モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

バラの野生種:オールドローズの系譜③

2008-11-30 01:36:09 | バラ

モダンローズの祖先:カタログその1 
バラの歴史は人類以上に古くその野生種は200種もあるというのに、
現代のバラ、“モダンローズ”の祖先は8種という。

オールドローズとモダンローズの境目は
最初のハイブリッド・ティ(HT)『ラ・フランス』が誕生した1867年を境にしている。
それ以前のバラを「オールドローズ」 、それ以降を「モダンローズ」とよんでいる。

1800年代初めにジョゼフィーヌがマルメゾンの庭園で
昆虫などによる自然交配ではなく、初めての人為的な交配によりバラを作ったことは前に触れた。
この1800年初めから1867年までの期間を「プレ・モダンローズ」としてここでは呼ぶことにし、
オールドローズの系譜はジョゼフィーヌにバトン立ちするまでを描くこととする。

厳密に言うと19世紀の中頃までヨーロッパで栽培されていた品種をオールドローズというが、
中国のコウシンバラ、日本のノイバラもジョゼフィーヌのマルメゾン庭園に存在していたが
オールドローズに含めることとする。 

8種の選定や花の特徴などは、鈴木省三著『バラ花図譜』 (1996年小学館)に教えを乞い、
バラの絵は, 19世紀初めのオールドローズのリアリティに近づくために
ジョゼフィーヌのバラを描いたというルドゥーテ『バラ図鑑』 (1817-1824)を活用させてもらった。
※出典 http://www.cstone.net/people/hughest/index.html

1.ロサ・ガリカ(小アジア)
Rosa gallica Linnaeus ロサ・ガリカ・(命名者リンネ)

・別名 French Rose(フレンチ・ローズ)
・原産地は小アジア、コーカサス地方と南・中央ヨーロッパ。
・花はローズピンクでサーモンがかかる。一重咲きだが半八重咲きに近いものもある。
・花径は5-8cm
・樹高100㎝の小低木。
・枝や花に強い香りがあるので香料として利用される。
・ヨーロッパには紀元前に、近東から小アジアの自生種がはいり自然交配したと考えられる。
・フランスで切花・香料の原料として栽培される。
・ローズピンクでサーモンがかかった赤紫の花色はガリカの特色でモダンローズに大きな役割を果している。
※12世紀十字軍の兵士が西アジアから持ってきたバラ、ガリカローズ(R.gallica officinalis)別名プロヴァンローズは、プロヴァンの地で栽培されたことからこう呼ばれる。
※紀元前16世紀頃のクレタ島の遺跡、クノッソス宮殿の壁画にはローザ・ガリカR.gallicaやローザ・ダマスケナR.demascenaと考えられるバラの絵が残っている。
※ジョゼフィーヌの庭にはガリカ系167種の園芸品種があった。


2.ロサ・ダマスケナ(小アジア・トルコ原産)
Rosa damascena Miller ロサ・ダマスケナ

・原産地は小アジア
・英名ダマスクローズDamask Rose 
・花は肉色を帯びた薄いピンク、またはローズピンク。裏弁はやや色が薄い。
・八重咲きで中心は4つに別れ平開し、一枝に2-5の花がつく。
・花径6-8cm、花弁はやや細長く20-25枚+5枚が通常。
・ダマスク系の芳香がありダマスク香として珍重される。
・原産地小アジアからヨーロッパには紀元前に入ったという説が有力。
・十字軍の遠征で中近東から再移入する。

3.ロサ・アルバ(ヨーロッパ)
Rosa alba Linnaeus ロサ・アルバ

・英名Bonnie Prince Charlie’s Rose(ボニー・プリンス・チャーリーズ・ローズ)、Jacobite Rose(ジャコバイト・ローズ)
・花は白色、半八重咲き
・花径6-8cm 通常は房咲き
・濃厚な香りがある。
・1597年以前から栽培されていた記録があるが、氏素性に関してはよくわからない。
・ガリカと他の種の雑種といわれるが、中部ヨーロッパに自生するカニナ(別名ドッグローズDog Rose)との自然交配で生まれたという説もある。
※イギリスのばら戦争での一方のヨーク家の白バラは、ユーラシア大陸に広く生育しているローサ・アルバ(Rosa alba)と信じられている。

(次回残りを掲載)

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オウギュスト・ルノアールの花 と オールドローズの系譜②

2008-11-29 01:14:04 | バラ

(写真) オウギュスト・ルノアールの花


フランスのメイアン社が作った香りがすばらしい強健種。
メイアンではベンガルピンクと表現しているが、どこかで見た色彩だと思う。

そうだ、
フランスの画家、ルノアール(Pierre-Auguste Renoir、1841-1919)の肌色ではないですか!
彼の名前を冠したのは、ルノアールがモデルのいないときに、彼の大好きなバラの花びらで肌色を表現したという由来があるそうだ。

オウギュスト・ルノアールAuguste Renoir
・系統:Antique Touch Roses(アンティーク調ローズ)HT(ハイブリッドティー)
・作出:1994年 フランス Meilland(メイアン社)
・花色:ミディアムピンクとカタログにはあるがローズ色、クォーター咲き、花径10cm
・咲き方:四季咲き
・樹高:150cm 半直立半ツル性(冬に強剪定をして直立させることが可能)
・芳香:微香
・1993年イタリア・モンツァ国際コンクール銀賞。

                  

バラの野生種:オールドローズの系譜②
モダンローズの親たち
バラの野生種は北半球に約200種あるが、このうちの8種が現代のバラ(園芸品種)の親と推定されている。
この説は、日本を代表するバラの育種家、鈴木省三(1913-2000 京成バラ園芸)によるが、
中国、日本原産のバラがヨーロッパに渡り重要な役割を果す。
これらが品種改良に使われるようになったのは18世紀後半以降であり、別途テーマとして取り上げる。

ヨーロッパ、小アジアのバラは、古代ギリシャ、ローマ時代には幅広く栽培されていた。
ローマの皇帝ネロ(37-69年)は、冬場でも大量のバラを求めたので、耐寒性の強い品種の改良と、
エジプト、南ローマなどに栽培が広がりローマまで輸送し市場が立ったという。
悪名高い皇帝だったが、バラの品種改良と市場化には貢献したようだ。

476年にローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人などは、
この芳しきバラの美がわからなかったようで、中世ヨーロッパからはバラが消え、
修道院でハーブ(薬草)として栽培されるだけになる。

“美というものは、機能的・合理的なものではなく発見される感性がないと失われる”
という真理・原則が、身近にあるだけでなく歴史的にあったということが浮かび上がってしまった。

バラを受け継ぐ(バラだけでなく科学・芸術も受け継ぐ)のは、イスラム圏の国と人々だった。
そのイスラム圏からモノとしてのバラ及び感性としての審美性がヨーロッパに逆輸入されるのは、
スペイン半島・オーストリアなどへのイスラム勢力の浸透、十字軍でのイスラム圏進攻などの戦争を通じてだった。
戦争という最悪の交流は文化の伝播でもあり、失うものも大きいが得るものもあったということだろう。

ヨーロッパに現代のバラの親となるオールドローズが出揃ったのは、
ルネッサンスから大航海時代を経て19世紀初めには次の8種が出揃ったようだ。

ロサ・アルバ(ヨーロッパ原産)
ロサ・ケンティフォーリア(南ヨーロッパ)
ロサ・ダマスケナ(小アジア)
ロサ・ガリカ(小アジア)
ロサ・フェティダ(イラン・イラク・アフガニスタン)
コウシンバラ(中国)
ノイバラ(日本)
テリハイノイバラ(日本)

モダンローズの祖先8種の紹介は19世紀のビジュアルを探して次回からとする。
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ピエール・ドゥロンサールの花 と オールドローズの系譜①

2008-11-28 09:48:17 | バラ

オールドローズのシリーズに入るので、これからアンティーク タッチのバラを数種掲載する。
(いずれも野田市にある清水公園花ファンタジアのバラ園で11月中旬に撮影。)

アンティーク タッチのバラは、中心が四分割したロゼット咲きやカップ咲き、そして濃厚な香り
といったオールドローズの特色を引き継いだバラの総称をいう。

(写真) ピエール・ドゥロンサールの花


ピエール・ドゥロンサールは、フランスのメイアン社が作った
クリームが入ったような白色に淡いピンクがかかる落ち着いたクラシカルな花姿が人気となっており、
バラの名前は、「詩の貴公子」と称された16世紀のフランスの詩人から採っている。

ピエール・ドゥロンサールPierre de Ronsard
・系統:Antique Touch Roses(アンティーク調ローズ)CL(クライミングローズ)
・作出:1989年 フランス メイアン社
・花色:白色に中心が淡いピンクのクラシックなカップ咲き。花径9-12cm
・咲き方:辺咲き大輪
・樹高:300cm ツル性
・芳香:微香

ピエール・ドゥロンサール(Pierre de Ronsard 1524–1585) は、"prince of poets(詩の貴公子)"
と呼ばれたフランスの詩人。1552年に発表した『恋愛詩集』(Les Amours)が代表作。

※参考:大阪大学文学部、岩根久先生の講座「ロンサール研究」サイト

         (写真)“木洩れ日”(バラ園がある清水公園の風景)
            

バラの野生種:オールドローズの系譜①
“ノバラ”と人類とのアーティスティックな出会い

バラは、バラ科バラ属の落葉或いは常緑の低木およびつる性植物の総称で、
これらから交配された園芸品種を多数含む。
園芸品種は実を結ばないのでローズ・ヒップシロップ(rose-hip syrup)を作れない。
また、園芸品種の開発のスタートは、ジョゼフィーヌのマルメゾン庭園といってもよく
1800年の初頭からはじまったわずか200年の歴史だ。

園芸品種の親となる野生種は、世界で約200種あるといわれ、
日本には14種ほどの野生種がある。
このバラの野生種は、北半球だけに自生し南半球にはバラの野生種がないというから実に不思議だ。

バラの祖先ノバラは、いつごろから自生していたのだろうか?
アメリカのコロラド州で発見されたノバラの化石は、7000万年~3500万年前のものといわれる。
日本でも400万年前のバラの化石が兵庫県の明石で発見されたという。

人類が登場してからは、バラはアーティストの感性を刺激し続けたようだ。
例えば、
・紀元前2000年頃の世界最古の文学作品といわれるバビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』には、「女神イシュダルが花の香りをかぐ」と書かれている。また、「バラのようにトゲがある草が海の底にあり若返りが出来る」とも書かれている。この叙事詩を斜め読みすると“ノアの方舟伝説”のようでもあり旧約聖書を含めてストリーテイラーの存在を感じる。
・紀元前1500年頃のギリシャ・クレタ島のフレスコ(壁画)にバラと思われる絵が描かれており、絵画に描かれたバラとしては最古のものという。オリジナルはクレタ島のイラクリオン考古学博物館にあるそうだ。
・古代ギリシャのホメロス(BC800年頃)は最古の叙事詩といわれる『イーリアス』『オデッセイア』で“バラの頬”を若いヒトの美しさとして表現している。
・BC600年頃の女流詩人サッフォーは、バラを『花の女王』と詠っていたという。、この時期には評価が固まっていたようだ。

人類が記録を残してからのバラは、現存する世界最古のアートに登場するぐらい魅力ある存在になっていた。
美しく香りよいだけでなくトゲがあるところがよかったのだろうか?
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ザ・マッカートニーローズ と バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ④

2008-11-27 08:59:45 | バラ

(写真) ザ・マッカートニーローズの花


ビートルズ、ポールマッカートニーの名を冠し、
ローズピンクの美しい花と芳香、そして病気に強く育てやすいところが世界で評価され、
1988年のイタリア・モンツァ国際コンクール金賞など様々な国際コンクールで24個の賞を受賞 した。

作出したメイアンは、世界でも成功したバラの育種家の家系で、
第二次世界大戦後に作出したバラに平和を願って名付けた“ピース”はあまりにも有名で、
我が家にもかつてあったぐらいだ。

ザ・マッカートニーローズThe McCartney Rose
・系統:HT(ハイブリッド・ティー)
・作出:1991年 フランス mailland(メイアン社)
・花色:ローズピンク 大輪(半剣弁高芯咲き,12cm)
・香り:強い香り
・咲き方:四季咲き
・樹高:120-150cm
・1997年JRC銅賞受賞

            (写真)ザ・マッカートニー・ローズの花2
                 

バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ④
ジョゼフィーヌの履歴書
ジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais, 1763 - 1814)は、
1804年にナポレオンが帝位に就いたので、フランスの皇后になった。

彼女の生い立ちは、フランス出身かとばかり思っていたが驚いたことに
コロンブスが発見しコロンブスにして“世界で最も美しいところ”と言わしめた
カリブ海に浮かぶマルチニック島(現在はフランスの海外県)の貴族の家に生まれた。

1779年16歳のときにパリに出てきて、植民地長官の息子アレクサンドルと結婚したが1783年に離婚。
1794年にアレクサンドルが革命政府に処刑されてからナポレオンと知り合い、1796年に結婚した。
ナポレオンと結婚しても、遊び癖は直らずパリでは有名な遊び人だったようだ。

ほんの一例が、
1722年に完成したエリゼ宮は、フランス革命の激動を乗り越える際に
ダンスホールとゲームセンターになった時期がある。
ルイ16世のいとこにあたるルイーズ=バチルド・ドルレアン公爵夫人が生活苦に陥ったため
1階部分を貸し出したためである。

このダンスホールでひときわ目立ったセクシーで目立つた美人がいた。
エジプト、イタリアなどに遠征しているナポレオンの妻ジョゼフィーヌで、
彼女が来るパーティやダンスホールなどは商売として成功するといわれるほどの
有名人で相当な遊び人だったようだ。

エリゼ宮は今では国家元首が住む宮殿となっているが、最初にここに住んだ国家元首はナポレオンだった。

こんなジョゼフィーヌが、ナポレオンとの離婚後は、或いは、マルメゾンの館を買ってからは、
庭造りと植物学にのめりこむ。

              (写真)マリールイーズの花
                
そして、
1813年、マルメゾンの庭園でダマスクローズの園芸品種が誕生し、
このバラに『マリー・ルイーズ』と命名し、別れた夫の再婚相手マリー・ルイーズに捧げた。

ナポレオンが再婚したマリー・ルイズは、
神聖ローマ帝国フランツ二世の娘であり、マリーアントワネットの姪に当たる。

そして1813年は、ナポレオンがロシア進攻に失敗し翌年退位、エルバ島に島流しとなる時期であり
また、ジョゼフィーヌも翌年に病気で亡くなる。

フランス革命があったからこそカリブ海の一植民地の娘がフランスの皇后になれることが出来、
離婚後は、庭造りと植物学に熱中しバラの歴史に革命をもたらした。
このエネルギーは何処から来ていたのだろう?

ジョゼフィーヌの本名は、マリー・ジョゼフ・ローズだった。
ナポレオンがフランス風に変えた“ジョゼフィーヌ”から“ジョゼフ・ローズ”に戻ったのだろうか?

激動期にマルメゾンで誕生したバラは、大きなうねりをつくり新しい血筋として未来に向かっていった。
彼女の名前には "ローズ”があり、そのバラが歴史に足跡を残した。

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フランス料理 Brasserie Lecrin(ブラッスリー・レカン)

2008-11-26 08:41:12 | グルメ

上野駅の中央口、こんなところにといっては失礼だが、フランス料理の店があった。
銀座和光のB1にあるLecrinの姉妹店で、Brasserie Lecrin(ブラッスリー・レカン)という。

こんなところという意味は、何もないと思っていた上野駅の中央口、
東京駅同様に古い建物で、よく見ると古きよき建築物だが
いまは、自動切符販売機がずらりと並ぶ殺風景で何もないところのはずで
改札口から100歩以内にフランス料理の店があったのには驚いた。

フレンチでは、カフェとレストランが併設されている店のタイプを“ブラッスリー”というそうだが、
入り口近くにカフェがあり奥がレストランとなっていた。

はやめのランチなので、客はまばらだった。
ランチビールを飲んで、
(銘柄を指定しなかったのは失敗。多分滅多に飲まない銘柄のようだった。まずい。)
幸先の悪さにがっかりしていたが・・・・・・

(写真)ランチで頼んだメニュー




鴨肉のオードブルのアッサリした味で一気に機嫌が直り、期待値が高まった。

ニンジンポタージュもコクがありながらアッサリしていてこれも結構よい。
今度作ってみようかなどと思った。

メインのハタのポワレ、これは生臭さが残っていてさほどではなかった。

デザートは、温かいショコラとアイスクリームをいただいた。これもくどくない。

これまで不健康な生活を志してきたが、それでもフランス料理は敬して遠ざけていた。久しぶりのフランス料理だったが、
バターリッチでゴテゴテしたソースのいわゆるフランス料理ぽくなく
アッサリしたこの店の味は良さそうだ。

このコースを結構ハイスピードで食べたつもりだが、1時間かかってしまい急いでいる向きにはむかない。
お勘定を払おうとしたら店の前は行列が出来ており、結構待つと思うので早目が良さそうだ。


“Cupcakes for Three”さんのブログでこの店を知り行ってみたが、意外な穴場を発見したようだ。
年中無休、11時-23時30分というのがなかなかいい。

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花かがり(Hanakagari)と バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ③

2008-11-25 08:01:17 | バラ

オレンジ系のHTから赤・ピンク系のHTに変わります。

(写真)情熱の炎はクールに燃え上がるような“花かがり”


輝くような朱色がクールに燃えさかる印象をかもし出す。
日本のバラ育成事業者の代表でもある京成バラ園芸の1997年の作出。
雨に強い花のようだ。

花かがり Hanakagari
・系統:HT(ハイブリッド・ティー)
・作出:1997年 日本 京成バラ園芸
・花色:朱色 剣弁高芯咲き 11cm
・咲き方:四季咲き
・樹高:130-140cm
・1997年JRC銅賞受賞


バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ③

ジョゼフィーヌと『リー&ケネディ商会』
ジョゼフィーヌ御用達の栽培業者は、18世紀ヨーロッパNo1の栽培業者『リー&ケネディ商会』であり、
ジェームズ・リー(1715-1795)ルイス・ケネディ(1721-1782)が1745年に設立した。

18世紀のイギリスは産業革命が進行した世紀だが、
一方で、世界の花卉植物が愉しめる時代でもありマッソンのようなプラントハンターと、
採取してきた植物を育成栽培する栽培業者(nurseryman)が勃興活躍した。

ジョゼフィーヌと交流があったのは、2代目のジェームズ・リー(1754-1824)で、
南アフリカでのプラントハンティングのベンチャービジネスに共同出資もしていたようだ。

ジョゼフィーヌはバラだけでなく、南アフリカケープ地方のヒースマニアでもあり、
1803年からのジェームズ・ニーヴン(1774-1827)の南アフリカケープ地方でのプラントハンティングに
ジェームズ・リーなどと共同出資し、その成果をヒースなどの新種という現物でも受け取っていた。
ジョゼフィーヌのヒースの収集は、1810年頃には132種まで増えたという。

この2代目のジェームズ・リーは交際範囲が広く、アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソン、
さらには、なんとフランシス・マッソンとも相当親密な交際をしていたようだ。

『リー&ケネディ商会』No1の実力は、
顧客の質だけでなく、世界的な花卉植物の仕入れが可能だから出来上がった。
そこには正式ルートだけでなく裏ルートも存在したようで、
ジェームズ・リーとマッソンの交際も種子・球根などの横流しで疑われたようだ。

マッソンとジョゼフィーヌの接点は確認できていないが、
ケープ地方のヒースを採取した第一人者はマッソンであり、ジョゼフィーヌにとっては、
憧れのヒトであったかもわからない。

いつの時代でも趣味という領域は意外な人物を結びつけ、その先にさらに意外な人物が連なるという
面白いネットワークをつくる。

善意の人たちのネットワークは、意外な力を発揮するが、
悪意を持ったヒトがかかわると食い物にされるもろさがある。
ジョゼフィーヌ、マッソンは食い物にされる善人のようだが、ジェームズ・リーはどうだったのだろう?
この商会は、卓越した個人技でNo1を構築したため、卓越した個人が消えた1899年に
154年の歴史を閉じた。

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カンデラブラ(Candelabra)の花 と バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ②

2008-11-24 08:59:54 | バラ
(写真)コーラルオレンジ色のカンデラブラの花


明るいオレンジ色のカンデラブラの花は、名前が意味するように燭台のように明るく輝く。
丈夫なバラで1999年のアメリカのバラコンテスト受賞した花。

カンデラブラ(Candelabra)
・系統:HT(ハイブリッド・ティー)
・作出:1999年 アメリカ J&P社
・花色:明るい珊瑚色のオレンジ 房咲き 10cm
・咲き方:四季咲き
・樹高:120cm
・1999年AARS(All American Rose Selections)受賞


バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ②
マルメゾンの庭園に使ったお金の総額は国家予算レベル??
ジョゼフィーヌのバラ園には、世界中から集めた250種があったというが、
一体いくらぐらい使ったのだろうか? というのが素朴な疑問としてわいてくる。

ジョゼフィーヌが、遅れていたフランスのバラ育種産業を
イギリスと並ぶように育てたくらいだから相当使ったようだ。
これを趣味・贅沢・浪費などというが、産業を振興した政策コストでもあり、
最近の2兆円バラマキとはだいぶ違う。これは浪費でも政策コストでもなく無駄という。

この時代のヨーロッパNo1の育種業者は、イギリスの「リー&ケネディ商会」で、
マルメゾン庭園のバラはここから仕入れていた。

1806年にイギリスとヨーロッパ大陸との通商を封じ込めるために“大陸封鎖令”をナポレオンが出した。
イギリスと通商が出来なくて困るのはジョゼフィーヌもしかりで、特権を使い抜け道を作った。
それは、ベルギーのジョゼフ・パルマンティエを経由して苗木を手に入れたようだ。
植物へのほとばしる情熱をナポレオンですらとめることが出来なかった。

マルメゾンのバラ園には、
赤バラのガリカ、ダマスク、白バラのアルバ、日本産のハマナスなどオールドローズが集積しただけでなく、
ジョゼフィーヌはデメス、元郵便局員のデュポンなど多くの園芸家を支援し、
より美しいバラづくりに打ち込ませたという。

これらの費用は、一説によると国家財政の三分の一にのぼる負債を残したともいわれるが、
ナポレオンがやった戦争ほどお金がかかるものはないので、一説とするが、
かなりのものをバラのために使ったことは間違いない。

マリーアントワネットは1793年に断頭台に消えていったが、
無聊を慰める庭造り・バラの収集は、マリーアントワネットから引き継いだのだろう。
(続く)
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アシュラム(Ashram)の花 と バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ①

2008-11-23 09:22:07 | バラ
(写真)オレンジが美しいアシュラム


めずらしい濃い目のオレンジ色の花、樹高100㎝なので鉢植えに適している。
作出したのは、1906年にマチアス(1882-1953)によって設立されたドイツのバラ育種会社。
アシュラムは2代目マチアスによって作出される。

アシュラム Ashram
・系統:HT(ハイブリッド・ティー)
・作出:1998年 ドイツ Tantau, Mathias(1912-2006)
・花色:濃いオレンジ 八重咲き 10cm
・咲き方:四季咲き
・樹高:100cm

(写真)アシュラムの花2


ジョゼフィーヌが変えたバラの歴史
日本で愛されている花の代表は、カーネーション・キク・バラと言ってもよい。
キクは一度取り上げたが、原産地と原種がわからないほど雑種化され園芸品種が増えている。
バラも同じようで、いま手にしている豊富な色彩、花形などの美しいバラは園芸品種で、
その園芸品種の始まりからバラ・ストーリーをスタートする。

1813年、パリから西20㎞のところにあるマルメゾンの庭園でダマスクローズの園芸品種が誕生した。
ここからバラの世界は大きく変わることになる。
世界で初めて人工交配による品種改良が行われ、幾多の新品種がここマルメゾンで育成された。
ジョゼフィーヌがバラの歴史を変えることになる。

マルメゾンの館は、ナポレオンとその妻ジョゼフィーヌが1799年に購入した。
あまりにも高額でナポレオンには払えなかったが、しかし、ジョゼフィーヌは諦めなかった。
“憧れの英国のキューガーデンのような自然庭園を作りたい”
これがジョゼフィーヌの動機で、ナポレオンの尻をたたいて手に入れてしまった。

ナポレオンの出世とともに、世界中から高価なバラの苗木を集め、
ナポレオンと離婚した1809年から彼女の死亡までの14年間ここに住みバラ園をつくった。
ジョゼフィーヌのバラ園には、世界中から集めた250種があったというから驚きだ。

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クコ(枸杞)の実

2008-11-21 09:13:46 | その他のハーブ
(写真)鈴なりのクコの実


クコの実が鈴なりになっている。

花が咲いてから、1ヵ月半過ぎにはこんなにみごとに実がなる。

そろそろ収穫し、クコ酒にするには数が少ないが乾燥させクコ茶としてみよう。

五臓の邪気をとるというのでこれに期待する。

(写真)オレンジ色に輝くクコの実


クコの花についてはここを参照


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ダイアナ プリンセス オブ ウェールズ(Diana, Princess of Wales)の花

2008-11-20 09:27:33 | バラ

バラ事始めのいいわけ
バラの歴史は古く、紀元前5000年頃のエジプトで栽培されていたようだ。
現代のバラとは異なるが、花の美しさ、芳香のよさで王侯貴族に愛された花でもある。

バラの歴史の転換点には有名な女性がかかわってくる。
クレオパトラ、マリーアントワネット、ナポレオンの后ジョゼフィーヌなどたくさんある。
特に、バラの世界では、ジョゼフィーヌ以前と以後では大きく異なるようだ。

ジョゼフィーヌを中心に、Before Jのオールドローズの歴史とAfter Jのハイブリッド誕生の歴史
世にバラマニアのための様々な書物・データなどがあるなかで、
バラがちょっと気になるなと思っているヒト向けに(自分のレベルだが)再整理と編集をしてみる。

そのスタートはこの花しかないだろう。

(写真) ダイアナ プリンセス オブ ウェールズの花


1997年8月31日に痛ましい事故でダイアナ元英国皇太子妃が亡くなった。
そのメモリアルと彼女がかかわったチャリティ資金を得るために、
1999年にアメリカJ&P社で作出されたのが、ダイアナ プリンセス オブ ウェールズだ。

J&P社は、ジャクソン・アンド・パーキングといいアメリカに於ける有名な育種会社で
バラの新種開発と通信販売という新しい手法で20世紀初頭から成長した会社だ。

ダイアナ プリンセス オブ ウェールズは、
四季咲きでクリーム地の花弁にうっすらとピンクが載りさらに朱色がまし
香りも素晴らしいハイブリッド・ティー(HT)。

(写真) ダイアナ プリンセス オブ ウェールズの花横顔


ダイアナ プリンセス オブ ウェールズ(Diana, Princess of Wales) 
・系統:HT(ハイブリッド・ティー)
・作出:アメリカ、J&P社(ジャクソン・アンド・パーキング)、1999年
・花色:クリーム地に薄いピンク
・咲き方:四季咲き
・樹高:150cm

補 足
とげのあるバラ、角が出ているときのかみさんからは遠ざかろうと思っているが、
バラの歴史だけはおさえておきたいと思い始め、小さく始めてみることにした。

といっても、自ら作るのではなく借景に徹しようと思う。
わが庭でも3種ほどあるが、これを増やすことはせずセージを増やすことに専念し、
バラ園やよそ様の庭の美しいバラの記録を撮らせてもらいバラの物語りを残させてもらう。

当面の借景先は、野田市清水公園にある花ファンタジアのバラ園である。
11月中旬に撮影した晩秋のバラの数々をシリーズで掲載していく。

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