Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

「悲情城市」の舞台の街に泊ってみたい (台北縣瑞芳鎮九分)

2004-12-31 | 九分、台湾のポジターノ!?
TVで流れるインド洋沿岸地域の悲惨な被害状況を横目で見ながらも、世界最高層ビル台北101のオープンのニュースを見つけ、にやにやしながら台北3泊4日旅行を計画中の Tomotubby ですが、パッケージツアーには参加せずに、いつものようにフリーの個人旅行をすることにしました。できるだけフリーの時間を増やすためなのですが、ツアーでは台北3連泊のプランしかなく、Tomotubby としては、ぜひとも九份で一泊したかったのです。

九份というと侯孝賢監督の映画「悲情城市」の舞台となったので有名ですが、海の望める山の斜面にへばりつくように町があり、寄り添うように建ち並ぶ古い建物の間を縫うように細い路地が走っています。Tomotubby はこういう立地が大好きです。雰囲気は随分違いますが、南仏のエズ村、カンパーニャのポジターノ、シチリアのタオルミーナなどヨーロッパのリゾート地と共通した部分があります (そんなええもんか?)。

九份に宿はないかと台湾ヤフーで調べ、

賓大旅社 台北縣瑞芳鎮一坑路18號 (02)24972239
清芳旅社 台北縣瑞芳鎮民生街30巷14號 (02)24972075
金城旅社 台北縣瑞芳鎮岳王路17號 (02)24972035
瑞芳旅社 台北縣瑞芳鎮瑞芳街81號 (02)24972034

などを見つけましたが、どこかイメージが違う感じ。招待所って感じです。もう少し調べて見つけたのが、九重町という宿。レトロでいい感じです。で、Eメールでコンタクトをとったんですが、いつまで経っても音沙汰なし。業を煮やした Tomotubby は国際電話をかけてみました。下手な英語で宿泊日と部屋のカテゴリーを伝え、英語が通じているのかどうか不安だったんですが、電話に出た女性は、何を言っても「No」。最初は部屋が満室なのかと思ったのですが、どうやら英語が判らないようです。英語が喋れますか?と聞いても「No」。誰か喋れる人はいませんか?と聞いたところ「ない、ないと」。Night か?ならば何時?と聞いたら「Seven」。どうやら午後7時に英語の通じる人が戻ってくるようです。

【Pet の勝手に引用】 奈良女児誘拐殺害容疑の小林薫はここに潜んでいた

2004-12-30 | Japan 日常生活の冒険

小林薫のマンションはここ(矢印)(円形は女児遺体発見現場)

ここは Pet がよく知っている場所だったので驚いたのなんの。

生駒郡三郷町と北葛城郡王寺町の境界、一級河川、大和川にかかる明治橋を渡ってすぐ北、大和川に流れこむ支流、信貴川にかかる栄橋という小さい橋の前。TOTOの特約店と毎日新聞の販売店が並んでいる。TOTOの上が「リバーサイド大和川」というマンションになっていて、小林薫はここに住んでいた。地図ではわからないが、マンションは行き止まりの道に北面していて、向かい側に寿司屋がある。小林薫も出前をとったに違いない。そこの主人は三郷町町議会議員に二回目の立候補で当選してから、栄橋から明治橋にわたる土手の上に向日葵など花を植えていて、行き交う人の目を楽しませている。そういう、ほのぼのとした町に、許しがたい悪が潜んでいたとは...

周辺の観光ガイド
信貴山朝護孫子寺龍田大社がおすすめ

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奈良女児誘拐殺害:36歳の男を誘拐容疑で逮捕

奈良市学園大和町、会社員、有山茂樹さん楓ちゃん=同市立富雄北小1年=が下校途中に行方不明になり、奈良県平群町の造成地側溝で、遺体が見つかった事件で、奈良県警は30日、同県三郷町勢野東1に住む毎日新聞販売店従業員、小林薫容疑者(36)を誘拐容疑で逮捕。

奈良市学園大和町、会社員、有山茂樹さん(30)の長女楓(かえで)ちゃん(7)=同市立富雄北小1年=が下校途中に行方不明になり、奈良県平群(へぐり)町の造成地の側溝で、遺体が見つかった事件で、奈良県警捜査本部は30日、同県三郷町勢野東1、毎日新聞販売店従業員、小林薫容疑者(36)を誘拐容疑で逮捕した。マンション自宅の家宅捜索で、女児の携帯電話やランドセルなどを発見。事件は、11月17日の発生から約1カ月半で解決に向かう。

調べに対し、小林容疑者は容疑を否認しているという。同容疑者は今年7月から、同県河合町の販売店に勤務していた。

女児の携帯からは、死亡後の女児が写った写真付きメールが母親(28)の携帯に送られ、事件から約1カ月後には女児の妹に危害を加えることを示唆するメールも送信されており、捜査本部は、女児を狙った動機などを追及している。

調べでは、女児は下校中の11月17日午後2時ごろ、自宅から約200メートル北の路上で、車に乗った男に連れ去られた。女児の遺体は翌18日午前0時6分、南に約6キロ離れた平群町菊美台の宅地造成地の道路側溝で見つかった。携帯やランドセル、紺のジーンズジャンパーはなかった。死因は水死で、遺体の一部が傷つけられており、捜査本部は誘拐殺人・死体遺棄事件で捜査を開始。遺体に付着した毛髪や体毛から、小林容疑者と同じB型の血液型が検出された。

誘拐から遺体発見の間の11月17日午後8時4分、女児の携帯から、女児を撮影した写真付きメールが母親の携帯に届き、「娘はもらった」と書き込まれていた。

画像の分析などで、室内で撮影したとみられ、撮影時間はメール送信の直前だった。発信場所は、遺体発見現場南の奈良県平群、三郷、王寺町付近。メールの約1時間半前の午後6時半ごろには、平群町などの東南にある同県河合、上牧町でデータ通信が女児の携帯で行われていた。

さらに、12月14日午前1時ごろ、女児の携帯から「今度は妹をもらう」とのメールが家族の携帯に送られた。母親の携帯には、誘拐当日と同じ写真も添付され、データ通信とほぼ同じエリアからの発信だったため、捜査本部は発信地域で不審人物を捜査していた。

 ◇極めて遺憾

毎日新聞社社長室広報担当の話 こうした卑劣な事件の容疑者として、毎日新聞社と取引関係にある販売店の従業員が逮捕され、被害者とご遺族に対し心からお悔やみ申し上げます。当社としても極めて遺憾な事態と受け止め、事実関係の確認を急ぎ、販売店に対して従業員の人事管理をさらに強化するよう指導いたします。

(毎日新聞 2004年12月30日15時30分)

台北3泊4日パッケージツアーの現実 (2)

2004-12-29 | Asia 「圓」な旅
先日の記事で、台北で3泊4日のパッケージツアーといっても、フライトの時間次第で、3泊3日、ひどければ3泊2日にもなることを述べました。また送迎の途上で御土産屋さんに寄るのは何とかしてほしいぞ。ホテルの料金も決して安くないぞ。ということも判り、Tomotubby はパッケージツアーに申し込むのはやめて、個人旅行に切り替えることにしました。

まず、JAL系列の日本アジア航空利用で、12/23日出国12/26日帰国のパッケージツアーの費用を分析しました。前から泊ってみたかった5つ星のヨーロピアン・スタイルのホテルの二人部屋利用で一人 90,000円弱でした。宿泊料は延泊費用から一泊 16,000円、これが3泊だから、〆て 48,000円。ツインの部屋だから半分にして 24,000円となります。ということは、残りの 66,000円が航空運賃と送迎費用です。送迎の途中で御土産屋さんに寄るようなので、現地エージェントにはキックバックがある筈で、66,000円は丸々航空運賃といっていいでしょう。

さて、旅行社に問い合わせたところ、日本アジア航空の格安航空券を買うと、67,000円でした。それも朝便で出国して最終便で帰国するという最長滞在が可能な組合せが選べました。ホテルは二人部屋で 10,800円でした。ここに3泊すると、〆て 32,400円、一人頭 16,200円で、パッケージ・ツアーより 7,800円安くなりました。送迎はないですが、ホテルの前に停まるリムジンバスが頻繁に出ていて、料金は片道 400円程度です。Tomotubby は二泊目は台北に泊らずに、九份で一泊したかったのですが、個人旅行ならば、このような選択も自由なのです。

スマトラ島沖巨大地震、ランカウイ島は無事か?

2004-12-28 | Asia 「圓」な旅
スマトラ島沖巨大地震と、地震に起因する津波の被害は絶大で、死者は 28000人を超えたとのことです。既に「史上最悪の災害」とまで報道されています。

実は、Tomotubby は、26日14時に「死者は少なくとも9人」というネットの報道を読んで、あまりたいしたことはないな。と思い、飲茶をしにでかけたのですが、帰ってきたら、あらら、6700人、零時過ぎると 8700人、翌日朝起きると 12700人とどんどん増え、これは只事ではない。と驚きました。地震エネルギーは阪神大震災の 1600倍の規模で、津波は時速 700kmで襲ってきたと聞くと、背筋が寒くなりました。損害はしめて 10億ドル超。インドのチェンナイ港に積まれていた現代自動車製乗用車 1173台が流失したそうで、勿体無い勿体無い。しかし、人の命はさらに重いのです。

一時、モルディブでバカンスを過ごしていたジェット・リー(李連傑)が行方不明との報道もあり、これはもしや「ロミオ・マスト・ダイ」。飛行機事故で亡くなったジュリエット役の故 Aaliyah が祟ったかな。などと心配していたのですが、こちらは無事で何より。

テレビではタイ・プーケットの被害状況が再三報道されていて、ずっと南に位置するマレーシア・ペナンの被害についても画面に映っていたので、その中間にあるランカウイ島はどうなっているのだろう? 無事なのかランカウイ? と、Tomotubby は気になっていました。もし被害に遭っているのなら、アンダマン海に面したタンジュン・ルーやダタイの海岸。前にランカウイ島を訪れたとき、宿をとったのがザ・ダタイで、タンジュン・ルーを起点にした現地ツアーに参加したのでした。そのツアーとは、ランカウイに渡り、そのまま沈没してしまったという野々村真似の尾島さんが一人でプロデュース、ガイドするものでした。ボートに乗って、マングローブの林や無人のビーチ、タイ国境の炭焼き村を訪れるという内容なのですが、ランカウイの自然が大好きな尾島さん手作りという感じで、よくある現地ツアーとは一味違う楽しいものでした。帰国後、掲示板に書いた原稿が見つかったので、以下に旅行記代わりに載せてました。


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いろいろとお世話になりました。今朝日本に戻りました。序盤は、正直、蝙蝠は出ないし、魚もかからないので、どうなることかいなと心配、どころか少しキレかかってましたが... (-_-メ)

中盤で、マングローブの林が見え出して、ここまではみんな盛り上げるための余興だったのが、よおく判りました。素晴らしい景色を堪能しました。ランカウイの北東の海岸は、どこか広西の桂林を彷彿とさせる、いや桂林をも超える素晴らしい場所で、もっとたくさんの人に知られてもいいのになぁと思った次第です。まあ、たくさんの人が押しかけると、うるさいし、自然が破壊される恐れもあって痛し痒しですが... ボートのエンジンが止まったときのあの静寂は忘れられません。

終盤は、無人の白砂ビーチで食べた尾島さんお手製の唐揚げ弁当が美味しかったです。それから時間を延長して洞穴に連れていって頂けたのもラッキーでした。あそこで小さな蟹を見てると、マングロープの木は生態系の頂点で、日本人のお腹を満たす海老を養殖するため、木を一本切ると、何千何万の動物たちが犠牲になるという尾島さんの話もうなづけました。

今度ランカウイに行くときは、是非翼を伸ばすと1mの蝙蝠を見せてください。約束通り、夕食の一回もご馳走してくださいね。(皆さん、ここにメールを出してから、ランカウイでツアーに参加すると尾島さんがご馳走してくれるそうですよ。あはは ←抹消不可)それから、炭焼き村の人たちが、いつまでも商魂逞しくならずに、(まだ缶ジュース一杯で)陽気に迎えてくれればいいのになと思います。


で、ランカウイ島はどうだったかというと、まず「危機管理情報:レスキューナウ・ドット・ネット」に、以下の情報が載っていました。これを見る限り、プーケットとは大違いで、被害は無いに等しかったようです。


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マレーシア・ランカウイの様子

マレーシア・ランカウイに旅行中の友人によると、ランカウイの北側に位置するタンジュール・ルーでは、特に被害が出ていないようです。12/26の昼頃、大きく黒い波(ほとんど波が起きない場所なので珍しい)がビーチに到達したとのことですが、被害が出るほどの物ではなかったとのこと。尚、現在、24時間は海に出ないようにとの指導が行政から出ているとのことです。
(December 27, 2004 11:37 AM)


ところが、毎日新聞は、以下のような記事を配信していました。高さ約3mの波とは尋常ではないです。


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■ランカウイ

タイ国境に近いマレーシア北部のリゾート、ランカウイ島も26日、断続的に津波が襲った。同島北部のダタイ・ビーチにはゴーという地響きのような音とともに高さ約3メートルの波が寄せ、海岸のベンチなどを押し流した。数十人が海岸にいたが、自力で逃げて無事だった。津波の音に驚いて、泣き出す子供もいた。

滞在中の日本人女性は「シュノーケリングをしようと海岸に出たら、急に大波が押し寄せてきた。もし沖合に出ていたら、無事でいられたどうか」と興奮冷めやらぬ様子。ホテルのスタッフは「この辺りで地震はほとんどないし、津波も初めてだ」と語った。

ペナン州の警察当局によると、同州では少なくとも5人が死亡、30人が負傷した。在ペナン日本総領事館で、日本人観光客が多く滞在するペナン島やランカウイ島について情報収集している。【ランカウイ島(マレーシア)成沢健一】
(毎日新聞 2004年12月26日 21時13分)


で、テレビで報道しているのを見たんですが、結局1人死んでいたようです。尾島さん、たいしたことがなくて良かったですね。尾島さんちのホームページを見ると「アドベンチャークエスト ランカウイ支店マネージャー」となっていますが、どこかに買収されたのかな?

東京で味わうHK その1 (港区新橋)

2004-12-27 | 「東京で味わう」シリーズ
残念ながら、このお店は2006年5月末に閉店しました。
将来的に新立地での営業再開もありえるようです。
それまでは香港店、澳門店へどうぞ。
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12/26日、久しぶりに新橋の「翠園酒家」で飲茶をしました。これぞ香港の味。美味しかったです。
(その頃、スマトラ沖地震の被害が拡大していたのでした)


鱶鰭餃子と湯葉巻き(お薦め)と海老餃子

ソーセージの湯葉巻きと挽肉の椎茸かぶせと叉焼饅頭

春巻と腸粉(お薦め)

焼き餃子と大根餅(お薦め)

マンゴープリン(お薦め)

山岳都市ボマルツォへ

2004-12-26 | Bomarzo 怪獣聖林
ローマの北方、ラツィオ州ヴィテルボ県にある山岳都市ボマルツォ。ローマに続くテヴェレ川の右岸に連なる稜線の南端の見晴らしのよい高台に、船のような形をしたこの町はあります。私たちはフィレンツェからローマに延びるハイウェー「太陽道路」を降りて、一転、不安になるような田舎道をヴィテルボ方面へ向かう途上、この町を見つけました。そう、ここには名にし負う「怪物庭園(Il parco dei Mostri)」があるのです。



この日は温泉の街キアンチャーノ・テルメの宿を出発して、途上、ピェンツァ、オルヴィエートに立ち寄ったため、お目当てのボマルツォに着いたのは既に午後3時。トスカーナ州は天気が良かったのですが、ラツィオ州に入ってからは空は曇り、実際の時間より暗く感じられました。曲がりくねった坂道の上にあるボマルツォの町は、トスカーナの多く山岳都市がそうだったように中世のまま取り残されたような風情です。そのうえ、道行く住人も少なく、観光客も皆無に等しい、うら寂しい町なのです。

「Il parco dei Mostri」の標識を頼りに車を進めたのですが、高台の小さい町を素通りしてしまいました。この町を有名にした「怪物庭園」は、これまで見てきたイタリア庭園が丘の斜面に作られていたのと違って、潅木の茂る暗い谷の底にあるのでした。

【勝手に引用】 2029年4月13日は何曜日?

2004-12-24 | Japan 日常生活の冒険
クリスマス・イヴというのに不吉なニュース。
25年後の自分の姿など想像したくもないけれど。
ところで、2029年4月13日って金曜日じゃないよね。
早速、曜日判定プログラムで調べてみました。

西暦2029年4月13日は、
金曜日です!

げっ。また新興宗教が流行りそう。

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25年後に小惑星衝突? 確率300分の1とNASA

 【ワシントン24日共同】25年後に小惑星が地球に衝突するかも-。米航空宇宙局(NASA)の小惑星監視グループが23日、今年発見されたばかりの直径約400メートルの小惑星「2004MN4」の軌道を計算したところ、2029年4月13日に地球に衝突する確率が約300分の1あるとの結果が出た。
 NASAは「観測が進んで詳細な軌道のデータが分かってくれば、衝突の危険はゼロになる可能性も大きい」としているが、仮に衝突すれば、津波などの大きな被害が予想されるという。
 小惑星は今年6月に米アリゾナ州で観測者が初めて見つけ、今月18日にオーストラリアで再び観測された。地球より小さい円を描いて太陽の周りを323日かけて回り、その間に2回、地球の軌道を横切る。
(共同通信) - 12月24日16時53分更新

金庸の武侠小説 (2)

2004-12-23 | Asia 「圓」な旅
査良というジャーナリストの人生の中で、金庸という作家の時間は、まるで計算されたかのように始まり、断筆とともに終わります。31歳から48歳という限られた時間に集中して膨大な作品が書かれたのです。Tomotubby は、金庸とほぼ同世代で、1970年に45歳で自ら命を絶った天才作家、三島由紀夫が5年刻みで人生設計をして膨大な著作を遺したことを思い浮かべました。

金庸は先述したように長編12作、短編3作を書き上げました。どうやら最後の短編で古典を下敷きにした「越女剣」はさほど重要な作品ではなかったようです。他の作品は時代設定が宋以降であるのに対して「越女剣」だけは戦国時代を舞台としています。金庸が最後の長編「鹿鼎記」のあとがきで披露しているのですが、「越女剣」を除いた著書名の最初の文字を組み合わせて次のような対聯を作ったのです。

飛雪連天射白鹿
笑書神侠倚碧鴛

偶然にできたにしては出来すぎです。早い段階から考えて題名を決めていたに違いません。ここに含まれた二つの短編小説の題名が「白馬嘯西風」と「鴛鴦刀」で、両方とも1961年に書き上げられています。両方が白鹿と碧鴛という対を成した動物の名前を決めるものであることも、金庸がこの対聯を作るために付け加えたのではないかと思えてきます。

長編10作品に目を移すと以下の通り。発表順で、数字は日本訳の巻数で、分量の参考にしてください。舞台となった時代についても書きました(「笑傲江湖」は、征服王朝期ではなさそうなので恐らくは明、「連城訣」と「侠客行」については時代背景が明らかにされていない)。

「書剣恩仇録」④清
「碧血剣」③明末
「雪山飛狐」①清
「射英雄伝」⑤南宋
「神侠侶」⑤南宋末
「飛狐外伝」③清
「倚天屠龍記」⑤元末
「天龍八部」⑧北宋
「連城訣」②
「侠客行」③
「笑傲江湖」⑦
「鹿鼎記」⑧清

このうち「射英雄伝」「神侠侶」「倚天屠龍記」の三作は分量もほぼ近く、俗に「射三部作」と呼ばれる連作で、登場人物も共通しています。

「飛狐外伝」は「雪山飛狐」の後で書かれていますが、「飛狐外伝」の主人公の少年時代を描く前伝という位置づけです。またこの二作と「碧血剣」「鹿鼎記」には闖王・李自成が関わり、「鹿鼎記」には「碧血剣」に登場する人物も登場します。

また康煕帝時代を舞台とした「鹿鼎記」に登場する反清の秘密結社「天地会」は、乾隆帝時代を舞台とした「書剣恩仇録」に登場する「紅花会」に通じています。この二作は、金庸の最初の作品と最後の作品にあたりますが、主人公のキャラクターや人生観が全く正反対で読み比べると興味深いと思います。

金庸は「越女剣」発表後すぐの1970年3月から1980年まで、年齢にして46歳から56歳という次の10年をかけて第一の修訂の作業を行いました。その後、第二の修訂の作業に入り、80歳を迎えた2004年に終了したとのことです。

金庸という作家は、恐らくは非常に頭のいい人なのではないか、そうでないと、こうはいかないだろう。と思えるのです。

金庸の武侠小説 (1)

2004-12-22 | Asia 「圓」な旅
金庸の長編小説「鹿鼎記」全8巻を読了しました。

徳間書店から1996年10月に初日本語訳「書剣恩仇録」第一巻が刊行されてから、2004年3月「鹿鼎記」最終巻が出されるまで、延べ7年半をかけて、長編12作、短編3作の全てが翻訳・刊行されました。Tomotubby は、ウォン・カーウァイ監督の映画「東邪西毒」(邦題「楽園の瑕」)など、原作の映画化作品から金庸の名を知り、周回遅れで読み始めて読み耽り、ようやく全作品読了となりました。ちょっと寂しい気分。

まずは金庸氏のご紹介。本名は査良。本名の一字「」を二つに分けてペンネームにしたそうです。生まれは1924年「書剣恩仇録」の舞台にもなった中国浙江省海寧県。最初は外交官を目指すが断念して、「大公報」の新聞記者として香港に渡る。1955年、処女作「書剣恩仇録」を発表するや一躍人気が高まる。1959年には日刊紙「明報」を創刊、以降小説を同紙に連載、1969年から最後の長編「鹿鼎記」を執筆、1970年1月に「越女剣」を発表するまで15年間に15作を創作しました。そして1972年「鹿鼎記」連載を完了すると同時に筆を折り、世間を驚かせたのでした。その人気は香港・台湾にとどまらず、近代化の波とともに大陸全土に及び、今や中華世界を中心に12億の熱狂的読者を擁するといわれています。

Tomotubby も中国を旅行したとき、金庸の名前を出したら、老若男女みんなが知っていて驚いたことがあります。登場人物の誰が好き?とか話はどんどんディープな世界に展開していきました。金庸を知らない日本人には何のことやらさっぱり判らないのですが、金庸を読んでいるとみんなお友達。と優越感に浸れること間違いなしです。

金庸氏が昨年来日され玉川大学で講演されたそうで、勿論今もご健在ですが、よくよく考えてみると、同時代に「書剣恩仇録」を読んだ若い読者でも、既に還暦を迎えているはずです。原作が時代を越えて支持される普遍的なテーマを持つせいでしょうか、全く古さを感じません。香港で繰り返して映画化、TVドラマ化されたためかもしれませんが。最近も北京の天橋の本屋さんに「天龍八部」のコミックが積まれていました。「天龍八部」は、民族をテーマにした、どちらかというと重い作品なんですが...金庸って子供たちにも人気があることがよく判りました。そういえば、中国から来た人から、金庸は試験前には絶対読まない。と聞いたことを思い出しました。読み出すとやめられなくなって、勉強できなくなるから。だそうです。Tomotubby も同感。