つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

やっと三分咲き

2018-02-26 14:28:25 | 庭の花



余寒の中でやっと三分咲きの我が家の梅。
凛とした姿が健気で梅らしいです。

開花してから丁度10日程になりますが
まだこんな程度で、見頃になるのはまだまだ先の様です。

ちらほらと枝先で咲く花を眺めています。


















せたがや梅まつり

2018-02-24 17:22:36 | お出かけ



東京都の広報「とうきょうの祭」で紹介されていた
世田谷の梅祭りに友達と三人で行って来ました(2月24日)

京王井の頭線、東松原駅下車徒歩7分の所に羽根木公園はありました。
総面積は24,000坪、全体が小高い丘になっていて
野球場やテニスコート、プレイパークなどの施設がある中の
南斜面は紅梅、白梅の観梅名所となっていました。

甘酒を頂いたり、大学いもを頬張ったり
沢山の模擬店も開かれていたので食べたり買ったり
思いがけなく嬉しいひと時を過ごしました。

昨日までの気温とは打って変わって暖かくて
風も無く いいお日和の中で一日楽しんで帰りました。




























福寿草

2018-02-20 21:07:37 | 庭の花



柔らかい陽射しを浴びて福寿草が咲き揃ってきました。
草丈も大分延びて人参の様な
柔らかそうな葉っぱが沢山出ています。

福寿葬には驚くべき能力があって
太陽の方向に向きを変えて花の中に熱を集めて
冬眠中の昆虫を花に引き寄せて受粉を促す…
という植物本能を発揮する所が凄いんです~

家族の様に固まって咲き、花弁を精一杯い広げている姿に
活動の気配を感じています。





















大人の遠足 とかさや散歩

2018-02-18 12:12:36 | 馬場先生の野外講座



相模国分寺跡とその周辺

古代相模国の国分寺は古墳群が並ぶ相模国随一の古代史の宝庫です。
奈良時代の天平13年(741年)聖武天皇により鎮護国家・鎮災致福を祈る為に
建立された国分寺、その国分寺跡と周辺を訪ねてきました。(2月17日)

金堂跡は平面形が復元され当時の様子を伺い知る事が出来た。



道を挟んで海老名市立郷土資料館、温故館がある。



館内は相模国分寺復元模型等が沢山展示されていた。



高さ1メートルほどの基壇上に建てられていた七重の塔跡で
温故館のボランテイヤの方からの説明があった。



海老名の大ケヤキ。
船を繋ぐ為に打った杭がそのまま根付いたものと伝える。
樹齢は千数百年、樹高約20m、根回りは約15mある。



高台にある現在の国分寺までの石段を昇る。



国分寺(薬師堂)高野山真言宗。
戦国時代に旧国分寺にあった伽藍が焼失したため
高台にあって焼失を免れた別院の薬師堂を現在地に移し
国分寺の法灯を受け継いでいる。



本堂右手前の鐘楼の架かる梵鐘は正応5年(1292年)
この地を居館に構えていた海老名一族の国分季頼が
国分寺尼寺に寄進したもので、鋳物師は鎌倉円覚寺や
金沢称名寺の鐘も制作していた名工物部国光。(国重文)



境内に伝説で知られる〝尼の泣水”の碑がある。



瓢箪(ひさご)塚古墳
海老名市内最大の前方後円墳全長約66m後円部直径36m、高さ5.5m
古くからこの地を支配していた相武国造初代の墓といわれる。





古墳頂上からの海老名市街地の展望。



海老名駅前に相模国分寺七重の塔のモニュメントがあった。
市の観光協会が平成4年(1992)に建立。高さ22m
実物大の約3分の1のスケールになる。

古代相模国の国分寺は相模国随一の古代史の宝庫です…と
先生のプリントの冒頭に書かれていましたが
まさに、建久、正応、元禄、寛延…などと
聞き慣れない元号がこんなにも沢山プリントに
書かれている資料は初めての様な気がします。

遠い歴史は人の思いや業績が復元された跡地によって
往時の姿を思い描く事が出来、
今に つながっているのだと思った野外講座でした。

次回3月は神奈川編「日本民家園とその周辺」です
どんな風景に出会えるか楽しみです。




梅一輪

2018-02-16 12:35:59 | 庭の花



日射しは明るいのに風の冷たい日が続いています。

梅は桜と違ってゆっくりゆっくりと
寒さの中で綻びていくのが梅らしいと思いますが
今日、漸く一輪綻び始めました。

今年は例年に比べると10日位遅い開花です。

家族と共に樹齢を重ねて来た古木の梅ですが
一輪ほどの暖かさを感じています。