Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

宮嶋茂樹 「不肖・宮嶋 金正日を狙え!」

2003-10-30 | Europe ところどころ
親愛なる将軍様がシベリア鉄道・特別列車でロシアを横断、各地を大名旅行するのを知った、偉大なる報道写真家、我らが「不肖・宮嶋」。

彼は世界的スクープを狙うべく、単身ロシアに乗り込み、屈強な北朝鮮SPをものともせず、将軍様を追う。或いは待ち伏せする。そして、推定身長159cm、シークレットブーツ疑惑で「がに股」の将軍様の姿は、幾度となく、そのレンズに捕捉されていくのであった。

本書は、彼の三週間余りの悪戦苦闘が、いつもの文体と写真と詳細なる図解で描かれており、「不肖・宮嶋」シリーズ中でも最高に面白い一冊です。特に「薄毛疑惑」の将軍様を頭上から捉えた珍しいショット、最後に現れた「喜び組」の素顔を撮った貴重なショットは必見。もちろん旅行記としても楽しめます。

柳京ホテル、改修工事始まる (北朝鮮・平壌)

2003-10-28 | 廃墟巡礼
柳京ホテルは、1987年、高さ300m、105階、3000に及ぶ部屋数という世界一の規模で、平壌・普通江区域に建設が開始されましたが、1992年、資金難と施工上問題で工事が中断、以来10年間雨ざらしとなっています。
ニュースステーションでホテルの画像が取り上げられたりしたせいか、ここ数年、日本人は建物に近づきたくても、怖いガイドが許してくれなくて、近づけませんでした。近づくと「地上の楽園」に連れて行かれるという説もありました。 
ところが、最近、平壌を訪問して韓国に帰国した人の話では、ホテルのてっぺんにクレーンが取りつけられ、改修工事が始まった?とのことです。
ホテルの引受・完工・運営契約を妙香経済連合会と締結したホテル・ケムペンスキー・グループ(本部・ジュネーブ)が、保守工事に着手することが伝えられていた矢先でした。
親愛なる将軍様にあらせられては、いったい何をお考えになっておられるのでしょうか?


どーん、と屹立する柳京ホテル。
推定身長159cm(談:元喜び組) の親愛なる将軍様は巨大建造物がお好き
(写真提供:TomotubbyPet)

おまけ:
韓国の建築技術も似たようなものなのでしょうか?


TomotubbyPet のコメント(2003-10-27):-

Tomotubby がご紹介した柳京ホテルは何かに似てるな、何だったかな、と考えながら、日本シリーズ最終戦を見ていたら、はたと気づきました。そうです。富田林(とんだばやし)にあるPL教団の平和祈念塔でした。どことなく似てるでしょう。Petが通っていた中学校の校舎の4階からも、この塔が見えました。イブ・タンギーの絵みたいな雰囲気が現実のものとは思えません。シュールです。しかし、中学生当時のPetは、何故かこの塔が「エレキング」に似ていると思っていたのでした。


似てると言うと怒られるかな?


TomotubbyPet のコメント(2004-06-30):-

タマキング・宮田珠己氏は、近刊「晴れた日は巨大仏を見に」の書き下ろし部分に、PL大平和祈念塔を訪れた一文を載せている。宮田氏は、塔の雰囲気が北朝鮮平壌の柳京ホテルに似ていることをこの中で指摘し、両者の写真まで載せられている。さらには旅の同行者の和久田氏がこの塔がウルトラセブンのカプセル怪獣ウィンダムに似ていることを指摘している。
ま、待てよ... これって、Petが昨年、TomotubbyPet's BoxRoomで指摘したことと似すぎていないか? Pet は 先に柳京ホテルを取り上げて、PL大平和祈念塔に似ていることを指摘し、やはりウルトラセブンに登場した怪獣エレキングとの類似性について写真入りで示した。ということは、Pet の思考回路は、タマキングや和久田氏と同類ということか... 何か親近感がわいてきたな...

青山ブックセンター本店で開催されたスライドトークショー&サイン会で宮田氏にこの話をした処、「PL大平和祈念塔はウルトラマンのシーボーズに似てませんか、ご存じないかも知れませんが」と言われてしまった。知ってますとも、骸骨怪獣シーボーズ!! 実相寺昭雄が監督した回。しかし、シーボーズって名前は「海坊主」からつけたのかな... そういえばサイボウズというのもあったな...

【Pet の 部屋】 Ferris Flotel (釜山市海雲台区)

2003-10-26 | 廃墟巡礼
2002年7月20日、海の日に開業した、ロシアの最高級豪華遊覧船を改修した素敵なホテルです。



というか、ホテルでありました。
今度泊まってみたいと思ってたら、あらら、2003年9月13日、台風14号の被害で転覆していました。



問合せ先: +82-51-747-0999
励ましのお便りの送り先:http://www.ferrisflotel.co.kr/


珠海某重大事件

2003-10-25 | Asia 「圓」な旅
圓明新園は北京から遠く離れた広東省珠海市に1997年にできたテーマパークでした。

ちょっと横道に逸れますが、珠海市は、最近、大阪の某リフォーム会社による集団買春事件で大騒ぎになりましたね。彼らの宿泊したのは「珠海国際会議中心大酒店」で、宴会と表彰式を行ったのが「珠海粤海酒店」でした。

「国際会議中心」というのは、中国のいろいろな都市にある有名なホテルだし、「粤海」は香港にもあるホテルで、どちらもいかがわしい所じゃないですね。とばっちりを食っての営業停止は、なんとも可哀相です。

「国際会議中心」の場所は、珠海市北部の海浜公園の近くで、ある意味辺鄙な場所ですが、「粤海」の方は、地続きの澳門(マカオ)へ歩いて入れる「拱北関口」(イミグレ)から徒歩5分程度の中心街にあります。折角外国に来たのだから、海の見えるリゾートで寛いでるのもいいけど、賑やかな場所で「ぱーっ」とやりたかったんでしょうね。きっと。拱北は在留邦人のコミュニティもある大きな街ですが、黒社会の巣窟といわれる澳門との窓口のためか、泥棒が入境者を狙ったり、女性が立っていたりして、夜はかなり物騒になるようです。

圓明新園はこの「拱北関口」からまっすぐ北に伸びる迎賓南路を北上して、九洲大道との交差点を左折して少し行った右手、大石林山の麓にあります。(もちろんバスに乗るのもいいですが)タクシーで10分ほどでした。タクシーが見つからなければ「拱北関口」近くのホテルで呼んでもらうといいです。その辺りで「粤海酒店」が見つかるかも。


国際会議中心大酒店の前で抗議活動をする人民同志たち(嘘)

つづく

圓明新園への旅

2003-10-24 | Asia 「圓」な旅
私が北京の圓明園に興味を持ったのは、中野美代子さんの一連の著作を読んだからです。中野さんは、「西遊記」(岩波文庫)の翻訳・研究で有名な中国文学者。特に「西遊記―トリック・ワールド探訪」(岩波新書)で西遊記を章立ての構成から分析されたのは秀逸です。

「チャイナ・ヴィジュアル―中国エキゾティシズムの風景」(河出書房新社)という評論集の最初の章では、圓明園と設計者のひとりである宣教師ジュゼッペ・カスティリオーネについて詳しく描かれています。カスティリオーネを主人公にした不思議な小説「カスティリオーネの庭」(文芸春秋)も書かれているので、「チャイナ・ヴィジュアル」はこの小説のための研究の成果だったのかもしれません。

中野さんの博覧強記ぶりは、どことなく亡き澁澤龍彦を思わせるものがあります。どちらの本も読書すること自体が快楽なのですが、澁澤龍彦のボマルツォの庭に関わる著作が、私を書斎から遠くイタリアの山岳都市に誘ったように、中野さんの著作が私を北京の郊外へと導いたのです。

圓明園について書かれた本の中で特に気になったのが、定刻になると、それぞれの口から水を噴出したという十二支の像の噴水についての記述でした。この噴水を含めた圓明園の一部を復元した場所、その名も「圓明新園」が、中国にあることを知った私は、2003年2月、その地を訪れたのでした。

→圓明園の作られた時代、破壊された時代を描いた小説としては、金庸の著作の中で本邦初訳だった「書剣恩仇録」(徳間書房)、浅田次郎の「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」(講談社)なども楽しめます。

つづく

【スペシャル・レポート】 「レゴ」で作った世界遺産展 (渋谷)

2003-10-23 | Japan 日常生活の冒険
渋谷パルコで開催中の、「レゴ」で作った世界遺産展を見てきましたので、レポートしますね。

今回、展示されていた世界遺産は、記憶を辿ると、外国のものが、マチュピチュ、自由の女神、万里の長城、タージ・マハール(真ん中の建物と4本のミナレットだけ)、ギザのピラミッド(カフラー王のだけ)、アテネのアクロポリス、モン・サン・ミッシェル、ビッグ・ベン、アンコール・ワット、モアイ像4体(アフ・アキビかな?)、ピサの斜塔と、ギャラリー入口にアブシンベル神殿のラムセス2世像(一体だけ)、日本のものが、金閣寺、白川郷、厳島神社。全部で15件。

こうしてみると、日本人の抱く「世界遺産」のステレオタイプがよく判りますね。私は、アンコールワットとマチュピチュ、それから厳島神社に行けてないだけで、後はみんな訪問済みでした。自慢じゃなくって、私自身が典型的な日本人だったことが判り、ちょっと恥ずかしい気分です。日本人は、ツアーのパンフレットの写真の隅っこなんかに「世界遺産」って書いてあるのにどうして反応するんでしょうね?

私のお気に入りのレゴ遺産は、どちらかというと写実的なモン・サン・ミッシェルとモアイ。

ずいぶん前に、パリから一泊二日の多国籍バスツアーでモン・サン・ミッシェルに行ったんですが、御土産屋さんの片隅に7インチ(ドーナツ盤)くらいのモン・サン・ミッシェルの樹脂製モデルが埃をかぶっているのを見つけて、お願いして売ってもらいました。他の店で同じものが見つからなかった超レア物で、たいへん気に入ってるんですが、レゴのモン・サン・ミッシェルはこれを大きくしたみたいで、思わず欲しくなりました。

それからモアイですけど、パンフなどではたいてい正面からの写真が載っていますが、実物は皆さんが思ってるよりずいぶん薄べったいんです。レゴでもその辺のニュアンスがうまく表わせていて、作者はわざわざイースター島(ラパ・ヌイ)まで出かけて行って、これらを作ったんじゃなかろうかと思いました。こちらは気に入ったのでTシャツを買ってしまいました。

マチュピチュとか万里の長城みたいな自然と同化したような遺跡を、レゴで作るのはちょっときついですね。色鮮やかなモスクワのワシリー寺院とか、ラサのポタラ宮なんかが映えるのではないかと思いました。(タイの王宮もいいんだけど、世界遺産じゃなかった)

清代のグランド・ゼロ 圓明園 (北京市海淀区)

2003-10-22 | Asia 「圓」な旅
圓山大飯店、圓環ときたら、次は圓明園かな。ということで(いきなりですが)北京にある圓明園のご紹介です。

清の絶頂期に君臨した皇帝、雍正帝、乾隆帝の二人が、イエズス会宣教師たちに命じて作らせた離宮で、細長い敷地に、当時は西洋風の石造りの宮殿や庭園が並んでいましたが、西太后の時代(1860年)に英仏の連合軍が北京を占領した際、徹底的に破壊され、今なお廃墟のまま残されています。

場所は北京市の北西部に位置する北京大学や清華大学のすぐ近くです。隣には、今なお清の時代の栄華を留めるサマー・パレス、頤和園があります。頤和園は北京の一大観光スポットで、観光コースに組み入れられて、ひととおり見学するのに丸一日かかるのですが、行かれた方は是非お隣の圓明園にも足を伸ばして頂きたいです。ある意味、圓明園は清の時代のグランド・ゼロです。列強に徹底的に潰された宮殿の白い石材は、その後の激動の時代の間、かなりが持ち去られ復元は難しいといいますが、それでもなお、過剰なまでに残されており、その存在感には圧倒されます。

英仏軍は、宮殿にあった清代の美術品を盗賊の如く根こそぎ持ち去ってしまい、そのうちの一部は某博物館に今も展示されているそうです。また残念なことに、多くがコレクターの手に渡り、行方知れずになっています。ここでは、カブールやバグダッドで起きたことより、ひどいことが行われたわけで、まさしく「歴史は繰り返す」んですね。

私は頤和園の裏門から、圓明園まで、リヤカーに座席がついていてバイクで引っ張るタイプの、トゥクトゥクでもシクロでもリキシャでもないへんてこな乗り物に乗せてもらったのですが、排気ガスが物凄いうえに、道行く人が手を振ってくれたりして、結構ハズイものがありました。

なお「現在の圓明園」とは、細長い敷地を持つ「廃墟の圓明園」に加えて、福海を囲んだ「万春園」と「長春園」を含めた三庭園の総称で、周囲は10kmにも及ぶ広大な敷地を持っています。注意していただきたいのは「廃墟の圓明園」が、正門からは一番遠い奥の奥にあることです。行ってみようと思われた方は、くれぐれも頤和園で体力と時間を使い果たさず、圓明園のために取っておいて下さいネ。

つづく

生まれ変わった圓環「建成圓環美食館」 (台北市大同區)

2003-10-20 | Asia 「圓」な旅
前回、台北名物の圓環が取り壊されてグルメ館として再開発されることについて書かれた記事をご紹介しましたが、10月4日に「建成圓環美食館」という名で既に営業を開始していることが判りました。

なんと地上二階、地下一階の全面ガラス張り、屋上には「市民農場」という名の小型植物園、中央には吹き抜けの中庭まで備えた「快適都市空間」とのことです。一階にはかつてあった屋台料理の店が中庭を背にして並び、二階には各国料理のレストランが入っているようです。
地下には、美食館建設中に発見された日本統治時代の防火用貯水池と防空壕の遺跡が保存されていて、圓環の辿った複雑な歴史を知ることができます。

なお圓環は、その場所の旧住所が建成區だったことから、建成區が大同區、延平區と合併し大同區となった今でも「建成圓環」と呼ばれています。

台北に行く機会がありそうなので、生まれ変わった圓環の詳細については改めてレポートしたいと思います。


ありし日の圓環

つづく

ショック!「圓環」撤去?

2003-10-19 | Asia 「圓」な旅
ショックです。調べていたら、「圓環」の再開発の記事を見つけました。

2001年3月30日付けの台北『中央日報』に、「台北市では圓環の再開発について住民の意見を聞きながら検討を行った結果、現在の建物を撤去し、新たに地下1階、地上2階の建物を建設して「グルメ館」として新生させることを決めた。総工費は約6千万元(約2億1千万円)で、付近の交通状況にも配慮して位置を現在より南に5メートルほど移動し、グルメ館の建物内には約50軒のレストランが入る予定で、その半数は元の圓環の住民が営業し、残りの半数はBOT(民間が経営し一定期間後に政府に返還する)方式を採用する。建物の周囲には緑の樹木が多く植えられ、市民の新たな食と憩いの場所となることが期待されている」と報じられています。

記事の日付から既に2年も経っているので、「圓環」はもう無くなっているのかも知れません…ぐすん。香港・九龍城砦に続いて、またひとつアジアの面白スポットが消えてしまうのでしょうか?しかしよりによって「グルメ館」とは、とほほ…。どなたかご存知でしたら「圓環」の近況を教えてください。

当時、「圓環」の向かいに本屋さんがあって、北京語に訳された日本の漫画がたくさん並んでいました。のりぴー関連も人気でしたね。それから南の方に向かって歩いていくと、整形外科や下半身関連の醫院や三温暖(サウナと読むらしい)の看板があって少し怪しい雰囲気でした。「グルメ館」ができているとしたら、周辺の雰囲気も変わっているのかな?

つづく

圓山の次は、圓環 (台北市大同區)

2003-10-18 | Asia 「圓」な旅
台北で本場より美味いと噂の四川料理を食べた後、視察旅行のおじ様方一行を後に残してひとり夜の街に消えた私。向かった先は、圓環でした。圓環とは、南京西路や重慶北路などの道路が複数交わるロータリーの真ん中にできた屋台街です。日本が台湾を統治していた頃、まず公園として整備されたのに始まり、その後は飲食店が集まり、ドーム屋根ができて一大屋台街区に変貌しました。

今は亡き建築家の毛綱毅曠(この方、大学の先輩だった!) と写真家の藤塚光政が著した「詠み人知らずのデザイン」という本で大きく取り上げられていたり、暗黒舞踏の「白虎社」がパフォーマンスを行ったりした場所で、私は以前からとても気になっていたのです。

しかし、いざロータリーに辿り着いたら信号があるわけもなく、交通量は物凄く、なかなか圓環には渡れませんでした。地元の人が上手に車の波を掻い潜って孤島に渡るのを目にしたので、真似してみたら轢かれそうになりました。

死ぬ思いで渡りきったのですが、そこには閉店休業のような店もかなりあり、思っていたより寂れた感じがしました。ひと通り、ぐるっと見学してから、お兄さんが矢鱈と勧める得体の知れないスープを注文して、真ん中の空き地みたいなところにあるテーブルで頂きました。でも凄く美味しかった。店のお兄さんに、思わず、はおちー。と叫んでしまった私でした。


圓環

つづく