(社説)あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力
2019/09/27
表現行為や芸術活動への理解を欠く誤った決定である。社会全体に萎縮効果を及ぼし、国際的にも日本の文化行政に対する不信と軽蔑を招きかねない。ただちに撤回すべきだ。
脅迫や執拗(しつよう)な抗議によって企画展の一つが中止に追い込まれた「あいちトリエンナーレ」について、文化庁が内定していた補助金約7800万円全額を交付しないと発表した。前例のない異常な措置だ。
萩生田光一文部科学相は「申請のあったとおりの展示が実現できていない」などと、手続き違反や運営の不備を理由に挙げた。だが、この説明をそのまま受け入れることはできない。
中止になった「表現の不自由展・その後」には、慰安婦に着想を得た少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などが展示されていた。「日本人へのヘイト」といった批判が持ち上がり、菅官房長官は早くも先月初めの時点で補助金の見直しを示唆する発言をしていた。
一連の経緯を見れば、政府が展示内容に立ち入って交付の取り消しを決めたのは明らかだ。それは、「政府の意に沿わない事業には金を出さない」と内外に宣明したに等しい。
少女像などに不快な思いを抱く人がいるのは否定しない。しかしだからといって、こういう形で公権力が表現活動の抑圧にまわることは許されない。
その道理は、今回のトリエンナーレのあり方を検証するために愛知県が設けた委員会が、おととい公表した中間報告を読めばよく理解できる。美術館の運営や文化行政に通じた有識者、表現の自由に詳しい憲法学者らで構成された委員会だ。
中間報告は、「不自由展」の作品説明や展示方法に不備があったとしつつ、民主社会における表現の自由の重要性を説き、▽展示が政治的色彩を帯びていても、公金の使用は認められる▽表現は人々が目を背けたいと思うことにも切り込むことがある▽ヘイト行為の一般的なとらえ方に照らしても、少女像はそれに当たらない――と指摘。展示を中止したままでは「悪(あ)しき前例や自主規制を誘発する」と述べ、環境を整えたうえでの再開を提言した。
きわめて真っ当な内容だ。
説明の見直しなどが再開の条件に挙げられたことに、「不自由展」の関係者や出展作家の一部から反発も出ている。だが、このまま来月14日の会期末を迎えれば、表現活動が不当な攻撃に屈して終わることになる。
主催者と一致点を見いだし、早期の再開をめざして欲しい。圧力をはねのけ、傷ついた表現の自由を回復するために、第一歩を踏み出すことが肝要だ。
(朝日新聞)
(引用終了)
朝日新聞と聞くと、「また朝日がアホなことを書いたのか」と思わず笑いがこみ上げて来るまでになってしまった。日本の高級紙を自認する朝日だが、高級紙ならば偏向してしないまともな報道が行われている筈で、だが、実際は正反対であり、偏向していなければ朝日ではないし、また、地方紙の中には朝日の真似をして偏向しているものもあるが、朝日を教祖として偏向報道を競っているのだから話にならない。
問題にならないことを敢えて問題にしてきたのも朝日新聞であり、日韓関係悪化の元凶もその一つで、今になって関係改善のために日本もすることがあるのではと他人事のようなことを言っているが、報道の過ちを認めたことはなく、記事を取り消せば、報道犯罪とまで言われている罪は消えると思っているようである。人は自分を叱ってくれる方が身近にいることで成長するものだが、朝日新聞は成長する気がないから、いくら叱られても聞く耳を持たず、相変わらずの偏向体質を維持しようとするから購読者が逃げて行くのは当然ではなかろうか。
9月27日に掲載された朝日新聞の「(社説)あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力」を読んで、「朝日が書いた通りだ」と思うのは朝日新聞を支持する反日サヨクだけだろうし、良識ある国民は、「あいちトリエンナーレ」の企画展の一つで中止になった「表現の不自由展・その後」が、芸術とは名ばかりで悪意に満ちており、日本を貶める目的のための展示であったとして、文化庁が補助金の不交付を決めたのは当然と思うであろう。
この社説の中で「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などが展示されていた」とあるが、事実は「昭和天皇の写真を燃やして、その灰を踏みつける」であり、「燃える」と「燃やす」とは意味は異なるし、敢えて火を付けて燃え上がったところで足で踏みつけているのは昭和天皇が憎いからだろうが、これが芸術作品だと言うならば、出展者の頭はどうかしているし、まさに思想と恐ろしいものである。
昭和天皇の写真を燃やして、その灰を踏みつけている動画も朝日新聞にして見れば表現の自由らしいが、それを紙面に掲載して国民の反応を確かめもせずして「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などが展示されていた」と書いても、極めて抽象的であり、これでは朝日新聞の読者を欺くことになるであろう。
萩生田光一文部科学相が「申請のあったとおりの展示が実現できていない」などして、文化庁が補助金の不交付を決めたことに関して朝日新聞は「公権力が表現活動の抑圧にまわることは許されない」と書いているが、貰えると思っていた補助金が出ないことが表現活動の抑圧になるとは驚く他はない。
「表現の不自由展・その後」が芸術ならば、補助金をアテにせず、朝日新聞がカネを出すとか、賛同者から寄付を募るとか、再展示する方法はいくらでもある筈で、いくら表現の自由だとしても、限度があり、それを明らかに逸脱しているとなれば補助金を出す価値はないと判断した訳で、反日サヨクが補助金を貰って日本を貶めているのは税金をドブに捨てているようなものであり、最も無駄な使い方だと言えるだろう。
(2019/09/29)