歴歩

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淡路市・舟木遺跡 弥生時代の鉄器工房跡が4棟出土

2017年01月25日 | 竹姫(浄岸院)
 兵庫県と淡路市の教育委員会が25日、淡路市舟木にある弥生時代後期の山間地集落遺跡「舟木遺跡」の発掘調査で、新たに鉄器生産工房跡と、手工業品を生産した可能性のある工房跡、鉄器などが見つかったと発表した。
 見つかった4棟の大型の竪穴建物跡のうち3棟は敷地が円形で直径が10mを超える大型で、うち1棟から4基の炉の跡が確認された。柱が外側に寄り中央部が広いことから、作業をする空間だったと想定される。また4棟全てから鉄器製作に使ったとみられる石器を多数発見。鉄器は計57点見つかり、鍛冶関連のほかに針状鉄器など小型工具が出土した。針状鉄器は小さいものでは長さ4mm、幅1mmで、何らかの手工業品を生産する大規模な工房群が存在した可能性があると指摘している。鉄の加工に使った台石や砥石など石製工具42点や、祭事用と考えられる弥生時代終末期(3世紀初頭)の土器も出土した。
 過去に同市で見つかった近畿最大の鉄器生産遺跡「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」(同市黒谷)を上回る規模とみられる。工房があった時期は同時に出土した土器の年代から、2世紀後半とみられる。 
 五斗長垣内遺跡では、鉄鏃などの武器類が多く出土した一方、舟木では明確に武器と認められるものはなかった。二つの集落はわずか約6kmの距離でほぼ同時期に存在していたが、生産物に違いがあることが判明。五斗長垣内が消滅した後も舟木で鉄器生産が続けられていたことも分かった。
 2月5日午後1時半から、北淡震災記念公園セミナーハウス(同市小倉)で発掘調査成果報告会が開かれる。
[参考:神戸新聞、毎日新聞]

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 淡路市・垣内遺跡(五斗長垣内遺跡)


近畿最大?淡路に鉄器工房跡 弥生時代の舟木遺跡
淡路・舟木遺跡、弥生鉄器の大産地か 工房が集中
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淡路市・垣内遺跡 名称を「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」に変更

2010年06月24日 | Weblog
 弥生時代の国内最大級の鉄器工房とみられる淡路市黒谷の垣内(かいと)遺跡の名称が、「五斗長垣内遺跡」に変更された。
 国史跡に指定されると遺跡名の変更ができないことから、市教委が市内に同じ遺跡名がないかどうか調べていたところ、同市浅野南に奈良時代から室町時代にかけての「かいと」と呼ばれる「開戸遺跡」が存在することが分かった。遺跡名が混同しないようにと、垣内遺跡については地元の集落「五斗長」の名称を付けて「五斗長垣内遺跡」と変更することに県教委に申請し受理された。開戸遺跡は「浅野開戸遺跡」とした。
[参考:毎日新聞]

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 垣内遺跡
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淡路市・袖ノ平遺跡、山ノ神遺跡 垣内遺跡と同時期・弥生後期の竪穴建物跡5基が出土

2010年03月12日 | Weblog
 淡路市教委は11日、淡路市黒谷の「柚ノ平遺跡(ゆのひらいせき)」と「山ノ神遺跡」で、ともに弥生後期(2世紀頃~3世紀初め)の竪穴建物跡5棟が見つかったと発表した。同時期で国内最大の鍛冶工房跡である垣内遺跡とは谷を一つ隔てた北350m、同じ標高約200mに位置し、関連性が注目されるが、現時点では分からないとしている。
 昨年5月から丘陵地約1900㎡(山ノ神約1200㎡、柚ノ平約700㎡)を調査してきた。両遺跡の間は約150m。
 柚ノ平からは建物跡4棟が見つかり、円形、方形、四隅が丸い「隅丸方形」(1辺6.2m)が各1棟、不明が1棟。
 このうち、隅丸方形の床面には焼土面が数か所確認され、鍛冶に使う台石と見られる石も出土したが鉄素材や製品は見つからなかった。また、四方の壁際に床面から20cm前後盛り上げた「ベッド状遺構」と呼ばれる高床がこしらえてあった。同遺構は、淡路島内では久野々遺跡(淡路市)、下内膳遺跡(洲本市)についで3例目。畿内周辺や瀬戸内沿岸でも同じ時期に見られるが、用途は不明という。
 一方、山ノ神からは竪穴建物跡1棟が出土。後世に削り取られたため、現在は半円形だが、円形だったとみられる。中央部に焼土面があったが、鍛冶作業で使う工具類は見つかっていない。
 現地説明会が13日午後1時半~3時半に開かれる。
[参考: 読売新聞]

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 淡路市・垣内遺跡


キーワード: 五斗長垣内遺跡
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淡路市・垣内遺跡 出土した土器の復元から丹波との交易浮上

2010年02月15日 | Weblog
 弥生時代後期の鍛冶工房跡とみられる「垣内遺跡」(同市黒谷)から出土した土器の復元作業の結果、垣内の工人たちと丹波地方の人たちとの交易が浮かび上がってきた。
 遺跡からはコンテナ約200箱に上る土器のかけらが見つかっており、市埋蔵文化財事務所で復元作業が進められている。これまでに高坏や甕、壺が昔の姿を取り戻した。
 昨年8月、3か年計画で県の「垣内遺跡調査研究プロジェクト」が発足。今月4日、全体検討会が開かれ、石野博信・県立考古博物館長や村上恭通・愛媛大教授(冶金考古学)ら8人が参加し復元作業を見学した。
 その際、メンバーが一つの高坏に注目し、「土が違う。これは丹波系」と、形状などを詳細に確かめた。鉄素材の輸入ルートとして朝鮮半島からの直接ルート、九州や瀬戸内経由のほかに、日本海ルートも今後、検討する必要が出てきた。
 当日の全体会では、土器に年代幅があるという意見で一致し、市教委が述べてきた1世紀中頃~3世紀初めにまたがる遺跡であることを確認した。今後は23棟の竪穴建物跡ごとに遺構面と上層面で、高坏やt壺や甕などそれぞれの出土状況と年代を分け、各建物が使われた年代の変遷を探る方針だ。
[参考:読売新聞]

過去のニュース
 2010.1.28 垣内遺跡 08年度に出土した鉄製品(板状鉄斧)は朝鮮半島南部製か
 2009.6.26 垣内遺跡 保存のため埋め戻し始まる
 2009.4.4 垣内遺跡 国内最大の弥生後期の鉄器工房


キーワード: 五斗長垣内遺跡

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淡路市・垣内遺跡 08年度に出土した鉄製品(板状鉄斧)は朝鮮半島南部製か

2010年01月28日 | Weblog
 淡路市教委は26日、弥生時代後期の鍛冶工房跡とみられる「垣内(かいと)遺跡」(同市黒谷)から出土した大型鉄製品が、「板状鉄斧(てっぷ)」と呼ばれる鉄製の斧と確認したと発表した。形状から朝鮮半島南部で製作し、国内にもたらされた舶載品の可能性が高い。
 鉄斧は08年10月に発掘した南北約50m、東西約500mと推定される遺跡のほぼ中央部の鍛冶工房跡とみられる直径9・7mの縦穴建物から出土した。当初、朝鮮半島か中国から輸入されたとみられる大型鉄製品と考えられていたが、愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの協力で錆などを取り除くクリーニング作業などを行い、板状鉄斧と判明した。
 鉄斧は長さ17・9cm、厚さ1・3cm、刃部幅が4・9cm、基部幅が3cm、重さ約263g。基部が狭く刃部にかけて広がるバチ型をしている形状と、両側面から丁寧な鍛打が施されている製作技法などの特徴から、国内で製作されたものではなく朝鮮半島南部で製作された可能性が高い。
 弥生時代中期末から後期(BC1世紀~AD2世紀)にかけての舶載品とみられる板状鉄斧はこれまで、九州北部を中心に出土例があるという。
 31日午後1時半から北淡震災記念公園セミナーハウス(淡路市小倉)で「弥生時代鍛冶工房 垣内遺跡の謎」をテーマにした垣内遺跡調査報告会と講演会が開かれ、鉄斧も公開される。
[参考:毎日新聞、朝日新聞]

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 2009.6.26 垣内遺跡 保存のため埋め戻し始まる
 2009.4.4 垣内遺跡 国内最大の弥生後期の鉄器工房


キーワード: 五斗長垣内遺跡
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淡路市・垣内遺跡 保存のため埋め戻し始まる

2009年06月26日 | Weblog
 弥生時代後期(1世紀中頃~3世紀初め)の国内最大の鍛冶工房跡が出土した淡路市黒谷・垣内(かいと)遺跡で、遺構を埋め戻し保存する作業が始まった。
 市教委は早ければ2年後の国史跡申請を目指している。
 現地には25日、見学に訪れる人らのため遺跡の概要を記した看板(縦0・9m、横1・8m)が主要地点を見下ろす高台に設置された。播磨灘を見下ろす丘陵地で23棟の竪穴建物跡、うち11棟の鍛冶工房跡が見つかったことなどを紹介し、出土した鉄製品や工具の写真もつけている。
[参考: 読売新聞]

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 2009.4.4垣内遺跡/淡路市 国内最大の弥生後期の鉄器工房


キーワード: 五斗長垣内遺跡
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