真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

はじめに

2025-04-20 00:58:58 | はじめに

はじめまして。クロの「真実と幻想と創価学会」においでくださり、ありがとうございます!

母親が学会員の元2.5世(祖母と母親が同時入会)学会員によるアンチ創価ブログでございます。

私自身、創価学会に悩まされ、創価学会の事を調べていくうちに、多くの方に創価学会の問題を知ってもらいたいと考え、このブログを立ち上げました。

創価学会に悩まされ、とは言ったものの私は学会活動・信仰共にしたことはありません。

ほぼ外部目線での創価学会の情報発信の場として、あるいは同様の悩みを語る場(愚痴吐き場)として記事を書いています。

基本的にリンクフリーですが、その際にはコメント欄にて一言残して頂ければと思います。

また、コメントは承認制です。ご了承ください。非公開を希望の方は、その旨を添えて頂ければ公開いたしません。

なお、コメント欄のルールとして投稿されたコメントの全削除には対応いたしかねます。詳しくは「コメント欄の扱いについて」をご覧ください。

書き込む際には良識ある言葉遣いでお願いいたします。

毎週日曜日に更新(たぶん)。勤め人なので土日にコメントの返信は集中します。

追記(2009/9/26):少し記事も増えてまいりました。初めて訪れた方は「自己紹介」の記事にて私・クロのことを簡単に紹介していますので、ご覧ください。

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これが成果。

2017-02-12 21:47:52 | 創価学会問題

大勝利さんのブログ「聖教新聞一面だけは読んでやる!」の2017年2月10日の記事を拝見して、私はちょっとゾッとしました。

フロリダで3ヵ国200人の青年が求道の心燃やし参加
北米・オセアニア教学研修会
池田先生が若き友にメッセージ贈る
幸福と平和の智慧を世界へ

との一面の見出し。そして大勝利さんが記事にして下さった部分が以下のものです。この内容に、私はゾッとしました。

米ニューメキシコの女子地区リーダーが、
「研修を通し、困難に直面した際に
”池田先生ならどうされるか”を
考える事が重要だと分かりました。」と言っているらしい。

何がゾッとしたかお分かりでしょうか?

「池田先生ならどうされるか」を考える、の部分です。

あぁ、これ完全なマインド・コントロール(MC)じゃないか!と。見事なMCです。お手本のように。

ニューメキシコの地区リーダーさんは、自ら理想とする池田氏をここで作り上げていきます。何か悩みや問題があったとして、その解決に完全無欠のスーパーヒーローが降臨するわけです。彼女の頭の中で。

それは彼女の妄想に過ぎないでしょうか?いいえ。彼女の中ではそれが現実の池田先生なのです。もしかしたら、妄想より本物はもっと凄い、と常に感じているかもしれません。

この思考の中では池田氏が現実にどうするか、はさほど考えられはしません。え?「池田先生ならどうするか」考えるのにさほど考えられないってどういうことかって?

「現実に」どうするかが考えられないのであって、彼女の頭の中で繰り広げられるのは「理想的に動いてくれる池田先生」です。現実より理想。「こうであってほしい」「こうであるべきだ」という理想に沿って、池田氏が動きます。あくまで彼女の頭の中では。

なので過去の池田氏の言動や、そこから推測される池田氏の性格などは重要視されません。あくまで、聖教新聞や人間革命の「山本伸一」、あるいは学会の出版物によるイメージの延長線上で、「理想的に動いてくれる池田先生」を想像し、そして想像の中の池田先生に心酔していくのです。

MCはたまに洗脳と同一視されることがあるのですが、この両者はまったくの別物です。

洗脳は書いて字のごとく、脳を洗う。一旦それまでの自我、アイデンティティを完全に崩壊させて新たな思想を植えつけることになります。ですので洗脳された人間は、それまでとは人格から全く変わってしまうことが特徴です。手法としても、薬物投与や虐待など、物理的な手段を用いることが前提とされます。

MCはこの洗脳のライトなやつ、と考えられがちですが大事なことなので二度言いますが、全くの別物です。

MCは「特定の目的を持ったある選択を、自ら選び取るように仕向ける」簡単に言うとこんな感じです。

ですのでMCされている人間は自ら選択していると思っているので、MCされている自覚はありませんし、人格や性格が変わることもありません。長期的には影響しますが。

そして洗脳がONとOFFのように施術されるのも解けるのも短期的ならば、MCはかかるのも解けるのも時間がかかります。

一つたとえ話をしましょう。

駅に行くまでにAという道とBという道があります。両方とも距離は同じ。歩きやすさ、交通量も変わりません。

そこへターゲットにAの道に関する悪い噂だけ吹き込みます。

「Aの道ではよく事故が起こる」「あの道はなんとなく陰気臭い」「Aの道でこの前痴漢が出たらしい」などなど、真偽も不明な噂を吹き込みます。そして同時にBの道の良い噂を口にします。

「Bの道はきれいね」「Bの道でこの前100円拾った」「Bの道では向かい風に遭わない」などなど、どうでもいいようなネタでもポジティブなものにします。

ターゲットは別段気にしていなくても、ある日Aの道を通ったときに何か悪いことが起こるとこの噂話を思い出します。Bの道で何事もなく通れると「やっぱりBだから無事だったのか」などと思い始めたりもします。そしてAの道で躓いて怪我でもしようものなら決定的です。

ターゲットは誰にも「Bの道を通れ」と命令されてはいません。「Aの道を通るな」とも。

しかしBの道を意識的に選び続け、何かの理由でAを通るときには「何事もありませんように」と願い、今まで気にもしなかったようなことが目に付いて「Aの道はやっぱりダメだ」と自ら噂話を補完していきます。

自らAの道のダメなところを探して考え始めます。自らBの道の良いところを探して考え始めます。

何故か。

それは一度でもAを悪いと思い、Bを選んだ自らの選択を正当化するためでもあり、その(思考に費やした)労力を無価値にしないためにです。誰でも自分の選択を否定されるのは気分のいいものではありません。自分が間違っていたとしても。

その正誤があやふやなものであるのならばその心理は更に強く働くでしょう。だから宗教ではMCされやすいのです。

ましてや労力や時間(創価で言えば活動であり、信仰についての思考)を費やしたならばなかなか切って捨てることはできません。正当化するほうに注力してしまうものなのです。人間の当然の心理として。

これが「認知的不協和」の心理であり、「すっぱいブドウ」の話と言えばお分かりの方も多いと思います。

ニューメキシコの地区リーダーさんは、ことある毎に「理想的な池田先生」を想像してそれを自らの指針とすることでしょう。この「理想的な池田先生」は勿論想像上の人物ですから、人によって様々です。その人一人ひとりにとって都合のいい、理想の姿が展開されます。

あの元職員3名の頭の中で、彼らを鼓舞する崇高な「師匠」もその中の一つと言えましょう。彼らの「師匠」とニューメキシコ地区リーダーの「池田先生」は必ずしも同じ言動をするとは限らないのです。面白いことに。

そして誰しもがその理想像を押し付けられたわけではないのです。自ら選び取った思考なのです。

元職員3名にとっては都合のいい師匠利用となっていますが、一般会員の多くにとっては未だ聖教新聞は重要なMCツールであることに違いはありません。

メキシコの地区リーダーさんに倣い、我も我もと理想の池田先生像を構築していくことでしょう。

「先生ならきっとこうしたはずだ」と。それは全知であり全能であり、その上をも行くことができる「凡人の考えの及ぶところではない」という魔法でもあるのです。

ここ最近の大勝利さんのブログから見る聖教一面で一番ゾッとしたお話でした。

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週刊ダイヤモンド 「創価学会と共産党」より その5

2017-02-05 22:33:23 | 創価本の紹介

学会員は営業活動で有利!?
〝創価民族〟の意外な生活圏 小川寛大●季刊「宗教問題」編集長

 

 創価学会の現在の公称会員数は827万世帯。さすがに本当にそれほどの数がいるとは考えられていないが、近年の国政選挙で公明党は、全国でおおむね700万~800万の票を比例区から集める。ここから逆算した正味の創価学会員数は、300万~500万人ほどなのではないかというのが、創価学会をウオッチする研究者やジャーナリストの一般的な見解だ。

~中略~

 一般の日本人とは微妙に異なる価値観を持った人々が数百万人規模で存在するという意味において、すでに現在の日本には〝創価民族〟とでも呼び得るコミュニティーが成立している。
 学会員の中にはさまざまな商売を行っている人も多く、前出の運送業経営者のように、学会員たちのネットワークを営業に結び付けているケースも確実にある。また毎週末などには「座談会」や「唱題会」と呼ばれる信仰上の集まりが頻繁に催され、学会員たちの子弟らを対象としたレクリエーション行事なども活発(そうした活動に付いて回る学会員たちの消費活動は、学会員が経営する商店などと結びつく場合が少なくない)。
 つまり学会員とは、その気になれば学会員以外の人々とまったく交流することなく一生を終えることすらできる存在なのだ。無論、現実には多くの学会員は一般の社会や人々とも交流を持っている。それでも学会員は一般の日本人とは確実に違う生活環境の中に暮らす。単純な比較ができるものではないが、人口約370万人の静岡県の県GDPは約15兆円。一つの参考になる指標ではあろう。

・・・その5に続く。

間が空きすぎて「その4」がどんな内容だったのか覚えている方はいないでしょうw
私自身も忘れていましたから。
というわけで、週刊ダイヤモンド特集「創価学会と共産党」より記事を紹介します。

まず創価学会の会員数について出てきますが、これは諸説ありますね。ここでは300万~500万とされていますが、200万ともそれを切るのではともする説もあります。そしてここで言われる「学会員」とは戦力となる活動家を指します。かつての私のように、自分が学会員であるという自覚もないような人間や、自らの意思を持って非活になっているような人は含まれないということです。

そしてどれだけ多く見積もっても公称が水増し過ぎるということは間違いないようですが。何故このような明らかな嘘が声高に叫ばれているのに、その虚偽について事実を明らかにせよという学会員さんが現れないのか不思議です。学会員さんたちは公称の会員数が真実であると思っているわけもないでしょうに。

おそらくは嘘だと分かってはいるが「どうでもいい」と思っている人が多いのでしょうね。創価学会(池田氏)の信心は素晴らしい、と。そのような嘘はこの素晴らしさの前では瑣末なことである、と。

そうやって「どうでもいい」と見ないフリをしている嘘が、山のように積み重なっているのに自ら視界を狭く狭くして見ない様にしているような姿が浮かびます。その訓練の賜物で、本当にまずいことや信仰を揺るがしかねない事実さえも、なかなか視界に入らないようになっているようです。

自分の見たいもの、信じたいものだけを意識的、無意識的に認知しているわけで、その限られた情報の中で整合性を取ろうとするとどうしても矛盾や辻褄の合わないことが出てきます。聖教新聞では人材も拡大の一途をたどる創価学会なのに、現場ではどうか。世界が認めて欲する池田哲学なのに、現実ではどうか。創価学会が世界に広まっているなら、この世界は平和でなくてはおかしいのにどうか。

そこに答えを見出せるという人はいますでしょうか?自分なりに答えは出せますか。

答えを出せる人。

それがマインド・コントロールされている人です。

普通の人はそもそも「人材の拡大」も「世界が認める」も「創価学会が世界に広まっている」も、事実ではないことが分かっているのです。答えを出す以前の問題ですね。

さて、少し本題から逸れましたが創価学会の閉鎖的なコミュニティーの話に戻りましょう。

学会員さんがその気になれば創価学会の中だけで生きていける、というのは極端な話ではありますが限りなくそれに近い環境になることはそう難しくはありません。

特に職種にもよりますが自営業の方や、婦人部の方たちは。専業主婦の方で学会員以外に友達と呼べる人がいない、という人は多いでしょう。その学会員の友達ですら学会員でなくなったら友達でもなくなるというような代物なのですが。

そしてこの学会員の中でのみ密な人間関係を築いている人たちこそ、創価学会の柱とも呼ぶべき主戦力の活動家の方々です。

創価学会にとっての都合を考えると、この層をターゲットにマインド・コントロールを強化することが優先されます。創価学会が特に持ち上げる・もてはやすのがどの層かを考えると、まさに当てはまっていると言えるのではないでしょうか。

かつて池田氏は創価学会で全て自己完結できるようにと提唱しました。創価王国ですね。

その精神は不完全ながらも形作られています。その中にいれば綻びをもたらすものが存在しない、完結された全体主義国家のようなものです。まあ、それが夢の国だと思う人もいてしまうのが人間の歪な心というものでしょうか。

話は変わりまして、シニフィエさんのブログ「対話を求めて」500万アクセスの快挙を達成されました。まだお祝いコメント受付中のようですので、まだの方は是非!

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500万アクセス達成!

2017-02-02 21:53:53 | ブログ

もうご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、あのシニフィエさんのブログ「対話を求めて」にて、500万アクセスが達成されました。

ノ'0')ノ ̄♪祝 v(^O^)v 祝♪~ヘ('0'ヘ)

皆さま、恒例のお祝いコメント欄が解放されておりますよ。さあ、お祝いせねば!

コメント欄を拝見しておりますと、やはり元活動家の方をはじめとしてたくさんの方々がこちらで覚醒のきっかけを得ておられるのが分かります。

とても得難い、貴重なブログだと思います。

復活して下さってとても嬉しいです。

皆でお祝いコメントを投下してこれからも盛り上げてまいりましょう!

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私を学会アンチにしたもの

2017-01-29 23:10:57 | 自己紹介

とあるコメントを頂いたので、ふとまた自己紹介が必要かと思いまして改めて書かせていただきます。

もう以前にも何度か書いているのですが、このブログも長いので昔の記事になってしまっていますので、最近読み始めたというような方には目に触れにくくなっているのかと思いますので。

私は創価学会という宗教団体について、最初からアンチだったわけではありません。むしろ、アンチの存在があるということすら思いも寄らないものでした。

私が創価学会のことを調べ始めた経緯はカテゴリーから「我が家の創価問題」の記事を中心に読んでいただければと思います。

ネットで創価学会を調べますと、公式ホームページよりも「創価学会被害」についてのブログ・サイトが目に付きます。そして恐る恐るですが、当時の私はそれらのブログやサイトを覗いて回ったのです。

書かれてあることは何も知らなかった当時の私には衝撃的なものばかりでした。事は母親がどうこうってレベルではないぞ・・・と。

しかしあまりに衝撃的な内容すぎて、俄かに信じられずにもいました。都市伝説、陰謀説の類のようなものではないかとすら思えました。(その類のものも実際には含まれてはいます)

学会批判のブログ・サイトでは聖教新聞や人間革命、あるいは池田氏の発言そのものを取り上げて批判しているものが多数ありました。

それで私は、それならば家にある聖教新聞を見れば真偽が分かるではないか!と聖教新聞を読み始めたのが、学会アンチへの第一歩だったというわけです。

聖教新聞、創価新報、その他学会出版物諸々。それらの破壊力は致命的でした。

私は創価学会がカルト宗教であること、社会悪であることを、創価学会自身が発信している情報によって確信したのです。

こういう入り口のアンチさんは少数派ではないでしょうか?

私はそれまであまりにも学会のことを知らなかったが故に、学会員の母親のもとに生まれたにも関わらず「創価フィルター」が装着されていませんでした。なので限りなく外部に近い感覚で、その学会出版物を目にすることになったのが一つの幸運といえたでしょう。

批判的な情報をより正確に分析するためには、多角的な情報収集(いわゆるメディアリテラシー)が重要であるとネットの情報に触れるにつれ学習し、聖教新聞をはじめとした機関紙や一般のニュースサイトでの学会の話題など、多方面から見ることを心がけていました。

今は慣れも出てきてちょっと情報収集源が固定化されていて新しく見聞きしていかなければなぁと、ちょっと反省しつつあるところなのですが・・・。

創価学会の発信する情報によって、私は学会批判の方がまともであるとの確信を得たわけですが、それよりもその下地を作っていたのはやはり生身の人間。つまり私が接してきた学会員さんたち一人ひとりの振る舞いだったよなぁ~、と今更ながら思います。

母親を筆頭にというのは言うまでもありません。

逆に、どれだけネットの学会批判が正しいのだと思っていても接してきた学会員さん達が違えば、私はこのようなブログを立ち上げるに至っていなかったかもしれません。

以前書いたことがありますが、所詮創価学会についてあれこれ書いたブログなど、創価学会を窮地に陥れるような力は持ちません。社会に影響を及ぼすほどの勢力にもなりえません。

しかし創価学会は決して、社会に好意的に受け入れられているわけではありません。これをアンチブログのせいかのように噛み付いてくるバリ活さんもいますが、全くの的外れ。私がほぼ外部感覚として受け取っていた印象そのままに、末端の学会員さん一人ひとりのお振る舞いが社会での印象を悪くしているのです。

「創価学会」と検索してアンチブログを見る一般の方が増えれば、どんなにいいかと思います。が、それは興味のない人間にさせることはできないのです。

私をアンチにしたものは創価学会自身であり、学会員さんたち一人ひとりです。そしてそれは、多くのアンチと呼ばれる方たちも同様なのでしょう。そこに誤解や偏見があったとしても、それはその人間の選択であり、それを変える事は無理な話です。何故なら選択は自身の経験によってなされたものであり、経験という過去は変えられないのですから。

大事なのは「今」です。

なので学会活動家の方は変えられない過去よりも、より人に迷惑を掛けず不愉快にさせない人格形成に力を入れていくのが正解なのでしょうね。それができれば創価学会ではないと思いますが。

ではでは、寒い日が続きますので、皆様体調管理にはお気をつけて。

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