歴歩

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鳥取・青谷上寺地遺跡 弥生時代のガラスなどを加工・生産か

2017年10月05日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターが4日、弥生時代の集落遺跡、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(同市青谷町)で、弥生時代後期から終末期(2世紀後半~3世紀前半)の地層からガラス加工用の素材と考えられるガラス片1個が出土したと発表した。ガラス片は白みを帯び、長寸11ミリ、短寸7ミリ、厚さ5ミリ。
 同遺跡では昨年に、加工途中のガラス玉1個が出土し、近くでは加工場を伺わせる焼土面2か所も見つかったため、貴重なガラス製品が同遺跡で作られていた可能性が裏付けられたとしている。
 また、青銅製の銅鏃が新たに10点出土し、過去の出土と合わせ計60点となった。同遺跡で銅鏃を生産した痕跡は未確認であるため、山陰のほか九州、近畿、東海の各地方に特徴的な形状の銅鏃が含まれることから、各地で生産された銅鏃が持ち込まれたと考えられる。
 中国の新の時代(AD8~23年)の貨幣「貨泉」も新たに1点見つかった。
 現地説明会が7日午後1時半から開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、鳥取県HP]

過去の関連ニュース・情報
 青谷上寺地遺跡
 貨泉


古代のガラス片出土 弥生の物流拠点、鳥取・青谷上寺地遺跡

<青谷上寺地遺跡>加工前ガラス片が出土 弥生期、勾玉など製造の可能性 /鳥取
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南あわじ市・入田稲荷前遺跡 後漢初頭に造られた貨幣「貨泉」が3枚出土

2017年05月19日 | Weblog

 南淡路市教育委員会が18日、同市八木入田の入田稲荷前遺跡で紀元14~40年にかけて中国古代国家の「新~後漢」で鋳造されたとされる貨幣「貨泉」3枚が見つかったと発表した。
 貨泉は九州や近畿、瀬戸内海沿岸などの遺跡で計179枚が見つかっている。兵庫県内でも7遺跡10枚に上る。
 入田稲荷前遺跡の3枚出土は、岡山県の高塚遺跡の25枚、福岡県の元岡・桑原遺跡群の8枚に次ぐ規模という。
 貨泉は中国・新時代(8~23年)の貨幣で、後漢時代の40年まで鋳造されていた。3枚は、直径2.27~2.32cm、重さは1.45~2.53g。重量約1・5~2・5g。中央に四角い孔(7~8mm)が開いており、片側の面に「貨」と「泉」の文字がある。大きさや重さから、後漢初頭に造られた可能性が高いと判断した。
讃岐・阿波地方から搬入された土器も出土した。
周辺に弥生時代の拠点集落跡もあり、吉備地方や四国を経由した交易などで流入したと推測される。
 南あわじ市では15年4月に祭祀道具「松帆銅鐸」7点が見つかるなど、弥生時代の青銅器が集中出土している。弥生時代最大級の鉄器工房である五斗長垣内遺跡や、中国鏡片が発見された舟木遺跡(いずれも淡路市)とは同時代に当たるため、瀬戸内海を通り畿内への玄関口となる淡路島の重要性を示す遺物としている。
 出土品は20日~7月2日に滝川記念美術館「玉青館」(南あわじ市松帆西路)で有料公開される。
[参考:神戸新聞、共同通信、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 松帆銅鐸
 舟木遺跡
 五斗長垣内遺跡


古代中国の貨幣、淡路島で出土 交通の要衝示す
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「発掘された日本列島2009」(江戸東京博物館)より 今宿五郎江遺跡

2009年07月17日 | Weblog
 今宿五郎江遺跡(福岡市西区今宿町字前田)は2002年から調査を開始し、コンテナ8000箱ほどの、多量の遺物が出土している。
 2007年に環濠集落跡が見つかり、伊都国の有力な拠点集落の一つとみられている。
 今回、土器(5)、銅鏃(5)、銅戈鋳型(1)、ガラス製品(9)、貨泉(3)、石錘(2)、石杵(1)、土製鏡(1)、破鏡(2)、小型仿製鏡(2)、楽浪系土器片(4)、木製短甲片(1)など41点が展示されているが、銅戈鋳型と小型仿製鏡を紹介。
 銅戈鋳型(写真):中広型銅戈基部の鋳型、弥生時代中期 1世紀、長さ8.1cm、幅6.4cm、厚さ3.9cm、凝灰質砂岩製、第10次調査で出土
 小型仿製鏡:弥生時代後期~終末期 2~3世紀 右12.8cm、左12.5cm、第11次調査で出土  

過去のニュース・情報
2009.2.20 今宿五郎江遺跡 弥生時代の甲冑などの木製品が出土
 市教委は19日、今宿五郎江遺跡で、漆の文様が装飾された筒型容器の一部や木製の短甲の一部、幾何学文様の飾り板2点など、弥生時代後期(2‐3世紀)とみられる木製品が約500点見つかったと発表した。
 漆塗りの筒型容器は、長さ22.5cm、幅約4cm、厚さ6mmで、黒漆の塗装面に赤漆で細い線や格子模様、鋸歯の文様を描いている。裏表とも漆が塗られていることから、もともとは細長い筒形の容器として使用されていた可能性が高いという。
 木製の短甲の一部(長さ27cm、幅10cm、厚さ2cm)はワラビの先端のような形をした文様が2カ所に描かれている。
 ほかに、木製のしゃもじや臼(うす)など生活用具のほか、鍬や船の水をくみ出す農漁具などとともに出土した。
[参考:西日本新聞、読売新聞]

2007.12.1 今宿五郎江遺跡 青銅製「寶」の印章出土
 市教委は30日、今宿五郎江遺跡から、「寶(宝の旧字)」と刻まれた平安時代前半(9‐10世紀ごろ)の青銅製印章(印面は1辺2、5cmの正方形)が全国で初めて出土したと発表した。役人クラスの人物が使ったとみられる。文字が一文字であることなどから、役所などで使われた公印ではなく、私印と見られる。遺跡からは官衙で使われたものと同じ瓦や中国製の陶磁器、国産の陶器も出土し、周辺に官衙級の重要施設があった可能性が高まった。大宰府の勢力の広がりを知る上で貴重な発見としている。
[西日本新聞、読売新聞]

2007.8.2 今宿五郎江遺跡 環濠集落が見つかる 「伊都国」交易拠点か
 福岡市教委は1日、今宿五郎江遺跡で、弥生時代後期(紀元後1世紀~3世紀初頭)の大規模な環濠集落が見つかったと発表した。
 一帯から糸島半島にかけては「魏志倭人伝」に記されている伊都国の領域とされているが、環濠集落が確認されたのは初めて。遺跡が当時の海岸線に近いことから、国内外との交易を担った、伊都国の有力な拠点集落の一つとみている。
 2002年に始まった発掘調査で、幅2.5m、深さ1.2m程度のV字溝が、東西約200m、南北約200mの集落を楕円形に囲む形で見つかった。未調査地点も含めると、総延長は900mで集落の総面積は約4・2ヘクタールと推定される。
 環濠内からは今回、中国・後漢時代の「内行花文鏡」といわれる銅鏡の破片や、朝鮮半島支配のために漢朝が設置した楽浪郡(平壌周辺の地域)一帯で製造された土器が出土。これまでの調査で住居の柱跡とみられる穴も複数確認したという。
また、古墳時代ごろのものとみられる銅製の鈴(直径1・9cm)を新たに発見した。
[参考:西日本新聞、毎日新聞、読売新聞]



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