける親しみやすいあの笑みをたたえながら。

「今日もいらしてくれたのですね。

お声をかけてくださればよかったのに。」

 

(今しがたまでお話されていたあの方はどなたですか?)

そう聞きたい!

 眩暈がするほど激しく揺れる心を必死で抑えながら、

「貴女が親し気に会話をされていたので、つい声をかけそびれていました。」

 

 声がひっくり返るのではないかと心配するほど、高いトーンでうわずった口調になってしまった。

(ああ、情けない!恥ずかしい!大の大人が、大の男が何というザマだ!!)

 

 そのどぎまぎした様子に一瞬クスっと笑い、

「失礼!」と彼女は言った。

 

 その翌日の敏郎とヨアンナが橋の上で偶然出会い、お互いの気持ちを確かめあった運命の日から数日が経過した頃、フィリプはそんな事があったとは夢にも思わず、何かと理由をつけてヨアンナのいる孤児院にやってきた。

 

 そしてヨアンナにあの日のお世話になったお礼を言う。

「先日は素敵なパーティーでお世話になりました。

とても楽しく過ごすことができました。」

 と笑顔で声をかけた。

「戦時中の事ですので何かと至らず、ご出席していただいた皆様にかえってご迷惑をおかけしたのではないかとわたくし、心配していましたのよ。

バクラさんが本当にそう思っていただけたなら、私を含め、主催メンバーたちもホッと胸を撫で下ろしますわ。」

「とんでもない!この難局によくぞここまで立派にできたと、返って感服しているくらいです。

 特にあの時の来賓の方々を見ると、流石さすが日本大使館と青年会の共催だけあって、多数の日本人の方たちが顔を見せていましたね。

 戦争中だと云うのに凄い事だと思いました。

 それにしてもヨアンナさんは日本の皆さんにもお顔が広いのですね。

 まだ若いのに凄いと思いました。」

 

「ああ、あの方・・・。

 あの時ご覧になられましたわね。

 あの方は日本人であの後で知ったのですが、あの方には昔お世話になった事がありましたのよ。

 紙で折った鶴を私にプレゼントしてくれた方。

 私の大切な思い出なの。」

 少し伏し目がちに彼女は言った。

 

 (もしかして私の嫉妬の感情を見抜かれた?どう返したらいい?)

 しどろもどろしながらフィリプは少し長い沈黙のあと、

「そうでしたか。大切な方なのですね。

 貴女の眼差しを見ていてそう思いました。」

 無理して快活そうに応えた。

 

 幾分不自然なフィリプの様子に気づかないのか、いつもなら鋭いほどよく気がつく娘なのに、あの橋の上での夢のような会見を思い出し、その余韻から上気した表情で

「そう、あの方と日本は私のかけがえのない思い出なのです。

 国に戻ってパンジーや水仙やヒヤシンスを見ても、穏やかで気持ちの良い夏の日の日差しに身を委ねてみても思い出すの。

 まだ幼かった日本での生活を。」

 

 近くのテーブルに置かれたワイングラスを見つめながら、何かを追いかけるような目で、独り言のようにつぶやいた。

 

「私はいつも不安と共に暮らしてきました。

 それは今も同じです。

 もちろん孤児院や青年会のメンバーたちに囲まれて楽しく暮らせていますが、基本私たちは皆ひとりです。身内と呼べる人は居ません。

 どんなに素晴らしい仲間がそばにいても、両親を亡くし、頼れる兄弟姉妹もなく、何の力も後ろ盾も持たない孤児が生きてゆくのは、月も星の光も無い暗黒の夜道を歩くようなもの。

 親の温かい言葉やぬくもりが、堪らなく恋しいと思うときがあります。

 母や父の親身なさりげない言葉に飢え、寂しさに涙する事もあります。

 だからせめて少しの灯りでも良いから、道標が無ければ生きてゆけません。」

 

 ヨアンナがフィリプに向き直り、

「秋の風が吹くとき、どんなに暖かなコートを身にまとっても、冷たさが身に沁み、寂しさが身に応えます。

 枯葉が風に舞い目の前を通り過ぎる時、今まで生きてきた自分の人生と重なります。木枯らしのような暮らしを、吹けば飛ぶような虚しい営みを。

 だから暑かった日本の充実した夏の日や、人々の温かい眼差しと楽しかった日常をいつまでも忘れたくありません。

 いなくなった両親に成り代わって優しくしてくれたあの時代に、感謝と恩を忘れたくないのです。」

そう言い終わると、真っ直ぐフィリプを見つめるヨアンナ。

 

 フィリプはヨアンナを堅く抱き締めたい衝動に駆られた。

 

 しかし彼女の曇りのない灰色の眼の中の健気けなげで孤高の誇りに満ちた光を感じ、ヨアンナという女性にここでむやみに触れてはいけない気高さを悟った。

 

 幾分落着きを取り戻した彼は、愛おしさで心が満たされ、自らの嫉妬を恥じ、

「私は不用意に貴女あなたの深い悲しみや孤独に立ち入ることはできません。

 でも、これだけは気に留めておいてください。

 私はいつでも、どんな時も貴女あなたの力になれるような人間でありたい、貴女の心に寄り添える人間でありたいと願っています。

 そしてそう思っているのは私ひとりだけじゃなく、神も身の回りのたくさんの人たちも貴女に対し願っていることです。

 私はいつも見守っています。

 それを貴女にも感じて欲しいです。」

 今度はまっすぐ彼女の目を見据えて力強く言った。

 

 ふたりは暫く見つめ合っていた・・・無言で。

 

 ふと我に返り、ヨアンナは伏し目がちになりながら、一言添え逃げるようにその場を辞した。

 

 

 

 

 やがて戦争はその激しさを増し、戦乱の拡大は留まるところを知らなかった。

 

 1941年10月4日、在ポーランド日本大使館の閉鎖が発表され、12月8日午前1時(日本時間)には日本がイギリスのマレー半島を攻撃しここに太平洋アジア戦争が勃発、次いで同12月8日ハワイ真珠湾奇襲、12月11日ロンドンの亡命ポーランド政府はドイツの同盟国である日本へ宣戦布告。怒涛の展開が全世界を覆った。

 

 

 その戦乱がポーランドを覆いつくし、在ポーランド日本大使館閉鎖発表が成される少し前、ヨアンナの身の回りで悲劇が起きた。

 

 彼女が密かに心を寄せていた井上敏郎が、彼女をかばいドイツ軍の銃弾に倒れた事件が発生。

 彼女の腕の中で絶命した敏郎。

 ヨアンナには、目の前に天使が舞い降りて青空の中、敏郎の魂を天にいざなう姿が見えた。

 遠ざかる彼らを見ながら、またも立ち去った大切な命。

 父も母も、多くの友人も、そして今、腕の中で息を引き取った彼までも。

 

 その日を境に彼女は悲嘆にくれ、人が変わったように抜け殻生活が始まった。

 

 来る日も来る日も無気力な生活。

 杉原千畝が敏郎の墓参りに見えた時だけ精気を取り戻したが、また直ぐに悲嘆にくれた生活に戻った。

 もう、お世話しに通っていた孤児院どころではなかった。

 

 そして迎えた閉鎖された日本大使館最後の係官が立ち去る日。

 彼女は何かにすがりつこうとするかのように、ヴェイヘローヴォ孤児院を去り、一路閉鎖直前の大使館があるワルシャワに向かい、建物の前に立っていた。

 彼女を心配し、いつも見守っていた極東青年会のメンバーは、その中心に拠点を置いていたワルシャワ市内の複数の拠点の一室を彼女に与え、万全のサポート体制をとることにした。

 一方、ドイツ軍のポーランド侵攻後、ポーランド政府が瓦解、政府要人がロンドン亡命政府を組織し、その指揮下ポーランド国内残存兵士たちにより、レジスタンス目的に組織された軍隊「国内軍」に参加する事となったフィリプも首都奪還のため、偶然ワルシャワに転任していた。

 ヨアンナもワルシャワに来たとの知らせを聞き、すぐさま駆け付け、何かと面倒をみようとした。

 彼女の住むアパートを訪れる時、独身女性宅への来訪との配慮から、極東青年会とイエジキ部隊メンバーに同行してもらい、当時ワルシャワ市内では食料が不足し、入手困難になりつつある状況の中で何とか手に入れたジャガイモや豆や、パン、ワインなど差し入れを持参した。

 

 また、親友エヴァも夫ミロスワフと共に、ヨアンナのもとに駆け付けた。

 井上敏郎の死を境に悲しみに暮れるヨアンナを心配しての事だった。

 エヴァは語りかける。

「おお、ヨアンナ!私の大事な子猫ちゃん!!」

 エヴァは以前ヨアンナから幼い時、母が彼女の事を『子猫ちゃん』と呼んでいたと本人が話していた事を覚えていた。

「早く元気になって、私と明日の幸せについて語りましょう!

ほら、笑顔を見せて。」

 無理に弱々しく笑顔を見せるヨアンナの様子に、これは重症だと知ったエヴァであった。

 大切な親友ヨアンナをここに放っておかれない。

 結局エヴァとミロスワフ夫婦の滞在は長引き、その後のワルシャワ包囲戦に巻き込まれる事となる。

 

 

 

       つづく

 

 


『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』連載版 第23話 「極東青年会」のヨアンナ

2023-01-14 00:00:00 | 日記

 

 ヨアンナはエヴァがエミルと結婚し、遠ざかった後のひとりの時間を『極東青年会』の活動に傾注した。



 ** おさらいになるが、『極東青年会』とは孤児出身のイエジ・ストシャウコフスキが提唱して結成した組織で、孤児と日本の親睦を図る事を目的に作られた組織である。**



 まだ幼さが残る頃のヨアンナは青年会のマスコット的存在だったが、歳を重ね彼女も成長した。

 正式にメンバーとなる17歳以降、その聡明さと、日々目を見張る美貌から頭角を現す存在となっていた。

 

 そんな青年会で活躍するヨアンナをフィリプ・バクラ少尉は見逃さない。

 

 情報将校として日本大使館の諜報員と連携をとるのと同じく、彼ら『極東青年会』の活動も側面から支援し続けてきた。

 

 1939年極東青年会はこの時既《すで》に、占領ドイツ軍に対するレジスタンス活動を本格化する準備を進めていた。

 そして会長のイエジ・ストシャウコフスキはドイツ軍のポーランド侵攻後直ちに青年会の幹部を招集し、対ドイツへのレジスタンス活動を目的とした『イエジキ部隊』を結成する。

 レジスタンス活動と云っても、まだあどけない子供の面影を残す青年未満の少年たちの集まりに過ぎない。

 今の日本で云ったら、下は高校生と同程度だと認識して欲しい。

 そんな子供達の命の危険に晒すような真似は、周囲の大人たちが認めないだろう。

 だが少年たちは日々成長する。

 一人前とは言えなくとも、自分たちにできる事がある筈だ。

 そう云って彼らは自分たちにできる事、子供でもできるような雑用から始めた。

 そして次第に行動内容の幅を広げ、伝令役や、浮浪孤児のふりをしてドイツ兵に近づき、さりげなく諜報行為を展開するなど、場数を踏みながら経験を積み、責任と危険度と重要度を増す活動に従事するようになった。

 

 そんな中、ヨアンナは結成されたばかりのイエジキ部隊に参加しながらも、表の顔として青年会での自分の役割も果たすよう努める。

 

 その頃にはもう17歳から更に歳を重ね、おとなの女性へと成長していた彼女は、訪れる大使館員や諜報員、その他雑多の訪問客への応対役として、活躍の場を確固たるものにしていた。

 

 そして彼女が井上敏郎を強く意識し出したのもこの頃だった。

 

 

 その時はまだヨアンナと敏郎が一緒のところを目撃していないフィリプは、ヨアンナの立場から見たら多分自分はただのオジサンに過ぎないんじゃないか?と思い込んでいた。

 情けないがただ遠くから眺めるだけで、話のキッカケすら作る糸口が見えない。

 ただ傍観するしかない自分が情けなかった。

 それでも諦めきれないフィリプは、いつも彼女を目で追った。

 

 

 情報将校の立場としては、あまり日本大使館への目立った出入りは憚《はばか》られるが、出来るだけ一般人に紛れ扮装して、日本大使館主催の『孤児院を励ます会』などの交流でも彼女と出会う機会を数多く持つ努力をした。

 

 それにしてもフィリプと敏郎は同様の諜報活動の任務を負っているのに、何故お互い面識が無かった。

 何故か?

 杉原千畝にとっては、どちらも連絡を取り合うある意味パートナーだったが、敏郎とフィリプは隠密に別行動するためお互いを知らない。

 

 それは誰がナチスや赤軍に摘発されても、一網打尽にされるのを避けるための配慮と対策だった。

 しかし、諜報に携わるふたりが同一の女性に恋するなんて、何と皮肉な運命なのだろう!

 

 

 フィリプとヨアンナに戻る。 

 

 フィリプは歳の差が一回り以上違う彼女に対し、自分はオジサンだと自認する年上の気おくれから自然な会話などできる訳もなく、ただぎこちなく「こんにちは」だとか「こんばんは」程度の基本的な挨拶をするのが関の山だった。

 

 ただし彼女の方はそんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ある日青く澄んだ夏空のような気持ちの良い笑顔で話しかけてくるのだった。

 「まあフィリプ・バクラさん、ごきげんよう。

 いつもご協力いただき、ありがとうございます。

 おかげさまで子供たちも皆喜んでいますのよ!

 是非今宵もごゆっくりお楽しみください。」

 

 夏に一斉に咲き誇る花々のような匂いが伝わりそうな、軽やかな声でそう言う。

 

 何と!!私の名をフルネームで覚えてくれている!!

 単純にそれだけで嬉しかった。

 でも欲を言えばもっと二人の関係を発展させ、「フィリプ」とファーストネームで呼んでくれる間柄になれたらどんなに良いか・・・。

 ヨアンナは何と眩しい人だろう!

 ただ若いだけの乙女には無い気品を、彼女は持っている。

 近づいてくるだけで、心が打ち震えるのを強く感じる。

 

 「そう言っていただくと返って恐縮です。

 私もあなた達と同じく、日本を経験した同志だと思って参加させてもらっているのですよ。

 だからそんなお気遣いは無用です。」

 

 フィリプは自分が情報将校である事も、以前空路日本に向かい、英雄として名声を馳せた一行のメンバーであった事実も伝えていない。

 でも自分が日本通で、どこかの時点で日本訪問をしたことがあるのだろう。

 その程度の情報ならヨアンナは他の青年会のメンバーや、大使館員から伝え聞いていたのかもしれない。

 だって私の名をフルネームで呼んでくれたのだから、慎重で堅実なヨアンナなら、私に関しての情報はある程度調べてくれていた筈。

 だったらそれくらいなら、ヨアンナに直接言っても不都合はない。

 そんな判断から敢えて『日本を経験した同志』と仄《ほの》めかしたのだった。

 

 実際ヨアンナに「まぁ、そうでしたの?」などと云うリアクションは無かった。

 

 

***

 彼は決してさえない風体の男ではない。

 むしろ誰から見てもさわやかな好青年で、街を歩くだけで道行く女性たちが密かに振り向くほどの好男子でもある。

 ただ自分より若すぎる素敵な女性に気おくれしていた。

 そういう慎ましさと誠実さが彼に備わった特徴でもある。

 

 但し、そういった純粋さや朴訥《ぼくとつ》な性格は、情報将校の資質として如何なものかとは思うが・・・。

 

 だってスパイ映画などに登場する主人公は、自信満々で颯爽として、憎らしいほど女にモテ、時には非情なイメージがあるでしょ?

***



 「そのようですね。

 私たちはこの地では数少ない日本体験の絆で結ばれた友なのですね。

 バクラさんは私にとって年上の方ですし、失礼ですが大切な親友のように思いたいです。」

「構いません!!是非そう思ってください。

 そして困ったことがあったら遠慮なく申し出てください。

 私にできることなら精一杯お手伝いさせていただきますよ。」

 嬉しさのあまり、満面の笑みを添えて前のめりに彼は言った。

 

 「ありがとうございます。

 とても心強く思いますわ。

 私たち青年会はいつも困難な状況の中にいて、絶えずたくさんの支援者の皆様の

お力添えを必要としています。

 厚かましいとは思いますが、必要な時には遠慮なく助けを求めることになると思いますが、その時はどうぞよろしくお願いいたします。」

 そう言って彼女は右手を差し出した。

 

 「喜んで全力を尽くさせていただきます。」

 ときめく心を必死で隠しながら、彼は握手した。

 その時が初めて彼女に触れた瞬間だった。

 

 その日を期に、彼と彼女は会う機会がある度に打ち解けた軽い挨拶の他、ちょっとした季節の話などを織り交ぜた会話をするようになった。

 しかしふたりの距離はそれ以上進展することなく、時ばかりが過ぎていった。

 

 その時はまだ井上敏郎と云う大きなライバルが存在していたから。





       つづく