いま、政治をつかさどる国会議員は、そのほとんどが戦後教育を受けた者ばかりであることは間違いないのではないか。 その戦後教育を指導してきたのは、一貫して自民党政権下の文部行政だったことも----。 そして今、教育勅語を持ち出しねその精神を是認、推奨するということは、自らが推し進めてきた70年にわたる教育体制を全否定する姿そのものではないか。 戦前の政治や教育に回帰することに危惧を憶え、反対を唱えるのは、その政治や教育方針が結果として、人の命を軽んじ、過酷な犠牲を強いてきたからである。 300万人を超す戦死者、それをはるかに上回る戦災による死者、これらの尊い生命の上に現在の70年の安穏が存在しているのである。 憲法を改悪相としている者たちのその意図が、「自主憲法ではないから---」「押し付けられた憲法だから----」ということを殊更強調する。 決して忘れてはならないことがある。 戦前の政治が、そして教育が、屈辱的な憲法を受け入れざるを得ない状況をつくったことだけは間違いない。 現行憲法によって選出され、そしてその憲法を守ると約束されたはずの国会議員が、何と、自らの立場に背を向けて「改憲」一筋な姿を見て、まさにあきれ返る毎日である。 「共謀罪」「教育勅語」という言葉が、あの忌まわしい戦争を回帰させる何物でもないことだけは確かである。