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私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

興亜観音例大祭と守る会の懇親会に参加して

2004年05月18日 23時00分10秒 | 伝統・文化・歴史
 毎年5月18日には礼拝山興亜観音の例大祭が挙行されるとのことで、今まで何度か参拝はしたことはあっても、例大祭には参加したことはないので、今回初めて参加することにした。興亜観音は静岡県熱海市伊豆山にあり、JR熱海駅から9番バス乗り場から伊豆山行きのバスに乗り、終点の伊豆山(身代不動尊前)で降り、湯河原方面に向かい200メートルほど国道を歩き、左手に見える急坂を登ったところにある。

 熱海駅でバスを待っていると、黒の礼服を着た紳士がおり、どこかのテレビで見たような人だなあと思いつつ、名前を思い出せない。バスの終点の伊豆山から、興亜観音へ向かう急坂を、その紳士と共に登り始めたが、私の方が先にどんどん登ってしまい、興亜観音像と七士之碑などの前を通り本堂脇に設けられていた受付を済ませたところに、先ほどの紳士が来られたが、そっと受付の記帳簿を見たところ、前拓殖大学総長の小田村四郎先生であられた。それから本堂脇の休憩所でお茶を飲んでいると、小田村先生が入ってこられ、私の前に座ったが、偉い先生なのでとても話しかけることなど出来なかった。

 例大祭は午後1時から始まったが参列者は150人位であろうか、まず僧侶による支那事変初期に於ける日中両国戦没者、大東亜戦争全戦没者(戦争犯罪人として殉難された方も含む)の諸霊法要とイラクに派遣された自衛隊全員の任務完遂、無事帰還を祈願し、法要の後は、関東戸山流居合道会会員による奉納居合が行われ、居合の形の後、真剣でござを丸めたものをスパッと切る様子を披露してくれた。初めて目の前で見たが凄いものである。すべての行事が終わったところで急に雨がぱらぱらと降ってきた。このような法要を喜んだ戦没者が喜んで流した涙だったのか。とても偶然だったとは思えない。

 午後3時からは、紀州鉄道熱海ホテルに於いて総会・懇親会が行われるため急坂を下り、身代不動尊前からタクシーに乗って向かった。受付で出席者名簿、会計報告書、事業報告書を貰いましたが、名簿を見て知っている人はいるか確認したところ、なんとの名越二荒之助高千穂商科大学前教授(現講師)のお名前があった。名越教授の著書は何冊か読んでいるが、ロビーを見渡したところ名越教授がソファーに座って他の方と談笑しておられるお姿を拝見することが出来た。

 懇親会は興亜観音を守る会が主催するもので、会場正面には国旗が掲げられており、まず国歌・君が代の斉唱と戦没者に対して黙祷が行われた。最初は会計報告と事業報告があり、それから興亜観音を守る会々長の板垣正氏の挨拶、小田村先生の乾杯の音頭で懇親会が始まった。理事の方から「もっと会員を増やして下さい」「興亜観音ってなぁーにとのパンフレットが好評です」などとのお話があり、昨年より参加者が増えたと話されていた。

 興亜観音を守る会の方は戦争体験者も勿論おられるでしょうが、戦争を知らない私と同じ年代か、またもっと若い方もおられるようである。皆さんは祖国日本の行く末を思い、戦没者に感謝する心を人一倍持っている方と見受けらる。ただ、戦没者の追悼施設と言うと勿論靖国神社が日本を代表するもので交通の便も良いことから参拝者も多いようだが、それに引き替え興亜観音は交通の便は良くなく、急坂を登らなければならないので、それが残念なことである。だが私が初めて参拝した時に比べて、何回か参拝をしていると、急坂を登ることに慣れと言うか、また興亜観音のお顔と、それをお守りする伊丹姉妹のお話を伺うのが楽しみになった。

 興亜観音は合掌されたお姿で支那の方に向かい、支那事変初期に於ける両国戦没者を慰霊されている。他に敵国の戦没者を慰霊して国があるだろうか。日本は敵味方を問わず戦没者の御霊をお慰めしているまさに武士道の国と言って良いであろう。
(2004/05/18)  

この記事は「今日のコラム」
興亜観音例大祭と守る会の懇親会に参加して
としてHPに掲載されていたものです。


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