鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

目つき悪ぅ…

2006-08-29 01:45:45 | 鳥・夏
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All photos by Chishima,J.
目つきの悪いキジバト 2006年8月 北海道中川郡豊頃町)


 一大畑作地帯の十勝平野は、これから本格的な収穫の秋を迎えるが、コムギ畑や牧草地など既に刈り取りの行なわれた農耕地も目立つようになってきた。十勝川下流域の湿地近くのそうした畑に特徴的な鳥がタンチョウであるのは、「晩夏の風景」で紹介した通りだが、各地の畑でもっとも普通の鳥は、何と言ってもキジバトであろう。山際から海岸近くまで、ちょっとした刈り取り済みの畑があれば数羽から多い時で数十羽のキジバトが採餌していて、何かの拍子に驚いて飛び立つと、道路脇の電線に鈴なりになることも珍しくない。
刈り取り後のコムギ畑に飛来したキジバト
2006年8月 北海道中川郡豊頃町

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 先日もそんなキジバトたちを観察・撮影した。収穫後間もないコムギ畑は落ち穂や草の種子など魅力的な餌に事欠かないのか、10羽ほどのハトはしきりに地面をつつきながら歩き回っていた。帰宅後、写真をチェックしていると数枚ばかり、ものすごく目つきの悪い表情で写っているものがあることに気が付いた。冒頭の写真はその内の1枚である。普段は丸くて優しげな赤目が、半月状に細めて吊り上げられ、睨みをきかせた凄まじい形相だ。おそらくは周囲を警戒したりする過程で目がいびつな形になったのをたまたま映しこんだもので、ハトの心理的状態等とは無関係なのだろうが、「平和の使者」とされるグループに属するこの鳥の、思いもかけない悪人面に笑いを禁じえなかった。
 キジバトは日本の多くの地域では留鳥で、季節外れの繁殖でも有名であるが、積雪や凍結により冬期に地表で餌を取ることが困難な北海道では、れっきとした夏鳥である。それもヒバリに次ぐ早春の使者である。3月末の麗らかな日中、陽光の眩しさに釣られて開け放った窓から聞こえてくる、周辺の人家の屋根から勢いよく滴り落ちる雪解け水の音と、どこかの木立かアンテナからの「デデーポーポー」の声に胸ときめかすのは、私だけではないはずだ。


雪解けの畑にて(キジバト)
2006年4月 北海道中川郡豊頃町
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 疎林等の樹上に皿型の巣を作って繁殖する。繁殖期には雄によるディスプレイフライトが頻繁に観察される。小刻みな羽ばたきとともに上昇し、尾羽と翼を開いて滑空するその飛び方は、一見ハイタカやツミなど小型の猛禽類のようで、ひやっとさせられることがある。繁殖が終わる頃から群れで農耕地に現れることが多くなるが、秋の深まりとともに数を減らしてゆき、11月頃までにはほぼ姿を消す。


キジバトのディスプレイフライト
2006年6月 北海道帯広市

羽ばたいて上昇
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翼と尾を開いて滑空
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 同じハトの仲間でもドバト(カワラバト)は一年を通して生息しているが、少なくとも十勝では畑や牧草地で見ることは少ないように思う。農村部では、酪農家の牛舎やサイロに住み着いている小群が多く、採餌もその周辺で行なっているようである。都市部では、本州以南と同じくビル街や公園に多い。ドバトは帰化種で野鳥扱いされていないため、鳥見人の中には記録を取らない人も多く、分布や生態に関する情報が集まりづらいのは残念なことといえる。


ドバトカワラバト
2006年3月 北海道帯広市
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給餌(ノビタキ
2006年8月 北海道中川郡豊頃町
収穫後のコムギ畑は植物質のみならず動物質の餌も豊富なようで、ノビタキやオオジュリンなど昆虫食の鳥もよく利用する。

口を開けて餌をねだる巣立ち雛のもとにオスが飛来
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そして給餌
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(2006年8月28日   千嶋 淳)


天空を駆ける鳥

2006-08-23 12:11:39 | 鳥・夏
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All photos by Chishima,J.
アマツバメの乱舞 2006年8月 北海道小樽市)


 雲一つ無い青空の一点から発される賑やかな高音を、夏の午後の停滞した大気が地上にいる私の耳元まで運ぶ。「ジュリィィィ…」。目を凝らすと蚊柱のような黒塊が、高空から徐々に高度を下げながら降下し、地上50メートルほどまで達した地点で、蜘蛛の子を散らしたように一気に散開した。数秒後、破片は何ら目印の無い、中空の一点に集群して再度黒塊を形成した。「ジュリィィィ…」。アマツバメの群れが離合集散を繰り返すのは、夏の海岸や高山ではごくありふれた鳥景である。

鳥柱(アマツバメ
2006年8月 北海道小樽市

高空から塊となって飛来。
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50羽弱が一気に散開した。
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 アマツバメ類は、鳥類の中でももっとも飛翔に適応したグループといえる。流線型に無駄のない体と鎌型の細長い翼から推察されるように、彼らはその生活史の大半を空中で飛びながら過ごす。採食や移動はもちろんのこと、交尾や果ては睡眠まで天空で行なっているらしい。和名から誤解を招きやすいが、イワツバメやツバメなどのツバメ類とは近縁な関係にない。むしろ遠縁で、ツバメ類が旧世界に住む多くの小鳥と同じくスズメ目に属するのに対し、アマツバメ類は、主に中南米に分布するハチドリ類とともにアマツバメ目に分類される。体型や習性の類似は、飛翔に適応したことによる収斂である。


ハリオアマツバメ
2006年6月 北海道河東郡音更町
上面は背の灰白色が目立つ。翼はアマツバメよりやや丸みを帯びる。
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イワツバメ
2006年5月 北海道中川郡池田町
近年では温泉街のホテルの軒先や橋などの人工物での営巣も多い。
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ツバメ
2006年4月 北海道中川郡豊頃町
全国的にはもっとも普通のツバメ科だが、北海道、特に道東では少数派。
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 北海道へは、ハリオアマツバメとアマツバメの2種が夏鳥として渡来する。アマツバメは海岸や高山の崖の隙間で繁殖するため、そうした環境の付近で見ることが多いが、主として樹洞で繁殖するハリオアマツバメは、神社や公園などでも樹洞のある大木があれば良いようで、十勝地方の平野部では目にする機会は圧倒的に多い。ただ、飛翔力のある鳥なので、両種とも意外な場所で観察されることも珍しくない。特に、悪天候の時には本来の生息地で餌が取りづらくなるのか、あるいは餌の昆虫が低空にいるためか市街地上空などに現れることが多いように感じる。


アマツバメ
2006年7月 北海道根室市
白い腰が目立つ。翼は細長く、先端は尖る。
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針尾(ハリオアマツバメ
2006年6月 北海道中川郡豊頃町
尾羽の羽軸が針状に突出することから、このような長い名前がある。
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 何年か前の夏の夕刻、山間のダム湖にいたら、2種のアマツバメが50羽ほどの群れをなして飲水と水浴にやって来た。こちらがじっとしていたせいか、すぐ脇を「シュッ」という軽快な羽音とともに飛び抜けていった直後、水面をかする「チャポッ」の音が聞こえることの連続は何とも豪快で、また普段は比較的高空を飛んでいるのを見ることの多い仲間だけに新鮮なものであった。


ハリオアマツバメの飛翔
2006年6月 北海道河東郡音更町
下面では、喉と下尾筒の白色が特徴。体色は黒色のアマツバメに対して褐色みを帯び、部位によっては緑色光沢をもつ。
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 秋には、大群を作って南へ移動する。もうずいぶん前のことになるが、今は釧路市と合併した音別町の海岸でそのような場面に遭遇した。10月上旬の午後、秋晴れの爽やかな空を、アマツバメが途切れなく、一見普段の離合集散のようだがはるかに大きな規模で、しかも離散した後は南の太平洋に出てゆく様は、筆舌に尽くせぬ感動的な時間であった。ハリオアマツバメも時に大群を形成するらしく、関東地方の低山帯では数千羽規模の渡りが観察されている。私はそこまで大きな群れに出会ったことはないが、タカ類の渡りを観察していると数羽から十数羽がタカと同じように上昇気流を巧みに利用しながら移動してゆくのは何度も見たことがある。


颯爽と、風を切って(ハリオアマツバメ
2006年6月 北海道河東郡音更町
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(2006年8月22日   千嶋 淳)


晩夏の風景

2006-08-22 00:58:42 | 鳥・夏
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All photos by Chishima,J.
刈り取り後のコムギ畑に現れた若いタンチョウ 2006年8月 北海道十勝川下流域)


 8月の北海道は、6・7月の悪天候が嘘のような暑さが続いており、しかも夜になっても蒸し暑い日が多いのが例年にない特徴であることは、「鴨の雛」の文頭で書いた通り。今夜もその限りで、団扇で自らを扇ぎ、奄美の黒糖焼酎のロックという、北国にはおおよそ似つかわしくない酒を煽りながらこの駄文を書いている。もっとも、この蒸し暑さは現在住んでいる家の構造にも問題があるようで、先日、やはり蒸す晩に用事があって外出したところ、いつの間にか空気はずいぶんと涼しさを帯びていることに驚かされた。知らぬ間に夏も終わりかけているらしい。
 そんな晩夏の風物詩は鳥の世界にもいくつかあるが、一つはシギやチドリの渡来だろう。7月中旬には早くも始まった秋の渡りは、8月に一度成鳥を中心としたピークを向かえ、干潟や海岸は多種の渉禽類で賑わう。そのような環境の少ない十勝では、彼らを満喫できないのが残念であるが、だからこそ開け放った窓から夜空を渡ってゆくイソシギやキアシシギの声を聞いた時、あるいは残暑の厳しい川原にタカブシギの姿を認めた時、その貴重な出会いに感動できるのはありがたい。


夏の満月
2006年8月 北海道帯広市
次の満月はもっと青色がかった、秋の月になっているはず。
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タカブシギ
2005年9月 北海道中川郡幕別町
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 秋の渡りが始まっているのは、何もシギ・チドリ類に限ったことではない。たとえばコムクドリ。繁殖の終わる6月末頃から形成される群れは、この時期まだ方々で見ることができるが、よく見ると成鳥の姿はほとんどない。一見メスのようだが、嘴の基部が淡色で、体下面に不明瞭な縦斑のある幼鳥ばかりである。おそらく、成鳥は幼鳥に先がけて南への移動を開始しているのだろう。ショウドウツバメなんかも少なくなってきた。両種とも、私の育った関東地方の平野部では繁殖していないが(コムクドリは稀に繁殖)、8月の上・中旬になるとどこからともなく姿を現したことを思い出す。


コムクドリ(幼鳥)
2006年8月 北海道中川郡豊頃町
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 十勝らしい晩夏の鳥風景といえば、コムギ畑のタンチョウだろうか。コムギは畑作王国十勝の重要な農産物であるが、7月後半に穂が黄金色に熟した後、8月上・中旬に刈り取りが行なわれる。刈り取り後のコムギ畑は地面が露出して餌が豊富なのか、また草丈が低く歩きやすいのか、タンチョウに好まれている。これらの多くは、夏の間見通しの悪い湿地や農耕地周辺の明渠で過ごしていた若鳥だが、雛が天敵から逃れるのに十分な走行力もしくは飛翔力を身に付けた親子もやはり出てくる。9~10月にデントコーンの収穫が終わると、今度はそちらの畑に足繁く出入りするようになるから、刈り取られたコムギ畑の色褪せた黄金色と周囲の林や草地の濃緑色、それにタンチョウの黒白の対比を味わうなら、この時期が良い。


収穫後のコムギ畑で採餌するタンチョウの親子
2006年8月 北海道十勝川下流域
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デントコーン畑
2006年8月 北海道中川郡豊頃町
初夏の曇天続きで生育は悪そうだが、遅れを取り戻せとばかりに陽光が照りつける。
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 海辺では、海霧の季節が終わりを告げ、一年で一番爽やか且つ穏やかな時期を迎えているはずだ。先月あたりまで原生花園を賑わせていた草原性鳥類は、時折思い出したようにシマセンニュウが囀る程度で寂しい限りだが、花はこれから初秋にかけて種数のピークを迎えようとしている。沖に目を転じれば、アジサシやクロトウゾクカモメが移動しているかもしれない。アキアジ(サケ)釣りの竿列が浜に林立する日も近い。


ある日の砂丘
2006年8月 北海道十勝郡浦幌町
花の終わりかけたセリ科植物の奥には、第2次大戦時のトーチカの跡。61回目の終戦の日を数日後に控えた暑い午後だった。
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ツリガネニンジン
2006年8月 北海道十勝郡浦幌町
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去り行く夏を惜しんで…花火大会
2006年8月 北海道帯広市

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色とりどりの華が美しく、されど儚く夜空を彩る。
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(2006年8月21日   千嶋 淳)


みゃあ

2006-08-13 15:04:59 | 海鳥
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All photos by Chishima,J.
ウミネコの幼鳥 2006年8月 北海道十勝郡浦幌町)


 ウミネコは、南西諸島を除く日本国内ではおそらくもっとも普通のカモメ類であるが、世界的な分布は、実は日本周辺に限られる。同様に、普通種だが意外と分布の狭い海鳥にウミウやオオセグロカモメがある。


ウミネコの成鳥と幼鳥(左)
2006年8月 北海道中川郡豊頃町
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ウミウ(成鳥)
2005年5月 北海道東部
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 北海道各地の離島や沿岸にはウミネコのコロニーがあるが、十勝沿岸には繁殖地はなく、そのためか春先にいち早く季節の進行を告げるかの様に現れたウミネコも、5月頃までにはおおかた姿を消してしまう。ところが、7月上旬ころから再びまとまった数の本種が十勝の海岸部で見られるようになる。


繁殖地のウミネコ・成鳥
2006年6月 北海道東部
この無人島では、海に面した崖の上部はオオセグロカモメが営巣しているため、主に内陸部のミヤコザサやセリ科の群落が繁殖地となっている。
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 不思議なのは、そうした群れに今年生まれの幼鳥がかなりの数含まれていることだ。ほとんどの鳥は毎年繁殖するのだから幼鳥がいるのは当たり前といえば当たり前なのだが、問題はその時期である。十勝沿岸から地理的にもっとも近いウミネコのコロニーは道東の離島であるが、そこでは7月上旬にはウミネコの雛はまだ幼いか、下手したら孵化するかという頃で、7月下旬から8月上旬の巣立ち期には程遠い。北海道の日本海側の繁殖ステージについては、実見したことがあまりないのでよくわからないが、渡来時期を考えると7月上旬にこれだけの幼鳥が巣立っているのは早すぎる気がする。


ウミネコの幼鳥
2006年8月 北海道中川郡豊頃町
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ウミネコ・幼鳥の飛翔(その1)
2006年8月 北海道十勝郡浦幌町
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 数年前、青森県は八戸の蕪島を訪れたことがあった。大正時代から国の天然記念物に指定されている、日本でもっとも有名なウミネコ繁殖地の一つである。6月上旬だったが、すでに発育のかなり進んだ雛がいることに驚いた。道東の無人島では、活発に産卵が行なわれている時期だったからである。夏鳥の渡来時期などと同じく、緯度的に南に位置する場所の方が繁殖ステージの進行も早いようである。


ウミネコ・幼鳥の飛翔(その2)
2006年8月 北海道十勝郡浦幌町
遠くを飛んでいると、外形や配色からトウゾクカモメ類のように見えることがある。
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 それを見て、7月頭に十勝に現れるウミネコはこの辺りから来ているのかもしれないなと思った。一見、地理的にずいぶん離れているように思われるが、八戸あたりから襟裳岬を経た十勝地方の沿岸は結構近い。一般的な印象では鳥は繁殖が終わったら南下しそうなものだが、魚類や海産の無脊椎動物を主食とする本種にとっては北上した方が有利なのかもしれない。道東の漁港は晩夏から秋にかけて、秋サケやサンマ等の水揚げで普段にも増して活気付く。そうしたおこぼれに預かりながら、避暑も兼ねた北海道旅行をしているのかもしれない。


真夏の海岸線(ウミネコ・成鳥)
2006年8月 北海道十勝郡浦幌町
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漁港のウミネコ(前年生まれの若鳥)
2006年8月 北海道中川郡豊頃町
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 8月頃からは、道内で繁殖していたと思われる個体も加わり、道東沿岸ではウミネコはオオセグロカモメと並んで、カモメ類の最優占種となる。秋には、台風等で海が時化ると数千から時に数万羽の単位で漁港に避難してくることもある。しかし、雪や氷の便りが聞かれる頃になるといつの間にか姿を消し、越冬個体はほとんど見られない。関東地方の銚子漁港等では冬場も多数のウミネコが見られるが、最近の標識調査では北海道のウミネコが、冬には国外も含めたかなり南の方まで移動することが明らかになりつつあるそうである。私も1月に八重山諸島の石垣島でウミネコを観察したことがあるが、あれなんかも案外北海道出身なのかもしれない。そういえば地元の人が「1月は(寒いせいか)北海道からのお客さんが多いんですよ」と言っていたっけ。


ウミネコ・成鳥の飛翔
2006年8月 北海道十勝郡浦幌町
初列風切を換羽中。
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大あくび(ウミネコ・成鳥)
2006年7月 北海道根室市
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*表題「みゃあ」は、その鳴き声に由来して勝手に呼んでいる、ウミネコの愛称である。

(2006年8月13日   千嶋 淳)


海中の道

2006-08-11 00:41:15 | ゼニガタアザラシ・海獣
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All photos by Chishima,J.
ゼニガタアザラシのメス成獣 以下すべて 2006年7月 北海道東部)


 「グオー、ガアー、ゴルルル!」。7月下旬の午前7時、北海道東部の無人島にあるゼニガタアザラシ上陸場の上には、アザラシ達の喧騒が伝わってくるものの、乳白色の濃霧のベールに包まれた崖下を見ることはできない。同10時、漸く沖に去り始めた霧の中から、アザラシの集団が徐々に輪郭を見せてきた。いるいる、総勢70頭ほどが所狭しとひしめき合っている。文頭の咆哮は、集団で上陸しながらも互いの体が触れることを嫌う彼らの、小喧嘩である。

ゼニガタアザラシの上陸場
下側の岩礁と中央部の岩棚に上陸している。
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 年に一度の換毛の時期を迎えた今、この場所では一年で一番沢山のアザラシが上陸場に姿を現す。見れば既に換毛をほぼ終了して銀黒色の新毛に白い穴あき銭模様が鮮やかな個体から、まだ換毛が始まっておらず一年間岩場で磨り減って茶色く褪色した毛色の個体まで様々だ。一般に換毛は若い個体ほど、またメスほど早い傾向があるので、褪色した汚い毛色の個体には大型のオス成獣が多い。


換毛中のゼニガタアザラシ
全身が移っている3頭のうち、手前はほぼ換毛済みで黒く、中央が未換毛のため茶色い。奥は換毛中で、褐色の旧毛と黒色の新毛が混在している。
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 換毛期の上陸場は、繁殖期にくらべて華が無い。親子の微笑ましい成長やオス間の激しい喧嘩といったドラマが無いからだろう。あるのは伸びや欠伸、たまに新しい個体が現れたり、隣同士が触れた時の小競り合い、それに波打ち際の個体が波の来襲に合わせて体を反らすくらいのものである。


換毛期の上陸集団(ゼニガタアザラシ
右手前のメスが伸びをしている以外、ほとんど動きが無い。
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上陸の瞬間(ゼニガタアザラシ
干潮時は岩が高くなっているため、波に乗じて勢いをつけて上がってくる。
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 この島に通い始めた頃、繁殖期には10~20頭程度(当時)のアザラシしかいないのに、換毛期になると40~50頭(当時)まで増えるのを不思議に思ったものだ。他の地域の研究では、換毛期に数が増えるのは、毛替わりのため各個体の上陸頻度が高くなり、一同に帰すからだと説明されていた。どこか腑に落ちないものを感じた。幸い、ゼニガタアザラシは個体ごとに一生変わらない特徴的な斑紋を持っており、それを用いて個体識別が可能である。50頭程度の集団ならそう労せずとも識別・追跡できるだろう。彼らとの10年以上にわたる付き合いが始まった。勿論、その時はそんな長い付き合いになるとは思ってもみなかった。


シンメトリー?(ゼニガタアザラシ
このように斑紋の配列や密度には個体差が大きいため、個体識別が可能となる。1970年代に新妻昭夫氏の編み出した名手法。
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 簡単に追跡できるだろうというのは、まったくの誤算だった。写真を撮って個体を台帳に登録する作業が一向に終わらないのである。確かに毎年出現する個体も何十頭かはいる。しかし、その倍以上の個体が短期間だけ現れたり、何年か経って忘れた頃にふらっと現れたりする個体が後を絶たないのだ。また、毎年出現する個体も7割以上が繁殖期には出現せず、繁殖期が終わるとどこからともなく姿を現すことがわかった。さらに齢クラスや性比といった集団の構成を調べることによって、この島では繁殖期の後に上陸する成獣の7割近くがメスであることも明らかになった。すなわち、繁殖期が終わった後にメスの成獣が大挙して押し寄せ、その中には一時的にしか姿を現さない個体も多いというのが、この島のゼニガタアザラシの特徴である。


メス成獣の卓越する集団(ゼニガタアザラシ
写真中も、左上に下半身の写っている未換毛のオス成獣を除くとメス成獣か、その可能性の高い個体。
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 これは不可解なことだった。ゼニガタアザラシのメス成獣の妊娠率は高く、6歳以上では90%を超える。多少の流産等はあるにしても、これだけの数のメス成獣がどこかで繁殖していなければおかしい。早速、北海道内の隣接した上陸場の繁殖メスを同様の手法で調べた。しかし、繁殖期後にこの島にやって来るメスの繁殖例は皆無だった。


メス成獣(ゼニガタアザラシ
手前の個体は、10年以上観察されているにも関わらず、この場所での繁殖は未確認。
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 解釈に行き詰っていた頃、調査で南千島を訪れる機会があった。いわゆる北方領土である。ロシア側の調査で2000頭ものゼニガタが生息することは聞き知っていたが、実際に自分の目で見る大量のアザラシは新鮮だった。地図を見ると、私のフィールドからは数十~100km程度と目と鼻の先にあることに、改めて気が付いた。すべては繋がった。南千島で繁殖したアザラシたちが、繁殖期の後に道東までやってくるのではないだろうか。繁殖期に南千島にいる理由は、おそらく人間による撹乱がほとんど無いため安心して子育てできるからだろう。しかし、繁殖が終わり食事や休息に精を出そうとしても、あまりに過密であると同種または近縁種(生態的地位の近いゴマフアザラシやトドも、南千島には生息している)との競合が生じ、その結果一部の個体は回遊もしくは分散という形で道東にやってくるのではなかろうか。
 仮説としては魅力的だが、そこまでであった。現在、日本人が南千島で自由な調査活動を行なうことは、政治的な事情により困難だからである。昨年の札幌での国際哺乳類学会で、上記の内容をまとめた私のポスター発表を熱心に読んでくれたカナダ人の鰭脚類研究者が最後に言った、「南千島で同じ研究ができれば、君の研究は完璧なものになる」の一言が忘れがたい。私が「そうしたいのはやまやまだが、政治的な理由で日本人には困難だ」と言うと、その辺の事情は知っているらしく、「そうだったね」と苦笑していた。
 しかし、ただ手をこまねいているのは癪である。できることから取り組むしかない。20~30km離れた、道内の隣接した地域との移動・交流を調べだしたところ、思いのほか手応えがあった。しかも、2地域間で確認された移動の大部分は、私がフィールドとしている無人島へ、繁殖期の後に姿を現すメスの成獣が、秋から早春にかけて隣接地域に出現したものである。想像を逞しくすると、繁殖期に南千島にいたメスが、その後道東沿岸にやってきて秋から早春にかけて更に広範囲に分散してゆく様が目に浮かんでくる。秋から早春にかけての、隣接地域の上陸場での個体数変動も、その時期の増加を示唆している。


メス成獣パート2(ゼニガタアザラシ
本個体は、隣接地域との季節的な移動が確認されている。
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 こうなると、単に南千島と道東の無人島の往復ということではなく、アザラシたちに代々使われている海の中の道みたいなものがあって、そのルート上に道東各地の上陸場が点在しているように思えてならない。その道を伝って、毎年多数のゼニガタが道東にやって来る。その一部はこちらに定着して個体群を補うかもしれないし、別の一部は繁殖期だけは南千島に帰るかもしれないし、また別のものは一回きりの旅行なのかもしれない。
 そんなことを考えていた矢先、南千島でロシアが標識した幼獣のゼニガタアザラシが、道東で相次いで確認された。また、遺伝学的な研究からも道東と南千島のゼニガタがきわめて近いことが実証された。古くは80年代に定置網での混獲パターンから南千島―道東の移動が提案されているし、最近では個体群動態の研究結果もそれを示唆している。まさしく様々な状況証拠が「海中の道」の存在を支持していることになる。

排便(ゼニガタアザラシ
オス成獣の傍らには新鮮なウンコ。換毛中でも採餌はしており、糞中には餌生物の硬質部分が含まれる。
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 ゼニガタの個体識別は従来、個人ベースで細々と行なわれてきた。しかし、今年関係者間で情報の共有と照合を効率的に行なうことのできるシステムが立ち上がった。いずれは南千島を巻き込んだ「海中の道」の詳細が明らかにできる時が来るかもしれない。それが私の生きている内かどうかは皆目分からないが、その日の来ることを信じて識別用の写真を撮り続けたい。

満潮近し(ゼニガタアザラシ
こうなったらじき波に流されるか、自発的に海に出てゆくだろう。
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(2006年8月10日   千嶋 淳)