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Deep City 横須賀

横須賀市の地域ガイドブログ 観光やグルメ&おいしい!おすすめのお店紹介 ニュースやイベント基地情報も

★『松の湯』★ 佐野 路地の奥の銭湯

2007-02-07 | ◆衣笠
横須賀のレトロな銭湯めぐり。
今回は横須賀の中でも銭湯密集地、佐野にあります「松の湯」に行ってきました。
暖冬と言われるこの冬ですが、やはり温かいお風呂に入るのはいいものです。
このあたりの銭湯の中でも特にここ「松の湯」は気になっていた銭湯でした。といいますのは・・・


この入口です。銭湯はこの路地の奥にあるのですが、暖簾だけ表(道路側)に出ているのです。
ちゃんと、それ用のライトまでついています。なんともDEEPな入口好奇心をそそられます。



家一軒分くらい奥に入ったでしょうか。福助がお出迎えしてくれます。



正直、路地奥の銭湯でお客さんがいるのか不安でしたが、いました。時間は夜7時。
左より、入口、番台、女湯とのしきり、鏡。
ドリンクの他にアイスが売っているのは珍しいかも。



入口付近のイスより。手前には脱衣籠、右に白い体重計。乗ってみるものの数値は見て見ぬふり。
カラン(蛇口)の数は左から5552。左はシャワー、鏡がついてます。島カランはシャワー、鏡なし。
右は鏡はあるがシャワーなし。右手前に立ちシャワー。必然的にみんな左側を使う事になります。
女風呂とのしきりはくもりガラス。互いにうっっすらとシルエットが見える程度。
これはなかなか男心をくすぐられます。・・・と言っても向こう側からはおばあちゃんの声・・・



壁の絵は富士山。やっぱりこれが一番!下記参照サイトによると有名な画家による絵だそうです。
湯船は左が深いお風呂。右が浅いお風呂。温度はそれほど熱くなくちょうどいい感じ。



いやぁ~温まりました。風呂上りのコーヒー牛乳をいただきます。(100円)
普段はまったくコーヒー牛乳など飲まないのに、銭湯では別。うまいですねぇ~
石油ストーブがあるのは冬場ならではの気遣いか。
体の芯まで温まったので帰りのスクーターも苦にならず。夜風がとても気持ちよかったです。


『松ノ湯』
横須賀市佐野町5-5 
046-851-1822
営業時間 16:00-22:00  
定休日 不定休
google画像検索→横須賀 松の湯 佐野
google検索→横須賀 松の湯 佐野

★当ブログ横須賀の温泉&銭湯特集は→こちら

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この正面の路地に暖簾がかけられ、銭湯はこの奥です。


そうだ!横須賀に行こう!

★『まいど 衣笠店』 駅前でちょっと1杯♪横須賀居酒屋焼き鳥

2007-02-02 | ◆衣笠
横須賀の酒場めぐり
呑む場所がどうしても、横須賀中央や、汐入、どぶ板に偏ってしまいがちなのですが、
今回は少し足を伸ばして衣笠で一杯やることにします。衣笠駅を降りると、目の前のロータリーの
向こう、まるで誘っているかのように煌々とオレンジの看板が光っています。
今回のお目当てはここ「まいど」です!


「まいど」は横須賀にも何店かありますね。堀の内、久里浜、ここ衣笠・・・
衣笠店に入るのは初めてです。駅から徒歩1分。ちょっとひっかけるのには絶好の立地です。



店に入ると、おーっ!いい雰囲気です。左側にカウンター、カウンターの後ろにも
申し訳なさそうな席が2つほどあります。常連さんも多くいるようで、お客さん同士で
話が弾んでいます。奥に行くほど常連度が高いような気がします。初めて来た私は、
入口付近の席に腰を下ろします。
「・・・・ん???」なにか変ですね。いすはパイプいすで、これはこれで特徴があって面白い
のですが、高さが“しっくり”こないのです。こちらが低い?中が高い???写真で見るとお分かり
かもしれませんが、お店の方がやけに大きく見えます。中の方が高くなっているのですね。
ちょっとした酒場劇場のよう。明るいおばちゃんが右に左にと楽しい話を振りまき、
おじさんは美味しい焼き鳥を静かに焼き上げます。
観客は私たち。あーだこーだ言いながら楽しい時間を過ごします。


 
メニューに「ホッピー」があったら迷わずホッピー(320円)安いっ!
焼き鳥はもちろん、おでんもあります。7品350円。



焼き鳥は1本105円。鶉の卵は120円だったか。
ヘルシーなセレクトになっていますが、この後にしっかり食べています
テイクアウトもできます。仕事帰りにお土産にもいいですね。


『まいど 衣笠駅前店』
住所・電話・休み・営業時間とも未確認
食べログ→まいど
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一見さんもあたたかく迎えてくれる、居心地のいい焼き鳥屋さんでした。
スーパードライの生が320円、お茶割りが210円、焼酎お湯割が160円と、とってもリーズナブル
たまには違う街に呑みに行くのもいいですね。

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ストリートビュー。右に向けるとそこは衣笠駅


★金子トンネル★ 三浦半島の東西を結ぶ貴重なトンネル

2007-01-23 | ◆衣笠
横須賀のトンネルめぐり。
今回は横須賀の東西を結ぶ主要な道路にある「金子トンネル」です。横須賀の中部、南部は
トンネルがさほど多くないので、トンネルめぐりをしている私には横須賀中南部の貴重(?)なトンネルです。


衣笠インター方面から武へ向かうとトンネルが見えてきます。
左の小さい方が「新金子トンネル」、右の大きい方が旧「金子トンネル」



こちらは「新金子トンネル」1942年昭和17年完成。





これは何でしょう?トンネルとトンネルの間に両側とも置いてあります。



双方のトンネル入口にはお地蔵さんが。



反対側、武方面からの「金子トンネル」



こちらは旧「金子トンネル」1914年大正3年完成。
こちらの方が大きく、新しく見えるのは気のせいか・・・補修工事があったのでしょうか。

衣笠合戦のあった衣笠城址からほど近い場所にあるこのトンネル。
トンネルの上は、三浦の敵方、金子十郎が陣を張った場所であったといわれます。
トンネル名称の由来はそこからきているのかもしれません。
 
旧・長さ110m、1914年完成。新・長さ103m、42年完成。

関連サイト
ふるさと横須賀→湘南馬車  『明治32年に4台で』
当ブログ横須賀のトンネル特集は→こちら

かつてこのトンネルが開通する前は、山越えの難所であったとか。
昔から三浦半島の東西を結ぶ主要な道路であっただけに、トンネル開通によってどれだけ
楽になったことでしょう。今や当たり前のように通っているトンネルですが、
そんな事を考えてみると、本当にトンネルってありがたいですね。
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そうだ!横須賀に行こう!

★『ラーメン勝太』★ 元旦にオヤジさんの素敵な笑顔

2007-01-12 | ◆衣笠
元旦の午前中に三浦七福神を巡った私は、大晦日から寝ておらず、何も食べていないことに気付きます。帰り道にどっと疲れやら空腹感が押し寄せてきますが、この日は元旦。一息つこうにもお店がやっていません。ふらふふらと車を走らせていたら・・・開いているお店発見!それもラーメン屋さん!本当に吸い込まれるようにお店に入りました。
 
外見は分かりやすいド派手な黄色い看板。
店内は中華屋さんによくある赤いカウンター。そしてテーブル席もあります。
「ふ~っ」とカウンターに腰を下ろすと、お店の方が「今開けたところだよ。今年一番のお客さんだね。」と。
おお、それはなんだか嬉しいですね。



ラーメンはしょうゆ、味噌、塩とあります。選ぶ時はこういうのが一番迷います。
どれがおすすめなのでしょう?迷った時は基本のしょうゆラーメンをいただきます。チャーシューメン850円。
チャーシューは半分が脂というこってりタイプ。疲れている私にはいいかも。
トッピングはメンマ、のり、ネギと定番。麺は縮れ麺。
スープは特にこれといった偏りのない普通のしょうゆスープ。
疲れているときには、こういう普通のしょうゆラーメンが胃にやさしい、心にやさしい。


笑顔が素敵なオヤジさんと、てきぱきと仕事をこなすおばさん。
餃子やビールなどを頼みながら、ゆっくりと過ごす“町のラーメン屋”さんという雰囲気ですね。
「ざる中華」650円といった気になるメニューもありました。家の近所にあったらテレビを見ながらあーだこーだと、オヤジさんと話しながらズルズルとラーメンをすすりたいお店です。ごちそうさまでした。

★★★ラーメン勝太★★★
横須賀市池上4丁目1-10
046-852-9920  
AM11:00-Am2:00
場所は→こちら

関連サイト
magpie's ラーメンページ→勝太

当ブログ横須賀のラーメン特集は→こちら

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★『斗の湯』★ 銭湯密集地、佐野のいいお湯

2006-12-19 | ◆衣笠
※2015年2月末廃業※


いや~めっきり寒くなってきましたね~。今年もあと少しです。
こんな日には銭湯で温まるのが一番!とスクーターを駆り出し向かった先は佐野にあります『斗の湯』です。
ここの銭湯は道路沿いにあるので、車で通る度に気になっていた銭湯です。

どっしりとした重厚かつ年季のはいったたたずまい。



ん?何やらどなたかお出迎え。



ふ、福助!これはこれはご丁寧に。
このタイル画、とても印象に残ります。



中へ入ると、そこは建物の雰囲気そのままに、年季は入っているのだけれども古臭くなく
落ち着いた雰囲気。ピカピカするようなきれいさではなく、きちっとした清掃がいきとどいたきれいさ。
番台や長椅子、どれも使い込まれたいい味が出ています。



ロッカーと棚。派手な赤というか朱色なのですが違和感がありません。



銭湯定番の体重計。扉の奥はお手洗い。



脱衣場から。



壁絵は「外房勝浦」。富士山など山が多いなかで珍しいです。
下のタイルには鯉と金魚が描かれています。
お風呂は左が噴射タイプの深いお風呂。右が下からボコボコ、浅いお風呂。
先客が出たところなので私一人のはずなのですが、頭を洗っているといつの間にかもう一人入浴客が。
「あれ?いつの間に!」なんて思っているとその方がお湯に入ります。
胸下くらいまでしか湯に浸かっていなかったので多分熱いのでしょう。
出てきたのを見てビックリ!きれいに線が入っています!浸かっていたところは真っ赤です!
次は私の番・・・相当覚悟を決めて入ってみると・・・おや?それほどでもありません。
熱いことは熱いのですが、我慢できない熱さではありません。
だいぶ温まったので風呂からでると、そのもう一人のお客さんが裸のまま浴槽脇の扉へ入っていくではありませんか!
ここの銭湯の方だったんですね。では来た時もその扉から・・・気づかない訳です。



シャワーの数は中央(女湯側)から6、4、5。
中央島カランにシャワーは片方のみ。珍しいタイプ。
タイル絵が3枚あるのですが、経年のため薄くなっています。中国の景色のよう。



実はこの絵のこの場所に実際に行ったことがあるのです。
それだけに私にとってはツボをついています。 
外装や福助、絵や雰囲気。また“古きよき”銭湯を見つけました。また来ます。


『斗の湯』
横須賀市佐野町1-7
046-851-0983
月3回不定休
16:00-23:00

google画像検索→横須賀 斗の湯
google検索→横須賀 斗の湯
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★平作小学校★ 大楠山の麓、しょうぶ園そばの好環境

2006-12-18 | ◆衣笠
※2013年(平成25年)池上小学校に併合※


---------以下2006年当時の記事になります--------
横須賀の学校めぐり。今回は『平作小学校』へいってきました。学校は「しょうぶ園」のすぐそば、
「横須賀一高い山、大楠山のふもと。横須賀一長い川、平作川の源流の清水川の近く。
しょうぶ園に、阿部倉温泉。」 と自然環境がいい場所にあります。

正門



校庭。すぐ後ろはしょうぶ園。



プール

平作小学校→ホームページ早速ホームページを見てみましょう!
1973(昭和48)年4月1日に横須賀市立池上小学校から独立(“分離独立運動がおこりました”との記述があります。
学校の歴史は30年以上です。学校にはパソコンが導入され(今の時代は当たり前なのですね)
ホームページが充実しています。子供たち自身が作ったホームページは学校周辺のことがよく分かり
とても面白いです。毎年、研究発表みたいなものをやってくれると嬉しいですね。
子供たちの視点で見て、感じることができます。
そして平作小学校では、1年生から6年生までが1つの班になって活動する「なかよしタイム」があり、
時間割に組み込まれています。これは面白いですね。上級生と下級生の交流が深まり、
いい取り組みだと思います。



中庭



裏門


学区→池上3丁目の内5番から7番まで、4丁目の内12番から17番まで、阿部倉、平作4丁目、5丁目、6丁目の内8番>

関連サイト
google画像検索→横須賀 平作小学校
google検索→横須賀 平作小学校
横須賀市立小学校の「校章とその由来」→平作小学校
mixiコミュニティ→平作小学校
当ブログ“横須賀のまなびや”特集は→こちら

横須賀の学校めぐりをしていて気づいた事があるのですが、わりと近い場所に学校がある所が
多いということです。ここ平作小学校も池上小学校とはそう離れていない場所にあります。面白いですね。
今後の道路開発がどうなるのか分かりませんが、しょうぶ園も目と鼻の先にあり、
交通量の多い大きな道路もなく、いい環境にある小学校ですね。




参照/目で見る横須賀教育史→平作小学校 昭和47年当時の校舎


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★大善寺★ 三浦不動尊第2番 地蔵尊第2番札所 横須賀衣笠

2006-12-14 | ◆衣笠
三浦半島巡礼記。今回は『衣笠城址』のすぐ近く、三浦一族の学問所だったと言われる『大善寺』です。
ここは三浦不動明王第2番、三浦地蔵尊第2番札所です。

大善寺の裏がすぐ衣笠城址。大善寺までも結構のぼります。



『この寺は、曹洞宗に属し「金峯山 不動院 大善寺」と称します。
 天平元年(728)、諸国行脚中の僧・行基が、この山に金峯蔵王権現と、自ら彫刻した、
不動明王を祭り、その別当として、建てられたのが、大善寺であるとといわれています。
 そのとき、おはらいをする水に困った行基が、杖で岩を打つと清水がわき出しました。
その場所が、このコンクリートで囲まれた、井戸の辺りであると伝えられています。
 康平6年(1063)、前九年の役の戦功により、三浦の地を与えられた。平大夫為通は、
三浦の姓を名乗のり、この山のほぼ全域を城としました。それが衣笠城です。衣笠城は、
第七代・秦村が北条時頼との勢力争いに破れ、一族五百余人と鎌倉の法華堂で、
宝治元年(1247)、討ち死にするまでの、約184年間、三浦一族の本城でした。
 大善寺・蔵王権現・不動堂は、衣笠城の中にあって、三浦一族の学問や仏教信仰の中心的な
役割を果してきました。とくに不動尊は、第二代・為継が後三年の役に出陣したとき、
戦場に現れて、敵の射かける、矢をうちはらって、為継を守ったと伝えられています。
「矢取り不動」の名称は、その伝説によります。
 また、行基によって開かれた泉は、衣笠城の重要な生活用水でした。いつの頃からか「
不動尊御手洗池」通称、「不動井戸」と呼ばれるようになりました。
 現在、蔵王権現社も不動堂も残っていませんが、不動明王像は、大善寺に本尊として
祭られています。今ある大善寺は、明治29年に全焼した堂宇を昭和10年に再建したものです。』

 
 
狛犬







そしてここ大善寺には市の重要文化財の「木造 阿弥陀三尊像」が安置されています。
画像、説明は→こちら



大善寺の庚申塔


-------------------
★名称 金峯山 不動院 大善寺 
★場所 横須賀市衣笠町756
★電話 0468-51-1196
★アクセス
★矢取不動尊★
◎ご詠歌 『幾世々の 人も頂く 衣笠の 厚き恵みぞ 頼母しきかな』
★地蔵尊★
◎地蔵尊の画像は→こちら (参)三浦地蔵尊三十八札所のご案内
◎御詠歌 『誰が人も さして仰がん 衣笠の 福寿地蔵の あつき恵みを』

google検索→横須賀 大善寺
google画像検索→横須賀 大善寺
当ブログ三浦不動尊の特集は→こちら
当ブログ三浦地蔵尊の特集は→こちら
当ブログ『衣笠城址』の記事は→こちら あわせてご覧くださいませ。

三浦一族が本城とした衣笠城。この自然の山城にある大善寺。三浦一族との関係も深く、
二代為継を矢から守ったとされる「矢取不動」。調べてみるといろいろな発見があるものです。
衣笠城址に行かれる時は立ち寄りたいお寺ですね。今回は不動井戸の存在を知らなかったので
次回訪問した時は、写真に撮ってきます。
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この正面の道を奥まで行くとお寺があります


★大楠トンネル★ 緑と鳥のさえずり。大楠山の麓の新道。

2006-11-21 | ◆衣笠
横須賀に今年(平成18年2006年)4月に新しい道路が開通したと聞いてから一度も通ったことがなかったのですが、今回初めて通りました!坂本芦名線です。
芦名方面から入ります。大きな道路とは言えませんが大楠山のふもとを左右にカーブ、そしてアップダウンを繰り返しながら、新しい道を堪能していると、前方にトンネル出現!あるかな?あるかな?と期待していただけに嬉しい出現です。

その名も『大楠トンネル』



歩道もついていますが、あまり歩行者はいなさそう。



反対側坂本側から見たトンネル。

大楠~平作間の道路が4/25開通へ(横須賀市の開通記事)
 4月25日に大楠から平作を経て市の中心部に繋がる道路が開通します。京急の大楠芦名口バス停から県が現在建設中の産業廃棄物処理場の横を通って平作まで幅16mの2車線の市道ができ、建設途中の県道・久里浜田浦線(近い将来、横横道路の衣笠インターから池上の横須賀インター入口まで結ばれる4車線道路)の一部を通って、もとの万葉公園の所まで行き、そこから幅11mの市道でJR横須賀線の金谷のガードの横へと結ばれます。
 当面の交通量は1日7,500台と見込まれています。これによって本市の東西交通が県道・横須賀三崎線と大きく2本になることになり、衣笠十字路の慢性的な渋滞の緩和が期待されています。
 なお、芦名の産業廃棄物処理場への搬入については、県道・久里浜田浦線の池上側から阿部倉までのルートを使うことを前提としていたのですが、この部分の開通が地盤の悪さから1年延びることになりました。そのため、県は今回開通するルートで搬入したい考え方をもっていたのですが、地元の反対もあり、市としてもそれは認められないという立場ととっていることから、県は難しい対応を迫られています。


芦名側トンネル入り口脇の写真。何か堰き止めてる?!

実はこのトンネル、30年余の間、大楠農道、芦名、あべトン、大楠と、4つの名で呼ばれていたそうです。1968年(昭和43年)に一度改修されたましたが、それでも細くて車は通れず、生活、農道トンネルでした。1999年、大幅な改造によって拡張され現在の姿に。
長さ290m、幅11m。



大楠トンネルに続いてあります。こちらはトンネルではない?上には横横道路。





確かに衣笠十字路の慢性的な渋滞は問題でしたね。新しく東西を結ぶこの道路はそういった意味でも重要な道路と言えます。数ヶ月経ちましたが渋滞は緩和されたのでしょうか。
大楠山を突っ切るこの道は、鳥の鳴き声も聞こえ、緑も多く山へドライブに来たかのような気持ちになります。以前のDEEPな(想像ですが)トンネルの様子を写真に撮れなかったのが残念です。

関連サイト
広報よこすか→金谷、芦名 新しい市道が開通 市の東西を結ぶ新ルートが誕生
三浦半島へ行こう→清流とトンネルとニリンソウをもとめて~大楠山ろくウォーク 開通以前の様子

当ブログ横須賀のトンネル特集は→こちら

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★三浦大介義明廟所★ 満昌寺 横須賀風物百選 三浦地蔵尊第3番札所

2006-11-15 | ◆衣笠
“横須賀風物百選”巡り。今回は前回の『衣笠城址』と関連して、『三浦大介義明廟所』です。
場所は大矢部の満昌寺です。そしてここ満昌寺は、三浦地蔵尊38札所の第3番札所でもあります。

道路側から見た満昌寺の山門。



クリックで拡大します。
この時代、恩賞は生者に厚く、死者に薄かったといわれます。そんな時代に鎌倉幕府
設立尽力し、自らの命をもって源頼朝に忠義を果たした三浦大介義明の忠魂を弔うために、
ここ満昌寺は建てられたと伝えられています。
寺院の名に冠する称号の山号も“義明山”と、まさに源頼朝の三浦大介義明への
感謝の気持ちが表れているといえます。
現に鎌倉幕府時代、衣笠合戦を生き残った三浦一族は北条氏と並び、幕府の主要な位置を占めていました。


こちらが本堂。
本堂の前には頼朝のお手植えと伝えられる大きなつつじがあります。
このつつじの大きく張った枝の下をくぐると頭痛がなおるといわれています。



本堂左奥に鳥居があり『御霊神社』があります。
建暦2年(1212)、和田義盛(三浦一族)の建立と伝えられています。
御霊神社に奉られているのは満昌寺の鎮守である三浦大介義明公。



鳥居をくぐると急な階段。



ここに『三浦義明坐像』が安置されています。


 
国指定重要文化財→木造 三浦義明坐像 ←画像がご覧になれます。迫力ある三浦義明像。国の重要文化財です。



さらに裏手に上がると「大介の首塚」といわれる『三浦義明廟所』があります。



市指定重要文化財→伝三浦義明廟所(でんみうらよしあきびょうしょ)
市指定重要文化財→石造双式板碑(せきぞうそうしきいたび)



その他にも、ここ満昌寺には多くの重要文化財があります。読みにくいかと思いますので、下記サイトをご覧くださいませ。
市指定重要文化財→木造 天岸慧広坐像(もくぞう てんがんえこうざぞう)
市指定重要文化財→木造 宝冠釈迦如来坐像(もくぞう ほうかんしゃかにょらいざぞう)  

-------------------
満昌寺ホームページ
★名称 義明山 満昌寺
★場所 横須賀市大矢部1-5-10
★電話 0468-36-2317
★アクセス JR横須賀駅よりバス衣笠城趾下車徒歩10分
★地蔵尊★
◎地蔵尊の画像は→こちら (参)三浦地蔵尊三十八札所のご案内
◎御詠歌 『義明の 山より高き 慈悲の影 仰がば後の 世にも迷はじ』
--------------------
初めて満昌寺を訪れましたが、改めて三浦義明の鎌倉幕府設立への功績が実感できました。写真でしか見れませんでしたが、一目見たら忘れられない、老獪にして迫力ある『三浦義明坐像』からは当時の武士の魂みたいなものが感じられました。百選『衣笠城址』もあわせてご覧いただければ嬉しいです。

関連サイト
google画像検索→横須賀 満昌寺
google検索→横須賀 満昌寺
市指定重要文化財→磨崖仏(まがいぶつ)
市指定重要文化財→薬王寺旧跡
よこすか歴史絵巻→三浦為通、三浦郡を領し、衣笠城を築く 
三浦一族、衣笠合戦についてはこちらをどうぞ。簡潔にまとめられています。

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そうだ!横須賀に行こう!

★衣笠城址★ 横須賀風物百選 先見の明、三浦大介義明の潔さ

2006-11-10 | ◆衣笠
横須賀風物百選。今回は『衣笠城址』に行ってきました。
行く前までは、お城の跡のようなものがあるのだと思っていましたが・・・
そこにあったのは自然の山城と三浦一族の物語でした。
場所は、横横の衣笠インター付近の分かりにくい道を入っていきます。
なにやら急な坂道を上ると『大善寺』があります。

そこから案内にしたがって上っていくとありました、百選の立て看板。



そしてこの先にあったのが、こうした広場。「城は?」と思うかもしれませんが、
ここが衣笠城の最後の拠点となる詰めの城であったと伝えられる平場です。
春には大島桜がきれいに見れそうです。



画像クリックで大きな画像になります。



クリックで拡大します。
城跡といっても、平安・鎌倉時代の山城(やまじろ)ですから、石垣や天守閣はありません。
衣笠合戦(1180年)は三浦一族と平家方の、激しい戦いで、この城を有名にしました。
しかし、現在ある衣笠城跡は、その後、宿敵・北条に対抗するため、鎌倉時代・後期に
大改造されたものです。でもその後、三浦氏は鎌倉で滅ぼされてしまいます。(宝治元年、1247)
尚、大正8年に、物見岩の下から経筒、他が発見されました。



物見岩と呼ばれる大岩と石碑があります。岩の下に平安末期の遺物が埋められていたという。



「三浦大介義明公八百年記念碑」



衣笠山公園へ向かう道の途中から見える景色。



小さな稲荷がありました。
『朝日さし 夕日かがやく 西山の 稲荷の森は 黄金なるなり』



途中にはこんな岩が!これでも道。通るのは怖いです。攻めるには難所、守るには堅牢。
この道は桜の名所、衣笠山公園まで続いてますが、私は息も切れ切れ途中で引き返してきます


三浦一族に関しまして特筆すべきは三浦大介義明の最期。
治承四年(1180)、源頼朝が石橋山合戦で敗れます。三浦一族の部隊はこの合戦には間に合わず衣笠城に引き返します。しかし間もなく平家方の畠山重忠らの大軍に衣笠城を攻撃されます。ここで三浦大介義明は自分一人がここに残り、他のものは生きて、源頼朝を探し行動を共にし勲功をあげるよう命じました。密かに脱出させたのです。「命令だ!抗うな!」と。翌朝、河越、江戸らによって包囲され、最期、三浦義明は自刃します。その年、なんと89歳!
逃げ延びた他の者は久里浜から現千葉・安房へ向かい、源頼朝と合流。態勢を整え1ヵ月後に源頼朝は念願の鎌倉入りを果たすのです。後に頼朝は三浦一族を片腕に鎌倉幕府を興します。鎌倉時代の到来です。
こうしてみると三浦大介義明の先見の明が際立ってきます。そしてなんという潔さ! ぞくぞくとする話です。

三浦大介百六つ
建久八年、義明公の首塚を訪れた頼朝は、墓に向かい忠節に謝すると共に、討死にした大介公の霊に向って「私は、あなたとともに生きている。」と、不思議なことをいったそうです。ちょうど大介公の死後17年忌であり、89歳で亡くなった大介公に、17年の命を加算して百六歳の長寿を保ったことになったことから
 「鶴は千年、亀は万年、三浦の大介百六つ」の祝い詞となりました。

ここ衣笠城址はお城があるわけでもなく、少し道が険しい丘陵という感じで他にはあまり見るものがありません。けれども、三浦一族の重要な拠点であり、源頼朝と三浦一族という壮大なドラマを思い浮かべると、木々がにわかにざわざわとしてきます。

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