歴歩

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鳥取市・青谷上寺地遺跡 弥生時代の人骨は殆どが“渡来系”

2018年11月19日 | Weblog
 青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で出土した弥生時代後期(1~2世紀)の大量の人骨のDNA分析を進めてきた国立科学博物館、国立歴史民俗博物館及び鳥取県埋蔵文化財センターなどは17日、同町の市青谷町総合支所で報告会を開催し、同館の篠田謙一副館長は約40体の人骨から母系の遺伝情報が分かる「ミトコンドリアDNA配列」を分析し、母系の祖先をたどった調査結果、32体の塩基配列の特徴を調べることができたと説明した。
◆遺跡は弥生時代前期~古墳時代前期に存在。老若男女の人骨が100体以上見つかっている。
◆放射性炭素年代の測定により、人骨が弥生時代後期後半(2世紀)のものである確実性が高まった。
◆人骨の大半は朝鮮半島や中国大陸などからの“渡来系”である可能性が高い。
◆日本古来の“縄文系”は32体のうち、わずか1体だった。
◆人骨間に母系の血縁関係がほとんどみられない。

 同遺跡が多様な人の集う交易拠点だったとする従来の説を強く裏付ける結果になった。
 出土した人骨には殺傷痕のあるものも含まれ、戦乱などがあったとされる。
 青谷上寺地遺跡展示館(青谷町)では、17日から分析した人骨5体などの一般公開している。
[参考:11.3日本海新聞、11.18毎日新聞、読売新聞、NNN日本海テレビ、11.12鳥取市HP]

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 青谷上寺地遺跡
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鳥取市・青谷上寺地遺跡 土手や水路の護岸の木造構造物を発見

2018年11月16日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは14日、青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町青谷)の中心部北側で、弥生時代終末期(3世紀前半)に土手や水路の護岸などの土木工事を多数重ねていたとみられる、杭や板を組み合わせてつくられた木造構造物が複数見つかったと発表した。 港湾施設の可能性があるという。
 現地説明会が17日午後1時半からを行われる。
[参考:日本海新聞、毎日新聞、朝日新聞]

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青谷上寺地遺跡
青谷上寺地遺跡 古代の港湾施設の可能性



<青谷上寺地遺跡>弥生期の土木工事跡 港湾施設か 17日説明会 /鳥取
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鳥取市・青谷上寺地遺跡 近畿型銅戈が中国地方以西で初出土

2017年12月26日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは25日、弥生時代の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取市青谷町)から武器形の祭器「銅戈」の破片1個が出土したと発表した。
破片は長さ3.4cm、幅2.3cm、厚さ4mmで、弥生時代終末期(3世紀前半)の遺跡の中心域の地層から出土した。紀元前2~1世紀に作られた銅戈の柄に取り付く基部「胡(こ)」の一部とみられる。
 大阪湾を中心に出土例のある「近畿型」銅戈とみられ、中国地方以西では初めてとしている。
 再利用を目的とした素材だった可能性があるという。
[参考:共同通信、産経新聞]

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 銅戈
 青谷上寺地遺跡
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鳥取・青谷上寺地遺跡 弥生時代のガラスなどを加工・生産か

2017年10月05日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターが4日、弥生時代の集落遺跡、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(同市青谷町)で、弥生時代後期から終末期(2世紀後半~3世紀前半)の地層からガラス加工用の素材と考えられるガラス片1個が出土したと発表した。ガラス片は白みを帯び、長寸11ミリ、短寸7ミリ、厚さ5ミリ。
 同遺跡では昨年に、加工途中のガラス玉1個が出土し、近くでは加工場を伺わせる焼土面2か所も見つかったため、貴重なガラス製品が同遺跡で作られていた可能性が裏付けられたとしている。
 また、青銅製の銅鏃が新たに10点出土し、過去の出土と合わせ計60点となった。同遺跡で銅鏃を生産した痕跡は未確認であるため、山陰のほか九州、近畿、東海の各地方に特徴的な形状の銅鏃が含まれることから、各地で生産された銅鏃が持ち込まれたと考えられる。
 中国の新の時代(AD8~23年)の貨幣「貨泉」も新たに1点見つかった。
 現地説明会が7日午後1時半から開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、鳥取県HP]

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 青谷上寺地遺跡
 貨泉


古代のガラス片出土 弥生の物流拠点、鳥取・青谷上寺地遺跡

<青谷上寺地遺跡>加工前ガラス片が出土 弥生期、勾玉など製造の可能性 /鳥取
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鳥取市・青谷上寺地遺跡 古代の港湾施設の可能性

2017年02月28日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは27日、青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で、古代の港湾施設を示す可能性がある木材や土器片を含む地層を発見したことを明らかにした。
 同センターは7日、同遺跡の北側2か所で、ボーリング調査を実施し、弥生中期の土壌から、数cm~十数cmの土器片や十字形に組まれた木材が確認された。 約40m北側の地層では、海底だったことを示す粘土層が見つかっており、調査地点は当時海に面していた場所と推測される。土器や木材は堤防を作る際の港湾施設の一部とも考えられるとしている。
[参考:読売新聞、毎日新聞]

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 青谷上寺地遺跡


<青谷上寺地遺跡>港湾示す出土物か 中心域に大量木材 /鳥取
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松江市・石屋古墳 力士や武人など人物埴輪を復元し5世紀中頃と判明

2012年03月09日 | Weblog
 島根県古代文化センターは8日、松江市の石屋古墳(いしやこふん)で1978年に出土した埴輪片を復元したところ、力士や武人だったことが分かり、5世紀中頃のものと判明したと発表した。 人物埴輪としては国内最古級という。
 確認された人物埴輪は力士2点、武人2点、椅子に座った人物の椅子部分1点、貴人の可能性がある人物1点で、同時期の力士、武人、椅子に座った人物の発見は初めて。 いずれも、細部まで描写する初期の特徴がある。
 力士とみられる1体は、全身立像(推定全長110~120cm)の下半身部分(高さ約80cm)のみがほぼ復元できた。橿原市の四条古墳群で見つかった5世紀後半の力士埴輪を遡るという。
 ほかに国内最古級の馬形埴輪2点もあった。
 石屋古墳は一辺約40mの方墳で、1978年の調査で約1万点の埴輪の破片が出土した。 発掘当時は5世紀後半頃のものと推定されたが、2010年10月以降、同古墳から出土した土器を全国の他のものと比較するなどの調査を進めた結果、時期が特定された。
 復元した埴輪は10日から県立八雲立つ風土記の丘(松江市)で展示される。(3月20日まで) また、22日からは県立古代出雲歴史博物館(出雲市)で展示される。(5月21日まで)
[参考:時事通信、共同通信、日本海新聞、毎日新聞]

埴輪群、5世紀中ごろと判明=「出現期解明手掛かりに」―松江・石屋古墳(時事通信) - goo ニュース

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 2008.9.3鳥取市・青谷上寺地遺跡 弥生時代の盾から緑土 アジア最古の使用例
 緑色顔料は、松江市東津田町の石屋古墳で出土した埴輪の盾に塗られたり、熊本市の千金甲一号墳など装飾古墳の壁に描かれた幾何学模様に使われているが、いずれも5世紀後半。


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鳥取市・青谷上寺地遺跡 前漢時代の青銅製星雲文鏡が本州初出土

2011年01月13日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターが12日、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から弥生時代後期から終末期(紀元前1世紀前半)に中国・前漢で作られたとみられる青銅鏡「星雲文鏡(せいうんもんきょう)」の破片が見つかったと発表した。
 出土した星雲文鏡は、弥生時代終末期の溝跡で発見された。復元径6・9cmの円形の一部で、背面中央の突起「紐(ちゅう)」やひもを通す穴を含めて扇状に4分の1が残り、一辺は4.1cm、重量は33.2g。割れ方がきれいで、断面に磨いた跡があることから意図的に割った破鏡らしい。
 背面に配された4個の「乳(にゅう)」の一部や、乳の間に数個の突起を並べて曲線でつないだ「雲気(うんき)文様」など星座や雲を連想させる文様が認められた。
 県埋蔵文化財センターによると、漢鏡は年代別に7期に分けられ、星雲文鏡は3期目に古く、日本に中国鏡の流入が始まる時期のものという。国内では須玖(すく)岡本遺跡など福岡県内の弥生時代中期の遺跡から8面が出土したが、いずれも王墓の遺跡で、墓以外から見つかったのも本州で見つかったのも初めてという。
 青谷上寺地遺跡は弥生時代の集落跡で、これまでに多くの鉄器や古代中国の銅銭などが出土している。今回、年代別で3~5期(紀元前1世紀前半から1世紀後半)の前漢鏡(星雲文鏡1面、八禽鏡2面)がそれぞれ出土したこととなり、日本海沿岸地域の交易拠点としての位置付けを、さらに高めることになったとしている。
 出土した星雲文鏡の破片は同遺跡で出土した他の銅鏡とともに、鳥取市青谷町青谷の青谷上寺地遺跡展示館で、15日から30日まで公開される。月曜は休館。
[参考:共同通信、中国新聞、読売新聞、朝日新聞、日本海新聞、鳥取県埋蔵文化財センターHP]

百余国の一つか…鳥取の遺跡で前漢「星雲文鏡」(読売新聞) - goo ニュース

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 2009.19.23 青谷上寺地遺跡 2000年前の中国製「八禽鏡」破片が出土

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倉吉市・東前遺跡 弥生中期の玉作り工房跡確認

2010年02月10日 | Weblog
 同市教委は8日、同市不入岡(ふにおか)の東前遺跡(ひがしまえいせき)から竪穴式住居3棟を確認し、遺構から多数の碧玉製管玉の未完成品、失敗作、さらにサヌカイト製石針や砥石、石鋸などの工具類が出土し、玉作り工房跡とわかったと発表した。
 錐(きり)のように回して管玉に穴を開けるサヌカイト製石針は直径1.3~1.9mm、長さ7~22.8mmのものが9本出土した。
 出土した土器から弥生時代中期(約2200年前)のものとみられる。サヌカイト製の石針は県内で初出土。玉作り工房跡が確認されたのは市内では初めて。県内でも数例しかないという。
 建物跡は2棟が直径約8m、1棟が直径約7m。それぞれ重なっており、建て替えた際に少しずらしたらしい。いずれの建物跡からも管玉の未完成品などが見つかった。石鋸で溝を切って角柱に割ったもの、未穿孔のもの、穿孔途中の未完成品と、失敗して割れてしまったものなどがあった。完成品だと長さ5mm前後の管玉となる。細いものは直径2.1mmしかなく、高度な技術を有していた。
 碧玉は周辺では産出されず、また管玉の製作技法が北陸地方の技法と同じで、何らかの交流があった可能性があるとみている。
 同様の玉作り工房は鳥取市の青谷上寺地遺跡でも確認されており、繋がりがあった可能性がある。
[参考:日本海新聞、毎日新聞]


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鳥取市・青谷上寺地遺跡 2000年前の中国製「八禽鏡」破片が出土

2009年10月23日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは22日、国史跡・青谷上寺地遺跡(同市青谷町)南西部の水田跡(225㎡)にある逆台形状の溝跡(長さ6m、幅4m、深さ0・9m)から約2000年前に中国で作られた青銅鏡「八禽鏡(はっきんきょう)」の半円形の破片1つ(縦8cm、横3cm)が見つかったと発表した。国内での八禽鏡の発見は9例目。
 破片には丸い突起や鳥の尾羽部分の文様があったことから、八禽鏡の一部と見ている。完全体であれば、直径約10cmになるという。溝は破片などと一緒に出土した土器の種類から、約2000年前の弥生時代中期に作られたこともわかった。
 同センターによると、八禽鏡は前漢末期(紀元前1~紀元1世紀頃)に作られ、権威の象徴や魔よけなどに使われたとみられる。4つの丸い突起と、4対の鳥の文様があるのが特徴。この地にあった集落が大陸などと盛んに交易していた証拠とする。
 同遺跡では、八禽鏡の破片は今回の発見現場の北東約150m地点で1999年にも発見されているが、距離が離れていることなどから、別の鏡の破片である可能性が高いという。
 現地説明会が24日午前11時~正午に開かれる。
[参考: 読売新聞]

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 青谷上寺地遺跡
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鳥取市 青谷上寺地遺跡 古墳時代前期に集落拡張跡

2008年10月24日 | Weblog
 「青谷上寺地遺跡」(鳥取市青谷町)で、4世紀頃(古墳時代前期)に集落を造成した跡が見つかったことを、県埋蔵文化財センターが23日発表した。
これまでには、この時期には集落は衰退していたと考えられていた。
 弥生時代の溝(幅8・5m、深さ1m)を埋めて盛り土をし、木製の土止めや柵により土砂の流出を防いだ跡が見つかった。
 古墳時代前期の土師器が出土。溝からはカキやシジミの殻や弥生土器が見つかっており、弥生時代の溝を埋めて集落を広げたとみている。弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、遺跡中心域西側の拡張が行われた様子がわかってきたとする。
 現地説明会が25日(土)午後1時30分~午後3時開かれる。 (小雨決行)
「参考:読売新聞、鳥取県埋蔵文化財センター]
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鳥取市・青谷上寺地遺跡 弥生時代の盾から緑土 アジア最古の使用例

2008年09月03日 | Weblog
 県埋蔵文化センターは3日、鳥取市青谷町の「青谷上寺地遺跡」で見つかった弥生時代後期(1-3世紀)の木製の盾に塗られていた緑色の顔料の「緑土」が、東アジアでは最古の使用例だったことが分かったことを発表した。
 これまで朱の赤や漆の黒の2色とされてきたが、緑が加わったことで大陸の顔料が伝来する以前の日本独自の色彩を知る貴重な史料となりそうだ。
 同遺跡中心部西側と水田跡を区切る溝から、1998年度の発掘調査で盾(モミの木製)が2枚出土。発掘当初から緑色の顔料を施していることが分かっていた。1枚は長さ約88cm、幅8.5cm、厚さ1.1cmで、もう1枚は長さ40cm、幅約10.4cm、厚さ1cm。
 緑色顔料は、松江市東津田町の石屋古墳で出土した埴輪の盾に塗られたり、熊本市の千金甲一号墳など装飾古墳の壁に描かれた幾何学模様に使われているが、いずれも五世紀後半。
 宮内庁正倉院事務所成瀬課長が2月、同センターを訪れ盾片を見たのが分析のきっかけ。表面に残る顔料はくすんで黒っぽくなっていたが、独特の細かい粒子が残っていたことから緑土の可能性が高いと判断、元素の種類や量を調べる蛍光X線分析など3種類の方法で確認した。
 同遺跡では23点の盾や破片が見つかり、うち18点が彩色されていた。赤一色が13点と最も多く、赤と黒の2色が3点。緑土が使われていたのは残る2点で、うち1点は2002年に確認されていた。1例だけだと偶然も考えられるが、今回、2例目が見つかったことで、緑もある程度は使われていたことが確実になったと強調する。
 緑土は鉄分を含んでおり、朝鮮半島の高句麗に築造された徳興里古墳(平壌、408年)の壁画にも使われている。国内では5~6世紀の装飾古墳壁画に使用されていた。
 センターによると、同時期に中国の後漢では銅の錆で、より鮮やかな緑青を緑色顔料として使用していた。極彩色壁画で知られる高松塚古墳(奈良県、700年前後)、法隆寺金堂壁画(同、7世紀末頃)にも緑青が用いられており、6世紀前半の仏教伝来の際、日本にもたらされたらしい。
 平成20年9月13日(土)午後1時30分から、鳥取市青谷町総合支所多目的ホールにおいて「青谷上寺地から正倉院まで わが国における顔料の歴史」と題した講演を行う予定。 講師は今回分析を行った宮内庁正倉院事務所成瀬正和氏。
[参考:共同通信、中国新聞、日本海新聞、読売新聞、鳥取県埋蔵文化財センター」
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