goo blog サービス終了のお知らせ 

未唯への手紙

未唯への手紙

「現代」とはどんな時代なのか

2016年01月31日 | 4.歴史
『世界史のながれをつかむ技術』より 「歴史とはなにか」--自分と世界をつなぐもの 「現代」とはどんな時代なのか

「現代」はいつからか?

 〇1945? 1989? 2001?

  さてここからは、いよいよ現代について考えていきたいと思います。

  まずはじめに、現代はどこからはじまるかという問題ですが、もっとも多くの人の賛同を得られるのは、平和な時代を模索することではじまった、第二次世界大戦終結以降になると思います。実際、現在の我々の生活に関わってくる、もっとも大きな歴史的転換点ではあります。しかし、地域や年代によっては違った意見も出てくるのではないでしょうか。

  例えば、第二次世界大戦後、アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする社会主義諸国による新たな対立軸として「戦闘なき戦争状態」といわれた「冷戦」がはじまりますが、それが終わり、社会主義国家が次々と姿を消しはじめる1989年を現代のはじまりとすることができます。この前後には中国も市場経済導入による改革開放路線に拍巾がかかり、経済の人発展を遂げることになります。現在、行きすぎた資本主義による格差社会が世界中で大問題となっていることからも、1989年を現代の出発点であるといってもおかしくはありません。

  あるいは21世紀スタートの年であり、世界同時多発テロという、「世界の警察」とまでいわれた超大国アメリカヘのイスラム世界からの反発と、その後、世界中がテロという新たな国際問題に直面することとなった2001年も重要な候補になります。「イスラム国」が誕生した要因もこの年といえるのではないでしょうか。

  以上のことも踏まえたうえで、ここでは、あえて第二次世界大戦以後を現代として、この70年の間に起きた変化について見ていきたいと思います。

社会主義は間違いだったのか

 ○世界はよりよくなったのか

  第二次世界大戦を現代史のはじまりと考える一因に、ソ連が第二次世界大戦の戦勝国になったということを背景にして、社会主義国家が続々と誕生したこともあります。世界各国の労働者だけでなく、独立を認められていなかった植民地にも夢を与え、多くの知識人がまじめに期待したのですが、その体制は半世紀と維持できなかったのです。

  いったいなぜ、社会主義はもてはやされ、そして崩壊してしまったのでしょうか。

  ソ連が崩壊してはや20年以上になりますが、社会主義政権が崩壊した今、世界はよりよくなったでしょうか。これに対しては否定的な答えが多いのではないかと思われます。現実の問題として「格差」「貧困」はますます拡大しています。社会主義が目指したのは、そのような矛盾した社会をなくすことにあったはずなのです。

  ソ連にしても中国にしても、どうして社会主義体制を行き詰まらせてしまったのでしょうか。歴史的に見ても、社会主義はけっして新しい考えではありません。貧困などの社会問題のあるところには必ず出てきます。マルクスは「空想的」と批判しましたが、前近代にも社会主義的な世界を求める動きはたくさんありました。プラトンが理想世界を求めたのも、現実が問題だったからです。16世紀のイギリスでT・モアは『ユートピア』を著しましたが、これは当時のイングランド社会の問題(エンクロージャーの進行で、多くの農民が土地を失いました)を批判したものでした。

  ロシア故人叩指導分‥レーニン白身は実際に権力を握った段階で、その体制を維持するには、強力な共産党独裁体制が不可欠だと認識し、それを強引に実行し始めました。彼自身は志半ばで倒れましたが、それを継承したスターリンが、レーニン以上の独裁体制、つまり、共産党独裁ではなくスターリン独裁体制を築きました。これが悲劇のはじまりになったのかもしれません。

 ○停滞の原因はそのまま資本主義にもあてはまる

  スターリンは、ソ連の体制を確立するとともに、さらに東ヨー’ロッパに同盟国を拡大することを目指し、第二次世界大戦の勝利によってそれを完成しました。またアジアでも中国で共産党政権が成立しました。社会主義勢力にとっては、幸先のよい門出だったのです。

  しかし、資本主義国家は矛盾の多い世界ですが、社会主義も本質的には変わりません。19世紀以来、工業化の伝統のあったロシアだからこそスターリンのおこなった「計画経済」は成功しましたが、農業社会であった中国でそれをやっても成功する保証はありません。なによりも問題は、現場を見ない中央からの指令ですべてが決定されるというシステムでは、人間の生産意欲をそいでしまうことです。モチベーションもイノベーションもない世界ができてしまったのです。

  社会主義経済は国家主導でおこなわれます。運用の仕方では大変に効率的になるのですが、諸国でそれに失敗しました。逆に、1929年にアメリカで始まった恐慌を乗り切るためにF・ローズベルト大統領が打ち出したニュー・ディール政策は資本主義経済のなかに社会主義的要素を導入したものになります。

  つまり自由主義経済に統制を加え、国家主導の経済政策を推進したのです。社会主義化するのではなく資本主義の立て直しを提言したT‐IM・ケインズの理論の実践といわれます。これはある程度の成功が認められるようですが、大成功というにははばかられる結果に終わりました。

  社会主義に展望があるかどうかという問題に戻りますが、弱者救済・格差是正・貧困からの解放という、人間社会の問題の解決には、社会主義というお題目だけでは不可能なようにも思われます。人間の能力・才能・才覚などは多種多様です。市民社会の基本はそれを認めなければならないでしょう。人間の感覚もさまざまです。誠実で寛容な人から嫉妬や悪意の塊まで、さまざまな人々が生きているこの世の中、ひとつにまとめていこうとするのがそもそも無理なのかもしれません。

  旧ソ連では、与えられたノルマを果たすだけで、それ以上のことはいっさいやらない人のことが問題になり、彼らのような態度がソ連崩壊を早めたとも思えます。一方の資本主義社会ではノルマどころではない働き過ぎが、労働者を追いこんでしまうという事態も出てきています。「調和」とか「中庸」という言葉がありますが、これほど実践が難しい言葉はありません。社会主義が崩壊した原因はそのまま資本主義・自由主義を行き詰まらせる要因になるかもしれないのです。

最新の画像もっと見る

1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
「現代の始まり」を私はこう見る (安 恒平)
2016-04-20 21:33:39
初めまして。安恒平(やす こうへい)と申します。「現代とはどんな時代なのか」という題目に惹かれました。

私は1977年11月17日生で、冷戦が終わってから初めて(1990年3月に)小学校を出た世代で、世界がひっくり返る中で少年時代を過ごしました。それ故に、「時代をこう読む」「社会をこう読む」「我々はどんな社会を目指すべきか」という話題に、凄く関心を持っています。なんせ、小学校時代と現代が、余りにも殊(ちが)い過ぎますから。

さて、ここでの題目である現代の始まりをいつとするか。世界史的には、1945年、1989年、2001年に、2008年も加えるべきでしょう。2008年は、リーマン・クライシスによる世界同時不況が発生し、第1回G20首脳会談が開かれるなど、アメリカによる一極支配が終わり、多極化した混沌の時代が始まった年でしたから。
社会生活という面では、1998年もありますね。インターネットとケータイがなかった時代とある時代の差です。

私は、現代の始まりをこう見ます。(晩い方から列挙します)
●2008年…アメリカが衰えて多極化した世界(冷戦終結当時よりも変化が急速で短時間になっており、前が見えない時代)
●2001年…コイズミ以後(新自由主義によって退廃した日本社会)、米国同時多発テロ以後(テロの時代。「子ブッシュ・ブレア・コイズミという“悪の枢軸”が世界を席巻した時代」という見方も可能)
●1998年…インターネットとケータイの時代
●1989年…冷戦後(固定された秩序が崩れた時代)
●1945年…冷戦体制
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。