『世界の哲学50の名著』より
ショーペンハウアーを理解するためには、まずカントに立ち戻らなければならない。カントはわれわれが感覚で知覚できる現象の世界と、われわれの知覚から独立して存在する永遠の実在を持つ「物自体」が存在すると考えた。
われわれが感覚による制約を受けているのだとすれば、決して「世界そのもの」を実際に知ることはできない。ショーペンハウアーはこの点について認めながら、理性によって真の実在(「ヌーメノン」)を理解できると考えたのである。
多数の物と多数の知覚からなる雑多なこの世界とは対照的に、ヌーメノンは統一性があり、時間と空間を超越したもののはずである。われわれが現実としてとらえているものは、実際には単なる意識の投影、すなわち表象であるとショーペンハウアーは主張する。常識とはまったく逆に、われわれがおぼろげに描いている世界は不変の実在を持ち、必然的に、現象、仮象、あるいは衣象の匪界(「現実の」世界)には不変の実在、あるいは実体がない。というのも、その世界のあらゆるものは消滅するか形を変えるものだからである。
しかしショーベンハウアーによれば、現象の世界はカオスではなく、「根拠の原理」、すなわち因果性の法則にしたがって動いている。われわれが因果性の世界に生きていると認める限り、たとえその世界がわれわれの意識によって投影されたものだとしても、ショーペンハウアーの考えは完全に理に適っている。
実際、根拠の原理は表象の世界が救いのない幻想に陥るのを防いでいる。時間と空間の法則でさえ仮象の世界の一部であり、不変の真理を持つものではないとショーペンハウアーは指摘する。それらの法則は物自体ではなく、時間と空間の現象を説明する便利な方法にすぎないのだ。
時間は実際には存在しないが、われわれ観察者には存在しているように見える。なぜなら、われわれは時間と空間の次元に沿って表象の世界を構築する必要があるからだ。ショーペンハウアーにとって、カントの「物自体」の概念は、プラトンが洞窟の比喩で表現した「イデア」とほぼ同じものだった。
時間と空間の中に存在するものはすべて相対的である。たとえば、時間におけるある一瞬は、その前や後に来る一瞬との関係においてはじめて実在性を持つ。空間においては、あるものは別のものとの関係によってはじめて実在性を持つのである。
ショーペンハウアーは西洋哲学の伝統から、事物はたえず変化し、不変の実在性を持たないというヘラクレイトスの言葉を引き合いに出し、束洋からは、ヒンドゥー教の「マーヤー」の概念、すなわち世界は単に幻影や夢にすぎず、観察者によってどうにでも解釈できるという考えを取り上げている。
空間、物の世界、あるいはそれを見る者の表象ばかりでなく、時間もまた同様に考えられる。ショーペンハウアーは不倶戴天の敵であったヘーゲルヘの間接的な皮肉として、歴史は出来事の客観的な説明や、特定の目的や目標に向かう過程ではなく、単に知覚する人の観点で語られたストーリーにすぎないと主張し、次のように述べている。
過去というも、未来というも、(中略)なにかある夢のようにまことにはかないものなのである。
ショーペンハウアーにとって、「意志」は現象の世界の核心であり、盲目的で無目的なあらゆる種類の努力として表れるもの、すなわち生きようとする意志だ。ショーペンハウアーの意志とは、意識的に行動する意志というような古典的な意味の意志ではなく、つねにはけ口を求めている一種のエネルギーと見るのがもっとも適切である。この意志は人間の努力だけでなく、動物、植物、そして無生物の世界でさえも、生命力の源になっている。
高く評価された『Parerge und Paralipomena(パルエルガ-ウント-パラリポメナ)』(訳注 題名は「付録と補遺」という意味で、『意志と表象としての世界』の付属的作品)の中で、ショーベンハウアーは自由意志について考察し、次のように書いている。
主観的には(中略)人間は誰しも自分が欲していることだけを行っていると感じている。しかし、これは単にその人の行為が、その人間の本質の純粋な現れであるということを意味するにすぎない。
つまり、われわれが欲するものは単にわれわれの本質、言いかえれば人格の現れにすぎず、人格に矛盾した行動はとれないという意味だ。われわれは動機を自由に選択できるわけではないから、自由意志を持っているとは言いがたい。
実際、われわれの行動の多くは、本当は理由もわからずに行なわれている。普通の人間の場合、「意識は意志の目的に従って、人を着実に、活動的に働かせ続けている(中略)ほとんどすべての人間はそうして人生を過ごしている」
人間は無意識の衝動に駆り立てられる生き物だとみなしたジークムント・フロイトに、ショーペンハウアーの影響を見てとるのはたやすい。フロイトの「自我」の概念とショーペンハウアーの意志との類似は明らかである。
ショーペンハウアーを理解するためには、まずカントに立ち戻らなければならない。カントはわれわれが感覚で知覚できる現象の世界と、われわれの知覚から独立して存在する永遠の実在を持つ「物自体」が存在すると考えた。
われわれが感覚による制約を受けているのだとすれば、決して「世界そのもの」を実際に知ることはできない。ショーペンハウアーはこの点について認めながら、理性によって真の実在(「ヌーメノン」)を理解できると考えたのである。
多数の物と多数の知覚からなる雑多なこの世界とは対照的に、ヌーメノンは統一性があり、時間と空間を超越したもののはずである。われわれが現実としてとらえているものは、実際には単なる意識の投影、すなわち表象であるとショーペンハウアーは主張する。常識とはまったく逆に、われわれがおぼろげに描いている世界は不変の実在を持ち、必然的に、現象、仮象、あるいは衣象の匪界(「現実の」世界)には不変の実在、あるいは実体がない。というのも、その世界のあらゆるものは消滅するか形を変えるものだからである。
しかしショーベンハウアーによれば、現象の世界はカオスではなく、「根拠の原理」、すなわち因果性の法則にしたがって動いている。われわれが因果性の世界に生きていると認める限り、たとえその世界がわれわれの意識によって投影されたものだとしても、ショーペンハウアーの考えは完全に理に適っている。
実際、根拠の原理は表象の世界が救いのない幻想に陥るのを防いでいる。時間と空間の法則でさえ仮象の世界の一部であり、不変の真理を持つものではないとショーペンハウアーは指摘する。それらの法則は物自体ではなく、時間と空間の現象を説明する便利な方法にすぎないのだ。
時間は実際には存在しないが、われわれ観察者には存在しているように見える。なぜなら、われわれは時間と空間の次元に沿って表象の世界を構築する必要があるからだ。ショーペンハウアーにとって、カントの「物自体」の概念は、プラトンが洞窟の比喩で表現した「イデア」とほぼ同じものだった。
時間と空間の中に存在するものはすべて相対的である。たとえば、時間におけるある一瞬は、その前や後に来る一瞬との関係においてはじめて実在性を持つ。空間においては、あるものは別のものとの関係によってはじめて実在性を持つのである。
ショーペンハウアーは西洋哲学の伝統から、事物はたえず変化し、不変の実在性を持たないというヘラクレイトスの言葉を引き合いに出し、束洋からは、ヒンドゥー教の「マーヤー」の概念、すなわち世界は単に幻影や夢にすぎず、観察者によってどうにでも解釈できるという考えを取り上げている。
空間、物の世界、あるいはそれを見る者の表象ばかりでなく、時間もまた同様に考えられる。ショーペンハウアーは不倶戴天の敵であったヘーゲルヘの間接的な皮肉として、歴史は出来事の客観的な説明や、特定の目的や目標に向かう過程ではなく、単に知覚する人の観点で語られたストーリーにすぎないと主張し、次のように述べている。
過去というも、未来というも、(中略)なにかある夢のようにまことにはかないものなのである。
ショーペンハウアーにとって、「意志」は現象の世界の核心であり、盲目的で無目的なあらゆる種類の努力として表れるもの、すなわち生きようとする意志だ。ショーペンハウアーの意志とは、意識的に行動する意志というような古典的な意味の意志ではなく、つねにはけ口を求めている一種のエネルギーと見るのがもっとも適切である。この意志は人間の努力だけでなく、動物、植物、そして無生物の世界でさえも、生命力の源になっている。
高く評価された『Parerge und Paralipomena(パルエルガ-ウント-パラリポメナ)』(訳注 題名は「付録と補遺」という意味で、『意志と表象としての世界』の付属的作品)の中で、ショーベンハウアーは自由意志について考察し、次のように書いている。
主観的には(中略)人間は誰しも自分が欲していることだけを行っていると感じている。しかし、これは単にその人の行為が、その人間の本質の純粋な現れであるということを意味するにすぎない。
つまり、われわれが欲するものは単にわれわれの本質、言いかえれば人格の現れにすぎず、人格に矛盾した行動はとれないという意味だ。われわれは動機を自由に選択できるわけではないから、自由意志を持っているとは言いがたい。
実際、われわれの行動の多くは、本当は理由もわからずに行なわれている。普通の人間の場合、「意識は意志の目的に従って、人を着実に、活動的に働かせ続けている(中略)ほとんどすべての人間はそうして人生を過ごしている」
人間は無意識の衝動に駆り立てられる生き物だとみなしたジークムント・フロイトに、ショーペンハウアーの影響を見てとるのはたやすい。フロイトの「自我」の概念とショーペンハウアーの意志との類似は明らかである。
分からず検索してみました。
ショーペンハウアとフロイトの
関係がよくわかりました。
ありがとうございます。