最近知人の年配女性と話す機会がありました。
私が子供の頃から知っている、母親と年の近いおばさんです(学会員さんではない)。
その人とは別に学会のことを話す仲でもなく、私と弟が学会問題で家を出たことも特に話していませんでした。
しかしそのおばさんが会話の中でふと、曖昧な表現でしたが学会を嫌うような発言をしたので、私もアンチ学会的な話を一般の話題のようにして振ると、そこからめくるめくアンチ学会トークにww
いやー、こんな身近にこんな話ができる人がいようとは。
新たなアンチ仲間を発掘してしまいましたww
そのおばさんが学会嫌いの理由の一つとして、ある実体験を話してくれました。
もう十数年前ですが、そのおばさんのお兄さんが交通事故で半身不随の後遺症が残るほどの大怪我をされました。
その時すぐ、どこから聞きつけたのか同じマンションに住む全然知らない人(巨大なマンションだったので知らない人も多い)が突然やってきて、勧誘(折伏)してきたそうです。
どのように折伏してきたのか厳密な台詞は分かりませんが、そのおばさんから聞いたニュアンスでは「学会に入っていればこんな不幸な目には遭わない」とか「学会に入っていなければ、またこういう不幸は起きる」といったようなことを言われたようです。
池田名誉会長の次男は若くして病死されてますが、それはどういうことなんでしょうね!
まったくもって自分達だけの理論展開ですが、それよりも何よりも「家族が事故に遭って大変な時にこんなこと言ってくるなんて考えられる!?」とおばさんは怒り心頭でした。
当然です。
私が「学会員さんの多くはそれが相手のためであり、何より自分の福運のためと信じてるから、相手の状況とか思いやることは二の次やねん」と言うと、おばさんは興味深く頷いていました。
大きな事故や病気になった人を狙って折伏に来るというのは、ネット上では「学会員の非常識」として挙げられる有名なものの一つです。
そういえばうちの大本、一世の祖母が学会に入った理由も息子(私の伯父さん)が病気になって折伏されたんでしたっけ。
うちの話は置いといて、実際にそういう話を今まで他に聞いたことがなかったのですが、もしかしたら私が思っていたよりもずっとこういう話は多いのかもしれません。
表に出ないだけで、潜在的に沢山あるような気がしてきました。
それにしても、学会員さんで思いやりに欠けた行動に出る方の多いこと。
思いやることができないって、想像力の欠如なんですよね。
元々想像力の乏しい人が学会に惹き付けられて、とは考えにくいですね。何せ今は2世~4世くらいの時代ですから。
では学会に染まると想像力が薄れていくのでしょうか。
結論から言えば、YESです。
西田公昭著の「マインドコントロールとは何か?」によれば、破壊的カルトのマインドコントロールでは意思決定の際に用いる「ビリーフ(記憶構造)・システム」に影響を与える(置き換える)、とあります。
「ビリーフ・システム」とはある対象(人や事象)と、他の対象、概念、あるいは属性との関係によって形成された認知内容のことをさす。
とあります。簡単に言えば、私たちが何らかの物事の判断(意思決定)に用いる、自分の経験や知識からの情報、というところでしょうか。
ここまで言えばだいたい想像がつくでしょうが、マインドコントロールの手法ではこの「ビリーフ・システム」を統一させるのですね。
だから学会員さんたちの思考は金太郎アメのようによく似通ってくるのです。
そしてそれまで持っていた記憶構造を捨てさせます。ここで一般的な思いやりの欠如に繋がるのではないでしょうか。
学会の意図は別に他者への思いやりを捨てさせることにはないと思います。
しかしそれ以上に重要な意思決定の記憶構造を上から構築しているために、このような弊害が起きるのではないでしょうか。
私自身、まだMCの学問的な理論までは勉強不足で、分かりやすく説明できないのがもどかしいですが…。
想像力を駆使して頂けたら幸いですw
しかしMCについて書かれた本やサイトを見るにつれ、意図的であるかどうかは別に、創価学会の運営というのはMCを実に効果的に利用しているとしか言えません。
ちなみにこのおばさんと事故に遭ったお兄さん、学会には勿論入っていませんがうちよりずーっと幸せそうで経済的にも裕福ですよ。お兄さんにも献身的に介護される奥さんと子供がいますし。
私の母親が学会員であるということは昔から承知しておられましたが、今回私が母親との学会問題などを話し、我が家の常ならぬバラバラぶりに納得がいったという感じでした。
でもこういう話ができる人が増えて、私も心強いです♪