鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

青春と読書⑧ウミスズメ

2012-09-20 17:18:40 | お知らせ
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Photo by Chishima,J.
ウミスズメ 2012年5月 北海道十勝沖)

 集英社の本のPR誌「青春と読書」に連載させていただいている「北海道の野生動物」。早くも8回目となる10月号(9月20日発売)で取り上げたのはウミスズメ。冬鳥としては日本全国で馴染み深い(?)この海鳥の繁殖について、道東での最新情報も盛り込みながら書いてみました。珍しい家族群の写真も掲載されています。お近くの書店でお手に取っていただけたら幸いです。なお、書店では文芸誌コーナーの近くにあることが多く、ネットで定期購読や見本誌プレゼントを申し込むことも可能です。

(2012年9月20日   千嶋 淳)


アホウドリ

2012-09-20 16:30:48 | 海鳥
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All Photos by Chishima,J.
以下すべてアホウドリ 2011年11月 北海道十勝沖)


(2012年6月4日釧路新聞掲載 「道東の鳥たち39(最終回) アホウドリ」より転載 写真・解説を追加)


 オキノタユウ(沖の太夫)‐かつて長門(現在の山口県西部)でこう呼ばれた本種は、19世紀後半までは伊豆諸島や小笠原諸島、大東諸島、台湾周辺の島嶼等で600万羽以上が繁殖していました。しかし、羽毛採取のため各地で相次いだ殺戮によってその数を大きく減らし、1949年には最後の繁殖地であった伊豆諸島の鳥島でも確認されず、絶滅が宣言されました。2年後、鳥島で10数羽が再発見されてから本格的に保護されるようになり、特にこの35年ほどは研究者・機関や行政による手厚い保護の成果もあって、個体数は約2500羽まで回復しました。

正面より飛んで来る亜成鳥
2011年6月 北海道霧多布沖
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 道東周辺では20世紀には南千島と十勝沖での僅かな記録があるだけでしたが、今世紀に入って南千島近海や根室海峡、釧路沖等で観察記録が相次いでおり、私自身も昨年(2011年)は十勝沖と霧多布沖で各2回、計4羽のアホウドリと出会うことができました。個体数回復を反映して、記録は着実に増えつつあります。道東での記録は5~11月、その多くは茶色い部分の残る若鳥です。衛星電波発信機を用いた調査から、繁殖地の鳥島を去った後、本州東岸を経て道東沖から千島列島沿いにアリューシャン・アラスカ海域へ至るのが主要な移動ルートの一つであることが知られており、その途中で道東沿岸へも姿を現すのでしょう。また、幼鳥は数年間繁殖地に帰らず北太平洋に広く分散しているため、若鳥の記録が多いのはそのせいもあるでしょう。


着水する幼鳥
2011年8月 北海道十勝沖
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 記録が増えてきたとはいえ、道東の鳥としては馴染みが薄いかもしれません。しかし、かつては道東のみならず道内各地で人の生活と密接に関わっていたことを示す、いくつかの証拠があります。その一つは、シカベ(意味は不明)、ヲンネ・チカプ(「大きな鳥」の意)、シラツキ・カムイ(「占いをする神」の意)等、複数のアイヌ語名が残っていることです。アイヌの伝説には、本種は病気除けの神で、その頭を大事に持っていると病気が流行っても助かるという話もあります。また、現在アホウドリがほとんどいない日本海側やオホーツク海側(ロシアを含むオホーツク海では、2000年前後から再び記録が出てきました)も含む全道各地の遺跡から骨が多数出土し、近世まで重要な食糧だったことを伺わせています。本種の個体数激減、人と自然の関わりの希薄化によって、忘れ去られてしまったようです。


助走して飛び立つ幼鳥
2011年8月 北海道十勝沖
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 道東ではこれまで430種を超える鳥が記録されていますが、シマアオジやウミガラスのように、以前は当たり前に繁殖していながら姿を消してしまった種も少なくありません。その中で絶滅寸前から奇跡的な回復をなしとげ、記録を増やしている本種は、陸域におけるタンチョウ同様、我々に希望を与えてくれる存在です。しかし、未だ集団繁殖地は活火山の鳥島と領土問題で揺れる尖閣諸島という、不安定な2ヵ所しか地球上になく(小笠原諸島に新繁殖地を作るプロジェクトが進行中)、子育て期の採餌海域に原発事故で放射能汚染された福島沖が含まれる等、厳しい現実に晒されているのも確かです。広げると2.4mにもなる翼で悠然と大海原を超えてゆく本種の姿を、身近な海鳥として道東の海で迎えられる日の来ることを願ってやみません。


飛翔する亜成鳥と漁船団
2011年5月 北海道霧多布沖
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(2012年5月29日   千嶋 淳)