Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

客家土楼観光計画

2007-09-29 | Asia 「圓」な旅
客家土楼」というのは、唐代から元代にかけて戦火を逃れて華北地方から華南地方の福建省や広東省の山間部に避難・移住してきた客家と呼ばれる人たちが築いた、土と木でできた巨大な共同住宅建築です。構造的には五鳳楼、方楼、円楼に大別され、華北の建築様式、四合院様式を踏襲した「五鳳楼」、これから進化したロの字型の「方楼」、さらには福建省の建築の影響を受けて造られた円形の「円楼」へと発展してきたそうです。これらの様式は同時代に並存していて、20世紀になっても造られ続けています。中でも巨大な「円楼」は、他には類を見ない特殊な外観で、人々を惹きつけてきたのでした。

日本には世界に誇る土楼観光のためのバイブル、旅行人から出されている「旅行人ウルトラガイド 客家円楼」(岡田健太郎・著)があります。この本と、これまた旅行人サイトの掲示板とをにらめっこして、数ある土楼の中から訪問先候補を次のように選びました。

高頭土楼群(永定県。一番有名な承啓楼など)
永定土楼民俗文化村(永定県洪坑村。振成楼、福裕楼など)
田螺坑土楼群(南靖県。眺めが素晴らしい)
初渓土楼群(永定県。眺めが素晴らしい)

いずれもアモイ(厦門)の西方に位置する永定県、南靖県にある土楼群で、高速道路を利用すればアモイからの日帰りが可能です。高頭と永定土楼民俗文化村は、土楼初心者にとっては外せない訪問先で、これらは幸いお隣同士なので掛持ちで回れます。田螺坑と初渓は辺鄙な場所にあるのですが、高台からの棚田を背景にした眺めが美しい土楼群で、絵葉書や土楼観光のパンフレットにその写真をよく目にします。特に田螺坑は、方楼の周りを四つの円楼が花びらのように囲む姿(中国では料理に見立てて「四菜一湯」というらしい)が美しく、土楼内に入らずともこの眺めは一度は見てみたいものです。初渓は田螺坑を訪れることができない場合の代替訪問先という位置づけです。

これらを回るルートなのですが、
①まずよく紹介されているのが、アモイから漳龍高速公路を走るバスに乗って北西にある龍岩まで行き、そこでタクシーをチャーターして龍岩の南にある永定へ向かうというものです。バスの本数は多いのですが、スピードが遅いため、龍岩に辿り着くまでに片道4時間程度は必要です。そこから永定県までに片道2時間かかるため、往復12時間以上、現実的ではありません。
②より現実的なのは、アモイからミニバスに乗り南靖・書洋を経て永定県湖坑鎮に入る手段です。湖坑までの所要時間は4時間15分で、湖坑から高頭や民俗文化村は近いので観光の時間も取れそうです。但しバスの本数が少なすぎます。
③そこでアモイからタクシーを1日チャーターして上のルートを通って直接、高頭や民俗文化村に向かうことを考えました。これなら、南靖県田螺坑に立ち寄ることも可能です。

ところが掲示板に、昨年から南靖と書洋の間で道路工事が行われていて通行止めになっていたという情報を見つけました。現在も工事が続けられているのか定かではありませんが、もし通行止めであるならば、田螺坑行きは諦めなければなりません。

初日、アモイ高崎空港からホテルに着いた Tomotubby は、コンシェルジュに土楼観光について相談しました。彼女が調べてくれたところ、南靖と書洋間は依然通行止めであることが判明しました。こうなると往復にバスを利用するのはほぼ絶望的です。

④代案として、アモイから漳龍高速公路で龍岩へ向かう途中、初溪あたりで高速を下り、龍岩を経由せずに高頭や民俗文化村に向かうルートがあることを確認しました。南靖・書洋経由より回り道をしますが、アモイからタクシーをチャーターすれば、②と同じくらいの時間で目的地に辿り着けるようです。



タクシーチャーターの可能性についても聞いてみました。まず、チャーター料は交渉次第。車が新しいかどうかは運次第。タクシーの運転手が土楼までの道を知っているかどうかも運次第。言葉の問題もあるので希望通りの観光ができるかどうかも判らない。とのことでした。それなら、土楼観光ツアーに参加したらどうかと言われました。ツアー料金は800元で、日本語ガイドに別途200元を支払う必要がありますが、ツアーといっても実質貸切で、訪問先変更の融通も利くとのことです。いつもならツアー大嫌いの Tomotubby なんですが、使用する車が新しく、明日6時に出発可能ということを聞いて、今回はこれで行くことに決めたのでした。

岡田 健太郎 / 旅行人(2000/11)
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9/28日 音楽が聞こえた夢

2007-09-28 | 夢日記
砂浜の近くに建つホテルに泊まっている。日が沈む頃、遠くから聞こえてくるのは The Mighty Diamond の「Pass The Kutchie」。ここからは見えないが、時おり歓声が上がり、どうやらビーチでライブコンサートをしているようである。ホテルの前ではアロハシャツを着てウクレレを持った男たちが円になって踊るように回っている。どこか軽薄な感じでいやだ。

厦門のホテルで最初にしたことは...

2007-09-26 | Asia 「圓」な旅
高崎空港で日本円を人民元に両替してからタクシーに乗り込み、厦門の中心街、中山路思明路近くにあるホテルまで向かいました。運悪く乗ったタクシーは凄まじく老朽化したフォルクスワーゲン・サンタナで、30分ほど乗っている間に、車内に漏れ入ってくる排ガスのせいで気分が悪くなりました。喉はイガイガ。北京オリンピックのマラソン選手はホント可哀想だぁ~。

今回は、厦門の中心街と鼓浪嶼の二箇所に宿泊することにしました。最初のホテルは外資のチェーンホテル。これまで三大陸を旅行してせっせと貯めたホテルマイルを使って無料で宿泊させてもらいます(実は成田厦門間の往復航空券もフライトマイルを交換してゲットしたのであった)。鼓浪嶼の方は、島に外資のホテルがひとつもないので、前から気になっていた中国資本のリゾートホテルを選びました。現地払いで予約のリクエストを入れてあり、回答待ちです。

初日、ホテルに着いて最初に行ったのは、翌日決行の客家土楼観光旅行の手配です。思えば、コロッセオを想起させる巨大円楼「承啓楼」の写真を目にして、いつの日にかここに行くぞー。と決意してから幾星霜。ある年はSARSに怯え、ある年は鳥インフルに挫け、手元に溜まるは資料ばかり、すっかり耳年増になった気がします。昨年、永定にある土楼群が世界遺産指定され、いま将に時熟したり。って感じかな。


ウェルカム・フルーツがへんてこだぁ

中秋博餅

2007-09-25 | Asia 「圓」な旅
アモイ(厦門)から帰国した今日9/25日は折りしも中秋節でした。厦門のホテルでは、どこでも箱詰めの豪華な月餅が山積にされて売られていて、tomotubby もお土産に一箱買って帰りました。また帰国便では乗客に月餅が振舞われ、なんだか得した気分です。以前、何を勘違いされたのか、上海の玉仏寺で精進料理をご馳走になってお土産に月餅を貰って以来です。

中秋節に月餅を食べるのは中国全土どこでも見られる習慣ですが、アモイには中秋節に行われる「中秋博餅」という特別な行事があります。元を糺せば国姓爺・鄭成功がアモイを拠点に台湾を攻略すべく兵隊を訓練していた頃、望郷の思いに駆られた兵を慰めるために月餅を賭けの対象とした賽コロゲームが考案されたのが始まりだそうです。鼓浪嶼のランドマーク、日光岩に登る途中、鄭成功紀念館の近くに「中秋博餅」の情景を描いた銅像が造られていて「中秋博餅」の謂れやゲームの方法が説明されていました。



今では「中秋博餅」の規模が大きくなり、月餅だけでなく、日用品や電化製品、さらには自動車までが賭けの対象となっています。「中国厦門 現地集合」というブログにその様子が出ていました。

ここは群馬県?(高崎空港)

2007-09-21 | Asia 「圓」な旅
中国に来たつもりなのに、辿り着いたら群馬県のような気がする。

そうなの。ここは高崎。「厦門高崎國際機場」





高崎空港の建物は、昔の人が夢見た未来都市のような感じで、見方によれば魚の骨にも見えます。



ここ、空の玄関口でも例のギョッとさせる標示が見つかりました。「残疾人電梯」。「疾病が残った人の電気ばしご」つまりは「身体障害者用エレベータ」ということなんです。日本人の目には「残疾」という字面がきついような気がします。昔は「残廃人」という言葉を使っていて、流石にこれはマズいということで「残疾人」に言い換えた経緯があるそうです。

前にも書きましたが、日本では既に「身体障害者」と直接的には呼ばず「障がいをお持ちの方」と言わないといけないらしく、「障害」という字も見る人に「害をなす」ような印象を与えるらしく「障がい」と書かなければならないそうです。こちらは意識しすぎではないかと思います。

モアイじゃなくて、アモイ

2007-09-20 | Asia 「圓」な旅
モアイじゃなくて、アモイ。別にこれが言いたくて、モアイのことばかり書いてたんじゃないけど、今度はアモイ、福建省厦門に行きます。長瀬君のCMで一躍一部で有名になりましたが、ピアノの音色がそこここで聞こえる鼓浪嶼の、日光岩にも上ってくるつもり。

厦門はずっと前から気になる場所でした。片や共同租界のあった洋館の立ち並ぶ小島「海上楽園」鼓浪嶼。片や迷路のような旧市街が中国人によって改造されできた厦門島の近代都市、例えば騎楼の繋がる中山路界隈。厦門は、さまざまな建築文化が併存・積層した中国でも珍しい海洋都市なのです。

渋谷の謎の看板

2007-09-19 | Japan 日常生活の冒険
既にリア・ディゾン(個人的に「呪いのマネキン人形」顔と呼んでいます)の看板に替わってしまったけど、先週末まで、渋谷駅前交差点からセンター街を望むと、HMVのサイン看板の手前に謎の眼鏡女性の写真看板が見えました。何の広告だろう?と目を凝らすと、彼女の白いブラウスから色物の下着がスケてるのです。

写真の脇には「まじめなあの子をソノ気にさせる」と書かれていたので、巷の男性たちの叶わぬ夢というか妄想をくすぐっているCM(ありえねぇ~)で話題の例のスプレー香水の広告であることが分かりました。

この看板、YouTube のサイトにも出ていました。遠目には気づかなかったのですが、ブラウスの布地が看板の上に貼ってあるのでした。動画を見たところ一時間に一回、人がビルの上に上り、看板にシャワーのようなもので水をかけて布地をスケるようにして、集中的に胸元を濡らすと、そこには「THE AXE EFFECT」の文字が見えるという仕掛け。凝り過ぎの割りに見えにくいです。台風のときは、どんなだったんだろう?




9/15日 渋谷のねぶた祭

2007-09-17 | Japan 日常生活の冒険
HMV渋谷店の前に「風林火山」武田信玄の「ねぶた」が飾ってありました。前週末の桜新町に続いて、お隣渋谷区でも「ねぶた祭」。9/16日の金王八幡宮例大祭に先立って、15日17時から、センター街で「ねぶた」が運行されたそうです。

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若者の街・渋谷で「青森ねぶた」、ラッセラーの声高らかに

渋谷センター街を練り歩くねぶた 東京・渋谷センター街で15日、青森の夏の風物詩「ねぶた」が練り歩いた。
渋谷センター商店街振興組合が、地域のイメージアップを狙って2年前から年1度開催している。今年は、大河ドラマにちなんで武田信玄をモチーフにした「風林火山」が登場した。
高さ約3.5メートル、幅約5メートルと本家のねぶたに比べれば5分の1程度の縮小版だが、若者でごった返す繁華街に現れると迫力満点。
祭りを盛り上げる踊り手の「ハネト」として、青森大の学生約120人が上京し、真夏日となった東京の残暑に負けじと「ラッセラー」とかけ声を連呼しながら乱舞していた。
通りがかりの若者らは盛んに携帯電話のカメラを向け、「東京で見られるなんて」と驚いていた。

(2007年9月15日20時58分 読売新聞)

モアイ大使の謎

2007-09-16 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
1970年、日本万国博チリ館前に展示されていた「顔だけモアイ」は、チリ政府によって作られた「レプリカ」だったという説があります。この説によると、万国博終了後、チリに帰国したとばかり思っていたモアイ大使は、その後も人知れず治外法権下のチリ在日大使館に駐留し続け、1985年に念願叶って日本永住権を得たのだそうです。モアイ大使の終の棲み家にはチリの都市ラ・セレナの姉妹都市である奈良県天理市が選ばれ、今も市役所敷地内で「大きな顔」をして暮らしているそうです。

万国博展示が「レプリカ」だったというのは俄かに信じられませんが、もしこれが本当だとすれば、万国博にやってきた「顔だけモアイ」は、「Easter Island, Earth Island」所載写真の世界を旅した「顔だけモアイ」、つまり Tomotubby がアフ・トンガリキ近くで見た修復されたモアイとも全くの別物。ということになります。

1982年には、日比谷シティと万博跡地のエキスポランド(風神雷神で事故った例の遊園地)で開催された「謎のイースター島巨石像展」に展示されるため、本物のモアイがはるばる来日したと記録されています。探してみると日比谷シティのウェブサイトに今も左のような写真が載せられています。手前に立つモアイは、外観からしてどうやらアフ・トンガリキ近くで見たもののようです。日本のクレーンメーカーがアフ・トンガリキのモアイ15体を修復するのは1990年代になってからですから、82年来日モアイは、当初から壊れていなかったのか、壊れていたとしても日本の力を借りずに独自に修復されていたということになります。


さらに問題を複雑にしているのが奥のほうに見える「顔だけモアイ」の存在です。右のような岡本太郎とのツーショットまでが残されています。あくまで Tomotubby の予想ですが、こちらの「顔だけモアイ」が実はレプリカで、日比谷と万博跡地のエキスポランドで展示された後、チリ在日大使館で保管され、3年後に天理に寄贈されたのではないか。と思います。どこかで1970年万博での展示と1982年エキスポランドでの展示が混同されてしまったのではないかと...

次回は、丸ビルでの展示が終わった後レプリカ・モアイがどうなったかについて

「アベノ橋魔法☆商店街」にモアイが...

2007-09-11 | 海は広いな Oceania /Big Island, Hawaii
アベノに日本最高層のビルが建つ計画が進行する中、お膝元の阿部野橋商店街を訪れたところ、街は再開発の波に呑まれて、懐かしい面影が今まさに消えようとしていました。

東京に帰ってから、鶴田謙二版の「アベノ橋魔法☆商店街」を引っ張りだしてきて、かつての街を思い出しながら読んでいたら、こんなの↓を発見しました。



もともと「アベ商」は各回パロディだらけの内容なのですが、「万博」の「トースター島」の「しょっぼい石像」とは、大阪万博でチリ館の前に展示されていたという「イースター島」の「モアイ」のことでしょう。でも「悪魔の塔」って何なんでしょう?「太陽の塔」?

1970年の万博に展示されたモアイは、胴体部分から切り離され、首部分だけだったそうです。それらしいモアイの写真が、前出の「Easter Island, Earth Island」の中に載せられていました。アフ・トンガリキ近くにあったこの壊れたモアイは、○ビル展示品のような「レプリカ」ではなく正真正銘の「本物」らしく、当時首だけで世界各国を旅していたと紹介されています。



日本を訪れたモアイは、後に首部分と胴体部分を繋いで修復されたと聞きました。イースター島を訪れた際、アフ・トンガリキ近くにポツンと立っているモアイがそれであることを知らされ、このブログでも紹介しました。

今回、日本各所にあるモアイについて調べていたところ、新情報を発見しました。実は万国博に展示されていたモアイは「本物」というのはまったくの嘘で、海外での展示を目的としてチリ政府によって新しく作られた「レプリカ」だったというものです。愕。

つづく(謎が謎を呼ぶ)