モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

花かがり(Hanakagari)と バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ③

2008-11-25 08:01:17 | バラ

オレンジ系のHTから赤・ピンク系のHTに変わります。

(写真)情熱の炎はクールに燃え上がるような“花かがり”


輝くような朱色がクールに燃えさかる印象をかもし出す。
日本のバラ育成事業者の代表でもある京成バラ園芸の1997年の作出。
雨に強い花のようだ。

花かがり Hanakagari
・系統:HT(ハイブリッド・ティー)
・作出:1997年 日本 京成バラ園芸
・花色:朱色 剣弁高芯咲き 11cm
・咲き方:四季咲き
・樹高:130-140cm
・1997年JRC銅賞受賞


バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ③

ジョゼフィーヌと『リー&ケネディ商会』
ジョゼフィーヌ御用達の栽培業者は、18世紀ヨーロッパNo1の栽培業者『リー&ケネディ商会』であり、
ジェームズ・リー(1715-1795)ルイス・ケネディ(1721-1782)が1745年に設立した。

18世紀のイギリスは産業革命が進行した世紀だが、
一方で、世界の花卉植物が愉しめる時代でもありマッソンのようなプラントハンターと、
採取してきた植物を育成栽培する栽培業者(nurseryman)が勃興活躍した。

ジョゼフィーヌと交流があったのは、2代目のジェームズ・リー(1754-1824)で、
南アフリカでのプラントハンティングのベンチャービジネスに共同出資もしていたようだ。

ジョゼフィーヌはバラだけでなく、南アフリカケープ地方のヒースマニアでもあり、
1803年からのジェームズ・ニーヴン(1774-1827)の南アフリカケープ地方でのプラントハンティングに
ジェームズ・リーなどと共同出資し、その成果をヒースなどの新種という現物でも受け取っていた。
ジョゼフィーヌのヒースの収集は、1810年頃には132種まで増えたという。

この2代目のジェームズ・リーは交際範囲が広く、アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソン、
さらには、なんとフランシス・マッソンとも相当親密な交際をしていたようだ。

『リー&ケネディ商会』No1の実力は、
顧客の質だけでなく、世界的な花卉植物の仕入れが可能だから出来上がった。
そこには正式ルートだけでなく裏ルートも存在したようで、
ジェームズ・リーとマッソンの交際も種子・球根などの横流しで疑われたようだ。

マッソンとジョゼフィーヌの接点は確認できていないが、
ケープ地方のヒースを採取した第一人者はマッソンであり、ジョゼフィーヌにとっては、
憧れのヒトであったかもわからない。

いつの時代でも趣味という領域は意外な人物を結びつけ、その先にさらに意外な人物が連なるという
面白いネットワークをつくる。

善意の人たちのネットワークは、意外な力を発揮するが、
悪意を持ったヒトがかかわると食い物にされるもろさがある。
ジョゼフィーヌ、マッソンは食い物にされる善人のようだが、ジェームズ・リーはどうだったのだろう?
この商会は、卓越した個人技でNo1を構築したため、卓越した個人が消えた1899年に
154年の歴史を閉じた。

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