モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

その71:狩猟採取民のバンドから学ぶ ①ヨーロッパ人が来る前の南アフリカ

2008-11-18 08:55:50 | ときめきの植物雑学ノート
「持たないことによって得る“豊かさ”」

今から20数年ほど前(100万円台のパソコンが出始めの頃)でエレクトロニクスが発展し半導体は産業のコメといわれ始めるころだったが、マレーシアに産業視察で行った。
今でも覚えているその時の驚きは、スリ・置き引きが結構多く、近代化による工場進出に遠因があるとのことだった。
工場が進出する前は、裏庭或いは裏山にはバナナをはじめ食べるモノが結構あり貨幣が必要でなく自給自足生活が出来たという。
所有権があいまいな入会的な山林が開墾され、工場が進出し、工場に勤め、給与をもらい、SONYのラジカセ、ホンダのオートバイを手に入れるのが夢で、マクドナルドでハンバーガーを食べるとリッチな食事だったようだ。
一方で、勤めも、バナナも手に入れられなくなった人間は、都市に出て生きるための生業としてスリで生活するなど、どの国でもあった発展のひずみがあった。

私が行ったほんの数年前まで自給自足生活が成立していたということが驚きであり、近代化によって自給自足生活が崩壊され、スリを多くしてしまったことをもったいないことをした。 と思った記憶が鮮明にある。

他愛ない前置きだが、どうも、人間の歴史のスパイラル的な発展に関係しているようで、生きるために必要なものと、生きるために必要ではないが所有し蓄積していたいものが分離し、所有と蓄積という新たな欲望が形成され、貝殻、貴石、貴金属、香辛料、貨幣などと変遷するが、それによって測る価値尺度が異なっていったようだ。
貝殻・貴石のころは、男性の化粧を含め異性を官能させる美が価値尺度であったようだが、貨幣は貧富を明確に測れるところとなった。

南アフリカに貧富を輸出したのはオランダ人をはじめとしたヨーロッパ人だが、貧富のない時間をちょっと覗いてみると今とは違うことが見えてくる。

人類の祖ホモ・サピエンス誕生の地、南アフリカ
人類誕生の歴史にはまると抜けるのが大変なのでサラリといくことにするが、
人類の祖先ホモ・サピエンス(Homo sapiens)は10万年前にアフリカで誕生したという。日本人の祖先は彼らの直系として4~3万年前に長い旅をしてやってきたようだ。

世界で最も古い人類の化石は、南アフリカにあるボーダー洞窟、ケープ州東部にあるクラシーズ河口洞窟などで発見され、10万年を超える可能性すらあるという。

何故南アフリカに誕生したホモ・サピエンスのみが人類の祖先となり世界各地に拡散して行ったのだろうか?
この疑問は誰しもが抱く疑問だが、正解はわからない。
しかし、次のようなことはいえるようだ。

(写真)南アフリカの気候

(出典) ZenTech.

南アフリカはケープ地方が地中海性気候、インド洋側が海洋性気候、温暖な雨が多い気候、内陸部がサバンナ、ステップ、冬に少し雨がある気候、そして砂漠とあらゆる気候条件がそろっており、多様な生活環境がここにはあった。

狩猟採取の生活は、環境により動植物の採取・狩猟の種類が異なるため、採取方法、道具などがそれぞれに発展し、地域ごとに『多様性』が生じていったといわれている。
この『多様性』が、強い種・DNAを創り、そして長い旅に耐えられるスキルを獲得したのだろう。

南アフリカの狩猟採取民族の生活
ハーバード大学学術調査隊がナミビア北西部とボツワナの国境近くに住むクン族の生活を調べたものによると

彼らは、23~40人の集団を形成し(これを“バンド”といっている)、食糧を求めて移動する生活を行っている。
主食は、栄養価にとんだ多年生植物のモンゴンゴの実(堅果で脂肪・でんぷん・たんぱく質に富む)が常食で食料の三分の一をしめ、別の植物が三分の一、残りの三分の一は狩猟でまかなう。
モンゴンゴは素晴らしい木で、実はかなりの栄養素が入っており、長期保存に耐えられ、木は硬くヤリなどの道具として使えるという。
水と食用植物があるところで一定期間居住しここをキャンプ地といっているが、ここでは、労働の分業がされ、女はキャンプ地近くでの食用植物の採取と子供の世話、男は狩猟に専念し道具類は木・石・骨などからつくっている。

労働時間を調べると1週当たり15時間の狩猟と採取に費やすだけで、一人当たりの一日の自給量は2140カロリーもあり、一日あたりのカロリー必要量を上回っているという。
狩猟採取民族は、物質的に恵まれない厳しい生活をしていると思われがちだが、少ない労働時間で、十分なカロリー摂取がされ、ある種の物質的な豊かさを享受していることがわかった。

また、彼らは、音楽・アートなどの美的表現を生み出すことに時間とエネルギーをかけており、岩・洞窟などに残された絵画芸術は生き生きしたモノがある。

狩猟採取民族の哲学
キャンプ地周辺の植物・動物を採り尽くしてしまうとそこを去らなければならなくなる。そこで彼らのルールは、 「自分で運びきれないほどの財産を求めない」ということになる。
必要最小限しか求めない。蓄積する財産を持たなかった見返りは生活の豊かさを感じる時間でありこの時間消費でもある
これが原始の豊かさ、今風に言えば必要最小限のモノと心の豊かさを実現した。となるのだろう。

原始の豊かさの暗い面もある。
食糧を求め移動しなければならないときに移動できないということは致命的であり死を意味する。
移動できない病人・老人は捨てていかれたようだ。
これを残酷というのだろうか。そうではないと思う。
生あるものの間違いないゴールは死であり、死のデザインがその集団・社会の最大の課題と思う。
移動を前提としたバンドの人数は、経験的なところからきた人数のようで、意志が浸透できない集団では生き残れない集団となるのだろう。
(明日に続く)

コメント