田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

映画『完全なるチェック メイト』〜3

2017-04-06 17:14:08 | ヒゲの盤上の世界
スパスキーとの対局が行われた1972年は、日本でも色んな事件が起きてました。
・・・ 雪の中、逃げ回る一団が見えます。 
山中に向かう学生達。  
やがて、浅間山荘と云う保養所を見つけ、人質を捕って立てこもった。
さあ、大変です!!
日本全体が固唾を呑んで、一日中ブラウン管を見つめていました。
       
更にしばらくして、山中で累々たる死体が発見されました。
連合赤軍によるリンチ総括!
殺人事件です。   
              
スキャンダラスな仲間うちの行状に、民衆の支持は吹き飛んでしまいました。

さて、第一局をむざむざ自身のブランダで落としたフィッシャー。
映画では、目がうつろになる表情で、その気性が表してあります。
             
このずっと以前、彼がまだ若い頃、極く小さな音に対して神経質になる事がありました。
今のゴルファー、松山英樹が音にセンシティブなのに似てます。
            
“タリ”やソ連のプレーヤーとの対局で、音やパフォーマンスの番外作戦に弱い所があると。
将棋の世界では、周りの対局に気を使い、声が聞こえないように別室に移動しての
対局後の感想戦を行ないます。
ところが、その頃のチェス界では、対局をしていた同じ場所で、感想戦を行なっていました。
これが又、フィッシャーが気に入らない。

当時の“チェスL&R”には、殆ど怒れるフィッシャーの記事はありませんでした。
今度の映画で、やっと少し理解出来ることに。
ははぁ、これが怒り心頭の電話線引き抜きアクシデントのスターターか?
             
そして、引きこもりや、対局放棄と帰国騒動。
映像で見える、取り巻きコーチも大変。
挙げ句、ピンポン部屋での対局を求める。
72年当時、ピンポン部屋とは何のことか、サッパリ分かりませんでした。
ピンポン外交は知ってましたが。 (笑)
で、とうとう不戦敗で、二敗目を喫する。
勢いづくソ連勢の映像。
24番も勝負するんだから、二つぐらい負けても大したことないだろうと、
日本人の将棋感覚では思いますよね。
将棋とチェスの違いのひとつが、ドロー制度。
当時の上級GM間では、決着がつかないドロー(1/2)が非常に多かった。
だから、一勝の重みは非常に大きい。
まして、2ポイントのアヘッドだから、コーチ陣が前祝いする気分はむべなるかなです。

                             ~~~ つづく ~~~

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コメント (2)
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